道を歩みすぎた人

佐倉活彦

第1話

 道を歩みすぎた人


                                佐倉活彦


 山代真人のお祖父ちゃんは亡くなっているがお祖父ちゃんの兄さんは健在だ。

 山代竹夫さんは百三歳になる。総合病院の七階に設けられた介護特化病棟で過ごしている。別段病気でもなく、怪我をしているわけでもない。矍鑠としているのだが、年齢による身体能力の衰えは隠せず、食事や洗面着替え、排泄入浴、などは介助が必要だ。

 妻の安江さんも同じ介護病棟で過ごしている。一歳下なので百二歳になる。食が細くなり元気をなくし、日がな、うつらうつら眠っている。意識が飛ぶ時がありお迎えが近い、そんな状態になっている。

 伯父夫婦が百歳を超えてから、急遽この介護病棟に入居しなければならなくなったことについて、話しておかなければならない。

 それは二年前に遡る。伯父夫婦の長男が肝臓を悪化させて、入院してしまったことから始まった。家を切り盛りしていた長男の嫁が、夫の入院先から帰る途中、駅の階段で足がもつれ踏み外してホームまで転げ落ちた。大腿骨を骨折してしまった。多分竹夫さん夫婦の世話に夫の世話が加わって疲労が蓄積していたのだと思う。救急車で病院に運ばれ、そのまま入院してしまった。身の回りを世話していた者が不慮の事故で突然いなくなったのだ。家に取り残された夫婦は厳しい状況下に置かれた。なにしろ介助してもらわないと生きていけない状態なのだ。真人から見れば従兄にあたる孫の直也さんが市役所に掛けあってヘルパーを手配した。しかし本日からというわけにはいかず、五日間ほど直也さんが会社を休んで世話をした。ヘルパーが来てくれるようになったので直也さんは出勤するようになった。ところが世話してくれる時間に制限があった。買い物や洗濯食事の用意を慌ただしくして、「次の訪問先に行かなければなりませんので」と、言って一方的に帰った。直也さんが仕事から帰ってくるまで放ったらかしになった。こんな扱いは竹夫さんにしてみれば不本意である。夜間も来てくれるようにケアマネージャーに頼んだところ、ヘルパーのなり手不足の所為にして施設に入居するように進めた。まさかそんなことにはならないだろうと伯父は信じていたらしいが、直也さんは祖父夫婦を施設に預けるしかないと判断した。

「お父さんやお母さんが元気になれば、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんに戻ってきてもらって一緒に住むからな、今こんな状態やからちょっとだけ辛抱してんか」

 と、強い口調で言いくるめたように聞いている。家で過ごしたいという竹夫さんの言い分など聞いてくれるような態度ではなかったらしい。安江さんは、病気で入院した長男と歩けなくなった嫁の状態を考えたら、邪険な扱いではないと言って直也さんを庇い、施設に入ることをあっさり受け入れた。竹夫さんだけ家に残るわけにはいかなくなった。

 そんなことがあってもう二年経った。依然として長男は入退院を繰り返している。大腿骨を骨折した嫁の手術後の状態もはかばかしくないらしい。直也さんによると、重い物を持てず、腰に負担のかかる前かがみの姿勢はとれない、動きがのろのろしていて掃除洗濯に時間を取られ他のことがなおざりになっている、と聞いた。食事は惣菜店の出来合い物に頼っている、とまで言っていた。そのあり様では竹夫さん夫婦を引き取っても世話などできそうになかった。


 病棟生活は単調で退屈だ。竹夫さんの唯一の楽しみは妻の安江さんとの面会であった。夫婦と言えども部屋は別なので一日二回午前十時ごろと午後の三時ごろ、車椅子で談話室に連れて行ってもらい会っていた。七階から窓越しに見下ろす公園の四季は一巡した。桜が満開になったとか紅葉が美しいとかいろいろ話したと思うのだがすっかり忘れているので、今望んでいる風景が二人にとって初めて目にする風景であった。公園をひとしきり見下ろして、三人の子供や孫の話、会うことがなくなった近所のどなたかの話などにおのずと移っていった。脳にひらめくままに順々に話し続け看護婦が迎えに来るまで過ぎし日をむさぼっていた。ところが、近頃は安江がほとんど会話を交わさなくなった。話しかけてもぼんやりあらぬ方向を見遣り頷くだけになった。自宅のある方向を目で指し、帰りたいと訴えているのだと気づいていても、家の状況を考察すれば、宥めるしかなかった。

