第6話 ふたりの関係は?

 礼音くんが使うのはスティーブ。アンナの兄で、彼女と同じジークンドーの使い手だが、俊敏性が抑えられた代わりに一撃が重い味つけになっている。


「はぁん!?」


 乙村さんが悲鳴をあげた。スティーブの代名詞ともいえる『サマーソルトキック』を食らったのだ。宙返りと同時に蹴りあげるこの技は、隙が多い分、威力が高めに設定されており、カウンターで入るとごっそり体力ゲージを持っていかれる。


 サマーソルトキックを恐れてガードを固めたところを投げられ、あっさり一本目をとられた。


「なんでこんなにあっさりやられてしまったんですか……?」


 ――『わからん殺し』……。


 対策が分かっていない相手を一方的にボコって勝利することである。スティーブは隙の小さな技で様子を見ながらいかにサマーソルトキックを入れていくかが基本戦術となる。見せ技に誘われて手を出そうものなら、カウンターをとられて大ダメージを負ってしまう。スティーブ対策どころか格闘ゲームのいろはすら怪しい乙村さんは格好の餌食だろう。


 とかいっているあいだにつぎの試合が始まった。下段攻撃を散らされ、それを嫌がってしゃがみ防御をしたとたんサマーソルトキックを入れられる。今度はカウンターではなかったから損害は小さかったが、それでもゲージの三分の一ほどは持っていかれてしまった。


「こうなったら……、投げ技で一発逆転するしかありません……!」

「一発逆転とかないから。ゆるいクイズ番組じゃあるまいし」

「でも投げが強いんですよね?」

「強いけど戦況を一変できるほどではない」

「逆転できなくてもいいんです。とにかく投げたい」

「投げジャンキーかよ。――レバーを後ろに入れて、下からぐるっと半周させてP+G。そのあと――」

「無理です!」

「あきらめ早いな」

「難しい操作はないって言ったじゃありませんか!」

「少ないって言ったんだよ。彩女は複雑なほう」

「聞いてません!」

「確実に言ったわ」


 そのあいだにもちくちくと削られて体力ゲージは残り約四分の一。どう考えても逆転は無理だろう。


「せめて一矢報いたい……」

「じゃあ、後ろ斜め下P+G」

「分かりました!」


 ぱちん、とボタンを押す。


 彩女の下段パンチが暴発した。


「あ」「あ」


 俺と乙村さんの声が重なった。


 スパン! と小気味いい音とともにサマーソルトキックが決まる。


『K.O』


「あ~、負けちゃいました」


 完膚なきまでにやられたわけだが、乙村さんはそんなセリフをやはり嬉しそうに口にする。


「悔しくないの?」

「悔しいし楽しい。略して楽しい」

「片っぽ消えちゃってるな」

「挨拶しないと」


 席を立って裏側に向かう。


 礼音くんが勝利してきゃっきゃと騒いでいた取り巻きの女の子たちが、乙村さんの出現で口をつぐみ、敵意のある視線を送る。わたしたちの王子に近づいてくる不届きな女、とでもいうように。


 そんな視線を気にもせず、乙村さんは礼音くんに頭を下げた。


「対戦していただいてありがとうございました」


 礼音くんは立ちあがり、答える。


「いえ、こちらこそ。きれいなお姉さん」


 ――このガキ……!


 浮いたセリフなのにまったく嫌味にならないところがかえって嫌味だ。


 乙村さんは手を差しだした。礼音くんも手を差しだそうとして、引っこめた。


「握手はやめておこうかな。お連れさんに悪いし」


 と、俺にウインクした。


 胸がキュンとする。


 ――いや、キュンじゃねえ!


