ウミドリの灯りゆく町 第4話

 日が昇り切ると、レイナが眠っていることを確認して僕はねぐらのマンションを後にした。

 目的地はとめもり喫茶。その道すがらのことだった。


 ひと気のないビル街に差し掛かると、廃墟の奥に蹲っている男性の背中が見えた。凍てつく風が渦を巻く。


「大丈夫ですか?」


 僕が声を掛けると、男性は素早く振り返った。

 その顔が驚愕の表情に歪んだ。

 僕よりも数個年上だろう。いや、そんなことより重要なのは彼がクジラの制服を着ていたことだった。


 僕は即座に周囲に目を配り、他にクジラの姿がないか確認しながら、彼に不用意に呼び掛けたことを後悔していた。

 幸い他に人影はなかった。


「待ってくれ、少し、頼む」


 クジラの男性に引き留められた。


 僕は振り返りながら、滑らかな動きで銃弾を詰め、拳銃を彼に向けた。


「何で?」


 突き放すように尋ねれば、彼は言葉を探すように目を泳がせた。


「――もうすぐ、俺たちはこの町を襲うことになっている。だからそれを知らせようと……」


「何故わざわざ? 君たちテロ組織は問答無用で僕らの家族を引き離してきたじゃないか」


「ああ、そうだ。俺たちはこれまでずっとそうしてきた。

 けど、この町にはマスターがいるから。俺はあの人だけは助けなきゃいけない」


「何で?」


 僕はなおも周囲を警戒しながら淡白に問いを繰り返したが、内心では彼の必死さに耳を傾ける気になっていた。


「――この五年、ずっと探していた恋人に会わせてくれた人なんだ」


 静電気に痺れたような閃きがあった。


「君の恋人の名前は?」


「え?」


「もしかしてフヅキさん、だったり……?」


 僕は、昨夜タイヘイが語った、行方不明になった「フヅキ」という女性の名前を出してみた。


 クジラの青年は掴みかからん勢いで叫んだ。


「何でフヅキのことっ……」


 僕の予想が当たったらしい。


 僕はすっと人差し指を唇に当て、口を噤むよう合図した。


 廃墟の二階、窓のある中央の部屋に移動した。

 万が一、他のクジラが付近にいても崩れかけの危険な廃墟にまさか人がいるとは思わないだろうと踏んでのことだ。


 いつでも飛び降りられるよう窓を背にしながら、クジラの青年から事情を聞いた。


 クジラの制服に身を包んだ二十代半ばの青年――ノブヒロは、電忘症が現れる以前からフヅキと恋人だった。

 当然、五年前当時は、彼はクジラの一員ではなかった。高校の同級生だった二人の交際は順調で、両親とも相手を快く思っていたらしい。


 既に電忘症が認識され、公共機関が麻痺し始めていた頃。フヅキの誕生日の三日前だったその日。

 食料調達のため外に出たノブヒロはクジラに捕らえられてしまった。


 ノブヒロが連行された場所はかつて政府主要機関が並び立っていた都心だった。

 街中で壁の塗り替え工事がひっきりなしに行われているという。

 塗り替えられた建物は白。白一色の世界が刻々と創られていた。


 クジラに捕まって以来、改宗したと宣言しなければ外――クジラが支配していない都市外の区域に出ることは叶わなかった。


 ――ノブヒロの話の途中で、僕はつい口を挟んだ。


「ごめん、あの、何のためにクジラは人を攫うんだ?」


 僕の質問が話の筋と露骨に逸れ、ノブヒロは鼻白んだ。


「……端的に言えば、失業者救済だな。さっき話した通り――」


「都心では、いや、クジラの人間たちは電気を使えるの?」


 僕が食いつくように訊くと、ノブヒロは落ち着けと宥めるように手を翳した。


「電気を使えるのはほんの一部の人間だけだよ。

 偉い人たちが仕事を与えてくれる。そのおかげで俺は生活してこれた。

 与えられた仕事さえすれば細々とだが生活していけて、この先は何も不安に思わなくて済むんだって思ったら、解放された気がしたんだ。

 素晴らしい取り組みだろ? 皆、逃げ回らずに俺たちの元に来れば安心して暮らせるのに。そう思うだろ?」


 僕は静かに首を振った。

 クジラが何かしら信念を持って人を誘拐している可能性が高い、と頭に入れる。


「話の腰を折ってごめん。それでフヅキさんと再会したのは?」


 再びノブヒロが語るには、ひと月前フヅキと再会したのはこのビル街だったという。

 その日以来、彼女への説得を繰り返した。

 クジラに庇護してもらえば、ずっと一緒に居られるし、彼女の母親も生活に苦労せずに済む、と。


 二人が度々会っていることはクジラにも町の人々にも知られるわけにはいかない。

 その逢引の場を提供してくれたのがとめもり喫茶のマスターだった。

 マスターはノブヒロとは面識がなかったが、フヅキの苦労を知っていて気に掛けてくれた人だったらしい。


 現在、フヅキもその母もクジラに仕事を与えてもらい、ノブヒロの側に居るという。


 全てを聞き終えてから、僕は再度質問した。


「ノブヒロさんはそれほどクジラを信仰しているのに、何故マスターだけは逃がしたいの?」


「か、彼女が、」


「フヅキさん?」


 ノブヒロは不愉快そうに顔を赤くして、肯定した。


「彼女が、マスターのコーヒーが好きだから。

 ……もし、組織がマスターを連行したら二度とコーヒーが飲めなくなる……」


 僕は心底呆れてしまった。ある意味清々しいほど利己的な理由に。

 そんな人間が人々の生活を脅かす仕事をしているのだ。


 ノブヒロと別れてから、僕はやるべきことに優先順位をつけていった。


 まずはクジラがこの町に着く前に、住民に呼び掛けながら別の町へ避難する。

 身の安全が確保できた後、マスターにノブヒロの語った話の裏を取る。

 それから一連のフヅキについての事実をタイヘイら青年グループに明かす。


 太陽が真上に来ていた。

 そろそろレイナが起き出して、一人置いていかれたことに腹を立てているかもしれない……。


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