ウミドリの灯りゆく町 第8話

 後日、マスターにだけは真相を全て伝えた。

 タイヘイらのグループに対しては、幼い子供もおり人間不信を植え付けるだけになるので、タイヘイが子供を売り渡していた話は伏せた。


 今後のことはリーダーであるタイヘイの判断になるわけだが、カイは「マスターと一緒にこの町を去るかもしれないね」と言った。


 ノブヒロ、フヅキ、フヅキの母親についてはその後、姿を確認できておらずどうなったかは分からない。




 ベランダで夜空を眺めているカイの隣に立ち、ぽつぽつと会話する。

 ふと聞いてみたくなった。


「カイ君、人は悪いことをしたら裁かれなくてはいけないと思う?」


「裁かれる、か。今は警察が機能してないけど……」


 僕がそういうことを指して言ったのではないと、彼は分かっていた。


「時々罰せられるようになってるとは感じることがあるよ。

 悪いことをすると多かれ少なかれ、他人からの信用を失うことになるから」


「……信用を失うことは罰せられることなの?」


「うーん……。人は社会的動物だからな。誰かからの信用を失うことは、生きていくのに必要な情報源を一つ失うことだって感覚がある」


 雪催の空は晴れた夜空と比べれば仄かに明るい。


 カイは独り言のように言葉を紡いだ。


「世の中、誰が悪いとか言えないことばっかで結局誰を裁いたらいいんだろう」


 彼はベランダの手摺りに載せていた両手を固く握ったまま額に当てた。


「……でも、そうだ。裁かれるべきなのかもしれない……。それは僕も……」


 それから先は聞き取れなかった。


 ただ彼の思い詰めたような囁きが耳に残り、僕の心を鋭く貫いた。

 喉の奥に氷の塊が詰まったような。それが火傷しそうに熱い。


 このままでは余計なことを喋ってしまいそうだと踵を返した、その時。



「でも、人は償うことができる」



 不意に透明な響きを持って声が流れ込んだ。



「後悔して、反省して、悔い改めることができる。

 ……綺麗事かもしれないけど、僕はそう思いたい」



 言葉がするりと滑り落ちた。


「……そうしたら許されていいと思う?

 反省して悔い改めて二度としないならそれまでのことはなかったことになる?」


 息を呑んだカイがややあって応える気配を見せたが、


「ごめん! 今の質問、聞かなかったことにして」


 すぐさま打ち消し、数度手を振った。


「……分かった」とカイは柔らかく苦笑した。

 彼は立ち入ってほしくないことで無理強いしない。


 毛布に包まっていても冬空は容赦なく体温を奪っていく。

 僕は、いつまでも空を見たがるカイの背を押して寝床に戻った。




 それからひと月はあっという間に過ぎた。

 僕はここでの生活に馴染んでいった。


 ある昼は、仮住まいのアパートで休日日和を満喫した。

 カイは石油ストーブの真正面に体育座りの格好で本を読んでいた。


「ねえ、カイ君」


 返事が返ってこないのは彼が本に夢中になっているからだろう。

 文章を追って上下するカイの黒い瞳が妙に真剣だった。


 ほんの弾みのような気持ちで、彼と背中合わせに座って少し体重をかけた。

 意外にも大きい背中の硬さと彼の体温が伝わってくる。


 やっと気付いた彼は慌てた様子で首だけ僕を振り返った。


「えっと、何を……」 


 でも僕が何も言わずに凭れ続けているとやがて「まあいっか……」と本に視線を戻した。


 いつもより緩やかに時間が流れていた。

 二人とも何を話すわけでもないのに心地良かった。


 夕食後の何もない時間はカイに誘われてゲームをした。

 将棋だ。大昔に嗜んだ覚えがあった。


 何回か勝負するうちに勘が戻ってきたけれどカイには勝てなかった。むきになって何度挑戦しても同じだった。

 僕が悔しがって口を尖らせると彼は笑った。


「いいじゃん。レイナちゃんは僕と違って、裏を掻いたりせず何事にも真っ直ぐなんだよ」


 馬鹿にされたのかと見上げたが、彼の微笑にその色はなかった。

 それどころか少し羨ましがっているように見えた。


 そんな穏やかな日々に翳りが差した出来事があった。

 カイが真夜中、怪我を負って帰ってきたのだ。


 先に布団に潜っていた僕は、物音で目が覚めた。

 玄関に向かうとカイが肩で激しく息をつきながら座り込んでいた。走ってきたのだろう。


「大丈夫?」


 彼は僕を視界に入れて軽く挨拶するように片手を上げ、照れ笑いとばつが悪いような苦笑いの中間の表情をした。


「ちょっと失敗してしまって。左腕で良かったよ」


 無言で見詰めていると、彼が僕を安心させるためか笑みの種類を変えた。

 いつものように柔らかく……。


「本当に平気だよ。心配かけてごめんね」


 カイは左の二の腕から滴る血を右手で抑えていた。


 何と返せばいいのか分からなかった。

 危険なことはやめてほしいと言いたいけれどそう言う資格が自分にはない気がした。


 そんなことがあった日から度々彼が「仕事仲間」と呼ぶ人たちと会話しているのを耳にした。

 仕事仲間らしき、上背のある青年を、カイが「ハンダ」と呼ぶのを聞いた。

 立ち聞きは良くないと思いつつも、ついつい廊下で耳をそばだててしまう。


「例のもの、用意した」


 ハンダは、クーラーボックスに黒いポリ袋で包んだ何かを入れた。

 ちらりと見えたクーラーボックスの中には雪がありったけ詰め込まれていた。


 それを受け取ったカイはハンダへの挨拶もそこそこにクーラーボックスを何処かに持って行った。


 それが何なのか、カイが何をしようとしているのか分からなくて不安だった。

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