 なんかとんでもない勘違いをされている。乙村さんと俺はそういう仲じゃない。


 取り巻きの女子たちが俺のこと怪訝な目で見て、


「どういうこと……?」

「なんで……?」

「なにこの組みあわせ……」


 などとぼそぼそ言っている。負けたのは乙村さんなのに、なんで俺が敗北感を味わわなければならないんだ。


 乙村さんはきょとんとしている。なにも分かっていないようだ。


 礼音くんは肩をすくめた。


「もしかして僕、早とちりしちゃったかな? おふたりの関係を」

「よく分かりませんが、渡来くんはゲームの師匠ですよ?」


 ――いや、師匠でもねえわ。


 それを言うと余計にこじれそうなので黙っていると、様子を見ていた取り巻きの女子たちがこそこそと言いあった。


「やっぱり」

「だよね」

「哀れ」


 ――だからなんで俺が馬鹿にされたり同情されたりしなきゃいけないんだよおおおお……!


「それより、またいつか対戦していただけますか?」

「喜んで」


 俺が怒りと羞恥心で震えている横で、乙村さんと礼音くんの再戦が決まった。


「今度は勝たせていただきますね」


 乙村さんの勝利宣言に礼音くんは『キラーン!』と効果音がつきそうな笑顔で応え、去っていく。


 その背中を見送りながら、俺は思った。


 ――最近の小学生、すげえな……。


 いや、礼音くんが特別なのか? 


 ――DFも結構うまかったし……。持ってる奴は持ってるなあ……。


「なんか、すごいインパクトのある小学生だったな」


 と、かたわらの乙村さんに声をかけるも返事がない。


 不審に思って横を向くと、彼女の姿は忽然と消えていた。


 ――子供かよ……。


 乙村さんを探してゲームセンターの中を歩きまわる。


 某あんパン顔ヒーローがモチーフのポップコーンマシーンの前に彼女はいた。あたりにはバターやキャラメルの甘く香ばしい香りが漂っている。なお、あんパンとポップコーンになんの関連性があるのかは謎である。


 彼女はにこにこ顔でポップコーンを食している。


「ゲームセンターってなんでもあるんですね」

「なんでもはないけどな」

「あ、渡来くんも召しあがります? キャラメル味。おいしいですよ」


 と、カップを差しだす。


「いや、いい。夕飯が入らなくなるし。乙村さんは大丈夫なの?」

「……」


 キャラメルポップコーンをかりっと噛んでごくりと飲みこんだあと、決まり悪げな表情で微笑んだ。


「なんも考えてなかったな?」

「ふふっ」


 乙村さんは笑ってごまかした。


 少し理解できた気がする。乙村さんがアグレッシブなのは、考える前に行動するからなのだ。夕食前にキャラメルポップコーンを食べてしまうのも、ほとんど話したことのない男子とほとんどプレイしたことのないゲームで遊んでしまうのも、たった一回遊んだだけなのに本気で打ちこむことを決定してしまうことも。


「食べたいと思ったときに食べておかないと、もう食べられなくなっちゃうかもしれませんし」

「いつでも来れるだろ」

「分かりませんよ。もしかしたら明日、死ぬかもしれない」


 ――おっとぉ……?


 いきなり飛びだした不穏な単語に俺は面食らった。


「死ぬなんて単語、乙村さんからは一番遠い感じがするけど」


 生命力が無駄に強いイメージしかない。


「そうですか? けっこう近いですよ。わたし小さいころ、中学生になるまで生きられるかどうかってくらい病弱だったんですから」

「全然想像がつかないな……」

「心臓が悪くて。――あ、いまは健康ですよ? 運動もできますし。でも、夜、布団に入って、自分の心臓の音に耳を澄ましてると、『明日もちゃんと動いててくれるかな』って――」

「不安になって眠れなくなる……?」


 ――分かる。俺も……。


「いいえ、いつの間にか寝てるんですけど」

「寝てるんかい」


 俺の共感を返せ。


 乙村さんは胸に手を当てて目をつむった。


「だからドキドキしていたいんです」


 思いがけず突っこんだ話になった。


 乙村さんはアグレッシブで、そして不合理。


 ――やっぱり俺とは正反対だな……。


 でも、前みたいに遠い存在という感覚はなくなっていた。


「目標ができました。礼音くんに一勝したい」

「時間がかかりそうだな」

「頑張ります。だから、よろしくお願いしますね、師匠」


 ぺこりと頭を下げて微笑んだ。


「その師匠ってやめないか?」

「では、わたしたちの関係ってなんでしょう?」


 小首を傾げ、じっと俺の目を見つめる。


 礼音くんとのやりとりが頭をよぎる。彼は俺たちを恋人同士だと勘違いした。そう見えるくらいに仲がよさそうだったということだろう。


 考えてみれば放課後にふたりきりで遊びに出かけるだなんて、これはもう完全にデートみたいなものだ。


 もしかして俺も気づかないあいだに、ふたりの関係は深いところまで進んで――。


 ――いやいやいや!


