リサと二人きりで

 貴族街の一等地、ローランド邸。勿論、ユウマはリサの両親とも面識があるわけで特別緊張はしない。なので軽く挨拶をしてから、家付きのメイドに案内されて、客間を目指す。確か彼女の名前はミーサで、どこかの子爵家の御令嬢らしい。学校での噂を耳にしているのかは知らないが、妙に堅苦しい。彼女からしてもユウマは平民であり、何処の馬の骨とも分からない存在には違いない。


「こちらへ」


と、いつもと違った態度で案内される。ぐったりした演技のユウマは廊下をとぼとぼ歩きながら、侯爵という身分の凄さを改めて感じとる。壁紙や廊下に飾られている絵画もすごいが歩き心地が半端ない。土足で家の中を歩く感覚は未だになれないが、柔らかい絨毯を土足で歩く背徳感が堪らない。これは日本生まれというのが特に影響をしているのだろう。


ユウマは客間に入り、そこにある調度品に目が奪われた。「なんじゃこりゃ!」と口に出てしまいそうなほどに、輝いている。光源がないのに光っているのではないかと思うほど輝いている。反射効率が1.00越えているのではないかと見紛うほどに眩しい。


「まぁ、目利きなんて出来ないから何とも言えないけど、とにかく高いと言うことだけは理解できる」と偉そうに腕を組むユウマをじっとミーサが睨んでいるような気がした。「絶対触るなよ、絶対触るなよ」そんな目で見られても、コントじゃないんだから触るわけがない。


違和感を感じたのは、椅子に腰を下ろした時だった。当然、リサが家に招いた時点で違和感を感じてはいる。ただ、その違和感とは別の違和感。座ったからこその違和感だ。


「あれ、この部屋・・・。それにこの天井・・・。知ってる?」


「知らない天井だ」とぶっ込みたいところだが、あまりにも既視感があり過ぎて、咄嗟に言うこともできなかった。高いものというのは、時間が経っても上品なものだ。勝手な思いかもしれないが、家具に関しては特にそう感じる。革製品などもそう思う。だからソファや棚など、かなりの年代物だが、とても良い雰囲気を出していて、ローランド家が如何に名家かというのがよく分かる。


 『品質がよく分かる程度』でそこまで注目したりはしない。さっきからの既視感の話だ。そう、多分目線がこれくらいの時に自分は何度かこの部屋を訪れている。じゃあ、さっきのドキドキ感は何? そう考えるのは早計だ。はっきり言って、小さい頃に女の子の部屋に行くという経験など『ノーカン』だ。どんなに寂しい青春時代を送っていても、それくらいあったりする。もう一度言う、性欲のない時期に女の子の家に行ったことを自慢しているやつ!それは『ノーカン』だ!


ただ、近年は若年の性体験が問題になっており、それはユウマも心配している。


「って、今はそんなことどうでもいいから!」


とにかく、ユウマは落ち着きなく、ソワソワとしている。そう、これこそがカウントすべき『女の子の家に行った回数』なのだ。行き慣れている男性がいたとすれば、それは『ドキドキ、ソワソワしなくなってからのはノーカンだ』と言ってあげるべきだろう。そう、モテる男が女の子の家に行く行為、それは何度も言う『ノーカン』だ。


「ユウマ、お待たせ。」


リサが漸く登場した。そしてさっそく部屋の外でミーサと押し問答を始めている。テーマは当然『二人きりにして! だめですお嬢様!』に決まっている。二人きりにさせるなど、言語道断だとユウマも父親なら言う。いや、その経験がないのは置いとくけれども。そう言えば、リサがここに来たということは両親には許可を貰った、もしくは強引に押し通したからに他ならない。


時刻はとっくに夕食刻なのだが、ユウマは回復ポーションのおかげか、それとも疲れがまだ残っているのか、お腹は空いていない。ただ、リサはお腹が空いているので、果物持参でやってきた。買い物を任されているので分かっているが、果物も物によっては結構高い。その結構高い果物をたんまりとバスケットに入れて持って来ている。そして先ほどの部屋の外での押し問答であるが、当然だがリサの押し切り勝ちになった。


