第14話 星見の尖塔・85階・下

 クロエが譲らないなら説得しても無駄だ。なら俺はできることをしよう。

 アイテムボックスの中からとっておきを取り出した。


 牛肉の塊に塩とオリーブオイル、香辛料や香草で味を付けて紙で包んで貰ったものだ。

 これは俺が作ったものではなくて、アルフェリズのレストランで仕込んでもらった特別製だ。


 火を焚いてフライパンが熱くなったところで、紙を外してフライパンで肉を入れる。

 肉が焼ける音がして、油と香草の臭いが結界シェルターの中に漂った。

 クロエが臭いをかいで、うっとりしたような表情を浮かべる。


 染み出した脂を念入りに肉の塊に振りかけて、ナイフで切り分けた。表面がルビー色に染まっている。我ながらいい焼き加減だ。

 フライパンに残った油にニンニクのかけらを入れて、パンの表面を炙る。

 あとはこれもとっておきのヤギのチーズ。


「香味牛のグリルとガーリックパン、それにチーズだ」


 器に大きく切り分けた肉と焼いたパン、それにチーズを添えて渡す。

 クロエが待ちかねたって感じで受け取って、肉を口に運んだ。


「ああ……美味しい。本当に」


 クロエがため息をつくように言った。


「いいだろ」


 これはアルフェリズの名店、風の行方亭の料理だ

 肉を仕込んで焼くだけにしてもらって、その時点の状態を維持する魔力が込められた特殊な油紙で包んだものだ。


「アルフェリズの風の行方亭の名物だ……まあ本家ほどじゃないがな」


 俺も一口かじる。

 香草で味付けされた肉から暖かい脂が染み出してくる。

 分厚いがナイフが無くても噛み切れるくらいに柔らかい。いい値段を取るだけあるな。高い価値はある。


 パンは表面が焼けてカリっと硬くなっているが、油が中までしみ込んでいる。少し焦げたニンニクの香りが香ばしい。

 酸味のあるチーズも我ながら良い組み合わせだと思う


 本当はしっかりした石窯で焼き上げるし、付け合わせの野菜もつく。パンももっと上等なものが添えられる。

 だがダンジョンの中で食べるものとしては上出来だろ。


「ええ、なんていうか……」


 クロエが何か言いかけて口ごもった。

 

「なんだ?」

「ああ……今まで食べた中じゃ2番目に美味しい肉だわ」


「2番目かよ」


 LV98なら何処かの貴族に召し抱えられている方が普通だ。だから美味いものを色々食べていても不思議じゃない。

 ただ、アルフェリズじゃ誰に聞いてもここが一番、というレストランにそう言う風に言われるのは、地元民としてはちょっと不本意だ。


「一応言っておくがな。これは本職が焼いてくれるのには及ばないぜ。アルフェリズに戻ったら是非食べに行ってほしいね」

「ああ……そうね」


 ちょっと気まずそうにクロエが言って、厚く切った肉を次々と美味しそうに頬張った。

 なんだかんだ言いつつ疲れている時には肉を食べるのがいい。かなりの量があったが、綺麗に食べきってしまった。

 

