07話.[それでいいけど]

「莉月ちゃーん?」

「あ、どうしたのよ?」


 まだ夏休みなのにこんな朝早く起こされるのは少し微妙だ。

 どうせやることもないからせめてお昼頃まで寝ていたかったんだけど……。


「お買い物に付き合ってくれないかな?」

「あ、ごめん、あんまり動きたくなくて」

「そ、そっか、じゃ、私だけで行ってくる――」

「……分かった、行くよ」


 朝早くとか思っていたけどもう9時だった。

 ただの食料販売店であれば既に開いているから早めに行ってしまおうと考えたのだろう。

 もう9月に近いけどお昼は暑くなるしね、いまは汗をあんまりかきたくないからいま連れ出されるのがあたし的にも1番だ。


「まだまだ暑いね」

「そうね、でも、冬にもなってほしくもないわ」

「寒いとお布団から出られなくなるからね」


 行きは至って平和だった。

 そりゃあんだけ言っておいて結局顔を出すなんて兄はしない。

 今度こそ本気で見限ったことになる、それでいいけど。


「今日の夜ご飯はお鍋にしますっ」

「そういえばこの前の食べられなかったわ」

「呼んだのに帰ってこないのが悪いんですっ」

「え? 呼ばれていないわよ?」

「え? ちゃんと送ったよ? 家族のグループで」


 慌てて確認してみたら何故か抜けていた。

 兄のは登録解除したけど家族のはしていないのにどうして……。


「悟くんも来てくれるといいけど」

「ま、お母さんが誘ったら来るんじゃない?」

「でも、この前は無視されちゃったからね」


 と、とにかく、いまはとりあえず食材を買って帰ることに集中しておけばいい。

 まあでも、自立できているわけだから最悪いなくてもいいのではないだろうか。

 じゃ、お前も食うなよってことならお鍋ぐらいは我慢してあげよう。

 この前のだってどうせ食べられなかったんだからなくなって死にはしないし。


「こ、今度はこんなに!?」

「冷蔵庫を新しくしたからいっぱい入れられるからね、それに莉月ちゃんはいっぱい食べるからいっぱい買っておかないとね」

「あ……迷惑なら控えるけど」

「気にしないで食べなさい、頑張って帰ろっか」

「そうね」


 この前のより断然重い。

 今度は母も持ってくれているからマシなように見えて、実はそうじゃない。

 寧ろそれをしてやっと、前回のより少し重いぐらいで済んでいるという感じだ。

 車で買い物に来られる人が羨ましかった、そういう移動手段を利用できれば店内から車内へと、車内から屋内へと運ぶだけでいいから。


「ちょ、お母さんっ?」

「はぁ、はぁ、私は休憩しないと無理ぃ……」

「分かった、5分ぐらいここで休憩していこう」


 幸い、足を止めたところは日陰だった。

 ……お前は日陰者だって言われている気分になるけど気にせずにおく。


「あれ? 悟くんだ」


 見てみたら確かにこっちに歩いてきている兄が。

 あたしは卵やお肉が入っているのをいいことに先に帰ると言って歩き出した。


「なにやってるの?」


 これを見て買い物の帰りだと分からないのであれば病院に行った方がいい、眼科とか脳外科とかにね。

 