「あのさ、リサ。もうちょっと警戒心を・・・。」


「そんなのいいから、さぁ、隠してることを話しなさい!!」


やはりそう来たか、とユウマは思った。警戒心と言ったのは、あくまでユウマが少しでも話題を逸らしたかったからだ。そもそもリサはユウマに対して警戒心の欠片も持ち合わせてはいない。リサの両親もリサの持つ武力は知っている。武力と敢えて言ったのはリサは魔法も含めると、戦略的兵器に相当するからだ。考えたくはないが、ケインだってあの年齢で考えれば、それなりにやれるほうなのだ。


チョレボ王が考える、火力を上げるなら魔法が手っ取り早いという考え方は、集団戦を想定すれば、残念ながら大正解だ。


個の戦いでは、武術も必要だろう。だがリサはそれさえも兼ね備えている。つまりリサの両親にはこの部屋にマシンガンを持った女性と、全裸の男性。いや全裸の男性なら絶対に中に入れないので、丸腰の子供と言った方が良いだろう。なんにしても絶対に安全だ。この世界のユウマの記憶を遡っても、男としては情けないくらい全く警戒されていない。


森の中に二人で行くことを許す段階で、本当にどうかと思う。勿論、昔同行した侍女が骨折して戻ってきた、なんてこともあったくらいだ。リサが負けるところなんて想像がつかない。


「隠してることって?」


ユウマは背中に冷たいものを感じる。どのことを言っているのか、『冥府の神』のことなのか、それとも・・・。


「じゃあ、質問を変えるわ。ユウマ、あなたは誰なの?」


直球勝負だった。冥府の神、そんなことは些末な話だ。魔法の世界なのだ。魔法陣の話は別に隠す必要がないのかもしれない。勿論隠してはおきたいが。


記憶が同期した瞬間から分かっていた。宗教色が余りにも濃い雰囲気のテストだったのだ。脳内大混乱中でも、そのことくらい理解できた。それにテスト結果を渡された時の軽蔑の眼差しも覚えている。そして、この国には魔女裁判が普通に存在している。それが分かっている以上、ユウマの現状はどう考えても火炙りが妥当だ。悪魔の烙印が押されるに決まっている。


勿論、何度も言おうとした。特にリサには。敬虔な信徒には見えないリサには。それでも怖かった。あれほどソワソワしていたのに、今は恐怖でいっぱいだ。乾いていなかったはずの喉もあっという間に水を欲するほどになった。


「り、リサ・・・。えっと・・・」


言葉が出てこない。何を言えば良いか、最初の一文字も出てこない。


「ユウマが突然別人にすり替わった、最初はそう思ったの。勿論、頭を叩かれすぎておかしくなったとも考えたわ!!」


リサは警戒心の欠片も見せない。むしろ楽しそうにそう話す。


「ねぇ、私たちが出会った日のこと、覚えてる?」


続けざまに質問が飛んでくる。出会った日、それは覚えている。


「えっと、俺が暮らしていた孤児院に、ある日お迎えが来たんだ。それで・・・、うん、そうだ。たしか馬車の荷台に乗せられて、見慣れない農村に連れてこられた。」


ユウマはリサの目を見ることを何となく避けていたが、リサが今腕組みしてユウマを観察していることは何となく分かる。


「それで、農家の手伝いをする日々が始まって・・・。ある時リサが現れた。」


それから、『私の家来になりなさい!』と可愛らしい少女に俺はときめいた。そして手を引いて連れて行かれるのが嬉しくて、急に棒を渡されてチャンバラごっこが始まって、ボコボコにされて、あぁ、なんて・・・気持ちが良い!


って、違う!! 危うくそれを口にするところだった。ユウマの顔が熱っぽく感じ始める。ちなみに、それから思い出したことは、「あぁ、お嬢様、今日もお美しい!!」「好きだ!」「でも身分の違う禁じられた恋」などと、赤面するような自分の心の声、そんなのが次々に浮かんできた。


少年ユウマの気持ちもよく分かる。孤児として育てられ、一生こんな生活が続いて行くんだと思っていた。でもある日突然、天使が舞い降りたのだ。暴力的で強引な天使ではあったのだが。さらに次々にユウマの気持ちが流れ込んでくる。


「あぁ、今日も殴られた。本当はあの足で蹴られたいのに・・・」「なんなら、ヒールというもので踏みつけて欲しい!」「身分差が許されないなら、犬になりたい。一生リサお嬢様の奴隷になって、お側に・・・」


なんか、どこかで聞いたことがあるセリフ・・・。そうだ、悪夢を見る時は大抵こういう声が・・・。


「ってぇ!!ちょっと待ってちょっと待って! リサ、もうちょっとだけ思い出させて!」


思い出したくもないので、これ以上思い出さないが、気持ちの整理をどうかつけさせてほしい。これはユウマの心の中に隠し持っていた、押さえつけていた感情だったのだろう。自分でもちゃんと「身分差があるから考えてはいけない」「叶わない恋」と思っている。だからきっと大脳皮質や海馬の奥底に厳重にしまっていた、ユウマの本心を聞いてしまったようで、本人ながら恥ずかしい。


というより、完全にドMじゃねぇか、俺!!。いや、考え方を変えよう。絶世の美女に蹴られて、踏みつけられる日々。これは完全に・・・





・・・ご褒美だ!




