ウミドリの灯りゆく町 第2話
カイに拾われ数日が経ち、僕はすっかり回復した。
カイは僕を介抱した際、泥と血に塗れた服を処分してしまったらしい。
「洗えばまだ着れたのに」と唇を尖らせる僕に、「レイナちゃんは女の子なんだから……」とか何とか口の中で転がしていた。
それから、有無を言わせぬ顔で彼は提案した。
「買い物に行こう」
彼に連れてこられたのは、小さな個人店が所狭しと並ぶ露天商だった。
活気に溢れるとまではいかないが、買い物客の往来は途切れず、冬晴れの下で人の営みを脈々と感じられた。
僕には見るもの全て新鮮に映った。
「すごい」と「きれい」を連呼する僕に、カイは苦笑しながら一つ一つ解説を加えてくれた。
時折、僕のツインテールが擦れ違う人々の波に擦れて傷まないか神経質に気に掛けた。
「はい、これ。お小遣いをあげよう。これで新しい服を買っておいで」
カイが差し出したのは千円札の入った財布だった。
「……お金って使えるの?」
政府を失い、偽札などいくらでも作れるこのご時世。お金の信用価値とはいかほどか……。
「うん。まあまだ使えない町もあって、そこでは物々交換だけど」
カイも僕が言いたいことは理解しているらしく歯切れが悪かった。
財布を振り回せば、カイが怒り出す二秒前の顔だったので、急いで両手で抱え込んだ。
ここからはカイとは別行動。三十分後に向かいの喫茶店に集合と決まった。
僕は脇目も振らず、「女性服専門店」の看板を出している店の
「向かいの喫茶店」と呼んでも、「とめもり喫茶」とペンキで書かれた板が立っている屋台だった。だが辺り一帯に漂う香ばしいコーヒーの香りを嗅げばなるほど、喫茶店なのだろう。
とめもり喫茶はコーヒーの付け合わせのパンも売っているようで、丁度それが焼き上がったところだった。
カイと合流した直後、露天商を見渡せる位置の廃墟の影に、妙に視線の落ち着かない三、四人がいるのが目に留まった。
彼らは中身が入っていなさそうな大きめのリュックサックを背負っていた。
何か不穏な気配だ。
声を掛けようか、何事もないならそれでいい。でも、もし危害を加えようとしている連中だったら――。
カイを一瞥するが、とめもり喫茶のコーヒーに気を取られている。
代わりに僕は、彼のパーカーの脇腹にあるポケットが少し膨らんでいることに気付いた。
「うわあっ!」
背後で悲鳴が上がった。
不穏な予感が当たってしまった。とめもり喫茶の隣のブースである古着屋にいた少年客がいきなり水を被ったのだ。
なんだなんだ、と通りを行き交う客の視線がそちらに集まった。
そのタイミングを初めから狙っていたのだろう、僕が注意を向けていた連中が走り込んできて、古着屋の服や、とめもり喫茶の焼き立てパンを一斉に奪い取った。
予想していた通り連中はリュックサックにすぐさま盗んだものを突っ込んだ。
逃亡までの流れに無駄がなく手慣れていた。何度もこのような窃盗を繰り返してきたのだろう。
それを視認した時には、僕はカイのパーカーから拳銃を抜き取っていた。
体に染み込んでいる動作で安全ゴムを外し、連中の先頭にいる一人の眉間に焦点を当てた。引き金を引く寸前、手が震えた。
パァン!
乾いた銃声がいななき、そこに居合わせた人々は耳を塞いでしゃがみ込んだ。
結果的に弾丸は地面にめり込み、怪我人も出なかった。
銃声に仰天し、もたついた連中がバタバタと足音を立てて不格好に逃げ出した。
即座に追いかけたが、姿を見失ってしまった。
捕らえるのは断念して引き返そうとすると、カイが厳しい表情で僕を追ってきていた。
困惑や怯えが入り混じるざわめきが、遅れて僕の耳に届いた。
「今の何っ!」という動揺の声と「またあいつらか!」という怒号。
僕はとんでもないことをしてしまったのだという実感が今、やってきた。
「来て、こっち」
カイは鋭く指示し、喧噪の場を離れた。小走りに彼の背を追った。
彼は露天商の通りから外れた無人の郵便局に土足で上がってから、やっと僕を顧みた。
「レイナちゃん、どういうことか説明してくれる?」
静かに問い掛けられて、顔を上げられなかった。
「……説明する」
先程見たのは窃盗の現場であったことと、古着屋で水を被った少年も仲間で商店街の人々の注意を逸らすためにわざと水を被ったのだろうという予想を交えた。
彼らの手際の良さからして万引き常習犯だろうと説明した。
僕が話し終えるのを待ってから、カイは返答した。
冬のよく冷えた橋の欄干に触れてしまったような、抑制された声色だった。
「分かった。レイナちゃんの予想、僕もそうじゃないかと思う。明日、とめもり喫茶に被害状況を聞きに行くことにするよ。今日は荷物もあるし、もう戻ろう」
僕は素直に顎を引いた。
カイは僕の右手首に触れた。拳を握らせたり開いたり手首を少し捻ったり、しばらく検分してそっと離した。
恐らく拳銃を撃った反動で手首が骨折しなかったか調べたのだ。
万一の護身用なのだろう拳銃をカイに返すと、彼はやるせないような顔をして、それでもしっかり受け取った。
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