第14話 対戦は文化

「ほいひぃ~♥」


 居間に茉莉実の歓喜の声が響いた。


 彼女の手には一口欠けたどら焼き。それは今日のお昼、乙村さんがわざわざ我が家まで届けてくれたものだ。先日のりんごとじゃがいものお礼ということらしい。


「ほいひぃ~♥」


 二口目を食べ、また喜悦の声をあげる。


「お前、今年一馬鹿っぽいぞ?」


 茉莉実は幸せそうな顔でどら焼きをもぐもぐしている。


「無視……」


 ごくりと飲みこんでから彼女は言った。


「甘いものを食べてると心が広くなるね。すず兄の愚にもつかない煽りもまったく気にならないわ」


 と、マグカップの牛乳を飲んだ。


「乙村さんに感謝しないと。――すず兄、ちゃんとお礼言った?」

「言ったよ」

「ほんとに? どうせまた『悪い』とか『すまん』とか言ったんじゃないの?」


 言ったかもしれない。しかし――。


「それがなんだよ。礼は礼だろ」

「いや、それ謝罪だから」

「謝罪風味の礼だ」


 茉莉実はゆるゆると首を振り、ため息をついた。


「だから友だち少ないんだよ」

「そのリアルに憂慮するやつやめろ!」

「将来ちゃんとやっていける?」

「どこから視点だよ……」

「ちゃんと気持ちは伝えないと。ただでさえなに考えてるのか分かりづらい顔なんだから」

「はいはい……」


 面倒くさくなり、俺は避難しようと戸口へ向かう。


「あ、乙村さんによろしく言ってね」

「はいよ」


 自室のデスクチェアに座り、背筋を伸ばす。


 ――気持ち……。


 感謝の気持ちがないわけではない。しかし口をついて出てくる言葉は茉莉実の言うように謝罪の言葉になってしまう。


 ――べつにいいだろ、無言じゃないんだから。


 俺はPCの電源を入れてDFのアイコンをクリックした。


 そのとき、いきなりスマホが着信音を鳴らし、俺はびくりとなった。完全に友だちが少ないやつの挙動である。


 画面に表示された名前は『こよ』。乙村さんだ。


「もしもし」

『渡来さん、大変です!』


 乙村さんにしては珍しい慌てようだった。


「な、なに、どうした」

『礼音くんが、礼音くんが……』

「礼音くん? あのスーパー小学生の?」


 乙村さんの悲痛な声に、なにかよくないことが彼の身に起こったのではないかと不安になる。


「あの子がどうかしたのか?」

『げ、ゲームを引退してしまうんです!』

「ゲームを、引退……?」


 俺はしばらく考えたあと、言った。


「……で?」

『大変じゃないですか!』

「なにが?」

『礼音くんに勝つことを目標にやってきたんです。その彼が引退するとあっては……』

「ああ、そういうこと」


 彼に何事もなくてよかった。


「中学受験で忙しくなるとか、そんな感じかな」

『そうおっしゃっていました。来年六年生になるからと』

「ならすぐにやめるってわけでもないだろうし、いまからピッチをあげて練習すれば――」

『いえ、あの……』

「なに?」

『引退と聞いて、わたし、思わず三日後に決戦を申しこんでしまいました……』

「……」


 ――また無鉄砲が出た……。


 本人は否定していたが、より困難なほうへ進みたがる被虐的な性質があるとしか思えない。


「ええと、三日後ってことは」

『十一月三日ですね。文化の日です。ゲームは非常に文化的な活動ですので、ぴったりではないでしょうか』

「ソーダナ」

『棒読み……』

「伸ばしてもらうことは?」

『連絡手段がありません。今日も、偶然お会いしてお話しただけですので。もともと十一月にはきっぱりゲームをやめると親御さんと約束をしていたそうです』

「なら、いずれにしろ伸ばせないか……」


 しかし正直、いまの乙村さんの実力では礼音くんに勝つのは難しいだろう。三日で逆転できるとはとうてい思えない。


 ――ようやくコマンド入力が安定してきたかなってぐらいだしなあ……。


 実力では敵わない。それでもなんとか勝てる見込みのありそうな方法は――。


 ――なくはない。


 しかし少し時間がほしい。


「ちょっと考えさせてもらっていいか?」

『は、はい。――あの、まず相談すべきでした。先走ってしまい申し訳ありません』

「いや。じゃあ」

『失礼します……』


 ――さて……。


 DFをスタートさせ、ネット対戦モードへ。礼音くんと同じスティーブ使いのプレイヤーを募り、録画しながら対戦をはじめる。


 俺が使うのは彩女だ。あまり経験のないキャラだが『経験がなくても勝てる方法』を探るのだからかえって都合がいい。


 対スティーブ戦を何度も行っていくうちに、俺の推測は確信へと変わっていった。


 ――これなら勝てる、かも。


 俺は戦術を詰めながら、ひたすら対戦を繰りかえした。





 翌朝、俺はふらふらとした足どりで教室に足を踏みいれた。


 完全に寝不足である。いや、不足というか、寝てない。


 礼音くん必勝法の道筋はすぐに見つかったのだが、それを乙村さんのレベルでも扱えるようにするのに時間を要した。


 シンプルに、簡単な操作で、効率よく、ひたすらそぎ落とす作業。


 そのあとも、確立した戦術を視覚的に理解しやすいように、録画した動画を編集した。


 で、気づけば朝というわけである。


 予鈴がなる。いつもは余裕をもって登校しているのに、今日は時間もぎりぎりだ。


 倒れこむみたいに席に座り、ちらっと乙村さんのほうを見る。彼女はいつもどおり談笑の輪の中にいる。


 しかし、少しだけ笑顔に陰りがあるような気がした。


 ――……?