「待ってー……」

「あ、母さん手伝うよ」

「ありがとぉ、莉月ちゃんと悟くんがいてくれて良かった!」

「あいつは使えないけどね」

「え……? さ、悟くん?」

「甘やかさない方がいいよ、あんな馬鹿に優しくしたところでいいことなんかなにもないんだからさ」


 待て、どうしてあたしは足を止めていたのか。

 早く帰ろう、貴重な卵やお肉が悪くなってしまう。

 兄はあたしを追い詰めるためにしているんだろうけど、あたしにとってはいい効果にしかなっていない。

 迷惑そうな顔をされたら逆にもっとさせてやるとなるのが自分だからね。

 なにがあっても死んでなんかやるか馬鹿。


「ちょ……、どうしてそんな」

「今回ので分かったんだよ、だって実の兄である僕を好きになっていたんだよ? しかもおかしいと感じることもなくずっとね」

「私は知っていたけど……」

「そうなんだ、じゃあ親としてやめろって言ってよ、うざくてしょうがない」


 なんでこんなネガティブなことに関しては耳がいいのか。

 もっと気持ち良くなれることを聞きたいものだ、あたしがいてくれて良かったとかね。

 ……静香なら言ってくれるかな? いや、ないか、いまは新田に集中しているからねえ。


「悟くんらしくないよ、いつも莉月ちゃんの側に進んでいたのは悟くんでしょ!」


 なんか静香が怒っているかのようだった。

 実際はあたし達の母親で、怒りよりも悲しみの方が多いのかもしれないけど。


「もういいよ、貸して」


 と言うよりも半ば奪うようにして全てを自分が持った。

 このままだと食材が悪くなる、さすがにこれは表に出しすぎだ。

 21歳なら思っていても少なくとも母の前で出すなよ。

 あたしに言いたいならいくらでも言っていいから、前みたいに死のうとしないで向き合ってやるから壊すな。

 家の中に入ったら食材を入れるのは母に任せて兄と向き合った。


「なんのつもり?」

「お前が原因なのに僕が悪者みたいな感じで言うんだね」

「少なくともお母さんの前でするのは悪者としか言いようがないわ」


 唐突に壁に押さえつけられて苦しくなったけど問題はない。

 あの水に潜っていたときよりもマシだ、そのまま真っ直ぐに兄を睨んでおく。


「むかつく」

「こんなことをしても解決しないわよ」

「……なんで捨ててくれないんだよ」

「あのねえ、好きになっている状態でその人が近くにいたら無理よ、悟だって好きな人ができれば分かるわよ」


 兄はこちらを押さえつけるのをやめて力なく廊下に座った。

 あたしも隣に座って目の前の壁を見つめて。


「ごめん……」

「ごめんって思っていないならごめんなんて言わないで」

「……なんで今回に限って普通なの?」

「だって悟は嫌ってくれたでしょ? あたしの理想というか目標通りになったじゃない」


 自分から離れろと言ってくれたじゃない。

 どれだけありがたいか、これまでみたいに来いって言われていたらいつまでも捨てられないからさ。


「嫌いになんてなれないよ」

「でも、あれだけ露骨に態度に出されれば嫌でも分かるわよ」

「違う……全部違うんだよ」


 どう違うのかを教えてくれないと所詮馬鹿だから分からない。

 ま、テストはともかくとして、一般常識の方はあんまり分かっていなくて馬鹿だと思っていたから指摘されてもそうだねとしか言えない。


「だって、ひとり暮らしを選んだ理由は莉月と離れるためにだったんだ」

「ならいいじゃない、離れられたでしょ?」

「違うっ、違うよっ」


 いやだからどう違うのか言いなさいよ。

 まったく、年上としてもっとしっかりしていていもらいたい。

 

「とにかくごめん、今日はもう帰るよ」

「あ、今日はお鍋なのよ、悟も食べて」

「え、そうなの? あ……いやでも、食べ物に釣られて残るなんて……」

「なんで? 悟も家族じゃない、違うのなら一緒に食べればいいでしょ?」


 自分だけ逃げるなんて許さない。

 こっちがしようとしたら毎回言葉で刺してきたじゃないか。

 だからここで逃がすつもりは毛頭なかった、意地でも居残らせてやると思っていた。


「……分かった、この前のことを母さんに謝罪しなければならないから行ってくるね」

「うん、じゃああたしは部屋にいるから」


 部屋に戻ったらベッドにダイブして落ち着かせた。

 そもそもの理由があたしと離れるためだったなんてと少しがっかりしている。

 なのに呑気に高校からはあそこに住んで登校しようとするなんて馬鹿だ。

 ……苦しめていたのか、常に我慢させ続けてしまったのか?