「来月になれば息子が迎えにきてくれる、もうちょっとの辛抱や」

 と、希望を持たせても、笑みを浮かべず、それでは遅いと抗議している目つきを返した。

 そんな状況に陥っている妻であっても竹夫さんは視界の中に姿を置いていると気分が落ち着いた。七十年間も夫婦でいると二人居るだけで日常が成り立った。


 看護婦がノックもせず突然部屋に入ってきて叩き起こし、「奥さんに会いに行きましょうか」と、繕った笑顔で言いよった。言い方も普段と違って強張っていた。ただならぬ空気を感じて、強制的に連れていかれると判断した。

 抱き起こしてくれたのでベッドから車椅子に移った際、若い女の体温が助平心を誘発した。それとなく顔を豊かな胸にこすりつけた、あそこがゾクッとした。

 車椅子を押してもらい、消灯した薄暗い廊下に出た。

「元気にしとりまっか?」

「はい、お待ちかねです」

 安江の居室ではなく談話室でもなく、反対方向に連れていかれた。

「いつもと違うところに居るんか?」

「はい、このお部屋に居られます」

 〈H・C・U〉とアルファベットが三つ横並びしていた。この部屋に入るのは初めてのようであり何回も訪れているようでもあり判然としなかった。

 目の前に酸素マスクで顔の半分を覆っている人が横たわっていた。足元の点滴スタンドから輸液がポトンボトンどこかに落ちていた。小型のモニターが設置してあり波形や数字がめまぐるしく点滅していた。

 張り詰めた雰囲気に息を飲んだ。

「・・・・・うちのやつですな」と思わず看護婦に訊ねた。

「奥さんです。励ましてあげてください」

 昨日まで存在していた人には到底見えない人が、妻の安江であると思うしかなかった。

「先ほどお孫さんがお母さんを伴われて面会に来られました、今しがた帰られたとこです」

 何・・・・・こんな夜中に直也と足の悪い嫁が面会に来たとは。

 意味するものを熟考するまでもなかった。

 安江は間もなく死ぬんだ、死んだら楽になる。そう思った。

 竹夫は安江に語り掛けた。

「おいっ、もうええで、楽になり」

 看護婦が苦笑いして、もう一度「励ましてあげてください」と、言った。

 百二歳で寿命をまっとうしようとしている者に、励ますとはどういう意味だ。誰がどう見ても安江は間もなくあの世に渡りよる。死にゆく人間とは未練が残らないようにきっぱりと別れなければならない、そうでなければ亡霊に慄くことになる。と、竹夫は思った。

 当直のまだ二十代半ば見える若い看護婦は、竹夫さんをじっと見つめていた。妻の臨終を理解できているのだろうか、と心配している風だ。「おいっ、もうええで、楽になり」と、七十年間苦楽を共にしてきた妻に言うべき言葉なんだろうか。この人は、一般的なありきたりの惜別の感情を失っているのかもしれない。涙すら浮かんでいない。この姿が百歳を超えて妙所に入った人、あるいは人生を卓越した人、の姿なんだろうか。

 平和時に生まれ育った看護婦は院内で手当ての甲斐もなく命が尽きた死体を何体か見ている。それは納得しようと思えばできる死に方をした人だ。肉親は情感を昂ぶらせ涙を流した後に尽くした安堵感に救われてけじめをつける。竹夫さんは違った。涙を出さなかった。涙を流さなかったけれど違う方法でけじめをつけていた。竹夫さんには三年間の従軍体験がある。戦場で銃弾を撃ち込まれ、死を強制され、納得できない死に方をした無残な遺体に何度も接してきた。死とはこんなものだと割り切れるようになっていた。殺戮を体験した者の言動は平和時ではそぐわなかった。

 安江さんは三週間前から生と死の狭間に落ちて足掻いていた。食道が細くなって食物が通らなくなり、栄養を腕の血管から点滴で補給するようになった。その方法も一週間後には場所を足の股にある太い血管に切り替えなければならなくなった。しかし足の血管も受けつけなくなった。最後の手段として胃瘻が検討された。医師は保証人になっている直也さんに、その判断を求めた。直也さんは、そんなことまでして生きていても意味がないと言って拒んだ。

 そんなことがあって、安江さんは死ぬケアに専念するようになった。脱水症状になると苦し、という医師の計らいで、水分を補給するだけの日々を十日間ほど過ごした。そのうち心肺能力が低下して血液を全身に行き渡らすことができなくなった。足や手の先端から徐々に紫色になり黒ずむ。腐敗臭も発散するようになった。体温も徐々に下がってきたので毛布を体に巻き付けていた。排尿がなくなり腹部が腫れてきた。心臓が止まり目の瞳孔が開くまでこの状態が続いた。