 夜通し目を酷使したせいで見間違えたのかもしれない。


 なんにしろ、必勝法を伝えるのは昼休みでもいいだろう。いまは一分でもいいから眠りたい。


 俺は机に突っ伏して目をつむった。






 眠りこんでしまわないよう必死にまぶたを開くも、気がつけばこっくりこっくりと居眠りしてしまう。そんなことを繰りかえしながら、なんとか教師にとがめられることもなく午前の授業を乗りきった。


 ちょっと眠れたおかげで幾分か頭もすっきりしていた。昼食後に報告したいことがある旨を乙村さんにLINEで送る。


 もう少し頭が回るようカフェインをぶち込もうと自販機で缶コーヒーを購入し、体育館裏の資材搬入口へ向かう。さすがに人目の多い場所でゲームの動画を観るのははばかられたので、ここを指定したのだ。


 缶コーヒーを一息で飲み干す。そのときちょうど乙村さんがやってきた。


「早いな。昼食は――」


 言葉尻がすぼまる。


 原因は乙村さんの顔だ。目はどんよりしているし、血色が悪いし、長い髪が乱れて頬にひっついている。まるで柳の下の幽霊だ。


「ど、どうした……?」

「……なにがですか?」


 ――え、しらばっくれる方針?


 それとも自分でも気づいていないとか?


「それよりも、ご用件はなんでしょう?」

「あ、ああ。昨日のことなんだけど」


 すると乙村さんが首をすぼめるように身を固くした。まるで叱られるのを覚悟した子供のような仕草だ。


 ――……?


 もしかして俺の顔が怖いとか? そりゃまあほとんど寝てないわけだし、多少やつれてはいるかもしれないが、そこまでひどいのだろうか。


 ともかく用件を伝えよう。


「これを見てほしいんだけど」


 昨日編集してネットに上げておいた動画を再生し、スマホの画面を乙村さんのほうに向けた。


 乙村さんは眉根を寄せ、ぱちぱちとまばたきしている。


「これは……?」

「礼音くん攻略法」

「攻略法……」

「こうすれば勝てる――かもしれない」

「ええと……、どういうことでしょう?」

「ん? なにが?」

「この動画を、渡来くんが作ったということでしょうか」

「そうだけど。――そうそう、だから、顔がやばいことになってるのはそのせい。あんまり寝てなくて」


 ははっ、と笑ってみたが、喉ががらがらで死神みたいな声が出た。余計に怯えさせたかもしれない。


 乙村さんは驚いたように目を見開いている。


 その目尻にじわりと光るものがふくらみ、溢れて頬を伝った。


「泣くほど!?」

「あ、あの、わたし……」


 拳をぎゅっと握る。


「てっきり、嫌われたかと……」

「……はい?」

「それで、ゲームフレンド解消を言い渡されるとばかり思っていて……」

「いやいやいや!? まさか」

「わたしが勝手ばかりするから、愛想を尽かされたのだと」


 ――なんでそうなる……?


 俺は先日のやりとりを客観的に思いかえした。


 礼音くんと決戦する約束をとりつけた乙村さん。それを聞いた俺は無言になって考えこみ、彼女の謝罪の言葉にぞんざいに応答したあげく、挨拶もまともにせず電話を切った。


 ――俺、感じ悪ぅ……。


 しかもその流れで、


『ちょっと考えさせてもらっていいか?』


 というセリフは、ふたりの関係を考えなおしたいというふうにも受けとれる。


 誓って乙村さんを嫌ったりはしていない。ちょっと自分の世界に入ってしまっただけだ。


 でも相手からすれば、機嫌を損ねてしまったかもと心配になるような素振りではある。彼女の表情が冴えなかったのは俺のせいだったらしい。


 乙村さんは指先で頬の涙を拭った。


「でも、解消どころか、渡来くんはわたしのために寝ずに頑張ってくれていて。わたし、渡来くんのことを信じなかった自分が情けないです……」

「いや、俺も言葉足らずだったし……」

「改めて、疑ってしまい申し訳ありません」


 乙村さんは手を前で重ねて、折り目正しいお辞儀をする。


「いや、あの」

「それから、わたしのわがままのためにご尽力いただいて、本当にありがとうございます」


 顔をあげた乙村さんははにかむように微笑んだ。その顔に『柳の下の幽霊』の面影はない。


「必ず、渡来さんの努力に報います」


 乙村さんのまっすぐな気持ちが伝わってくる。


 思えば彼女はよく感謝や謝罪の言葉を口にする。感情表現にてらいがなく、ストレートだ。


 対して俺は、礼もまともに言えない。なにを考えているか分からない。


 このままじゃ気持ちが一方通行だ。


 ――でも。


 中学生のころの記憶がフラッシュバックして、俺はぎゅっと目をつむった。


 素直な感情を表に出せば、引かれてしまう。そんな恐怖がまだまだ心にこびりついていて、


「……」


 だから今日も俺はなにも伝えられない。


「その動画、送っていただいてもいいですか?」

「……え? ああ、ネットに上げてあるから、URLを送っとく」

「よろしくお願いします」


 乙村さんは腕時計を見た。


「あ、昼食をとらないと。では、失礼しますね」

「ああ」


 彼女が去ったあと、階段に腰かけ、昼飯も食べずに、俺はぼうっと空を眺めた。

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