04話.[気をつけないと]

「はぁ……」


 現在位置は元兄の部屋。

 ベッドの上には兄が転がり、床には結構離れて新田が転んでいる。

 あたしは体を起こしてなんとなくそれを見ていた。


「……どうした?」

「あんたに殴られたところが痛くて寝られないのよ」

「それぐらいしないと馬鹿なお前は分からなかっただろうからな」


 水を飲むために出ようとしたらわざわざ付いてくる新田。


「これからなにを目的に生きればいいの?」

「なんか色々あんだろ」

「ないわよ、兄以外にはあまり興味を持てないし、中学時代からあたしのことを知っているあんたなら分かるでしょ?」


 冷蔵庫を開けたらジュースがあったからそれを飲ませてもらう。

 もちろん新田には出さなかった、だってあんなの冗談なのに殴ってきたりしたから。


「なあ、あんなこともうするな」

「あたしはいいからあんたは他の人を見てあげなさい」


 ソファに座ってぼけっとする。

 現在時刻は1時25分。

 テストが終わろうが学校は普通にあるから本来であれば寝なければならない時間。

 でも、寝る気にならなかった、どうすれば生きていけるのかを考えないと終わる。


「しないって分かるまでずっと泊まるからな」

「ストーカーじゃない、気持ちが悪いわ」


 ひとりで死ぬことができるならもうとっくにやっている。

 わざわざ彼の目の前でなんてわざとらしくしないで1発でね。


「それに部活がある以上、その間に死んだらどうするの?」

「だから部活にも行かない」

「は? ……って、冗談に決まっているじゃない、いいからあんたは大好きなテニスをやっていればいいのよ、中学時代のように真剣に」


 ま、いいや、先程の母の顔が気になってもうあんなことできないし。

 部屋に戻るつもりはないからソファに寝転がる。


「新田、あたしの部屋から布団持ってきて」

「人を使うなよ……」

「いいでしょ、少し冷えるのよ」


 朝になったら熱が出ていてほしい。

 このまま夏休みまで休んで過ごしたい。

 元々、家にいるのが大好きな自分だからそれが1番で。

 けど、そうとはならないのが現実というやつで。


「ほらよ」

「ありがと、おやすみ」

「ここで寝る」

「別にいいわよ」


 電気を消して部屋を真っ暗にする。

 明るいと寝られないからしょうがない。


「なんか物とか少なくねえか?」

「部屋のこと? あんまり無駄遣いをする性格じゃないのよ」


 兄の家で暮らすためにいらない物を捨てたのもある。

 部屋が汚いのは嫌だった、寝るところぐらい綺麗にしていたい。

 部屋があるだけでありがたいけど、お嬢様というわけではないからあんまり広くないし。


「なんで悟さんのことが好きなんだ?」

「優しいからよ、声音とか表情とかが」


 小さい頃、迷子になっても助けに来てくれるのはいつだって兄だった。

「莉月大丈夫っ!?」って心配してくれて、泣いていたあたしを抱きしめてくれて。

 両親のことは好きだけど、そういうのもあってずっと兄と一緒にいたんだ。

 好きだと自覚したのは中学1年生の夏頃。

 それまでは多分、兄としてただ好きで一緒にいたかったんだと思う。


「じゃ、死のうとするな、諦めるなよ」

「でも、無理じゃない、もう終わったことなのよ」


 しかも圧倒的に正論だった。

 血の繋がった兄妹で恋愛なんて正気の沙汰ではないじゃないと。

 同性愛よりも問題になる、さすがにそればかりは多様性では済ませられない。


「お前は下手くそだと言われても言い返すこともしないで毎日真面目に練習できる人間だっただろ、1回振られた程度で諦めようとしてんじゃねえ」

「なんでそれを……」

「同じテニス部だったんだ、例え男女で別れていたんだとしても耳には入る」


 真面目になんかじゃない、クソがって意地を張っていただけだ。

 休んだら余計に言われるから休めなかっただけ、部活動には強制的に体調が悪いとかではない限り行かなければならなかったから行っていただけ。


「真面目になんてあんたあたしのどこを見て言ってるのよ、あんたに比べれば遥かに適当だったわ。それに他のみんなだって毎日部活には出てた、だから褒められることではないわ」