 此の死に方は、いや死なせ方は命をもてあそんでいるように竹夫さんには映った。

 妻の安江さんに別れを告げ、自室に戻った。ベッドに身を伏せ天井に貼ってあるパネルを数え始めた。一つ二つ三つ・・・・・十八まで数えた。

 そうだこんなことをしている暇はない。

 ナースコールのボタンを押した。

 先ほど安江の最期に立ち会わせてくれた当直の看護婦が、「なんですか」と言って顔を出した。

「すまんけど明日家に帰るので外出着の用意しといてくれへんか」

「えっ・・・・・」

 あきれたような顔つきでまじまじと竹夫さんの顔を見た。

 竹夫さんは、腑に落ちなかった。なんかおかしなことを言ったんだろうか、安江の葬式をだすので帰りたい、と言ったのだが。

 場が白けたので取り繕うために、「窓のカーテン開けてくれへんか」と、頼んだ。

「真っ暗で何も見えませんよ」

「星が瞬いてますやろ」

 竹夫さんは窓越しに夜空を見あげた。かすかではあったが無数の星が瞬いていた。

 まるで異物を見ているような目付きで、まじまじと見詰めている看護婦に、「もうすぐ安江は星になりよる」と、答えた。

 看護婦はカーテンを開けて出て行ったので、暗い夜空を見上げていたら、残してきた家族の顔がちらちら脳裏に映った。

 竹夫さんには子供が三人いた。長男は跡を継ぐため家に残ったが、次男と長女は家を出て所帯を持った。俺が歳を取って足腰立たんようになったら、三人で力を合わせて面倒見てくれよるやろ、と期待していた。現在では三人とも入院するか自宅療養してる。みんな七十の後半か八十代やから両親の世話などできんようになってる。長男はひょっとしたら俺より先に死んでしまいよるかもしれん。俺は長生きしすぎたんや、と最近では思う。

 現在では身の回りの世話を孫に頼っている。ところが孫と子供とでは俺の扱い方が違うように思う。子供は親に育ててもらったので感謝しとるし言うことを聞き入れよる。長男が元気でいてくれたら、俺たちを施設に預けるようなことは絶対せえへんと言い切れる。孫は違う。感謝しとる相手は俺と違って長男夫婦や。自宅で死にたいと常々言っておいたのに聞いとらへん。おもちゃ買ったり小遣いやったり学費の補助までしてきた。今になって思えば、金で釣らんとあかんかった訳が分かるようになった。俺と孫の結びつきは親子の結びつきより浅いんや。育てると可愛がるは違うんや。


 孫の直也が突然姿を見せよった。晩飯終わって二時間経っていた。心地よい眠りに入っていた時、肩を叩いて起こしよった。

「お祖父ちゃん元気か。お祖母ちゃんのお葬式済ませた」

 悲しみに泣き崩れると思ったのか、それだけ言って様子を窺っておった。こっちはとっくに気構えを新たにしているのだ。

「お祖父ちゃんは独身だぞ、新しい嫁さん貰うからな」

 と、言ってやったら、

「ふん、口だけは達者やな、金を仰山持ってたらそれ目当てに耳傾ける女性が居ったかもしれんな」

 とへらへら笑いながらぬかしやがった。こいつとは噛み合わん。俺の心情を読むことがでけへんやつや。息子なら、お祖母ちゃんを失って寂しいと思うので、話し相手になるええ人探しとく、ぐらい言ってくれよる、言ってくれるだけでいいんやけどなあ。

「お父さんは母親の葬式をちゃんとやりおったか、入院していても親が死んだんや、外泊願いだしたら許可出る」

「父はそんな様態ではない。肝臓が悪化して黄疸が出ているので通夜にも葬式にも参列でけへんかった。お母さんは人工股関節を装着したので杖ついて外に出られるようになったけれど、てきぱき動き回るのは無理や。通夜と葬式を取り仕切ったんは僕や」

「そうかお父さんはそれほど悪いんか。お前は大変やな、手が掛かる者ばっかり抱えて、けど、一人減ったんや、少しは楽になるわ」

 どう答えてよいのか迷っとった。狼狽して目ん玉うろうろさせ、葬式の模様を語り始めよった。

「家で葬式したら後片づけが大変や、母があんな状態やしな。葬儀会館借りて済ませた。集まったんは十五人程や。昔は家の周りをシキビで飾って、親族や近所の知り合いを大勢招いて、酒だして、大々的に送り出したもんや。今はそんな葬式なんてどこもしとらへん。お坊さんに来てもらって読経してもらった後、火葬場まで送って行って骨にした。すぐに初七日をした。孫が集まって仕出し料理食べながら小さい頃おばあちゃんと遊んだ思い出話して偲んだ」

「そうか、酒も出さなかったんか、寂しい葬式やったな。親戚はみんな元気にしとったか」

「親戚言うても、お祖母ちゃんの兄妹はみんな死んでだあれも残ってへん。お祖父ちゃんの兄妹と一緒や。子供に当たる叔父さんも叔母さんも葬式に出てこられる達者な人はいない。施設に入っている人ばっかりになっている。動けるのはお祖父ちゃんから見たら孫世代(姪孫)になる。真人さんも来てくれた」

