第35話 ちひろの怖いもの

「今度あれ乗る」

 ちひろが指差す。それはコーヒーカップだった。

「うん」

 蒼乃はほっとした。とりあえずジェットコースターでなければなんでもよかった。

 二人が乗り込むと、コーヒーカップはクルクルと回り始めた。しかし、他のカップのように、カップ自体が回っていない。

「あっ、これ回すんじゃないかな」

 蒼乃が真ん中の丸いテーブルのようなものを見た。他のカップを見ると、みんなそれを手で回している。蒼乃は、試しに回してみた。

「あっ」

 カップは思った通り、くるくると回り始めた。

「おもしろ~い」

 それにちひろがものすごく反応した。ちひろは真ん中のテーブルを蒼乃から奪うようにして勢いよく回し始めた。それに連動してカップは勢い良く回りだす。

「きゃはははっ、おもしろい」

 ちひろは、他のカップに乗っている子どもたちが驚くくらいにはしゃいだ。

「わっ、ちょっと、ちひろ回し過ぎ」

 カップは、全体の回転に加えカップの回転も加わり、ものすごい回転速度になった。

「ちひろ~」

 蒼乃が叫ぶ。しかし、ちひろははしゃぎながらさらに勢いよく回す。

「ちひろ~」

 蒼乃は、絶叫する。

 やっと時間が来て機械が止まり、蒼乃がコーヒーカップから降りると、もう目の前がくらくらした。

「次あれ乗ろう」

 しかし、ちひろは元気だ。しかも指さしているのは、バイキングだった。再び絶叫マシーンだった。

「あれ乗るの・・」

 躊躇する蒼乃を置いて、しかし、ちひろはもう入り口の中へと入って行ってしまっている。

「・・・」

 ジェットコースターよりは怖くないだろうと、蒼乃はちひろを追いかけた。

「ぎゃ~」

 しかし、実際はやはり怖かった。

「ぎゃ~」

 蒼乃は遊園地になど、安易に誘った自分を激しく後悔した。

 その後もやはりちひろが乗りたがるのは絶叫マシーンばかりだった。絶叫マシーンは幾種類もあり、ジェットコースターだけで三種類もあった。

 ちひろに付き合い、絶叫マシーンをはしごする蒼乃は、もう歩く足元もおぼつかないほどヘロヘロになっていた。

「遊園地って楽しい」

 しかし、ちひろは幼い子供みたいに目をキラキラ輝かせ、はしゃいでいる。ちひろは本当に楽しそうだった。いつもほとんど無表情で目だけが動いているだけのちひろが、本当にうれしそうにしている。

「・・・」

 そんなちひろを見て、ちひろにこんなにいろんな表情があることに蒼乃は驚いた。そして、なんだかうれしくなった。

「やっぱり来てよかったんだわ」 

 蒼乃は思った。遊園地に来たことを後悔し始めていた蒼乃だったが、ここで思い直した。

「あっ、あれ入ろ」

 今度は蒼乃が指差し言った。蒼乃が指差した先にあったのは、それはお化け屋敷だった。

「・・・」

 しかし、なぜかちひろは固まったように急にテンションが下がる。

「どうしたの」

 蒼乃がちひろの顔を横から覗き込む。

「・・・」

 ちひろは固まったまま動かない。表情もなくなった。確実に乗り気ではない。

「怖いの?」

「怖くない」

 ちひろはむきになって言った。

「じゃあ、行こ」

 蒼乃がそう言うと、しぶしぶと言った感じでちひろは動き出した。

「ふふふっ、ほんと、ちひろは分かりやすいな」

 蒼乃は少し笑った。

 二人は二人乗りの小さなカートに乗った。カートはそのままレールに沿って、暗いお化け屋敷の中に入って行く。

「うわぁ~、すごいリアル」

 中に入ると蒼乃が周囲を見回す。雰囲気のある絵やセットが組んであり、何とも不気味だった。

「ねっ、すごいねちひろ」

 蒼乃は逆にこういうのが好きでテンションが上がる。

「・・・」

 しかし、隣りのちひろは全く反応がない。固まったまま微動だにしない。さっきまでのテンションが嘘のように沈黙している。

 二人の乗ったカートは、お化け屋敷の奥へ奥へとゆっくり入って行く。周囲に描かれたおどろどろしい不気味な背景の絵やセットはかなりリアルだった。そこに絶妙な照明がなされ、雰囲気を作りだしている。もうその時点で、かなり怖かった。

