これって転生?転移?なんなの?

「ねぇ、ちょっと聞いてるの、ユウマ。 」


自分の席で突っ伏しているユウマと呼ばれる少年に、仁王立ちして叱りつけている金髪の少女はリサという侯爵令嬢だ。


どうして貴族様の令嬢が彼を叱りつけているのか、それは彼自身も理解している。さらに言えば未だ混乱している。


「えっと、リサ。なんで怒られてるんだっけ?」


話半分に聞いていたせいで、叱られている内容さえも分からない。そもそも理解の範疇を超えている。


「ユウマ、お嬢様に呼び捨ては如何なものかと?」


リサの横には青髪の如何にもガリ勉といった眼鏡少女がリサと同様に仁王立ちしている。


「あぁ、メグ、こいつはいいのよ。平民に貴族の機微なんて分かるわけないんだから。」


「でしたら、より一層躾が必要なのでは?」


確かメグはリサと幼馴染だったと思う。父親の爵位は伯爵で、立場上メグの家はリサの下にあたる。


令嬢二人が少年の前で別の討論を始めてしまった。出来れば他所に行ってやってもらいたい。そしていち早く解放してほしい。彼はそう心の中で呟きながらも、じっと二人の顔を交互に見ている。


ユウマと呼ばれた少年は二人の会話の隙をついてゆっくりと体を椅子からズラして逃げる算段を立て始めた。だが、あと一歩のところでどうやら二人の間で結論が出てしまったらしい。


「とにかく、躾よりも三日後のテストの方が重要よ。平等精神か何か知らないけど、私はこいつと同じ班で、こいつが赤点でも取ろうもんなら二週間後の討伐旅行に参加できないのよ。」



そう。叱られている内容はそこなのだ。三日後のテスト如何によって、A班は居残り授業を受ける羽目になっている。勿論原因はユウマにある。


先週のテストでユウマはこの学校始まって以来のー80点という、訳のわからない結果を出してしまったのだ。


当時ユウマもそれなりに勉強してきたつもりでいた。だが始まってみればこの通りである。


「うーん。あのさ、なんとか先生に頼んで、俺だけ居残りってことに出来ねぇの?」


「馬鹿ねー。それじゃあこの学校の平等精神に反しちゃうでしょ? だから侯爵家の令嬢である私がユウマを叱ってるんでしょ?」


「そこは叱る、なんだ。なんていうか、もっと可愛く勉強教えてあげるー、とかにならないんだ。」


リサはユウマの情けない言葉を聞いてユウマの足を踏んで顔を背けた。


「恥を知りなさい! 貴族が平民にそんな態度取れるわけないでしょ?」


「に、二律背反なんですが・・・、それは・・・。」


「とにかく、エレン先生がマナ集中の実技試験と歴史の再テストだけにしてくれたんだから、ありがたく思いなさいよね。」


「うーん。そのどっちもが苦手なんだけど・・・。」


弱音を吐いた瞬間に頭頂部に鈍痛が走る。リサは本当にすぐに手が出る。勿論身分差というのもあるのだろうが、淑女という概念からは如何なものかと思ってしまう。


「あ、ごめん。」


リサが謝るのは珍しいが、今回ばかりは本当にわざとではなかったらしい。頭の上から本が数冊落ちてきた。


落ちてきた本のタイトルは『5歳から始める歴史』と書かれていた。思わず突っ込みたくなるタイトルだが、−80点のユウマには何も言えなかった。



ユウマは歴史を知ってはいる。そう、確かに知っている。だが問題なのは彼が覚えている歴史は二つ存在するという点である。





 あの日、彼は間違いなく歴史のテストを受けていた。ー80点という驚異的な点数を弾き出した日の出来事だ。


ユウマは苦手な日本史のテスト真っ最中だった。問題用紙が前の席からまわってきた瞬間に彼は前日の詰め込みが全て無駄だったと悟った。予想していたヤマカンは全てハズレ、全く手をつけていない範囲ばかりの問題がそこには並んでいた。