うん、間違いない。これはおそらくではあるが、男性の9割がそうに違いない。皆っ考えて欲しい。これが正解だ。ユウマは確信した。手応えを感じたのだ。そして満を侍してリサに言う。


「そう、俺はリサの犬になりたいと思っている。」


「知ってるわよ。それくらい。」


答えを間違えたようだった。そもそもリサは強引な性格だが、洞察力も誇って良いほどに備わっている。ユウマのこんな下卑た気持ちなど当然理解していたはずだ。


「まぁ、それなりにチャンバラ相手にも、ちょうど良かったし? それに殴られても文句も言わないし、他所様のお貴族様なんてつまんないし、すぐ辞めちゃうしで、ちょうど良かったのよね、あんたは。パパとママなんか、すぐにリサはもっと慎ましくなりなさい!なんて言うし。」


「そうだな。リサはいつもいつも、つまらないと言ってたもんな。白馬の王子様がきて欲しいってのも、自分がトップに立って、貴族社会そのものをめちゃくちゃにした方が面白いじゃんって発想からだし・・・。」


リサの詰問のおかげで、色々とリサのことについて整理が出来た。だからユウマも饒舌に語り始めた。


「ま、そんなリサじゃないと、俺なんて連れて行かないしな。絶対に止められるような行為しかしないしな、お前は。」


漸くいつもの調子に戻ってきたことで、ユウマの気持ちにも余裕が出来た。だから俯くのをやめて、改めてソファに座り直し、リサを見た。その瞬間にユウマはメデューサを見てしまったかのように、全身が石になってしまった。微動だにできない。


リサの目は一つも笑っていなかった。


「はっきり言うわ。ってか、なんであんたが気付かないのか、不思議なくらい。ユウマは私を呼び捨てにしない。したことなんか一度もない。」


初歩的なところでユウマは完全にやらかしていた。だって、その時は記憶が重なって・・・。


「あれ? ってことはもしかして・・・」


「あったりまえでしょ? 歴史のテストであんたが突っ伏した瞬間、あの時から気付いてたわよ! でも、面白そうだから、そのまま放っておいたの。」


ぐうの音も出ない。だって席が隣で、最初に会話をしたのもリサだったのだから。


「最初にも言ったでしょ? ユウマが別人に入れ替わったんじゃないかって、疑ってたって。でも、それはないわ。記憶自体は間違ってないもの。ま、最終確認はさっきさせてもらったからね。」


「さっき・・・」


そこまで言いかけてユウマはハッとした。


「気がついた?ミーサには客間がどこかまで、案内させないようにしてたの。ドアだって全部開けておいたわ。それなのに、あんた何も迷わずにこの部屋に入って、寛いでたでしょ?」


ミーサは「こちらへ」としか言っていない。ユウマはこの部屋が客間だと知っていた。これだけ豪華な邸宅で、それにユウマ自身も既視感をちゃんと抱いていた。


「まぁ、敬虔な信徒になるんなら、もう捨てちゃっていいかなって思ってたんだけどね。でも、それも違うみたいだし・・・。ねぇ、あんた悪魔に取り憑かれたんじゃないの?」


さらっと笑顔で恐ろしいことを言う。ミーサの警戒の目の理由も合点が言った。リサには最初から全てお見通しだったというわけだ。冷静に考えれば、突然性格が変わったようなものだ。悪魔付きを疑うのは当然だ。ならばなぜ・・・。


「なぁ、もしかして、色々俺を庇ってたのって・・・。」


「面白そうだからに決まってるじゃない!!」


翠眼をキラキラさせながら、とんでもないことを言う。ユウマの心は火炙り一色なのに。『水に沈めて浮かんでこなければ、魔女じゃない。浮かべば魔女だ、殺せ』有名なシチュエーションが次々に浮かんでくる。


