ウミドリの灯りゆく町 第3話
窃盗事件のあった夜、体感で日付が「明日」になった頃、廃墟の一室で寝ていた僕をカイが起こした。
「レイナちゃん、上着をあるだけ羽織って」
彼の声の硬さで眠気など吹き飛んだ。
彼の背後から僕らと背丈の変わらない青年らが出てきた。
皆、目出し帽を被り、顔を覆っていた。防寒対策、ではなさそうだ。
室内にいるのは三名だが、外にも数名が待機していそうな様子だった。
夜闇に目が慣れると、異様な装いの集団が銃を携えていることに気付いた。
ベッドから起き上がり服を着こむと、僕の鼻先に銃口が突き付けられた。が、――勝てる。今なら。
僕は脳内でシミュレーションした。
銃口を握り、床に向けさせながら手前に引く。
立ち振る舞いを見る限り素人同然の連中だ。きっと狙い通りに体勢を崩してくれる。
もし連中が焦って引き金を引いても僕らが致命傷を負わなくて済むように、体勢を崩した人間の体を盾にして……。
「レイナちゃん」
カイの声がそれを打ち消した。彼は、今は動くな、と言外に語った。……僕はそれに従うことにした。
正体不明の青年らに、昼間の露天商通り近所のボウリング場の中まで誘導された。
仲間らしき別の青年らが蝋燭に火を灯し、待機していたようだ。
僕らは総勢十数名に囲まれた。
ボウリング場の磨かれた床に不規則に置かれた蝋燭は溶けかけ、風もないのに炎が揺らいだ。怪しい儀式でも始まりそうな光景だ。
ようやく僕らを連行した一人――傷んだ金髪頭の十八前後の青年が目出し帽を脱いだ。
「タイヘイ君!」
驚愕したのはカイだった。
僕がきょとんと隣のカイを見ると、短く「タイヘイ君はとめもり喫茶のマスターの息子さん」と説明を加えてくれた。
「俺の親父、どんな顔してた?」
タイヘイは不良に見せ掛けたいのか口の端を軽薄に歪めた。
そうしながらも駄々っ子のように手に持った銃を上下に振った。
蝋燭の灯りに照らされた時に、僕もカイも銃のほとんどが単なる玩具だと見抜いていた。
ただし、タイヘイの手にしている銃だけは本物だった。
青年らが次々と目出し帽を外し始めたが、一人だけ、タイヘイのすぐ背後の青年だけは僕らを警戒して顔を見せなかった。
彼らの中に昼間、露天商で万引きをした面子を見つけた。
タイヘイの言動から察するに、ここにいる青少年全員がそのことを承知しているようだ。
僕は空っぽの両手を見せながら構えず歩み出た。彼らとの対話の意志を示したかったのだ。
「タイヘイ君、だっけ? 万引きの目的は何だったの? 君にはお父さんがいるのに……」
「あんた、本気で言ってんの?」
タイヘイは小馬鹿にするように睨んだが、徐々に疑うような目付きに変わった。
「とぼけてんのか? それとも、ほんとは親父の仲間じゃないのか?」
カイが首を傾げた。
「仲間? 何の話かな?」
タイヘイが言うにはこうだった。
タイヘイの父親である、とめもり喫茶のマスターがテロ集団であるクジラと繋がり、タイヘイのグループの子供を攫う手引きをしているのではないか。
二年前からタイヘイらは、親がクジラに連れ去られ、身寄りのなくなった子供を集めて少年グループを作っていた。
グループでは調達した食料も露店の手伝いで得た給料も知り得た情報も包み隠さず共有することがルールだった。
ひと月前、タイヘイは偶然に自分の父親とクジラらしき男が廃れたビル街の影で立ち話をしている姿を目撃した。クジラの人間は奇妙な真っ白の制服を着ているため一目瞭然なのだ。
その数日後、タイヘイのグループの女性が消えた。彼女はグループ結成時からいた仲間だという。
写真を見せてもらったところ、カイよりいくつか年上だろう、理知的な印象のショートボブの女性がいた。名は「フヅキ」と言うらしい。
フヅキの残した置手紙には『親戚が見つかったので、その人の町に行くことになりました。突然でごめん。心配しないで。』とあった。
ここ数年を想起すれば、父親が急にタイヘイのグループの子供と親しくなっていることが度々あった。