終わった、ユウマはそう思って机に突っ伏した。


『神様どうか、俺をこの問題から解放してください。目を開けたら別の問題用紙に変わっていますように!!』


そんな馬鹿な神頼みをしてしまうほど、彼の勘は完全に的を外していた。


勿論、そんなことをしても無駄なわけで、彼は再び問題用紙に目を向けた。


「あ!?」


テスト中だというのに彼はつい声を出してしまった。周りを見るわけにもいかず、彼は無意識に両手で口を塞いでなんとか誤魔化そうとした。勿論周囲がこちらを見ていることも雰囲気で察することはできる。大変気まずい。暫く彼はうつ伏せになってやり過ごすことにした。


暫くユウマは沈黙を貫き、そろそろ良いかと思いつつ、再び問題に目を通した。


おかしい。おかしいで片付けてしまって良いレベルではない。明らかに変わっているのだ。彼は何度も瞬きを繰り返し、今見えているものが本当なのか、それとも最初に見たものが幻だったのかを考え始めた。それほど彼は混乱していた。


そもそも混乱する必要などなかった。結果が明らかだったからだ。そもそも、こんな文字は見たことがない。ついに自分の言語野がおかしくなったのかと思った。うつ伏せになっただけで脳みそがイカれてしまったのだろうか。何度も何度も問題用紙を見直す。


すると不思議な感覚に見舞われた。


なんとなく書かれてある内容の意味がわかる。そして自分がここにいる事、この奇妙な問題を解いている事が当たり前に思え始めてきた。


『気持ちが悪い』


脳内が吐き気をもよおしている。内臓からくるものではない。頭が、いや脳みそが吐きそうなのだ。


一つ救いがあったとするならば、『テストを終わらせなきゃ』という気持ちだけは心の中にずっと留まっていたことだ。勿論、それは問題の内容が変わる前、吐きそうな脳になる前から思っていたことであり、そして何故か今自分もこの問題を解こうと思っていたところだったからなのだが。記憶が二重になっても、唯一その気持ちだけは共通だった。だから問題を解こうと思うと妙な安心感に抱かれる。


1万年前は何時代? この国を建国したのは?1600年ごろ何が起きた?


なんとなく問題の意味は理解することができる。まだ困惑していてどういう発音なのかは分からない。だが安心感を追い求める為、彼は脳がこぼれ落ちそうな感覚に襲われる中、知っていることを書きなぐっていった。


縄文時代、大和朝廷、関ヶ原の戦いなど、思いつく限りのことを書いた。答案用紙に書き込むことだけが、ユウマにとって唯一の心の安息だった。なんとか答案用紙を提出し、再び机に突っ伏した。


考え得ることはたくさんある。まず、これは夢であるということ、それに夢と同義かもしれないが白昼夢ということも考えられるだろう。そしてもう一つ、最悪な事態、これは考えたくないことだが、突然死を迎えてあの世に自分がいるということ。



最後だけは是が非でも否定したい。けれども脳が今にも溶け出しそうなのだ、これが死の感覚と言われても、今ならば納得ができる。


ユウマが願うことはただ一つ、顔を上げれば今まで通りの教室風景が広がっていること。


だが、あっけなく、その希望は打ち砕かれた。


答案用紙も提出したことだし、ふと横を見る。するとそこには金髪の美少女がいて、何故だか分からないが、ジト目で自分を見ているのが分かる。彼女のことは知っている。たしか貴族令嬢のリサだ。それにさっきまでは、理沙が座っていた席だったはずだ。読み方は同じでも目の前にいるのはエリザベス、だからリサなのだ。


ということは、先ほどありえないと排除していた考えこそが正解だったようだ。ユウマも流行りの異世界転生、異世界転移、そんな言葉は知っていた。だが、読み物として読んだそれは大抵何かきっかけが存在した。そして主人公はそこで彷徨うことになるという定番のストーリー。こんなにあっさりと異世界転移するなんで思いもよらなかった。


そう思い至ったとしても、ユウマは思い切り頬をつねる。まだ諦めるには早い。そういうのをひっくるめて夢だったと解決できるのではないだろうか。


だが、彼は心の中では理解していた。理由はわからないが、現実だと確信が持てる。敢えていうならばパラレルワールドにいる自分と同期した、そう考えるのが一番しっくりくる。