 寝ると言って黙る。

 もうそれも言っても意味のないことだ。

 当時はむかついていたけど、とにかく相手が正しかったんだ。

 数個あった中で敢えてソフトテニス部を選んだのに適当にやっていたんだからね。

 とにかく、昨日は色々あったからなのかすぐに眠気がやってきてくれた。




「莉月」

「ん……えっ」


 目を開けたら目の前には兄がいた。

 昨日は全く喋っていなかったから心配だったけど、大丈夫みたいだ。


「起こしてごめん」

「……もう朝なの?」


 体を起こしてすぐに異常がないと分かってしまった。

 ちぇ、上手く熱というのは出てくれないものだ。


「うん、6時前だよ」

「それなら……いいじゃない」


 兄はもう夏休みだけどあたしは学校があるんだから。


「莉月、あっちに戻ってきてくれないかな」

「荷物を運ぶのが面倒くさいからいいわ」


 もう変に色々なことが起きるぐらいならこっちにいた方がいい。

 実家は凄く安心するんだ、好きな両親がいてくれるのもあるし、兄と会わなければ複雑さだってどこかにいってくれるから。

 そわそわして待つ必要もない、ご飯作りだって手伝わせてくれる実家の方がいい。


「僕が断ったから?」

「そうじゃないわ、だから気にしないで」

「……それで死のうとしたのに?」

「あたしにそんな勇気はないわよ、新田が馬鹿みたいに本気にしただけ」


 行くつもりなんてないから再度行かないと言ってリビングから出る。


「痣になっているじゃない……」


 こんな状態で学校に行ったら虐待を疑われてしまう。

 ま、その際は遠慮なく新田がやったって言うけどね、事実その通りなんだし。


「莉月、戻ってきてよ」

「そりゃ戻るわよ、いつまでもここにいたって仕方がないから」

「そういうことじゃなくて……」


 こうなると途端に……邪魔に思えてくる。

 そもそもあんなことを言ってこなければ告白なんかしていなかった、なのにいまさら戻ってこいだなんてなにがしたいんだか。


「振った相手に家にいろだなんて意地悪ね」

「それは……だって僕らは血の繋がった兄妹で……」

「もう一緒にいる意味なんてないからいいわ、残り少ない大学生活を楽しむことだけに集中しなさい。邪魔者もいなくなったんだから家に気になる異性でも呼べばいいじゃない」


 結局、自分の中の複雑さを片付けたいがためにそんなことを言っているだけなのだ。

 あたしも複雑さから兄を利用したことがあったから分かる。

 でも、最後のだけは余計だったな、これじゃ嫉妬しているみたいでさ。


「もう行くわ」


 床で寝ている新田は母が起こしてくれるだろう。

 あたしには関係ない、生きることだけで精一杯だから。




「櫻井さん、それは本当に誰かに殴られたわけではない……のよね?」

「はい、もしそうなら自分から言いますよ」

「そう……なら良かったわ」


 はぁ、色々な生徒や先生から聞かれて散々な日だ。

 でも、今日はもう終わりだから気が楽と言える。

 帰宅組と部活動組は早々に教室から消え、教室内は酷く静かだった。


「莉月」

「なに呼び捨てにしてるのよ」

「ちょっといいか?」


 いいと言う前に前の席に座ってこちらを見てくる新田。

 今日放って行ったことを怒っているのだろうか。


「俺はお前のこと、悟さんに送っているからな」

「分かっているわよ」

「で、なんで連絡先を消したんだ?」

「もう意味のないことだからよ、いいから早く部活に行きなさい」


 兄から彼に情報がいくことも分かっているから驚きはしない。

 よく兄もすぐそれに気づいたな、メッセージアプリの方は退出したって表示されるから分かってもおかしくはないんだけど。


「莉月」

「バイトは?」

「いまは休憩中だよ」


 よくあるあれか、引くと相手が来るというあれ。

 けど、終わらせてくれたのも兄だからなんにも嬉しくもない。


「その歳にもなって好きな人がひとりもできたことがないのは不味くない?」

「ただ生きられるというだけで十分だったからね」

「ま、そんなのは他人にとやかく言われて変えることじゃないわよね」


 別れ道が来たから別れようとしたのにできなかった。

 何故か兄がこっちにまで付いてくるのだ。