 それなのに馬鹿だなあ、優しい兄なら受け入れてくれるって考えてしまっていた。

 そりゃ馬鹿だお前だって言いたくなるよね。

 でも、言ってくれないと分からないよ、来てくれて嬉しいなんて言われたらそのまま弱い心が信じてしまうのだ。

 この点に関しては兄も悪い、完璧にこっちだけが悪いだなんて言うつもりはない。


「はぁ、憂鬱」


 痛いことも苦しくなることもしたくないからなにもできなくて大変だけど、ね。




「美味しかったわね」

「そうだね……」


 はぁ、先程からずっとこんな調子だ。

 下で両親と一緒にお鍋を囲んでいるときは明るかった、演技臭かったけど。

 なのに2階に戻ってからはずっとこんな感じで、そのくせ、家に帰ろうともしないのだ。

 馬鹿だお前だと言ったり違うって言ったり忙しい人だった。


「帰らないの?」

「莉月に言いたいことがあるんだ」

「またお前って? 別に兄ならいいんじゃないの?」


 静香には年上の従兄弟がいるけど、その人からお前って呼ばれていた。

 だから兄があたしのことをお前と言おうが別に構わない、あたしだってあんたって1度は呼んだことになるのだから余計に。


「それに、馬鹿だと言われても傷つかないわよ?」


 最近は新田から真顔でよく言われているから耐性ができていた。

 あれだけ言われればいちいち傷ついている場合ではなくなってくるのだ。


「違う、僕が実家から離れることにした理由だよ」

「あたしが嫌だったんでしょ? 普通の理由じゃない、あたしでも家族の中に嫌な人間がいたらそうするわよ。もっとも、バイト禁止の高校だからひとり暮らしはできなかっただろうけどね」


 その場合は卒業したらバイトをしてすぐに出ようと考えていたと思う。

 それか逆になんだとこのと意地を張ってい続けてやるかもしれない。

 進んで迷惑をかけるというわけではなく、家族としてびくびくせずに居座るという感じで。


「正直に言うけど、莉月が僕とよく一緒にいてくれたからだよ、対両親のときよりも遥かに楽しそうに『お兄ちゃん』って言って近づいて来てくれるのが理由だった」

「つまり、嫌だったということよね?」

「違う、甘えてくれる莉月に良くない感情を抱きかけたから逃げたんだ」


 良くない感情ってキスしたいとかそういうこと?

 それとも、異性として意識してしまったとか?