もしかすると、元の世界の彼はそのまま絶望的なテストを頭を抱えながら受け続けているのかもしれない。テスト中に人が一人いなくなったとなれば、その学校もただでは済まないだろう。現実逃避したいが為、帰れるかも分からない世界のことを、少しだけ心配してみる。


顔を上げると、教室も周りの生徒も先生も、何もかもが違う。それでも誰なのかは分かる。ここがどこかも知っている。記憶がダブっている。自分の記憶とダブって見える。日本生まれ日本育ちの自分の記憶と、エステリア王国の孤児として育てられた子供の頃の記憶、その二つが頭の中で混在する。


自分はこの異世界で生まれたし、日本でも生まれた。ただ、この世界のユウマは両親を早くに失くして孤児院に預けられたという境遇だったらしいことも同時に理解できる。そんな自分がどうして学校に通えているのか、そんな疑問はまだ湧いてこない。


それよりもパラレルワールドとはもっと現実に似通った世界だと思っていた。 元は同じ世界だとしても、一体どの段階のバタフライ効果で隣り合った世界が、こんなにも違っていったのだろう。


考えれば考えるほど、脳内パラドックスが発生し、吐き気が増してくる。トイレに駆け込んで、頭蓋をかち割って脳みそをぶちまけたい気分だ。


これをやった神様は、他者の脳と自分の脳をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、はい元通りとでも言いたいのだろうか。


なんて雑な脳移植、なんて雑な脳ミキサー


彼はトイレで座り込み、心を落ち着かせる。ただ落ち着けば元通り、なんてことは絶対にない。全然元通りになんてならない。記憶の整理に至っては、どの記憶が何処に繋がっているのかが、まず分からない。


『夏休みに山にあるおじいちゃんとおばあちゃんの家に行って、そこでゴブリンの死骸を見つけて嬉しかった。だから家に持ち帰って、養父母に見せたら、山は危ないから行っちゃいけませんと叱られた。せっかく見つけたので絵日記にそのことを書いて、それから神に祈りを捧げて、ゴブリンの抜け殻を虫ピンで止めておこう』


例えばと、小学生の夏休みの記憶を思い出してみた。全然意味がわからない。記憶の中で迷子になってしまう人間なんて自分だけじゃないだろうか。



せめて、トラックに引かれるなり、魔法陣が出現するなりしてほしかった。




だが、今更それを言ってもなんの意味もない。結局夢落ちなどではなかったのだから。彼はその時の記憶を思い出しながら、リサが用意してくれた幼児用の絵本をパラパラとめくる。


「え、何これ。マジで子供用絵本じゃん。俺どんだけ馬鹿だと思われてんの? さすがにこれはないわー。」


「お黙り!! あんた、−80点っていう、魔法学校の負の歴史を刻んだのを忘れたの?」


そもそも、どうしてマイナスなんていう点が叩き出せるのか、ユウマの方が聞きたい。0点なら分かる。実際あの時は、大混乱を通り越して酩酊状態だったのは確かだ。それでも何か文字は書いたはずだ。勿論、全て間違っても0点だし、名前未記入でも0点が妥当だろう。


教室にぽつんと一人座るユウマ、そして教壇にはリサが立ち、黒板のようなものに文字を書き始める。メグは残念ながら班が違う為、興味がないのだろう、窓際で本を読んでいる。


きっと二人きりという状況でユウマが不埒な真似をしないように見張っていると言ったところか。


女二人くらい、などと思ってはいけない。ユウマの持つ重なる記憶の中では、この世界には魔法というファンタジーが存在している。そしてメグは確か、魔法実技のトップランカーだ。今も眼鏡の奥でユウマを時々睨んでいる。相当憎まれたものだ。


「いい?」


リサが黒板に棒を突き立てる。テストの時は何も思わなかったが、あの棒にはインクもチョークも付いていない。すこしだけ魔力を込めるだけで好きな色に印字できるという便利魔法具だった。