 冷静になれ、俺。ちょっと一緒にゲームを遊んだだけの仲だぞ? 一足飛びが過ぎる。


 早くなった鼓動を落ち着けるために深呼吸をした。


 ――師匠ではない。まして彼氏などではない。でも、ただの友だちって感じでもない。


 なら。


「ゲームフレンド、とか」

「ゲームフレンド……」


 口の中でつぶやくように言う。


「素敵ですね」

「そうかな」

「ええ。ではこれ、ゲームフレンドにお裾分けです」


 と、キャラメルポップコーンのカップを手渡された。


「押しつけのまちがいだろ」


 乙村さんは悪戯っぽく笑った。


 ひとつ付け足さなければ。乙村さんはアグレッシブで、不合理で、そして意外と天真爛漫。


 ポップコーンを一粒口に運ぶ。あんパンヒーローのキャラメルポップコーンは、俺にはちょっと甘すぎた。





「渡来、また頼むわ」


 ホームルームが終わり、掃除の時間。野球部の山澤にいつもどおりゴミ出しを依頼された。


 俺は少し考えたあと、言った。


「自分で行ってくれ」

「えっ?」


 虚をつかれたみたいな顔をする山澤。俺はちょっと吹きだしそうになった。


「問題あるか?」

「いや……、でも、急になんで……?」


『大事なのは合理的かどうかより、自分がやりたいかどうかではありませんか?』


 乙村さんの言葉が思い出された。


「やることができた。今日からは無理だ」

「そう、か……」

「じゃあ、頑張れよ」


 俺は教室を出た。なんだか少し気分がいい。


 さて、今日は乙村さんになにを教えよう。毎日ゲーセンに通うわけにもいかないし、YouTubeの動画でうまいひとの立ち回りを観てもらおうか。いや、まず彩女の技を覚えるのが先か。全部は無理でも、主力となる技だけでも――。


 などと考えながら廊下を歩いていると、向こうから乙村さんが手を振りながらやってきた。


「今日はどうしますか?」

「彩女の主力技を覚えてもらおうと思う。ダメージソースになる大技だけじゃなくて、牽制技も含めて」

「なるほど、本格的になってきましたね。では行きましょう」


 乙村さんはくるりと背を向けて歩きだした。


「いや、ゲーセンはちょっと、毎日は。金もかかるし」

「そう、ですね。では、渡来くんの家に?」


 乙村さんのために回避した案が乙村さんの口から飛びだした。


「い、いや、それはまずくないか?」

「なにがでしょう?」

「だって、俺のうちだと」

「? わたしはなんの問題もありませんが……?」


 乙村さんははっと息を飲んだ。自分の腕を鼻に寄せてくんくんと匂いを嗅ぐ。


「もしかして生ゴミみたいな匂いが出てますか?」

「出てない。なんか心当たりでもあるのか」

「よかった……。ではなにも問題ありませんね」

「なにもクリアされてないんだけど」

「では、なにが?」


 と、首を傾げる。


「だって、そりゃ――」


 ――いや、待て。


 ここで俺が『なにかまちがいがあったら』なんてことを口にしたら、俺が乙村さんをそういう目で見ていることを宣言しているようなものだ。


 怪訝な顔をしている乙村さんに、俺は言った。


「――まあ、構わないけど」

「よかった。では行きましょう!」


 ――アグレッシブ……。


 さっさと玄関へ向かう乙村さんを、俺は慌てて追いかけた。

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