第13話 振り向かないことさ
俺は反射的にフロントカメラの画角から身体を逸らしたが、冷静に考えてみればこちらはビデオ通話をオンにしていないのだから、向こうには俺のアイコンしか映っていないはずだ。
おそるおそる画面に目をもどす。そこには斜め下から見た乙村さんの顔が大映しになっていた。こちらを見てはおらず、ビデオ通話になっていることにも気づいていない。
――というか、まつ毛長っ。
もともと長いとは思っていたが、この角度からだと余計にそう感じられる。
『あれ? 聞こえてますか?』
「あ、ああ、聞こえてる」
『なんであっさりつながったんでしょう?』
「2.4GHz帯と5GHz帯の違いだと思う。あとから設定したほうのSSIDに小文字のaが入ってると思うんだけど、それが5GHz帯を示す文字なんだよ。で、この5GHz帯っていうのは障害物には弱いんだけど混線に強くて――」
乙村さんの顔から生気が失せていく。
「あ、あの、つまり、あとから設定したやつのほうが――強い」
なるべく簡潔に言いなおすと、乙村さんの顔が明るくなった。
『なるほど、強いんですね。得心です』
俺はほっと息をつく。
「とにかく、つながってよかった。じゃあ、これで」
ビデオ通話に気づかれる前にさっさと退散しようとしたのだが。
『もう切ってしまうんですか? せっかくですからもう少しお話しませんか?』
なんて、ちょっと寂しそうな声を出されたら、振りきって逃げるなんてことできようもなく。
「いいけど」
と返事をせざるを得なかった。
『ではなにを話しましょうか?』
弾むような声。スタンドにでもスマホを置いたのか、乙村さんの顔の代わりに部屋の壁とクローゼットが映しだされた。ちょっと残念だが、話をするならこのほうが気が散らなくて済みそうだ。
俺は以前から疑問に思っていたことをぶつけてみようと考えた。
「じゃあ、ひとつ聞きたいことが」
『なんでしょう』
「なんでゲームが、その……」
『下手なのか、ですか?』
「ああ。真似をするのが得意だっていうなら、俺の動きを真似すればすぐうまくなりそうなのに、そうならないのはなんでかなって」
『ううん……』
と、考えるような声をあげたあと、
『多分、ですが。身体性が伴わないからかと』
「身体性?」
『わたし、日舞――日本舞踊をやっていたことがあるんですが』
「知ってる」
『え、本当ですか? なんか照れるますね……。――日舞は、基本練習みたいものがないんです』
「じゃあ、どうやって」
『お師匠さんの演じる演目を見て覚えて、ひとまず実際にやってみる。それで基礎を身体に覚えこませていきます』
「へえ、実践的なんだな」
『それに、身体の使い方がすごく大事なんです。頭のてっぺんからつま先まで、常に意識を巡らせていて』
「ふうん」
『それが身に染みこんでるから、自分は指先しか動かしていないのに画面の中のひとが激しく動いてるというのが、うまく飲みこめないのだと思います』
「なるほど……」
腑に落ちる話だ。見本となる人物の動きを分析する目と、それを即反映できる身体能力は日本舞踊で培われたものだったのだ。その能力を活用できないゲームが苦手であることにも説明がつく。
このあたりに乙村さんのゲーム上達を早めるヒントがあるような気がする。気がするだけで答えはさっぱり分からないが。
『ふふっ』
俺が無言で考えこんでいると乙村さんが笑った。
「どうした?」
『なんだか嬉しくて』
「……? なにが」
褒めてないし、なじってもいないのに。
『わたしのこと、一生懸命に考えてくれている。それが』
「まあ、約束だし」
『本当にありがとうございます』
べつに礼を言われたくてやっているわけではない。
それが約束だから、合理的だから、そうしているだけ。
なのに、胸のあたりが妙にこそばゆくなるのはなぜだろう。
『また無言になってる』
「え? いや、これは……」
理由を口にするのは恥ずかしくてもごもご言っていたら、スマホからかすかに乙村さんのものではない声が聞こえた。乙村さんは「あ、は~い」と返事をする。家族の誰かに呼ばれたらしい。俺はほっと息をつく。
『ごめんなさい、これから出かけることになっていて。もうそんなに時間がたっていたんですね……』
「じゃあ切るか」
『本当にごめんなさい。こちらが引きとめたのに』
「いや、それはいいんだけど――っっっ!?」
思わず声が出そうになる。
なぜなら、乙村さんがフレームに入ってきてシャツをめくり上げたからだ。白くて引き締まったお腹が露わになっている。
『どうかしましたか?』
「い、いや」
『渡来くんって、なんだか面白いですね』
などと言いながら、シャツから腕を抜いた。
「っっtぅtっ!!???」
手で口を固く塞ぐ。
乙村さんの豊かなものを包みこむそれは、黒、だった。意外なような気もするし、しっくりと来る気もする。
白い肌と黒髪、そして黒い下着のコントラスト。スリムなのに妙に肉感的でなまめかしい身体のライン。
俺は息を殺し、まばたきも忘れてその光景に見入っていた。
『ごめんなさい、では切りますね』
乙村さんがこちらに近づいてくる。
――っ!?
