第37話 夢色のメリーゴーランド
「わあっ、きれい」
蒼乃が、ライトアップされ、闇の中に輝くように浮き立つ遊園地を見渡し声を上げる。
気づくと、すでに辺りは暗くなり始めていた。場内の外灯が灯り、アトラクションがライトアップされ、遊園地はまた違ったどこか幻想的な雰囲気に変わっていく。
「あっ、あれ乗る」
ちひろが何かを指差し、突然大きな声を上げた。ちひろが指差したのは、メリーゴーランドだった。メリーゴーランドは美しい電飾に彩られ、ライトアップされた周囲の乗り物に比べさらに一際光り輝いていた。
「うん」
蒼乃も、大きく同意した。
二人は前後の馬にまたがる。そして、メリーゴーランドはゆっくりと回りだした。それとともにメリーゴーランドの様々に彩られた電飾も回りだす。光りが闇に溶け、二人も幻想的な光りの輪に溶け込んでいく。
光り輝く幻想の色彩の中で、蒼乃は今のこれは夢ではないのかと思った。電飾の光りの一つ一つの淡い煌めきが、儚いシャボン玉のように危うく漂う。それは夢の中の色だった。それはいつか終わる色・・。
蒼乃の中に懐かしさに混じった不安と寂しさが湧き上がる。それは蒼乃が幼い時に感じた感情だった。幼い日のおぼろな感情の記憶に霞む寂しい自分の断片。蒼乃はそれを微かに頭の片隅に思い出した。
湧き上がる強い不安が蒼乃を襲う。今のこの時が、失われてしまうという焦燥と寂しさ。自分一人だけ置いて行かれる絶望的な孤独。
「・・・」
蒼乃は突然、堪らない不安定の中に放り出された。それはなんの寄る辺もない、孤独な宇宙。どこにも掴みどころのない絶望の海。蒼乃は一人そんな不安の中に溺れた。
「蒼乃、楽しいね」
その時、前の馬に乗っているちひろが蒼乃を振り返った。
「・・・」
蒼乃はちひろを見た。目の前には、ちひろがいた。確かに目の前にはちひろがいた。これは夢じゃない。夢じゃない。ちひろがいてくれる。それは今目の前にある確かだった。蒼乃は、再び安定した地面の上に降り立つ。
「うん」
蒼乃は力強くちひろに答える。
「うん、楽しい」
蒼乃はさらに力強く答える。
メリーゴーランドは二人を乗せて回り続ける。夢色に輝き続けながらメリーゴーランドは二人を乗せて回り続けた。
「次あれ乗ろう」
メリーゴーランドを下りると、もうさっそくちひろは次の乗り物に乗ろうとする。ちひろは疲れを知らなかった。
「ちひろ、ちょっと休まない?」
蒼乃は巨大な像のぬいぐるみをちょっと疲れた表情でちひろに言った。しかし、ちひろはそんな蒼乃を置いてさっさと走って行ってしまう。ちひろは楽しくて仕方がないらしい。
「もう」
仕方なく蒼乃はちひろを追いかけた。
「すみません。このアトラクションはもう時間で本日は終わりなんです」
勢い込んで辿り着いたちひろに、受付けにいた係りのお姉さんが申し訳なさそうに言う。辺りも暗くなり始め、終了するアトラクションも出て来ていた。
「だから言ったのに。ちひろが起きないからだよ」
巨大な象のぬいぐるみを抱え、息を切らしながら遅れて追いついた蒼乃が言った。ちひろが寝坊したせいで、二人が遊園地に着いたのは昼過ぎだった。遊園地の乗り物全部は、丸一日かけてもなかなか乗り切れるものではない。昼からではなおさらだった。二人が、まだ乗っていない乗り物や、入っていない施設は、半分以上も残っていた。
「うん」
ちひろが悲し気にうなずく。ちひろがあまりに悲しげにうなずくので、蒼乃はすぐに言い過ぎたと思って慌てた。
「でも、まだ他に乗れるのあるよ」
「うん」
ちひろは、再び顔を上げ、その顔を輝かせた。
「うわああああっ」
蒼乃が再び絶叫する。だが、夜でもやっていたのはジェットコースターなどの絶叫系ばかりだった。
「ううううっ、なぜだぁ・・」
蒼乃は、うめいた。やはり、絶叫系の乗り物から逃れられない蒼乃だった。
「次あれ」
