魔法陣の少女

 魔法陣総当たり、聞いたこともない言葉だが、ユウマも無謀だとは分かっている。それでも蝋燭を眺めているよりも大分マシだ。


「うーん。まずは安易だけどこれ!」「じゃあ、つぎはこれ!」「んー、ならこれ!」


「むむむ、そもそも合ってるのか間違ってるのかも分からないなぁ・・・」


などと言いながら、五芒星、六芒星、ただの二重丸、心の中で色々と視覚化していった。


当然ながらどれもハズレ。しかもその後どうしたら良いのかも分からない。恐らくはそのあと詠唱をするのだろうが、魔法陣が光るとかでも良いから何か反応があると分かりやすいのだが・・・


「あった・・・」


一つだけ、反応したものがあった。何の魔法陣なのかは知らない。それでも今まで視覚化した魔法陣とは明らかに雰囲気が違っていた。勿論、当時は何も分からない状態だったので、ただの見違いの可能性もある。それでも試さずにはいられなかった。


「ま、ダメで元々だしな。きっといつか授業でも教わるだろうし・・・」


気合の入る作業だ。ここで一度トイレ休憩を果たし、ユウマは布団の上で座禅を組んだ。形から入るのは重要だ。途中でトイレに行きたくならないように後顧の憂いも絶った。あの時と同じように赤い炎を脳裏にイメージする。実際に戦闘ではリサは目を開けたまま、魔法陣を視覚化している。あの子は特別だ。参考にしてはいけない。


真円を描き、そしてその内側にも真円を描く、その間にルーン文字とアルファベット文字を刻んでいく。そして円に十字線を引き、それ以外にも装飾を施していく。そして最後に中央に六芒星を描く。そして最後の一辺を描いた直後、赤く描いた魔法陣が描いた順に色が虹色に輝き始めた。


あの時はそこまで真剣に観察してはいない。そもそもあの時は試験を切り抜けるために気まぐれで行っただけだ。だが、今ならこの魔法陣が正解なのだと感覚的に理解できる。


「出来た」声には出さない。悦に浸ってニタニタしているが、何度見ても美しい。


『なにが出来たの? 何が美しいの?』


そうだった、あの時も声が聞こえたのだ。魔法陣の中央にある六芒星の中、そこにうっすらと憂いを孕んだ表情の少女が浮かび上がった。


リサには茶化されたが、この女性は明らかにリサではない。


『私に何か用?』


何も用などない、けれどそんなことは言えない。もしかしたらやってしまったかもしれない。悪魔と呼ばれる存在もいるのだ。


『そう・・・、残念。それに、確かに私は貴方達に悪魔と呼ばれる存在かもしれない・・・』


考えていることが読まれていることが分かる。おそらく心に魔法陣を描いたからだろう。だからユウマの心がそのまま相手に伝わってしまう。それに今、悪魔、悪魔と言った?


『ねぇ、貴方の名前を教えて?』


ダメだ、悪魔に名前を知られてはいけない。それくらいは分かる。前の世界でも常識だ。それでも考えるな、などと簡単にいうが、無心になどそう簡単になれるものではない。かの有名な映画でもそれが出来ずにマシュマロを想像してしまったではないか。『ユウマ』、この名前は絶対に告げてはならない。


「はっ!」


『そう、ユウマね。ありがとう。覚えておく。』


目の前にいる少女は軽くそう言った。本当に彼女は悪魔なのだろうか、ただ単に遊ばれているだけかもしれない。


「なぁ、君の名前も教えてくれないか?」


『それはダメ、私は名前を明かせない。』


その言葉にユウマはムッとした。勿論上位精霊に向かって言える立場ではないが、心が伝わっている以上、いつものようにやり過ごすことはできない。


『明かせば悪用される。私は冥府の神だもの・・・』


神と名乗った。ユウマの読みはあっさりと正解に辿り着いた。それに冥府の神ならば使役されればとんでもない魔法になってしまうだろう。例えば人を死に追いやったり・・・。


『それだけじゃない。この世界を終わせることになってしまう・・・』


「うーん。確かにそれは知らない方が良いな。俺もこの世界におわ・・て・・も・・・」


突然、視界がぼやけ始めた。リサの言っていた通りだ。きっとこの魔法陣には意味が籠められている。マナの消費が激しいというのはこういうことだった。


『ユウマ、貴方に・・・』


そこでユウマの意識は途切れた。


目が覚めたのは、突然鉄の軋む音が聞こえたからだ。昨日は意識を失ってそのまま眠りについた筈だ。それなのに体がだるい。朦朧とした意識の中、担架に乗せられて運ばれているのだけは理解した。まだ二週間しか経っていない筈だ。それにしても、眠気はないのに体がだるい。改めてリサの凄さに気付かされる。


