第5話 哲学的乱入
俺と乙村さんは駅前の商業ビル『ディオン』内にあるゲームセンターに来ていた。銃を撃つ音、爆発音、叫び声、電子音が混ざって洪水のように押し寄せてくる。
乙村さんは興奮気味の声をあげた。
「ここが生き馬の目を抜く戦場……!」
「いや、そんな物騒なところじゃないから」
買い物に訪れた家族連れやカップルがちょっと遊んでいくようなゆるいゲームセンターだ。そういった客はプリントシール機やクレーンゲームを好んでプレイすることが多い。
案の定、格闘ゲームのコーナーは閑散としていた。だからこそここを選んだ。難易度も低く設定されているだろうし、基本操作や立ち会いの基礎を確認するのに打ってつけだ。
俺はDF6の筐体の前に座り、百円を投入した。
「DFは操作がシンプルって言ってたけど、具体的にどうシンプルなのか分かる?」
乙村さんは首を横に振った。
「単純にボタンが少ないんだ。ほら、三つしかないでしょ? パンチとキック、それからガードのボタン。ほかのゲームだと弱中強のパンチとキックで合計六個ってパターンが多い。複雑なレバー入力が必要な技も少ないから、初心者参入への敷居が低いし、より手軽に奥の深い読みあいができる」
「だから人気があるんですね」
「そう。で、読みあいに重要なのは打撃、投げ、防御の三すくみの概念なんだけど――」
俺はキャラの選択画面でジークンドーの使い手『アンナ』にカーソルを合わせた。
「彩女は癖が強いから、性能が素直なアンナを使ったほうがいい」
乙村さんは難しい顔になった。キャラを変えるのに抵抗があるのだろうか。
「まだ始めたばかりだから問題ないと思うけど」
乙村さんは俺を見た。
「彩女って誰ですか?」
「マジかよ」
俺は呆気にとられた。
「名前も知らずに使ってたのか?」
「あの着物を着たたおやか子?」
「うん。まあ大男をぶん投げる子がたおやかかは知らんけど」
「嫌です。あの子がいい」
「使いこなすのはかなり難しいぞ? 打撃のリーチは短いしすばしっこいわけでもないから、フェイントを駆使して相手の攻撃を誘ったり、読みきったりしないといけないし」
「でも、決めたんです、あの子を使うって」
その表情には決意が満ちあふれていた。
「乙村さん……」
俺は言った。
「名前も知らなかった子によくそこまで入れこめるな」
「い、いいじゃないですか、見た目が気に入ったんです」
「たいした理由がないならアンナに変えたほうがいい」
「『好き』はたいした理由だと思います」
――意外と頑固だな……。
俺のことを師匠と呼んでいたから、てっきり言うことを聞くと思ったのだが。
しかたがない。俺は彩女を選択し、ゲームを開始した。
「打撃と投げと防御はじゃんけんのグーチョキパーと一緒で三すくみになってる。打撃は防御に止められるし、ぼうっと防御してたら投げられるし、投げようと不用意に近づいたら打撃を入れられる」
「なるほど」
「相手の出方を窺いながら――」
上段キックをいなし、流れるような動作で相手の腕をつかんで転がるように引き倒す。脚をねじるように決めたあと、踏みつける。
「この投げコンボのダメージが一番多い」
「かっこいいですね!」
画面に食い入るように中腰になる乙村さん。
「かっこよくて強い。でも、相手もそれを分かっているから、コンボの途中で抜けられる」
「そうなんですか?」
「ああ。だから途中でべつのルートに派生させたり、あえて止めたり――まあ、そこも読みあい」
「ふんふん」
「乙村さんはまず、キャラを思いどおりに操作できるようになること。それから彩女の最大の武器である投げを狙っていけるようにすること、かな」
「分かりました!」
乙村さんに席を譲る。
「親指はガードボタンに、人差し指と中指はパンチ、キックのボタンに」
「は、はい」
「最初は相手の攻撃をしっかりガードして、打撃を返すことを考えればいい。投げの操作は少し複雑だから」
乙村さんはガードボタンを押した。するとなぜか人差し指と中指がつっぱったみたいにぴーんと伸びる。
「人差し指と中指をボタンに置いて」
言われたとおりにすると、今度は親指が浮いた。
俺は笑いそうになるのを必死に堪えた。
「肩の力を抜いて。ボタンは押すって言うより――そうだな、三つのボタンに軽く触れるようにして、押したいボタンの指をちょっと下げるようなイメージで」
「なるほど、ピアノみたいな感じですね」
「そうそう」
知らんけど。まあ本人が納得しているならいいじゃないか。
ひとまず相手の攻撃をガードしてパンチ、あるいはキックを入れられるようになった。
「投げはどうやって?」
「P+G」
「ピープラスジー?」
「パンチとガードを同時押し」
乙村さんはPとGを同時に押した。するとKに置いていた指が再びぴんとつっぱった。同時押しという新たな操作に脳が追いついていないようだ。
しかし投げは出た。脚を引っかけて手刀を入れて転ばせる、もっともダメージ量が少ない投げ技だ。
「おお……!」
しかし乙村さんは目をキラキラさせ、歓喜の声をあげた。
「すごいですね!」
「いや……」
一番すごくない技だ。しかし彼女の喜ぶ様を見ていると、それを口にするのはひどく野暮なことだと思えてきて、
「まあ、うん」
俺はそうお茶を濁した。
よほど嬉しかったのか乙村さんはその後もコンピューター相手に投げ技を入れまくっていた。
基本的なことは教えたし、あとはプレイ回数を重ねて慣れていくのがいいだろう。
そのとき画面が切りかわった。
『CHALLNGER COMES』
そして映しだされた文字。
乙村さんは目を丸くしている。
「え、なんですか?」
「乱入」
「乱入?」
「つまり対戦者が入ってきたってこと」
「……つまり?」
「いや、もうつまったんだよ。対戦者が入ってきたの」
「わたしに?」
「そう」
「なんでそんなことをするんですか……?」
「ええ……、哲学……?
まあ混乱するのも無理はないか。ひとりでリフティングの練習をしていたら、いきなりフットサルの試合が始まったようなものだ。
――どんな奴だ……?
俺は身体を斜めにして向かいの台を覗いた。
そこにいたのは数人の小学生だった。三人の女の子が対戦者の子を囲むように立っている。
取り巻きのひとりが言った。
「
対戦者は男の子らしい。
――女の子をはべらせてゲームかよ。なんてうらやま……、けしからん。
顔を見てやろうと、さらに身体を傾ける。
「おお……」
思わずため息が漏れた。
とんでもない美少年だった。通った鼻筋、しゅっとした顎、華奢な肩、ほっそりとした腕、そのすべてが儚く美しい。俺の雑な骨格とは出来が違う。同じヒト属とは思えない。
礼音くんはこちらに気づくと、にっこりと微笑んだ。
胸がキュンとする。
――いや、キュンじゃねえ!
オスにドキッとしている場合か。
「乙村さん、よかったら変わろうか?」
俺が対戦して勝利し、そしてまた練習すればいい。心の準備もできていないようだし。
「ありがとうございます。――でもせっかくだから、わたし、やります!」
「乙村さん……」
「渡来くんからもらった百円、無駄にしませんから」
ぐっと拳を握って見せた。
「そ、そう……」
――あげたつもりはないんだけど……。
言いだすタイミングを完全に逸してしまった。
なんだか締まらない空気のまま、乙村さんと礼音くんの対戦が始まった。
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