『1万年前は何時代?』


そこで彼は気がついた。日本列島ができたのが約1万年前とされ、縄文時代は紀元前数百年頃だったと。先程の絵本の事など忘れ、ユウマは少し迷いながらも「これしかない」という答えを導き出した。


「うーん。あえていうなら、旧石器時代・・・かな?」


「このおバカ! さっき絵本に目を通してたじゃないの!! 光の時代って幼児向けの絵本でさえ、ちゃんと書いてあるわよ? 」



バカと呼ばれる筋合いはない。絵本には確かに光の時代と書かれてあった。しかしあれはユウマが知っているところの国生み神話だ。夫婦神が八百万の神を産んだ話や、人間は神に似せて作られた話ばかり。高校のテストで出題するような内容ではない。


それに今ならば、子供の頃から両親にそう言い聞かされたことも覚えている。勿論その両親は戦死してしまったのだが。


「それって、皆信じているのか?」


自分で言った瞬間に直感的に「やばい」と思った。まだこの世界の記憶が定着していない。ユウマは貴族が見栄を張るために、あくまで「ボランティア」でリサの家で下働きをしている立場だった。


それにこの国は敬虔な宗教国家の体をとっている。迂闊なことを言うべきではなかった。


だが、ユウマの予想とは裏腹の反応をリサは見せることになった。それとは逆にメグは本を読むのを止めて、険しい目をユウマに向けてはいるのだが。


リサは右手をユウマの左耳にそっと寄せ、耳元で囁いた。


「信じてるわけないでしょ? この問題は伝統なの。それ以外にも誰がこの世界を作ったのか、とかあったでしょ? 悪魔に取り憑かれていないかを確かめるために、そういう問題を入れてるの。って、数年に一度はこんな問題出てるはずでしょ?」


悪魔が取り憑いている? まるで魔女裁判だ。ユウマはその全てを間違えた、と言うことは・・・。そう考えて青ざめる。数年前の記憶などまだはっきりと思い出せるはずもない。数年前の記憶と言われて真っ先に思い出されるのは、中二最後の夏の大失恋くらいだ。


「あー、そうね。普通なら魔女裁判行きってとこね。でもあんた、全問不正解でしょ? だからただの『クソバカ』ってことで、マイナスっていう意味わかんない点数になってるのよ。」


「クソバカ・・・、いや、まぁ否定はできないけど・・・。」


実際、数学や物理はある程度できた。地理は0点で、歴史は−80点。−80点が響いて平均点は明らかに『クソバカ』だろう。魔法実技は転生前だったらしく覚えていないが、それも0点だったと聞いている。こっちのユウマもカッチカチの無能だったようだ。


「まぁ、とにかくその絵本をしっかり頭に入れなさい。 それから魔法実技に関しては仕方ないわね。普通は両親に教わるものなんだけど・・・。」


リサは腕組みして、本気で困っているようだった。その仕草を見て少しずつ記憶が蘇っていく。


「うん、私が教えるから感謝しなさい!」


「リサさん、それはさすがに・・・。」


メグが止めに入るのも無理はない。テストの点数配分でも分かる。魔力関係に重点が置かれている。魔法が如何に重要視されているのかが分かる。それを、しかも貴族が平民に教えるなど言語道断の振る舞いだろう。


ただユウマが思い出した記憶、リサは口はきついがとても面倒見の良い女性だ。


実際、リサがユウマを教室に監禁している理由はそこにあった。メグは見張り役として同行していたのだ。



「さて、家じゃあ流石に、ユウマと二人っきりなんて無理だから、今から教えるわよ。」



 教室で魔法の練習、まるで魔法の世界だ。勿論、本当に魔法の世界なのだが、それよりも門限を考えれば、そんなに時間も残されていないはずだ。窓から見える校門には、リサとメグを待つ馬車が見える。


「大丈夫よ。触りだけしか教えないから。あとは残り二日、しっかりイメージすることね。」


リサは黒板らしき教室の正面に貼られた板にマナの練り方・初等部編とわざわざタイトルを書いて説明してくれた。

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