第10話 軽くて浅い

 乙村さんが俺の家に訪れた翌日の朝のこと。


「昨日はごめんなさい」

「あ、え?」


 茉莉実が失礼なことを尋ねた件を謝らなければと考えていた矢先、逆に乙村さんのほうから謝られて俺は言葉につまった。


「送ってもらったのに、逃げるみたいに帰ってしまって」

「べつに。こっちこそ妹が」

「いえ、妹さんは悪くありません。わたしが話に免疫がなさすぎるだけなんです……」


 と言いつつ、ちょっと顔が赤くなっている。本当に苦手なんだろう。


「友だちの恋の話を聞いているだけでも、なんだか恥ずかしくなってしまって……」


 ――まあ、そうだよな。


 茉莉実は俺のことを『自己評価低すぎ』と言ったが、やはりどう考えても俺に対象として見られる要素があるとは思えない。


 クラスメイトたちが続々と登校してくる。友だちの多い乙村さんはひっきりなしに声をかけられ、彼女中心の輪が形成されていく。


 俺はそれを輪の外側から見ていた。


「そういえば、こよが急にゲームをやるとか言いだしてさあ」

「マジで? こよ、ゲームだけは下手なのに」

「ちょっとはうまくなりましたよ」


 乙村さんは必死に訴える。


「ちな、なんのゲームやってんの?」

「DFというゲームです」

「え、格ゲー? 意外中の意外」

「それならカレシもやってるわ。うちもけっこう得意だよ。今度対戦する?」

「是非」


 DFプレイヤーの人口は多い。当然このクラスにだって何人もいるだろう。つまり、乙村さんにDFを教えることができるのは俺だけじゃないってことで。


 俺は喉の渇きを感じて水飲み場に向かった。しかし実際はさほど渇いてはいなかったようで一口飲んだだけで満足してしまった。せっかく足を運んだのにこのまま帰るのはもったいないと思い、意味もなくばしゃばしゃと顔を洗う。


「涼樹~」


 名前が呼ばれ、俺は顔をあげた。


 かたわらに立っていたのは、赤っぽい髪をサイドで結った、いかにもギャルっぽい二年生の女子。名前は星名ほしな理絵留りえる


 こう見えて生徒会長。そして俺の姉弟子だ。いや、『だった』か。


「顔、乾燥しない? 化粧水使う?」

「いや、いい。というか化粧水なんて持ってきていいのか。まして生徒会長が」

「必要ないものはもってきちゃ駄目だけど~、化粧水は必需品じゃん?」


 垂れ気味の目をいっそう垂らして笑う。


「そういや話すの久しぶりだね~。膝の調子はどう?」

「問題ない。入念に準備運動しておけば体育も大丈夫」


 中学一年生のとき、俺は膝を壊し、柔道を引退した


 怪我をしたのは本当だ。しかしそれは後づけの理由にすぎない。実際の理由は、いまも頻繁に見るあの夢の内容のとおり。


 理絵留はそっちの理由も知る数少ない人物のひとりで、だからかいまも気にかけてくれている。


「結局わたしから一本も取れなかったね~」


 自分で言うのもなんだが俺はそこそこ強かった。しかし理絵留に勝てたことは一度もない。


「わたしに勝てたらなんでも言うこと聞いてあげるって約束したの覚えてる?」

「ああ」

「あれが子供のときでよかったよ。いまだったらなにされたか分かったもんじゃないし」

「なにをするっていうんだよ」

「ん~、オブラートに包んで言うと、○○○○を揉みしだかせろとか、○○○○してるところを見せろとか」

「もうちょっとちゃんと包め」

「涼樹が引退して、もうその機会は永遠に来ないんだけどね~。残念?」

「いや」

「残念がれよ☆」


 肩をパンチされた。


「痛えな! 自分だって引退してるだろ」

「うん……」


 理絵留の表情が曇った。


「わたしにも深い事情があって……」

「え、あ、そうだったのか……」

「うん……」


 彼女は苦しそうに言う。


「柔道をつづけたら――筋肉、ついちゃうでしょ?」

「……」

「……」

「え、終わり?」


 ――浅っ……!


 水たまりレベルの浅さだ。


「それだけじゃないよ。身体のラインが崩れちゃうし、手にタコができちゃうし、爪も短くしなきゃいけないし」

「補足すればするほど浅くなるってどういうことだよ」

「渡来くん!」


 そのとき乙村さんがやってきた。理絵留に気づき、ちょっと驚いたような顔をする。


「あ、会長。こんにちは」

「乙村さんじゃん。ちーっす。話すのは初めてだよね?」

「はい」


 有名人同士、認知はしていたらしい。


「ってか涼樹と仲いいの?」

「はい、最近よく話します。――会長も、渡来くんと……」

「まあ、幼なじみみたいなやつ? それにしても涼樹と乙村さんが。へえ……」


 目をいやらしく細める。


「もしかして」


 乙村さんはぽっと顔を赤くした。


「違いますよ。ゲームを教えてもらってるんです」


 理絵留は俺を見すえて言う。


「ゲームかあ。涼樹、まだやってるんだ?」

「まあ」

「ゲーム、楽しい?」

「……」


 俺は彼女の視線から逃れるように目をそらした。


 ゲームを始めたのは柔道を引退したころだ。ぽっかり空いた心と時間をゲームが埋めてくれた。ゲームは逃げ場所で、だから楽しいかと尋ねられると答えに困る。ましていまは絶不調であり、苦しさのほうが強かった。


「大丈夫?」


 乙村さんが心配そうな顔で俺を見ている。


「え? あ、うん」


 心配されるほど苦しそうな顔をしていたのだろうか。


「じゃあ、そろそろ行くね~。生徒会室のほうに寄らなきゃだし」


 じゃね~、と手を振って理絵留は去っていった。


 乙村さんはなにか言いたげにちらちらと俺を見る。気を遣わせてしまったようだ。


「そういえば俺に用事があるんじゃないのか?」


 助け船を出すと、乙村さんはぱっと顔を明るくした。


「はい。あの、……ゲームを買おうかなって」

「おお、ついに」

「だから、よかったらでいいんですけど、ついてきていただけると助かるんですが……」

「いいけど……」

「よかった! じゃあ今日の放課後に」

「分かった」

「ふふっ。では」


 乙村さんは浮き浮きとした様子で教室へもどっていった。


 ――どうしてわざわざ俺に。


 ゲーム機に詳しい人間なら、いまさっき話していた友だちの中にもいたと思うのだが。


 ――まあ、俺が一番暇そうだったんだろうな。


 実際暇だし。


 ――買いに行くってことは、トヨハシカメラかな。


 俺はポケットからスマホをとりだし、バスの時間を検索した。

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