第8話 あっちの勉強
DFが立ちあがり、トレーニングモードに選択する。このモードは名前のとおり、時間も体力も気にすることなく心行くまで操作やコンボの練習ができる。
道場のステージに俺の響と乙村さんの彩女が立っている。
「どのキャラにも言えるんだけど、出が早くて隙の少ない技で相手の様子を窺いながらダメージの大きい技を狙っていくのが基本的な立ち回りになる」
「ふんふん」
「彩女の場合、中段の肘打ち、下段の回し蹴り。そこから投げを狙っていく」
「投げ!」
乙村さんは目をきらきらとさせた。
「中段は立ち防御しかできないから相手は立たざるを得ない。そこに投げか下段回し蹴りを入れる」
「中段で立たせて、投げか下段ってことですね」
「そう。逆に下段を散らして、それを相手が嫌がってしゃがんだら……」
「肘打ちで立たせる?」
「それもあり。でも彩女は投げ技が多いから、しゃがんだ相手も投げられる」
「投げ!」
乙村さんは興奮気味の声をあげた。完全に投げジャンキーである。
「ただ投げばかりだと読まれてカウンターを食らったり投げ抜けされたりするから、打撃も散らしていかないといけない」
「打撃……」
乙村さんはしょぼんとした。完全に禁断症状である。
「この前サッカーやってただろ? ドリブラーの選手がドリブルしかしないとしたらディフェンダーはそれだけ気をつければいいから止められやすくなる。でもパスも出すとしたら選択肢が増えるから迷わせることができる。つまり投げるために打撃を見せておくってわけ」
「なるほど」
「じゃあ実際にやってみよう」
肘打ちをして、相手が防御を固めたら投げ。
投げが読まれそうなら下段回し蹴り。
下段回し蹴りを防御されはじめたら下段投げ。
最初は操作がたどたどしく、せっかく隙のない技で牽制しても投げに移るまで時間がかかってしまっていたが、慣れてきたのか操作が早く正確になってきた。
「どうですか? わたし強くなったんじゃありませんか?」
「うん、まちがいなくなってる」
前は下手くそすぎて実力が地の底を這っていたからな。それに比べればかなりましになった。
「んふふ」
乙村さんはどや顔をして変な声で笑った。
「ちょっと対戦してみましょう」
「いいけど」
「本気でお願いしますね」
対戦モードに移り、乙村さんは彩女を、俺はプロレスラーの『ライガー』を選んだ。
「べつのひと……? それって本気を出すまでもないってことですか?」
乙村さんはむっとした顔になった。
「いや、サブキャラ」
「サブキャラ?」
「メイン以外に使うキャラ。単純に気分を変えるためだったり、あとは相手をするのが苦手なキャラをあえて使って技を学んだりするために。俺は後者」
ライガーはいわゆる投げキャラで、彩女以上に動きが遅いため打撃を散らして投げを狙うということが難しく、純粋に相手の動きを読みきることが重要になってくる。
「投げキャラ同士だから、乙村さんの参考にもなるかと思って」
「なるほど、俺の屍を越えていけということですね?」
「俺なんで死んでんの?」
試合が始まる。
セオリーどおり肘打ちを入れたあと、投げを狙ってくる彩女。俺はそこに膝蹴りを食らわせ、浮いたところを下段パンチで拾い、裏拳、上段パンチにつなぎ、最後に後ろ回し蹴りのコンボをお見舞いした。
「はぁん!?」
レバーをがちゃがちゃする音。彩女は起きあがりと同時に上段蹴りを放つ。俺はそれをしゃがんでかわし、隙だらけになったところにライガーの代名詞『ジャイアントスイング』で場外にぶん投げた。
『Ring Out』
彩女になにもさせないまま一本先取。
――本気でって言ったし……。
手を抜いたら逆に怒りそうな気がする。
二本目。下段回し蹴りをしてくると読んで中段蹴りでよろめかす。しゃがみダッシュで近づいて、ガードを固めていると見るやジャイアントスイング。起きあがりの上段蹴りをかわし、ジャイアントスイング。体力ゲージが少し残ったので、最後もジャイアントスイングでぶん投げて勝利した。
いじめているわけではなく、投げを入れるタイミングを体感してもらおうという思惑だ。
乙村さんのほうからどさっと音がして、俺はそちらに顔を振り向けた。
彼女はベッドに倒れこんでいた。
「だ、大丈夫……?」
乙村さんは答えない。恍惚とした表情で天井を見つめ、感極まったみたいに吐息をする。そしてうわごとのように言った。
「たくさん……、回されちゃった……」
――その場所で、その体勢で、その表情で、そのセリフは駄目だ……。
詳しくは説明できないが、駄目だ。男心が揺さぶられる。
「わたし、まだまだだなあ……」
「いや、基本操作もうまくなってきたし、前よりは――」
乙村さんは弾かれたように起きあがった。
「嘘。圧倒的に負けたのに」
「進歩はしてる」
「でも遅いですよね?」
「ええと」
「わたし、飲みこみ悪いですよね?」
「あの」
「言ってください! 飲みこみが悪いって!」
「飲みこみは、悪いけど……」
乙村さんはほうっとため息をついた。
「よかった……」
――なにが……?
なぜこんなになじられたがるのか。
「ゲームの勉強も終わりましたし、
「え、あ、あっち?」
「そう」
乙村さんは鞄からプリントをとりだした。
「英語の課題。明日までですよ」
「うん……」
知ってた。というか、理解した。乙村さんの思わせぶりな言動は天然だ。彼女にそんなつもりはまったくない。
分かっているのにどうしていちいちどきまぎしてしまうのか。仕方ないだろう、それが男心だ。
ローテーブルに向かいあって座り、英作文の課題にとりかかる。内容は『教科書をデジタル化すべきか否か』をテーマに五十語以上の英語で説明せよ、というものだ。
最初の一文も書き出すことができず辞書とにらみ合っている俺とは対照的に、乙村さんはさらさらとシャープペンを走らせている。なんならもうそろそろ終わりそうだ。
俺の視線に気づいた乙村さんが顔をあげた。
「なんですか?」
「早いなって」
「そうですか? 英作文は難しい単語とか文法が必要ありませんから」
それすら書けない俺はいったいなんなのだろう。
「そもそも書き出すことができない」
「最初に構成をメモするといいですよ。自分の意見を起承転結にして」
「なるほど。――でも乙村さん、そんなのメモしてなかったよな?」
「思いついた順番に書いていったら起承転結になっていたので……」
――この天才が……!
先ほどまでとは立場が正反対になっている。力の差を見せつけられて喜ぶなんて俺にはできないが。
乙村さんのアドバイスを受けながら英作文を進めていると、階段を誰かが上ってくる音が聞こえた。
――やべっ、もうそんな時間か。
間もなくドアがノックされた。
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