 事態が呑み込めないままユウマは医務室と思われる場所のベッドに寝かされた。そしてぼやける視界の中、濃い緑色の髪の少女が立っているのがぼんやりとだが分かった。


「ゆ、ユウマさん、あの時は・・・その、助けて頂いてありがとうございました!!」


ユウマはまだ少女の顔が識別できてないのに、そそくさと少女は出ていってしまった。ユウマが頭を傾げていると、ぼやける視界でも認識できる少女がやってきた。


「あら、ヒーローさんのご帰還ね!」


この嫌味、間違いない。リサの声だ。リサの声さえも久しぶりに感じる。


「なんだよ、ヒーローって。」


掠れる声でリサに文句を言う。その反応を見てリサは周りを一瞬見回した。


「ユウマ、あんたマナダウン起こしてるんじゃない。」


リサが急に顔を寄せて耳打ちし、懐から小瓶を取り出してから、素早くユウマの口にそれを突き立てた。


「ゴホッ」っと咳き込むのは仕方がない。ぼやける中、急に口の中に何かを流し込まれたのだ。ただ、味はそれほど悪くなく、柑橘系を思わせる爽やかな味だった。


「いい?あんたは体調崩して、倒れたことになってるんだから、絶対にこのことを言うんじゃないわよ!」


誰にも悟られず、リサはいつも通りの堂々とした体勢に戻り、どこからか椅子を引っ張り出してきて、そこに座った。


「あの子は、ユウマが助けた女の子よ。ずっとあなたにお礼がしたかったんですって。あまりにもしつこいから一番を譲ってあげたのよ。」


ぐるぐる回っていた視界が少しずつ戻っていく。なるほど、そういえばそんなこともあった、としか思えない。ユウマはおそらくマナ回復のポーションか何かかなぁと一人考えに耽っていた為、リサの言葉「一番を譲ってあげた」という言葉を聞き逃していた。


「それにしてもユウマが敬虔な信徒だったとはねぇー。」


「え、なんのことだ?」


ユウマはリサが突然妙なことを言い出すので、つい大きな声が出てしまった。さっきまでの掠れ声だったら良かったかもしれないが、あの薬は思いのほか効き始めるのが早いらしい。


ユウマの声にリサも反応していた。即座に医務室の入り口を確認して、車椅子を押しながら戻ってきた。車椅子を見て目を白黒させるユウマにリサは言い放った。


「帰るわよ! 今なら大丈夫だから。」


「え!?どこに!?ってか、おわっ!!」


リサに無理やり抱き起こされる。華奢な体のどこにそんな力があるのだろうか、ユウマの体が持ち上がる。女性に抱っこされるのは、たまらなく恥ずかしい。そして何よりリサは着痩せするタイプだったようだ。胸が顔に当たって心地が良い。ついつい顔を押し付けてしまう。


「ちょっと、変なこと考えてないでしょうね!!」


「え、いえ、なんのことでしょうか・・・」


「このスケベ!!」


怒鳴られながら、ユウマは強引に車椅子に乗せられた。ユウマにとっては不可抗力なのだが、これが異世界特典ラッキースケベというやつか。そんな不埒なことを考えているユウマには、リサのこの先の行動が全く読めない。


「なぁ・・・」


「いいから。今はぐったりしといて!!」


言われるがままにぐったりとしておく。するとまばらな学生や教員が道を開けてくれるのが視界の端に映った。「まばら?それに不審にも思われていない?」ユウマの方が不審に思いながら、車椅子の進行方向をチラ見する。


まっすぐに校舎の出口へと向かっていた。そして外に出た時にユウマは一つの勘違いに気がついた。空が紅い。決して明け方というわけではないだろう。ユウマは朝目が覚めた訳ではなかった。今は放課後だ。つまりほとんど丸一日意識がなかったということになる。当然、校門にはリサを迎えにきた馬車が停まっている。そこに向かって一直線に車椅子は向かう。