画面に上半身が大映しになる。
『あれ?』
乙村さんが不審げな声をあげた。
――やばい!
「じゃあまた!」
俺は慌てて通話を切った。これで向こうの画面は切りかわり、ビデオ通話になっていたことを確認することはできなくなった、はずだ。
俺はベッドにへたりこんだ。
運動したわけでもないのに心臓はばくばくしているし息も荒くなっている。スマホを持つ手はぷるぷると震えていた。
気持ちを落ち着けようと目をつむると、まぶたの裏に乙村さんの無防備な姿がちらつく。
「うう……!」
顔が熱くなる。俺はしばらくのあいだベッドの上で悶えつづけた。
◇
「あの……」
翌日の昼休み、自販機で紙パックのヨーグルト飲料を買っていると乙村さんがやってきた。顔が赤いし、目は泳いでいる。
「昨日のこと、なんですが……」
「ああ、Wi-Fi? つながってよかった」
「はい、本当にありがとうございました。それで、そのときのことなんですが」
散々言いよどんだあげく、彼女はようやく言った。
「ビデオ通話になっていませんでした?」
「……」
俺は少し考えたあと、答えた。
「なってた」
「……!!」
もともと赤かった顔がさらに紅潮する。
乙村さんの情報リテラシーは心許ない。ならばそれをしっかりと指摘し、改善を促すことが合理的なのではないだろうか。
嘘はつくべきではない。
「あの、あの……!」
乙村さんはおろおろとするばかり。それはそうだろう、着替えを見られてしまったかもしれないのだ。実際見たし。
「落ち着いてくれ」
「落ち着けません! だって、だって、み、みみみ、見たんですか……? き、着がえ……!」
「乙村さん。見たか見なかったか、それは重要じゃない」
「最重要だと思いますっ」
「いいか? 過去というのは、もう終わったことなんだ。そこにもどってどうにかすることなんてできない。そんなことを思い悩むのは不合理だ」
「では、どうすれば」
「本当に重要なのは、これからなにができるか」
「これから……?」
「そう。図らずもビデオ通話にしてしまっていた。ならば、これからはしっかりと確認してから画面をタップする」
「……」
「まちがいを糧にする。ゲームも同じだ」
「まちがいを、糧に……」
乙村さんはつぶやくように言ったあと、まっすぐ俺を見た。
「そう、ですよね。過去を振りかえらず、前に進む……」
「そうだ」
乙村さんは真顔になった。
「それはともかく、見ましたか?」
「……」
――ごまかせなかったか……。
俺は目をつむり、覚悟を決めてから言った。
「俺は、乙村さんの着替えを――」
「……」
「見――てない」
乙村さんは怪訝な顔になる。
「でも、ビデオ通話になっていたことには気づいていたんですよね? ということは、見て――」
「こっちはスピーカーホンにしてなかったんだぞ? 画面になにか映っていたのはちらっと見えたけど、基本的には耳に当てているわけだから、なにが映ってるのかまで分かるわけないだろ」
「な、なるほど。そうか、そうですよね。よかったあ……」
乙村さんはほうっとため息をついた。安堵の微笑みがこぼれる。
その表情を見て俺は思う。
ときには嘘も必要だ。相手のためになるなら。
そう、これは乙村さんを安心させるための優しい嘘。決して俺の保身のためではない。
保身のためではないのだ。
俺は乙村さんから目をそらし、ヨーグルト飲料をズズッとすすった。
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