「安江は俺を残して先にあの世に渡りよった。一つ若いのにな」

「百歳になったとき記念に政府から表彰状と銀杯貰った。その時は、ひょっとしたらお祖父ちゃんと夫婦でギネスブックに載るかもしれんと話していたほど元気やった。それがわずかの間にこんなことになってしまった。せめてあと十年生きていてくれたら、山代の家はマスコミに取り上げられていたんやけどなあ」

「そんなことを期待してたんか。長寿夫婦を晒もんにするつもりやったんか。年寄りの気持ちが分かったらへん。ギネスに載るために長生きしてるのではない! そんなやつもおるそうやが周囲に煽られとるんや。安江は家に居た頃、温泉に行こうか、カラオケに行こうか、おいしいもん食べに行こうか、とか近所の婆さん連中集めてお茶飲みながらはしゃいでおった。余生を十分楽しんどった。この病棟に来てから急に元気がなくなった。知り合い居ないので話し相手はお祖父ちゃんだけになった。般若心経唱えてその中に閉じこもりよった。あの世に渡る足を速めるために此処に来たようなもんや。お祖父ちゃんもおんなじや。毎日天井のパネルを数えて過ごしているんや。家に居たら盆栽の手入れができたんや。皐を枯らしてへんやろな。枯らしたら承知せえへんぞ!」

 この病棟に放り込んで、生甲斐をもぎ取った処遇に不満を露わにした。

「お祖母ちゃんみたいに毎日般若心経を唱えて日々を心を安らかに過ごす気はないんかいな。なんか変な理屈こねたり、こ難しいごったくばかり並べてるけど」

「お祖父ちゃんは線香臭いことは嫌いや、仏の助けを借りてあの世に渡ろうとは思わん。生まれてきたときも一人やった、死ぬときも一人や。覚悟できてるさかい別に世話してくれんでもええで。お前はお父さんの世話をしておればよい」

「またそんなこと言う。長い間一緒に住んでたんや。おもちゃや文房具などいろんなもの買ってもらった、夏休みには海水浴や山登りに連れて行ってもらった、学資も出してもらった。忘れてへんで」

「お前に恩を着せるために物を買って与えたり遊びに連れて行ったんではない。お祖父ちゃんが勝手にしたことや。安江の始末をさせて悪かったな。俺がしなければならんことやった。葬式出すために家に帰る心構えはしとったんや。けどな、看護婦が外出許可を出してくれよらへんので仕方なかった。安江には悪いことした。お前は俺にかまわんとお父さんの世話をしとれ」

「それじゃ帰るわ」

 座っていたパイプ椅子をバタンと高い音を立ててたたみ、壁に立てかけ、振り返ることもなく部屋を出て行った。仕事は忙しい、時間を都合して訪ねてきてもこんなとげとげしい雰囲気の中で帰らなければならない。その理由は分かっている。散々嫌味言ったからな。祖母の葬式でも気にくわなかったと見える。なんで俺を家に戻して喪主としての務めをさせなかったのだ、なぜそのように図ってくれなんだ。俺は安江の夫なんだ。葬式を仕切って大々的にあの世に送ってやりたかった。と憤懣露わにしているのだ。できもしないことをできるように妄想するのはいい加減にしてもらいたい。

 竹夫は違う次元で考えていた。もっとお祖父ちゃんを敬え。最も年長者のお祖父ちゃんが山代家の家長なんだ。何か問題が起こったらまず俺に相談しろ。お前の父親はちゃんとそのようにしておった。除け者扱いにしなかった。お前がその気になれば噛み合わせはできるのだ。

 直也が帰った後、天井見上げてパネルを十八まで数えた。ナースコールのボタンを押そうとして、何を頼みたかったのか用件を忘れてしまい、握ったまま眠りに入った。

 

 このところ病棟がやけに静かだ。まるで深い森の中に隔離されたようだ。面会者がパタッと来なくなったその代わりに、看護婦がしきりに入ってきて消毒しに来よる。部屋の入り口のドアノブやベッドの手すりやサイドテーブルをこまめに拭いてまわりよる。伝染病でも発生したんかな。