馬車にぶつかる、というところで車椅子は急停車した。その動きは聞いていない。ユウマは慣性の法則に従い前に放り出される。


「はい、もう歩けるんでしょ? 自分で乗りなさいよ!」


顔をすこしだけ桃色にしながら、そっぽを向いてリサが言い放った。確かに飛び出したユウマは綺麗に着地していた。もう一度あの感触を味わいたかったが、歩ける姿を周りに晒すこともできないので、ユウマは仕方なく馬車に乗り込んだ。その間にリサは御者に何かを伝えている。御者は機敏な動きで車椅子を押していったので、きっと車椅子を医務室に戻しにいったのだろう。


「さぁ、ぜーんぶ話しなさい!」


客車のサスペンションがぐわんぐわんするほどの勢いでリサが飛び乗ってきた。


「ペンスにはゆっくり戻ってくるように言ってるから、時間はあるわよ! さぁ言いなさい!!」


翠眼をキラキラさせながら、リサは顔を寄せてくる。この子は自分の美貌にもう少し気を遣った方が良い。そう思いながらユウマは二週間の内容を伝えた。一応冥府の神のことだけは伏せて、聖書と今まで読んだ絵本の比較検討をしていたことをまず最初に伝えた。


「ふーん。それでそれで?」


「そしたら、夢中になってしまって、気がついたら体内時計が狂ってな。んで、昼眠いじゃん。で、

夜に目が冴えるじゃん。なんだろ体内時計が狂うってやつかなぁ。そんでもって、あそこ夜真っ暗なんだよなぁ。だから光源を求めるために、火を起こそうと・・・。」


リサはユウマの話を聞きながらケタケタ笑っている。「それでどしたの?」と言わんばかりの顔で続きを促してくる。


「で、リサが魔法で火を起こしてるのを思い出してさ。でも俺魔法陣、全然知らないから、やたらめったら適当に魔法陣を視覚化してたら、突然扉の音がして・・・って感じだなぁ。それより禁固刑で済んだことといい、期間も半分になったことといい、なんていうか・・・あり、がとう。」


途中まで笑いながら聞いていたリサは最後の言葉に、少しだけ顔をピンク色に染めて頷いた。


「どう、いたしまして・・・。私も頭に来てたからね! 頑張ったのよ!」


リサは堂々と胸を張っているが、ちょっとだけその胸に目線がいってしまうのは生理学的に仕方ないことだろう。もうそのことは気にしていないのかは分からないが、リサは言葉を続けた。


「でも、期間が半分になったのは、私の力じゃないの。修道士長様のおかげよ。」


修道士長と言われてもユウマは全くピンとこない。困惑するユウマを見てリサは再びケタケタと笑う。


「私の知ってること、それから学校の皆に伝わってる話をするわね。まず、私は布団と一緒に絵本を用意するように要求したの、それは流石に気付いているわよね。」


絵本については数日枕と勘違いしていたが、概ねリサのおかげだと気が付いていたのでユウマは素直に頷いた。


「食事もお前のおかげだろ? 普通に考えたら一食とかにするだろ。」


「そうね。でもそこからが面白いところでね。給仕は修道士様が行ってたんだけど、毎回ユウマが食事の時に祈りを捧げている姿を目にしていたの。それで修道士長に慈悲を与えるように伝えてくれたらしいのよ。」


食事の時に「いただきます」するのは当然だろうとユウマは思う。それは全世界共通だろう。勿論食事の時は毎回、リサに感謝を捧げていた。そのことは恥ずかしいので伝えないでおく。


「それで、次に伝わってきた話は、あなたが毎日聖書を真面目に読んでるっていう話ね。私もこの話は本当に驚いたわ。私の言うことを何でも聞くユウマがそんなことするわけないって。」