だから、観念した。リサの好奇心に賭けるしかなかった。そう、リサにとって重要なのは面白いか面白くないかなのだ。この天下無血の天才は、やることなすことうまく行きすぎて、日々つまらないと感じている。だったらそれに賭けて、全てを話すしかない。


「なぁ、リサ。パラレルワールドって分かるか?」


「並行世界? うーん。あるとも言えないし、ないとも言えないんじゃない? だって分かんないし、そんなの。」


「ところがだ。それがあると証明する実験した世界が存在するんだ。まぁ量子力学の、・・・いや、なんていうか細かい物質レベルの話だけどな。」


「ふーん。じゃあユウマはその、パラレル・・・」


「あぁ。あの時俺も歴史のテストを受けている最中だった。だがなぜか突っ伏した瞬間に、こっちの俺と同化しちまったってことだ。全く、なにがなんだか分かんないのはこっちなんだよ。」


包み隠さずに状況を話した。敢えて向こうの世界の言葉も交えて。


「じゃあ向こうの世界のユウマはどうなっちゃったの?」


「それも分からない。でも、なんていうか感覚だけど、そっちの俺はまだ俺でいる気がする。俺の記憶データだけが同期したって、イメージなんだよなぁ。ま、俺からしたらこの魔法が存在するパラレルワールドっていうのも理解不可能だしな。」


「ふーん。嘘はついてないってのは分かるわ。根本的なユウマの癖もあまり変わってないし。きっと根っこは同じなのよねー。」


いや、それはちょっと違うと言って欲しいのだが。


もう少し詳しく説明するならば、魔法世界バージョンのユウマフォルダに前の世界バージョンのユウマのフォルダをぶっ込んでみて、共通するデータファイルはそのまま、共通しないデータファイルは結合や変換など一つもせずに、単純にフォルダにぶっ込んだという感覚なのだが、パソコンのないこの世界において、この説明は不要と判断してリサへの説明では割愛した。


OSが違ってたら、全く前の世界のユウマはこの世界では使用できないものとなり、何の意味もないデータとして、単純にこの世界のユウマフォルダの容量を食い潰す穀潰しになっていただろう。だからこの世界のユウマがいなくなったわけでも、前の世界のユウマが占領したわけでもなく、二重の記憶を持つユウマがいる。


ユウマ的にはせっかくダウンロードしたので、とにかく作動させてみた、といったところだろう。だから記憶の整合性がつかなくなり、エラーが出まくっていたというわけだ。出来れば、更新日とかバージョンとか確かめながら、記憶アプリを起動して欲しかったものだ。


・・・いや違うか。俺なら間違いなく、最新アプリや最新バージョンをダブルクリックするな。特に難しいテストを受けている最中に新しい記憶がアップデートされたんだったら、間違いなく・・・。あ、やっぱ、この俺も俺だわ。


「まぁ、なんとなく分かったわ。二倍お得ってことよね? でもユウマ、これは絶対誰にも言っちゃダメよ。私くらいだからね。こんなの受け入れるのって! じゃ、そろそろ寝るわ。私も色々考えを纏めたいしね!」


リサが聞きたいことは終わったとばかりに、葡萄を口の中で転がしながら立ち上がった。いきなりだったので、ユウマはリサを止めようとした。まだ聞きたいことがある。


「魔法陣のことでしょ? 分かってるわよ。それも私に任せなさい! あんたが動くと余計なことにならないんだからね!!」


一応ユウマはやらかしたばかりだ。いや、やらかしたのはリサなのだが、それでも侯爵令嬢と平民は地球の深海と木星のエウロパほどの距離がある。貴重な魔法書を平民が見れるとはとても思えない。教科書さえ配られていないあの学校での授業で教わる保証なんて一つもない。


「あぁ、俺も寝るよ。まだちょっとふらつくし。魔法陣のこともまた今度ってことで。じゃ、おやすみ・・・えっと・・・。」


そこでユウマは口澱んだ。それを見てリサはニカっと笑っていった。


「呼び捨てのままでいいわよ! ううん、そうしなさい! じゃ、おやすみユウマ!!」


「あぁ、おやすみ。リサ。」


リサは軽快な音をたててドアを閉めて、軽快なステップでどこかへ行ってしまった。リサの笑顔を見て、頭に残っている吐き気の一つが消えた気がする。確かに、今まで誰にも話せなかったことを話せたのは、精神的にも良かったのだろう。

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