 ガタンガタン、床を擦る大きな機械音がした。

「内田さん。消毒しますので廊下に出てもらいます」

 なんと、俺を消毒するのか。ごつごつした完全防御服を着た看護婦が車椅子に乗せよった。このロボットみたいな格好では胸を触る気になれへん。

 廊下で天井を見上げた。

「あれっ、なんか走りよった。猿と違うか。慌ててナースコール押そうとして枕もとをまさぐったがなかった。

「あれっ、水が流れている。瞬いたら消えた。

「終わりました。お部屋に戻りますよ」

 部屋に入ったら消毒液の臭いが充満していた。嗅ぎながらうとうとと眠りに入った。

 夕食の時間に起こされた。

 竹夫さんは自分でお箸が使えるので、同室者四人の中で一番早く食べ終える。

 さっとベッドに横になる。とろとろと眠りに入る。

 眠っていたら、遠くから進撃してくる戦車のキャタピラの音を聞いた。途端に部隊長の怒鳴り声を聞いた。

「こらっ、下がるな! 踏みとどまれ」

 石礫が後方から飛んできた。イギリスやインド軍は戦車を前面に出して機関銃をバンバン撃ちながら進撃してきよる。三八式歩兵銃では対抗できひん。相手が打ちやめよるまで匍匐してじっと耐えているんや。敵の銃声が止まったら傷病兵の収容に走り回るんや。手足を吹き飛ばされ悶えとるやつが何人もおった。息さえしておれば、雑木を切って作った急造の担架に乗せて後方に退いた。

「お母あちゃーん、お母あちゃーん、腹に貫通弾受けた新兵は子供のようにもがきながら息を引き取りよった。

「置き去りにせんと連れて行ってくれー」足を銃撃されて棒につかまり引きずりながら退却しとったやつは最後にみんなについていけなくなって泣いとった。

 みんな精いっぱい体張って生きていた。あの頃は明日があるようで無いようで、一番有意義な時間は冗談言い合っている今やった。こんな病院から脱出して時空を遡りもう一遍ビルマに行きたい。同じ死ぬんやったらあそこで死ぬべきやった。

 蒲団を手繰りこそこそと眠りに入った。竹夫さんの一日が終わった。

 翌朝、「ご飯ですよ」の声にビクッと反応した。

 鼓膜がとらえた言葉の意味を脳が瞬時に訳してパチッと目を開けさせた。飯の時間に遅れてはなるもんか、とガバッと起き上がろうとしたが体が動かない。野営のテントの中で目覚めたはずだったが視界に天井のパネルが目に映って此処は病院だと悟り竦んだ。

 いつまでこんな不本意な生き方しているんやろ。

 朝食が終わったところで何をしようとしていたのかやっと思い出しナースコールのボタン押した。

「便箋とペン持ってきてくれへんか」

 A4版のコピー用紙一枚を前にして、ボールペンを握り、文字を探していた時、飼い犬のタローの顔がポッと頭に浮かんだ。餌ちゃんと貰っとるやろか、散歩に連れて行ってもらっとるやろか、そうや、枕もとのサイドテーブルに写真が飾ってあるな。

「ウン」

 在りし日のタローと書いてある。

 その横に皐の鉢植えの写真が飾ってある。品評会に出して入賞した時の写真や。平成三十年四月五日となっている。何年前になるんかいな、今日の日付が頭に浮かんでこないので逆算できなかった。

 またナースコールのボタン押した。

「平成三十年は今から何年前でしたかいな」

「えーと、今は令和二年ですから二年前になります」

 令和? そんな年号に変わってるのか。天皇は崩御されて代替りしたんや。(実際は崩御されたのではない)

 ボールペンを握りなおそうとしてポロッと床に落とした。

 またナースコールのボタン押した。

「おしっこ」

 感心なことに百三歳にして男子トイレで用を足すことができた、後ろから支えてもらわなければ腰の力が失せているので用を足しながらしゃがみこんでしまう。一人では無理だった。しょっちゅうお漏らしするので紙パンツを穿いている。

 トイレから戻ってきて、「ボールペンがない」と言って拾ってもらった。落としたミスをごまかした。こういう要領も利かすことができる。

「紙、真っ白ですね、まだ遺言状書けませんか?」

 それを聞いて何をしようとしていたのか思い出した。文字がなかなか浮かんでこないはずだ。さて・・・・・と気持ちを改めた、が今度は息子の名前が浮かんでこない。孫の直也の名前は出てくるのに、ああ、じれったい、イライラして眉間にしわを寄せウンウン唸った。

 看護婦が呼びもしないのにニコニコしながら入ってきよった。俺に気があるのかな。

「体温測ります。あれっ、何をしてたんですか内田さん、まだ書けませんの。字を忘れたんですか」

 と、馬鹿にしたように言いながら体温計を腋に挟みよった。

 癪に障ったので仕返ししてやろうと思った。

「ちょっと教えてほしいね」

「何ですか」

「なにをしょうとしてたんか、教えてほしいね」

「・・・・・」

「あんた、別嬪やし、ちょっとだけでええし」

 胸に伸ばした手の甲をビシッと叩かれた。

 竹夫さんは時折顔面を崩して口元をだらしなく開けて眠っているときがある。舌をべロンと出しているときもある。こんな時は脳が幼いころの思い出にどっぷりつかっているときだ。