「莉月は何度も好きだって言ってくれたよね」

「そうね、両親のことも好きだったけど悟といられるのが1番だったから――あ、それを本気にしてしまったということ?」

「……意地が悪いね」


 難しいのは本当に好きになってからは好きだと言えなくなること。

 事実、あたしは自覚した中学1年生の頃から高校2年の夏現在まで好きだって言えなかったわけだから。

 別に悪いと言うつもりはないけど、その空白期間のせいで兄も不安になってしまったのかななんて考えてみた。


「明日バイトは?」

「あるよ、10時からね」

「それなら早く帰って寝なさいよ、出勤まではある程度時間があるけどあんまり寝られていないと疲れるでしょ?」


 夕方頃まで働くわけなんだからちゃんと食べて、ちゃんと寝なくては駄目だ。

 自分が倒れたりなんらかの理由で抜けることになったら迷惑をかけてしまうから。


「今日はこの家で寝るよ」

「それならお風呂に入ってきたらどう? うつむいているよりいいでしょ」

「来てほしい」

「え、い、一緒には入れないわよ?」

「洗面所にいてくれればいいから」


 ま、損するわけではないからいいか。

 着替えを持って洗面所に移動する。


「あのさ、僕があれだけ偉そうに言ってもその……」

「毎回毎回、実家に帰るときは捨てるしかないとか考えているけど無理ね」

「馬鹿だよね、高校生になったきみを家に住ませ始めたんだから、中学時代とは違って成長した莉月をだよ?」


 ちゃんと成長しているのだろうか。

 見た目とか逆に劣化していないだろうか、運動だってあんまりしないようになってしまったわけなんだからその可能性はありそうだ。


「もっと可愛くなった」

「は? さすがにそれはないわよ」


 好きな人が相手でもお世辞を言われたくなかった。

 普通に指摘してくれればいい、直したりした方がいいところを。


「もしそうなら新田があたしに惚れてるはずよ」

「莉月が僕に好きだと言わなければ告白されていたよ」

「ないない、だって新田はいま可愛げのある静香に集中しているじゃない」

「いや、聞いていたから、莉月のことが本当は好きなんだってね」


 いまとなっては兄は少なくともあたしの前では嘘をつかない、とは思えない。

 けど、新田のことで嘘をついたところで兄にとってメリットはないわけだ。

 だってあたしがそれを信じて行動したら兄の気持ちは無駄になってしまうのだから。


「僕や莉月と違って諦めたんだよ、そうしたら次へと動くしかないでしょ?」

「ま、確かになんでそこまでしてくれるのかという行為は多かったわよね」


 わざわざ付いてきて水中から引っ張り出したりとか、馬鹿と言いつつもなんだかんだで気にしてくれているところとか、なんか分かられているところとか、結構多かった。


「莉月、また家に――」

「どうせ同じ繰り返しになるわよ」


 短期間で帰ったり行ったりを繰り返しすぎだ、これ以上母に心配はかけられない。

 午前のあれをまだ気にしているだろうからちょっと側にいてあげたかった。


「前とは違うよ、だって莉月が望むことのようになるんだから」

「悟は何度もそれを拒んでくれたのよ? 悟から言われるのが1番嫌だった、家族として簡単に仲良くできるとか言われるのがね」

「もう言わないよ、……あれだけ言っても僕のことが好きなんでしょ? 血の繋がった兄妹同士で付き合うというのは大変だろうからそれぐらいじゃないと無理だって思ったんだよ」

「え、じゃあ試したってこと?」

「……何度も拒んでおけば僕も捨てられると思ったんだ」


 でも、結局のところはあたしは捨てられなかったことになる。

 本当に口先だけの女で申し訳ない、そのせいで兄も変な感じになっちゃったわけだし。


「あたしが悟のことを好きなのはお母さんは知っているわよ」

「僕が莉月のことを好きでいるのも母さんは知ってるよ」


 よく母はばらすことをしなかったと思う。

 なかなかできることじゃない、少なくともあたしが兄を好きになっていると分かった時点で実はね――となる可能性がありそうなのに、母はそれを一切しなかった。

 口の堅さというのは大切だ、自分の言ったことが全て筒抜けだったりすると困るからね。

 別に他人に聞かれて困るようなことを言っているつもりはないけど、その情報で嫌な思いをする人はいるかもしれないから留めておいてくれれば1番だと考えるかな。


「莉月」

「い、いま言っても雰囲気が良くないじゃない、片方は入浴中だし」

「違うよ、ここまできたら勢いで告白なんかしない」


 そうだ、このままされても困る。

 いざ実際にこうなると別の意味で引っかかるんだなあと初めて分かった。

 だって視野を狭めてしまっているだけだし、だけど、断ったらそれこそ兄の時間をずっと奪ってしまったのに無責任ということになってしまう。


「今度こそ嫌な気持ちにはさせないから家に戻ってきてくれないかな」

「でも、なにもできないのよ? お金だって払えるわけでもないし」

「莉月がいてくれるだけで嬉しいと言ったのは本心からだよ」

「……また同じようになったらお前とか言うの?」

「同じようにはさせない」


 少なくともいまする話ではないから部屋に行っていると言って洗面所を出た。

 ベッドに転んで布団をかぶる。


「なんだろう」


 嬉しいはずなのに嬉しくないというか……。


「莉月、入るよ?」

「うん」


 部屋に入ってきた兄は怖い顔をしているわけでもなく普通だった。

 床に座ってこっちを見てきて、あたしもベッドの上にちゃんと座った。


「最近はごめん、諦めさせるためとはいえ酷なことを言ったよね」

「そうね、悟のことを好きなあたしとしては辛かったわ」

「でもさっきも言ったけど、もう構える必要はないから」

「正直、悟が相手をお前とか言うのは無理している感じがすごかったわ」

「うん……普段相手のことをそんな風に言わないからね」


 意味もないけどまた布団をかぶって寝転がる。

 いややっぱり嬉しいかな、兄をこちらに引きずり込んでしまったということは少し引っかかるところだけど、ずっと好きだったから叶うのは嬉しいな。


「でも、最近はお母さん達を振り回してしまったわ、帰ったり行ったりが何度も重なってその度に精神的な負担をかけたと思うの。もちろん、それは弱かったあたしが全部悪い、だからいまはまだこっちにいたいって考えていて」

「それでも来てほしい、絶対に短期間で帰るようなことにはさせないから」

「……夏休みが終わってからでもいい?」

「分かった、じゃあそういうことにしよう」


 よし、それならまだなんとかなる。

 というかいまは優しすぎるだろう、出ていってすぐに帰ってきても怒らないんだからね。

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