ん?ユウマとはそんなキャラだったっけ。ユウマの中でユウマが何なのか分からなくなってくる。


「ってちょっと待て、なんでそんな話が学校の噂話にまで上がってくるんだよ。」


ユウマのやっていることが間違って伝わっていることもあるが、そもそもどうして学校の噂話にまでなっているのかが、まるで理解できない。


「ユウマ、お貴族様なんてね、噂話が仕事みたいなもんなのよ。さ、そろそろペンスが戻ってくるわ。ほら、さっさとぐったりなさい!」


リサだけ納得してずるいとユウマは思うのだが、リサの言うことは聞いておいた方が良い。言う通りにぐったりと窓に寄りかかる。このままあの長屋まで送ってくれるのだろう。続きはまた今度聞こう。そう思って車窓を眺める。そう言えば夜の車窓なんて何時ぶりだろう。初めて、ということはないと思う。眺めた記憶がある。それも多分ずっと昔に・・・。


 暫く馬車に揺られたところで気が付いた。リサが済む貴族街とユウマが済む長屋は途中から道が外れる。だがこの馬車から見える車窓は明らかに貴族街へ向かっている。


「ユウマ、しんどいだろうけど聞いてくれる?」


リサが演技混じりに話をし始めた。


「修道士長様はね、時々あなたへの給仕をしていたの。そしたらあなたが聖書を読みながらぐったりとしていく様子に気が付いたらしいわ。」


寝落ちの間違いと突っ込みたいのだが、ユウマは今、ぐったりとしている設定だ。


「ちなみにー。修道士長様は今の国王の先生をしていた御方なの!」


その言葉には流石に肩を震わせてしまった。なるほど、そういうわけか。図らずもユウマは国王の先生を味方につけていた訳だ。


「そして、あなたはついに倒れてしまったの。いつもはちゃんと朝食をとってたでしょ?でもあの日は違った。朝食に手をつけないばかりか、夕食を手に取る仕草もなかった。それで修道士がバタバタ騒いでるのを私が見かけて、修道士長様に演習のことを話したの。」


ちなみにユウマが出されていた夕食は一般的な夕食の時間には出されていない。修道士の就労時間との兼ね合いからか、夕方よりも少し早い時間、だいたい午後3時から4時頃に出されていた。つまりちょうど授業が終わった頃に修道士が騒いでいたということだろう。


「そしたら、ナディアちゃんだったかな、ユウマが助けた娘ね? あの子も勇気があるわよね。今までダンマリだったのに、修道士長様にあの時のことを包み隠さず話したの。そしたらもう、修道士長様、大激怒!! 傑作だったわ!!」


ぐったりしている横で大笑いをしている。こいつこそ今の設定を忘れてはいないだろうか。突っ込みたくても突っ込めないのが歯痒い。それよりもこのままではローランド邸に到着してしまうのだが。


「まぁ、ユウマが改心して敬虔な信徒になるってんなら、そのまま放っとこうと思ったんだけど、どうもそうじゃないみたいだからー。面白そうだから連れて帰っちゃえって思ったの!どうやら大正解だったみたいね!」


お持ち帰り? 一体何が何やら・・・。


「いい? まぁ、ケインのことは後回しにして、今のあなたの状況を考えてごらんなさい?人助けをしたのに濡れ衣を着せられて閉じ込められた。さらにさらに、それでも文句一つも言わずに倒れるまで聖書を読み続けたのよ。凄くない?」


うん、ほんとに凄い。途中から完全に出鱈目だけど、その話に出てくる男は聖人か何かだ。


「しかもその様子を国王の先生である修道士長様がしっかりと目撃してるのよ。あなたは今やうちの学校の英雄扱いよ? さすがに平民だとしても、今のユウマなら、うちのパパだって胸を張ってうちに入れることができるってこと!!」


そのことと、リサが連れ帰りたいことが全くつながらないのだが、ユウマの鼓動が激しくなる。なんなんだ、こいつと思いながらも、女子の家に行くという恋愛イベント発生が、ユウマの心臓をおかしくさせる。


心臓の鼓動が落ち着くよりも早く、貴族街の一等地にあるローランド邸に到着してしまった。いつも草むしりや買い物などでお邪魔しているのだが、今日は家の中に入るのだ。なぜだが今日は家がピンク色に見える。


「あ、ちなみにあんたは客人なので、客間にそのまま入ってね。うちのパパとママは私が相手しとくから。」


うん、知ってた。リサの部屋にお泊まりするわけではない。ホッとしている自分とがっかりしている自分がそこにいた。

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