「青大将がいるぞ、捕まえろ」

 尋常小学校の帰り道で見つけた蛇を追い回し尻尾をつかんでぶんぶん振り回した。後方の女子の集団に放り投げたら大騒動になった。この場面を思い出したときニタニタと顔面を緩ませた。

「オイっ、鶏が卵生んどる」

 周囲を窺い道沿いの鶏舎に忍び込んで嘴で突かれながら一個盗んだ。この場面では目ん玉がキョロキョロと動いた。

「牛がおる、美味そうに草食べとる。尻尾摑んだろか」

 掴むだけだったつもりが、ぐっと引っ張ってしまった。怒った牛に追いかけられてハアハア息弾ませ納屋に飛び込んだ。藁を積み上げた薄暗い中で男と女の悲鳴を聞いて慌てて外に出た。おさよ姉さんはこんなとこで何をしてたんや。この場面ではニアッと口元をだらしなくほころばせた。

 唱歌を思いだした。

「白地に赤く日の丸染めて・・・・・」

「桃太郎さん桃太郎さん・・・・・」

 両親と別れ、七人いた兄妹と別れ、思い出を残した幼馴染と別れ、苦労して育てた子供三人はみんな床に伏し、一緒に口ずさんでくれる者はだれ一人いない。この場面では瞼に涙をにじませた。

 カチャ、カチャ、ガタン、廊下で物音がした。

 目を覚ましたら天井のパネルが飛び込んできた。

「ウン、撓んでいる。落ちてくる」

 ナースコールのボタンを必死に押した。

「今度は何ですか」

 廊下で食事の配膳の用意をしていた看護婦が聞きつけてトレーを持って入ってきた。

「天井が落ちてくる」

「大丈夫です、何ともありません」

「あんた別嬪さんやけど目は悪いな」

「目に涙が浮いてますので歪んで見えたのと違いますか、テシュで拭きます。お昼の食事ですのでベッドを起こします。よく噛んで慌てず食べるんですよ。誤嚥したら息ができなくなって死んでしまいますよ」

「ヘイ」

 ベッドサイドテーブルにトレーがトンと置かれた。

 人参と里芋の煮つけ、炒り卵、あんかけ豆腐、デザートにプリン、ご飯はおかゆを固めたようなものだ。

 竹夫さんは出されたものすべてを、あっという間にがさがさと胃に落とした。物足りなくて他の人の口元をじっと見つめている。

 トレーを引き上げた後に本日の朝刊が届いた。希望者だけに順繰りに回ってくるのだ。竹夫はテレビを見ないので世間の情報を知る唯一の手段である。

 〈嘱託殺人の疑いで医師二人を逮捕〉

 委託した女は五十一歳か、戦争体験してへんな。平和な時代をなんで精いっぱい生きようとせえへんね。難病を患っていたらしいがそんなこと理由になるか。健常者でも歳重ねたら俺みたいに体が意のままに動かんようになる。気持ちの持ちようや。兵隊にとられて殺されたやつを見てみろ。カーと目を開いて天に向かって、助けてくれー とあらん限りの声を張り上げ、死を拒絶し生きることに執着しとった。あの世に渡ったそいつが聞いたら怒りよるで。誰のために命をささげたと思っているね。お国のためということは国民繁栄の犠牲になれということや。犠牲になって守り育てたはずの子供たちは大きくなったらこの体たらくか。こんなことでは俺の魂は報われん、と。

 竹夫さんは戦地で死んでいてもおかしくない状況下で辛くも生き残った。そのために死の領域から命を拾いあげたように思う時がある。自宅で百歳の長寿を祝ってもらったときは子や孫や玄孫を前にして喜色満面で演説をぶった。

「戦地で死んだ戦友の魂がお祖父ちゃんに乗り移っているんや、背嚢に二十六人分の魂を頂いて帰ってきたんや。(二十六体の遺骨を預かって帰ってきた)その分まで生きるぞ、そのつもりしておれ!」

 僅か三年前の話である。その頃と比べて今では状況ががらりと変わった。施設に身を置いていては何にもでけへん。妻の葬式さえ出してやれへん。毎日毎日天井のネルの枚数数えているようでは戦友に申し訳が立たん。銃を握ってお国のために死によったもんと比べたら生きている意味がない。


 季節は梅雨末期を迎え連日雨が続いていた。その中で安江さんの百か日法要が営なまれた。竹夫さんはかなり耄碌してきた。介護しているスタッフも直也さんも、百三歳ともなればこんなものだと思って、気にかけていなかったのだが、体調に異変が生じていた。