「お酒が欲しくなるわね」

「気持ちは分かるが、今は無い」


 勿論店で食べるときは最高級の葡萄酒ワインもついてくるが。ここではそんな物は望めない。

 ダンジョン探索中に酒を飲むことについては色々と意見があるが、俺としてはあまり賛成できない。


 酒は疲れを取るためだから、とダンジョン内でも持ち歩く奴もいるが。酔いつぶれて魔獣に襲われたなんて笑えない話もある。

 飲みたければ、生き残って酒場で飲めばいい。


「だが、言っておくが、明日か明後日までに攻略できなければ出直しだぞ」

「なんで?」


 フライパンに残った脂を名残惜しそうにパンで掬いながらクロエが聞いてくる。


「食料が尽きた。本当はこの肉で二回のつもりだったんだが、誰かさんがよく食べたからな」

「なに、あたしが食いしん坊だとか言いたいの?」


 ちょっと怒ったような口調でクロエが言って俺を大袈裟な感じでにらむ。


「冗談さ。だが食料が不足しているのは嘘じゃない。そう長くはもたないぞ」

「じゃあそうなる前に頂上に行かないとね」


 本当のところ、これはとっておきで使う予定はなかったから、食料の残りはあと5日分くらいはある。

 最上階まであと15階。食糧不足が理由で撤退にはならないだろう、多分。


「あと少し、頑張ろうって気分になったわ」


 クロエが残りのパンを食べて、指先を舌で舐めてにっこり笑った。さっきまでの疲れた顔じゃなくて、頬にも赤みがさして顔色が良くなっている。

 美味い物ってのは気分を上げてくれる。効果はあったらしいな。


「お湯を沸かすか?湯浴みでもしたらどうだ」

「うん、お願い」



「こっちに来ない?トリスタン」


 湯浴みをし始めてからしばらくたって、仕切りの幕の向こうから声が聞こえた。


「……いいのか?」

「靴だけ脱いできてね。裸になったりとかしちゃだめよ」


 幕の向こうからクロエの返事が返ってくる。

 靴だけ、と言われてもな。ゲートルをほどいてブーツと靴下を脱ぐ。ひんやりした石畳が少し心地いい。


「いいか?」

「いいわよ」

 

 仕切りの布を持ち上げると、リラックスした顔のクロエが手洗い桶に素足を浸していた。


「これ、気持ちいいのよ。貴方もやらない?」


 クロエは鎧を脱いで鎧下のワンピース姿になっていた。

 スカートがたくし上げられて、普段は革のスパッツで包まれている白い細い脚がむき出しになっている。

 傷一つない白い肌だが、しなやかに引き締まった戦士の足だ。 


 俺も倣ってお湯に足を浸す。

 狭い手洗い桶のなかで素足が触れ合った。ちょっと恥ずかしそうにクロエが視線を逸らす。


「こういう湯浴みもいいでしょ?これならほら……いちいち脱がなくてもいいし、今は二人だけど、4人パーティとかだと仕切り作るのも大変だろうし」


 クロエがちょっと自慢気に言う。

 足や足首を温めていると、しばらくして体全体が温まってきた。


 確かにこれは中々いい。足首や手首、首を冷やすな、というのは野営のセオリーなんだが、足を温めるだけでこんなに効果があるとはな。

 今後誰かを案内ガイドするときはやってみよう。


「しかし……なんでこんなこと知ってるんだ?」

「それはまあ……湯浴みが好きだからよ」


 クロエが言う。

 なるほどな。この辺は流石LV98の経験ってことだろうか。



 暖かかった湯も少し温度が下がってきた。

 話題も尽きのか、クロエは足をお湯につけたまま黙っている。遠くから風の音が聞こえてくるだけだ。


「……止めると思ったわ」


 足をお湯に浸したままでいると何となく眠くなってくるが……クロエが不意に口を開いた。

 クロエが真剣な目で俺を見ている。眠気が冷めた。


「俺としては一度引き返す方がいいと思うが……ただ、行くんだろ」

「……うん」


 クロエが静かだが強い意志を感じる口調で言う。


「新人の冒険者だと途中で恐れたり委縮したりすることもあるからな。

気持ちを前に向かわせるのも案内人ガイドの仕事だ」


 危ないのは間違いない。

 だが、あと一歩で目標に辿り着けるときに引き返すのもあまりにも酷なのも確かだ。

 それに次の機会があるから、と思ったら予期せぬアクシデントがあることもある。


 俺たちはどちらが正しいとか未来のことを知ることはできない。なら、やると決めたら、最善を、全力を尽くすのみだ。

 クロエがちょっと感心したような顔をして、意地悪そうな表情を浮かべた。


「なかなか格好いいこというじゃない……レベル12だったのに」

「心構えは常にそれより上だったからな」


 めげそうになったこともあったが、いつかこんな風になりたいと思って訓練も座学もしてきた。

 もしすべてを諦めてなにもしなければ、今のようになれなかっただろう。

 怖気ついて星空の天幕亭を出れなかったか、それとも10階あたりで魔獣に食い殺されていたか。


 信じて何かをしていれば、幸運が巡ってきたときにこんな風に捕まえることもできる。

 クロエがほほ笑んで頷いた。


「そうだよね、貴方は確かにそうだった。最初から……」


 細い足がお湯を揺らして、静かな水音が立った。


「最初からそうだったね……」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る