絶叫系のアトラクションを三本立て続けに乗って、ちひろは、まだまだ行こうとする。その時、蒼乃が遊園地に設置されている巨大な時計を見た。
「もしかしたら観覧車が終わっちゃうかもしれないよ」
時刻はもう夜の八時を過ぎていた。
「じゃあ観覧車乗る」
ちひろが言った。
「じゃあ、急ごう」
「うん」
二人は観覧車まで走った。
「観覧車間に合うといいね」
蒼乃が走りながら言った。
「うん」
二人は笑い合いながら並んで走る。
「間に合わなかったらちひろのせいだからね」
蒼乃が笑いながら言った。
「絶対間に合うもん」
ちひろは笑顔でさらに走る速度を上げる。
「ちょっと待ってよぉ~」
蒼乃が笑いながら叫ぶ。
なんだかすべてがわくわくしていて、走っていることすらが意味もなく楽しかった。二人は、じゃれ合うようにはしゃぎながら観覧車までの道のりを走った。
観覧車の乗り口が見えてきた。二人は飛び込むようにその受付に入る。
「まだやってますか」
蒼乃が息をはずませ訊く。
「観覧車は十時までやっていますよ」
係のお姉さんが、息を切らす二人にやさしく答える。観覧車は一番最後までやっていた。
「よかったね」
蒼乃がちひろを見る。
「うん」
二人はこの遊園地の目玉アトラクション、巨大観覧車に乗りこんだ。ゆっくりと二人の乗る籠は上へと上がってゆく。
「うわーっ」
二人は思わず声を上げる。上に上がるにつれ、少しずつ町の景色が見え始め、その真っ暗な世界の中に、街の光りの粒が数えきれないくらい広がっているのが見える。
「きれいだね」
蒼乃が興奮して言う。
「うん」
ちひろも夢中で見つめていた。そこから見下ろすその夜景は本当に光り輝く巨大な宝石箱のようだった。
「そういえば・・」
その時、蒼乃はふと思い出した。蒼乃が小さかった頃、まだ父親がいて、母が元気で、家族三人が仲がよかった頃、三人で観覧車に乗り、こんな景色を見た気がした。はっきりとは思い出せないが、確かに乗った記憶だった。そのことを蒼乃は、なんとなくではあるが、当時の空気感と共にリアルに思い出していた。
「あれは・・」
それは確かな記憶のような気がした。
「どうしたの?蒼乃」
気づくと、ぼーっとする蒼乃をちひろが見つめていた。
「う、うん、なんでもない・・」
蒼乃はしかし、突然思い出したそのおぼろな、それでいてはっきりとした記憶が気になって仕方なかった。
「・・・」
そんな蒼乃をちひろが不思議そうに見つめている。
「やっぱり変。蒼乃」
ちひろがさらに蒼乃を覗き込む。
「えっ、うん・・」
「どうした?蒼乃?」
「うん・・、なんでもない、なんでもないよ。ところで今日、楽しかった?ちひろ」
そんなちひろの視線ををごまかすように蒼乃はちひろに作ったように明るく訊いた。
「うん、でもまだ乗ってないのいっぱいある」
ちひろは不満そうに言った。
「そうだね」
「うううっ」
ちひろは名残り惜しそうに、遠く小さくなったアトラクションの方を見つめる。
「また来ようよ」
蒼乃が言った。
「うん」
ちひろは子どもみたいに元気よく答える。
「でも、射的屋のおじさんは嫌がるだろうね」
「うん」
二人は笑った。
「それにしても、なんであんなちゃちな射的の銃でこれが倒せたの?」
蒼乃はふと疑問に思い、象のぬいぐるみを見てからちひろを見た。それがずっと不思議でならなかった。
「ふふ~ん」
ちひろは変な笑い方をして、何も言わない。
「なんでよぉ」
向かいに座っていた蒼乃は、ちひろの隣りに行ってもう一度訊く。
「なんで」
「ふふ~ん」
ちひろは答えない。
「こちょこちょこちょこちょ」
蒼乃は、ちひろの脇腹をこちょこちょした。
「あははは」
ちひろは笑う。
「なんでよう」
「あははは、ないしょ~」
二人はじゃれ合いながら笑い合う。楽しい一日の終わりもやっぱり楽しいものだった。
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