 主治医が直也さんを呼び出した。

「咳と微熱が続くようになりましたのでレントゲン撮影しましたところ肺に炎症が見つかりました」

 頭の禿げあがった五十がらみのでっぷり太った主治医は竹夫さんが肺炎に罹っていることを告げた。

「このパソコンの画面をご覧になってください、竹夫さんの肺です。左右の下部がぼんやりしていますね、炎症しているのです。昨日から抗生物質を投与しています」

 高齢者が肺炎に罹ったら死に繋がる。直也は訊ねた。

「風邪でも引いたのですかね?」

「多分誤嚥で食物の一部が肺に入ったのだと思います」

 病室を覗くと、点滴で抗生物質が投与されていた。息遣いも普段より荒くぜーぜーと音を発していた。

「お祖父ちゃん、息苦しいか? 抗生物質を体に入れているから二三日経ったら楽になる」

「何の病気や?」

「軽い肺炎やて」

「そうか」と言って一旦目を瞑った。

 息遣いは荒いものの死が迫っているような緊迫感はなかった。喋り方や態度に生きているゆとりがあった。

「親しい人に連絡しとくわ」

「そんなことせんでもええ、知らんふりしとれ。お父さんには知らせて頑張れと言うとけ」

 それだけ言ってニヤッと笑った。

「・・・・・直也、握り寿司食わしてくれ」

「握り寿司?」

「そうや、中トロの味が忘れられへん。一生の最後のわがままや」

 今なんで中トロなんだ。

 お祖父ちゃんが込み入った話をするときは、よく聞いていないと言い分をはき違える。「一生の最後のわがままや」を、考えた。

 そうか、病気が重篤なのかどうか確認したのだな、と気づいた。

「買いに行くのは面倒くさい、ついでがあったら買っとく、それでええやろ」

 あっさり頷いた。

 お祖父ちゃんは「知らんふりしとれ。お前はお父さんの世話をしとれ」と、言ったことについても考えた。しかし遠慮して言ったようではないことぐらいしかわからなかった。

 気にしながら一週間たった。入院費の支払いで訪れた時七階の病棟に立ち寄った。

「もう点滴してへんな。顔色が艶々しているわ」

「お祖父ちゃんは肺炎を蹴飛ばしたった。お父さんも黄疸を蹴飛ばさんとあかん。元気にしとるか?」

「何とか元気に過ごしている、黄疸が頻繁に出るようになったけど」

「物不足で、闇で仕入れた物を食って育っとるから土台が弱い、気をつけてんとあっさり逝っきょるぞ」

「そんなことはないと思うけど日増しに悪くなっているように思う。もう定年退職しているからのんびり養生してくれたらそれでええんや」

 お祖父ちゃんは表情を曇らせた。

 父親の様子を聞き出したなと気づいた。

 竹夫さんは直也が帰った後、長い間考え事していた。

 翌朝、朝食で起こされた。

 ほとんど食べなかった。

「あれ、内田さんどうしたんです。食べ残していますね、こんな事初めてですね」

「美味しくありまへん」

「へー、なんでやろ、お腹痛いですか? それとも熱が出ているのかな」

「痛いことありまへん。熱も出ていそうにありまへん」

 三日後、主治医が再び直也さんを呼び出した。

「竹夫さんの肺の映像を見てください。きれいですね、肺炎は完治しました。今日お越しいただいたのはこの問題ではありません。食事が不味いと言って食べられなくなりました。カメラで胃と腸を検査しましたが異状はありませんでした。この映像を見てください。ピンク色のキレイな胃壁と腸壁が映っていますね。熱もありませんので食欲減退は精神的な要因なのかと思っています」

「精神心的な要因だとすれば、連れ合いをなくしましたので、影響受けているのかもしれません」

「そこなんです。おっしゃる通り、この間奥さんを亡くされました、長年連れ添ってきた相手を失いますと、気持ちの張りがプツンと切れて、生きる意欲をなくさる方が多いです。お家に引き取られて環境を変えてあげれば元気になられるかもしれません」

 直也さんは困った。家の事情が改善していないので引き取るとは言えなかった。

 医師との面談を終えて、現在のお祖父ちゃんの様子を父親に知らせておくべきだと思った。私鉄の駅二つ離れたところの肝臓専門病院を訪れた。お祖父ちゃんも知らせておけと言っていたがまだだった。

 玄関ドアに張り紙がしてあった。

(面会禁止。どうしても面会が必要であれば受付で許可を得てください。その節はマスクをかけて部屋の入り口に消毒液を置いていますので手を消毒して、検温して三十七度以下であれば病室にお入りください。面会時間は五分です)

 免疫力の落ちた患者がコロナウイルスに罹ればどうなるかぐらいは理解できた。しかし本日訪れた要件は本人にとって重要である。受付で理由を語ったら、五分間だけどうぞ、と言って許可してくれた。マスクをかけ、検温して36、3度だったので部屋に入ることができた。