「きゃああああ」

 その時、突然、女性の叫び声と共に、お化けが上から逆さになって二人の目の前に現れた。

「わああああっ」

 二人は滅茶苦茶驚く。古典的な脅かしだったが、それに思いっきり二人ははまった。

「きゃああ、はははっ」

 しかし、怖かったが蒼乃は楽しかった。

「今の怖かったね」

 蒼乃は笑いながら隣りのちひろを見る。しかし、あの何があっても動じないちひろが真っ青な顔をして固まっている。

「怖いの?」

「怖くない」

 固まったままちひろは答える。

「ふふふっ、ちひろはほんと分かりやすいな」

 蒼乃は笑った。

 すると、今度は背後から何か音がした。

「何?」

 二人は振り返る。ものすごくリアルな何かが近づいてくる音だった。二人は、後方の暗闇を見つめる。しかし、その先は暗闇でまったく何も見えない。それがまた不気味だった。しかし、足音は確実に近づいてくる。

「うをぉおおおお」

 すると突然、足音が大きく速くなったかと思うと、暗闇から包帯を巻いたフランケンシュタインが現れ、二人のカートを追いかけて来た。

「ぎゃあああああああ」

 二人は叫ぶ。

「わあああ、わあああ」

 ちひろは、この世の終わりみたいに思いっきり叫んで叫んで叫び倒す。

「ああああ」

 そして、ちひろは、恐怖の絶頂に達し、最後に思いっきり叫ぶと、蒼乃がジェットコースターに乗った時にやっていたように蒼乃の腕にしがみつき、顔をその胸にうずめた。

「もうやだ、出る」

 ちひろはもう半べそだった。

「だめだよ、終わりまで乗ってないと」

 蒼乃はそんなちひろを少し笑いながらなだめる。

「やだ、出る」

「もうちょっとだから、ねっ」

 蒼乃はちひろをなだめる。

 すると、今度は何か声がする。

「何?」

 蒼乃が周囲を見回す。すると、何やら光りの固まりが、辺りを漂い始めた。

「あっ」

 それはスリーDで映し出された光のお化けだった。しかし、今度のお化けはどこかコミカルでおもしろい奴だった。そいつが蒼乃たちのコースターの周囲を楽しそうに飛び回る。

「わっ、かわいい」

 それはどこか愛嬌がありかわいいお化けだった。それがふわふわと二人の周りを飛び回る。

「おもしろいね」

「・・・」

 しかし、ちひろはそのお化けにもまったく反応できずにいた。顔面蒼白で固まっている。

「おもしろいよ。よく見てちひろ。全然怖くないよ」

「・・・」

 だが、ちひろは黙っている。そして、無言で、背中から銃を抜き出した。

「わっ、ダメ、ちひろ」

 蒼乃がそれを慌てて上から手で押さえる。

「もう出るぅうう」

 ちひろは銃を持ったまま叫んだ。

 そして、その後も散々とあれやこれやと様々に趣向されたお化けに脅かされ、叫び回って、やっと二人のカートの先に光が見えて来た。そして、その光が二人を包み、二人が目を細めると、お化け屋敷の外へとカートは出た。

「ふぅ~、おもしろかったね」

 蒼乃が隣りのちひろを見る。

「・・・」

 ちひろは顔面蒼白だった。

「ちひろお化け苦手なんだ」

「平気だもん」

「うそ」

「うそじゃないもん」

 ちひろは怒って、カートから降りると、一人早足に行ってしまった。

「もう、子供なんだから」

「子どもじゃない」

 ちひろはそこだけ振り返って叫んだ。

「ふふふっ」

 ちひろにも人間らしく苦手なものがあって、少し、蒼乃はうれしくなった。

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