第39話 お粥

「はい、お粥で来たよ」

 蒼乃がお粥の入った土鍋をお盆に乗せて、寝室に入って来た。

「お粥?」

 ちひろがキョトンとそれを見る。それに連動して、ちひろのお腹の上に丸くなっていたミーコ―も顔を上げる。

「うん、病気の時はこれを食べるの」

 蒼乃がお盆をベッド脇のテーブルに置いた。

「なんで?」

「えっ?」

 突然、ちひろに訊き返されて蒼乃は困る。風邪と言えばお粥と決まっている。その意味など蒼乃は考えたこともなかった。

「う~ん、なんかそうなんだよ」

「ふ~ん」

 なんか納得していない感じだったが、ちひろは上体を起こし、お粥を食べようとする。

「あっ、私が食べさせてあげる」

 蒼乃が、ちひろが持とうとする白い陶器製の蓮華を先に持った。

「うん」

「一回やってみたかったんだよね」

 蒼乃が、ちょっと顔をほころばせながら蓮華でお粥を掬いあげる。蒼乃は案外こういうことが好きだった。

 蒼乃はふぅ~、ふぅ~と、その蓮華によそったお粥を冷まして、ちひろの口元に持っていく。それをちひろが、その小さな口を大きく開けて受け入れる。

「おいしい?」

「うん」

 ちょっと熱そうにしながらも、ちひろはうなずいた。

「熱かった?」

「うん、熱かった」

「あははっ、ごめんね。水飲んで」

 蒼乃は笑いながらコップの水を差し出す。

「今度はよく冷ますわ」

 蒼乃は今度は念入りにふぅ~、ふぅ~した。蒼乃も看病経験は初めてだったのですべてが手探りだった。

「はい」

 再び蒼乃がお粥の盛られた蓮華をちひろの口元に持っていく。ちひろがまた口を開ける。

「おいしい?」

「うん」

 再びちひろはうなずく。しかし、やっぱり、ちひろはどこかしんどそうだった。まだ、風邪の症状がかなり辛そうだった。

「今まで風邪ひいた時どうしてたの」

 蒼乃が、次の一口をちひろの口元に持って行きながら訊いた。

「テレビ見てた」

「そうなんだ・・💧 」

 ちひろは病気の時も一人だったんだ・・。その時もアイスとコーラを食べていたのだろう。蒼乃は再び胸が締め付けられるような切なさを感じた。

「梅干しも食べて」

 蒼乃は商店街で買ってきた昔ながらの塩と赤しそだけでつけたしょっぱい梅干しを一個箸でつまむ。

「梅干し?」

 ちひろがその赤い丸い物体を不思議そうに見つめる。ちひろは梅干しも初めてらしかった。

「お粥には梅干しなんだよ」

「ふ~ん」

 ちひろはよく分かっていないみたいだったが、口を開けた。そこに蒼乃が、梅干しを入れる。

「んん~」

 入れて、一噛みした瞬間、ちひろが顔が中央に凝縮される。

「あははっ、すっぱかった?」

「なにこれ」

 あまりに衝撃的だったのだろう。ちひろはひどく驚いて蒼乃を見る。

「あはははっ、これが梅干しだよ」

「・・・」

 ちひろはしばらく、何が起こったのかよく理解できず呆けていた。

「すごく体にいいんだよ」

 そんなちひろに蒼乃が言う。

「うん・・」

 しかし、ちひろは呆けたままだった。

「お粥食べて」

 蒼乃が再び蓮華をちひろの口元に持っていく。ちひろはそれを口に入れた。

「梅干しにあうでしょ」

「うん・・」

 しかし、ちひろはまだ何か梅干しの味を頭の中で整理できていないみたいだった。

「みゃ~」

 その時、ミーコーが何かをねだるようにして蒼乃を見て鳴いた。

「ふふふっ、ミーコーもお腹が空いたのね。待っててね。ちひろが食べ終わったら持ってくるわ」

 蒼乃がミーコーにやさしく語りかけるように言った。

「ミーコーってなんでミーコーなの」

 その時、ちひろがふいに蒼乃に訊いた。

「う~ん、なんでだろう。私の思いつきで適当に呼んでただけだからなぁ・・」

 自分でそう呼んでおいて、蒼乃にもよく分からなかった。

「そういえば、ちひろっていい名前だね」

 蒼乃はふと思った。

「お兄ちゃんがつけてくれた」

「えっ、そうなんだ」

 蒼乃がちひろを見ると、ちひろはうなずく。

「有名な絵本作家の名前だって言ってた」

「へぇ~、そうなんだ」

 蒼乃は驚く。

「その絵本の中の女の子にお前がそっくりだって」

「へぇ~、そうなんだ。その子見てみたいな。あっ、そうだ、今日、図書館に行って探してくるね」

「うん」

 蒼乃が、再びお粥をよそい、蓮華をちひろの口元に持って行こうとすると、ちひろは小さく拒絶した。

「もういいの」

「うん」

 お粥を半分も食べないうちにちひろは、再び横になった。やはり、風邪の症状はかなり辛そうだった。

「リンゴむいてあげようか」

「いい」

 ちひろは首を横に振った。食欲自体があまりないようだった。

「そう、じゃあ、少し眠った方がいいよ」

「うん」

 蒼乃が布団をかけてやるとちひろは目をつぶった。


「借りて来たよ」

 夕方、ちひろが目を覚ますと蒼乃が寝室に入って来た。蒼乃の手には数冊の絵本が握られていた。図書館に行き、司書の人にちひろという作者の絵本を訊ねると、すぐにそれは分かった。

「ほんとだそっくりだ」

 蒼乃はベッドサイドに腰をおろし、ちひろの横に寄り添う。そして、ちひろと一緒に図書館から借りて来た、いわさきちひろの絵本を顔を寄せ合って見た。

「・・・」

 絵の中のどこかはかない純朴な少女の姿が、幼いちひろと重なる。ちひろも幼い時はこんな風だったのだろうか。蒼乃は幼いちひろを想像ながら絵本の中の少女の絵を見つめる。ちひろは、その横で黙ってその絵を見つめていた。

 そんな二人の姿に、ミーコーが絵本の裏からその小さな体をくねらせて一生懸命何事かと覗こうとして来る。それが堪らなくかわいらしく、蒼乃はつい笑顔になってその姿を見つめた。

「なんか、覚えてる」

 その時、ちひろがぼそりと言った。

「何を?」

 蒼乃がすぐ隣りのちひろを見る。

「お兄ちゃんとこうやって見てた」

「絵本を」

「うん、すごくちっちゃい頃」

「・・・」

「まだ人を殺す前だった」

「えっ」

 ちひろのさりげない言葉に蒼乃は驚く。

「・・・」

 蒼乃はちひろの横顔を見つめる。

「最初に人を殺したのっていつなの?」

 蒼乃は恐る恐る訊いた。

「十歳」

「十歳・・」

 蒼乃は自分が十歳だった時のことを思い出そうとした。しかし、それはあまりに幼過ぎた・・。

「・・・」

 それ以上のことを訊きたい衝動はあったが、蒼乃はなんとなく訊くのをやめた。それは訊いてはいけない気がしたし、訊いても、多分、それは訊かない方がよかったと思うだろうという予感があった。

「・・・」

 ちひろは、そんな蒼乃の隣りで絵本の中の少女を静かに見つめていた。

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