 今日は黄疸がひどくて白目も顔も黄色に染まっていた。肝硬変になっているのでこの症状が続けばかなり危険である。医療の手は尽くしたので神に頼むしかなかった。

「お祖父ちゃんな、食事が摂れなくなった」

「そうか、そんな状態になってしまったか、歳が歳だけに心配や」と言って一旦区切ってから奮い立つように、「あの歳までよう頑張った。お父さんも頑張らあかん」と拳を力強く握って鼓舞した。

 直也さんはぜひとも父に言っておきたいことがあった。訪れた目的は単に祖父の様態を報告するだけではなかった。お祖父ちゃんには魂胆があるのだ。しかし黄疸の症状を目の当たりにして喉から出かかっていた言葉を飲み込んだ。生きることを強制するのは酷いと思ってどうしても言いだせなかった。

 お祖父ちゃんが食欲不振に落ちたことを父親と母親だけに報告した。真人などの甥や姪には知らせなかった。姉弟にも黙っていた。どうせ連絡してもお見舞いに行けないのだと時世をこじつけた。

 主治医からまた呼び出された。

 受付は様変わりしていた。対面する受付係員との間には透明の薄いシートが張られていて喋る際唾液の飛沫が相手に降りかかるのを防ぐようになっていた。下の方に隙間が作ってあって、書類など必要なものをやり取りできるようになっていた。その隙間から白い腕がにゅっと出てきた。こめかみあたりにドライヤーを小さくしたような非接触型検温器でレーザーを照射し体温を測定した。訪問者カードに測定した体温と体調を記入することになっている。かなり厳重である。マスクをしていない方は来院お断り、の張り紙もしてあった。

 医師の顔が曇っていた。

「竹夫さんは食事を完全に断たれました。栄養剤の点滴も拒否なさっています。水分も摂られません。理由を訊ねましたところ『不味い、必要ない、飲みたくない』とかおっしゃって首を振られるだけです。何度も説得しましたが駄目でした。ご家族の方に説得していただくしかありません」

 許可を受けて直也は病室に入った。

「お祖父ちゃん、元気か?」

「ちょっとも悪いとこない、お父さんはどうや」

「頻繁に黄疸が出ている、元気を作り出して見せてくれるが苦しそうやった」

「そうか・・・・・」

「お祖父ちゃん、ご飯食べんようになったんか?」

「誰がそんなこと言うとるね。心配せんでもちゃんと食べてる。食べへんかったら死ぬ。心配せんと直也はお父さんの世話をしてたらよい」

「先生がご飯食べないので困ってるで」

「いいや、ちゃんと食べてる。お祖父ちゃんの言っていることを信用してたらよい。それとも先生の言っていることを信用するのか。お祖父ちゃんは元気や」

「なんで僕に嘘つくね」

「嘘なんかつくもんか、本当のことを言っているんや」

 直也はしらばくれるのでイライラしてきた。

「何のためにハンガーストライキしてるね。腹立つこともあるやろけど家の状態を分かってくれよ」

「お祖父ちゃんは大丈夫や、お前はお父さんの世話をしておれ」、を繰り返し取り付く島がなかった。

 お祖父ちゃんは一旦言い出したら頑として所見を曲げず押し通す。

 しかしなんか腑に落ちない。これまで何の目的もなく意固地になったことはなかった。目的は家に帰りたい以外に別なところにあるように思った。

 竹夫さんは口を噤んで直也の様子を窺っていた。

 こいつはまだ俺の心底を分かっとらへん。しかし病気ではなくハンガーストライキをしていると察することはできるようになりよった。もうすぐ俺を読み取るようになりよるやろ、もうちょっとや、多分間に合うやろ。

 主治医がまたまた呼び出した。

「困っています。食を断たれて栄養補給の点滴も拒まれて、どうしようもなくなりました。意志が頑強な方ですから我々の意見など聞いてもらえません。奥さんの時のように臨柊になっても酸素マスクをつけさせてもらえないと思います。どうぞ面会してください。最期の機会になるかもしれません」

 お祖父ちゃんは直也の顔を見ていきなり、

「もう成り行きに任せているわけにはいかなくなった。強硬手段をとることに決めた。お前の将来を摘むのは忍びない」

 と、弱々しいかすれた声で言って、口を真一文字に結んだ。

 生きる意味を捨て死ぬ意味を選んだのだと思った。

 直也さんはお祖父ちゃんの決意が伝わってきていつまでも嗚咽していた。


 真人はこの話を竹夫さんが亡くなって、初七日の会席の場で直也さんから聞いた。老いは必ずやってくる。死に際を教えて、竹夫さんは去ったと思った。

                                    完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

道を歩みすぎた人 佐倉活彦 @sakurawarudo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