数日経つと決まってその子は尤もらしい理由をつけてグループを抜けた。
これまでは疑問にも思わなかった。
しかし流石に今回は、グループ発足時から丸二年も共に過ごしたメンバーであるフヅキが、予告もなく置手紙一つで消えたのだから、父親を疑い始めたというわけだった。
タイヘイの話を聞くうちにカイの表情は険しくなった。
「フヅキさんはどうなった?」
カイが尋ねれば、タイヘイは気がめげそうなのを堪えるように眉間に皴を寄せた。
「今も行方知れずだけど、……その、フヅキの母親が、クジラに改宗したらしいって噂で聞いた」
改宗――フヅキの母親は自らクジラに捕まったということか。
押し黙ったカイがどのように考えを巡らせたのか僕には推測できなかった。
数秒後、彼は刺すような視線で玩具の銃を持て余している青年らを見回した。
「――君たちが盗みをするのは、グループの子供を養い自分たちが生活していくためだね?」
青年らが互いの顔を見合わせ始めた。カイがどんな答えを求めているのか推し量ろうとしているようだ。
タイヘイの背後にいた目出し帽を被ったままの青年が素早くタイヘイに耳打ちした。彼がこのグループの参謀なのだろうか。
カイの問いには、タイヘイが代表して答えた。
「俺らが盗みをすんのはほんとに切羽詰まった時だけだよ。いつもはそれぞれで大人の商売の手伝いに入ったり、炊き出しを貰いに行ったりしてる」
「グループの皆のため?」
タイヘイらは、今度は間髪入れず首肯した。
カイは頷き返した。
「それなら、しばらくは僕が食料を融通しよう。その代わり、
カイの生活があまり余裕のあるものでないことを薄々感じていた僕は「融通しよう」という彼の言葉に引っ掛かりを覚えた。
「フヅキさんの行方も僕が調べるよ」
期待と疑いの入り混じった面々を後に、僕らはボウリング場を出た。
廃墟に戻って明け方、まだ太陽の気配がない夜空をカイが見上げていた。
塗装が剥がれかけのマンションのベランダ。
僕が隣に並ぶと、彼は月明かりの下で呟いた。
「こうしていると、全てが作りものに思えてくるね」
「作りもの?」
彼は寂寥を胸中に沈めるように、空を見続けた。
「だって、世界がこんな風になる前は普通に中学校に通ってたんだよ。五年前の僕らは今こうなっていることを予想もしなかった。
でも何というか、作りものみたいだけどあの頃より生きてるって感じがする」
寂しさ交じりの微笑みでそこまで喋って、不意に何かに気付いて慌てた。
「生きてるっていうのはそれが良かったとか、そういう意味ではなくて……」
「うん。分かってる」
僕は彼を安心させたくてそう答えたが、僕が「生きてる」と実感できたのは彼と出会った数日前が初めてだった。
カイは頭を掻いて、冬空の暗闇に意識を戻した。
「もし五年前あんなことがなければ今頃は大学か。うーん、想像つかない」
「行きたい?」
僕が合の手のつもりで問えば、「どうだろうね」と返事が暗かった。
「両親も姉も行方不明の現状だと、そこまでのモチベーションはないのかも。
あ、ほら、僕さ親に心配かけないために学校に通ってたようなもんだから。今更ね……」
そんな希望の見出せない話題でも、それを彼が打ち明けてくれることが嬉しかった。
嬉しいと思うことが後ろめたかった。
思わず、夢物語が口から滑り出た。
「……もし将来、大学が復旧してカイ君が教育学部生になって学校の先生になったら、僕を生徒にしてね」
「ふふ、そんな先のこと分かんないよ。ってレイナちゃんはもう一回、中学生をする気ですか?」
「カイ君が中学校の教師になれば中学生だし、高校教師になれば高校生だね。どっちがいい?」
「小学校教師になったら?」
「もう一回、小学生やる!」
カイは呆れ顔を作ったが、口元は嬉しさを隠し切れていない。
ふふっ、と漏れた二人の吐息が白かった。
朝焼けの広がり始めた町に、僕らの笑い声が小さくさざめいていた。
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