「なによ、付いてきたってお店に行くのが面倒くさくなるだけよ?」

「戻ってきてくれるまで諦めない」

「お兄……が拒絶したのよ?」

「いや違うよね? 僕は寂しい思いをしてほしくなくて夏休みだけは実家で過ごしてほしかったんだよ、バイトを増やしたのはちょっとお金が必要になったからでさ」

「お兄ちゃんにメリットがないわよ、それにどうせ同じようになって終わるだけだから」


 死体撃ちだけはやめてほしい。

 9月になるまでは顔を見せないでほしい。

 たまには実家に帰ってきたいということなら連絡をしてからにしてほしい。

 そうすればあたしが外に出てあげるから、静香の家にでも泊まらせてもらえばいいんだし。


「駄目だよ、そうやって終わらせようとしても」

「と、とりあえずバイトに行きなさい、続きは終わってからすればいいでしょ?」

「……分かった、じゃあはい」

「え?」

「鍵、僕の方の家にいてよ」


 兄は「頑張ってくるね」と言って歩いていった。

 はぁ、それなら先に渡しなさいよ……地味に遠いんだから。

 あと、どうしてあたしと関わってくれる異性って頑固なんだろう。

 自分の思い通りになるまで諦めないというか、認めないというか。


「来ちゃった……」


 ま……中にいてあげないと兄が帰ってきたときに困るだろうから?

 元あたしの部屋を見たら出ていこうとしたときとなんにも変わっていない感じだった。

 いや、埃とかが溜まっているから入ることすらされていないことは分かる。

 なんか気になるから勝手に掃除をさせてもらうことにした。

 掃いたり拭いたり、段々と綺麗になっていくのは気持ちが良くていい。


「ちょっと休憩」


 色々聞かれて疲れた、半日で終わったはずなのに精神ダメージ大だ。

 だからだろうか、そのまま寝てしまったのは。

 起きたのはピンポンピンポンと連続して鳴ってうるさかったから。


「やばっ」


 慌てて1階に移動して玄関の扉を開けると、


「良かった……家にいてくれたんだ」


 不安と安心が混ざったような表情を浮かべている兄が。


「ご、ごめんなさいっ」

「いいよ、無事でいてくれたのならそれで」


 あの部屋に戻ることもできずに付いていくことになった。

 実家よりも狭いけど、何気にリビングと言える場所があるのがいいと思う。


「母さんに聞いても帰ってきてないって言われて不安で仕方がなかったよ」

「……部屋の掃除をして寝てしまっていたのよ、今日は疲れたから」

「顔に痣ができていたらそりゃ周りの子や先生は聞いてくるよね」


 新田に殴られた~なんて言える雰囲気ではなかった。

 だからタンスにぶつけたなんて間抜けな言い訳をする羽目になった。


「でも、本当に家で待っていてくれて嬉しいよ」

「どうせ拒んでも来るなら大人しく従っておいた方がいいと思ったのよ」

「ご飯作るよ、その様子だとお昼ご飯も食べていないんでしょ?」

「あ……そうね」


 じっとしていたら「手伝ってくれないかな?」と言われて喜んだ馬鹿なあたしがいた。

 とはいえ、出しゃばることはせずに最低限なことだけにしておく。


「出来たね」

「じゃ、もう帰るわ」

「またそういう……」

「……食べたら帰るわ」

「え、こっちに住んでよ、高校だってこっちからの方が近いでしょ?」


 とりあえずいまはご飯だ、いい匂いを嗅いでいたら食べたいという欲求がやばい。

 不満そうな顔をしている兄は放置して勝手に食べさせてもらう。

 美味しい、選択次第でこれを食べられなくなるということを考えると……揺れる。


「それに新田君のためでもあるんだよ、僕の家に莉月がいるならあんまり不安にならなくて済むでしょ? ……絶対にあんなことはもうやらせないしね」

「やらないわよ」


 というか本当は新田を家に泊めることだってしたくない。

 暴力男だからとかじゃなくて、単純に家に泊まらせるような仲ではないから。

 昨日のだってあたしのことを考えて行動してくれたのは分かっているけど、やっぱり泊まらせるほどではないんだよ、中学時代から一緒と言っても遊びに行ったことは少ないしさ。


「莉月、お願いだから」

「追い出したのはお兄ちゃんだけど」

「追い出してないってば、住んでくれるなら荷物を取りに行こうよ」

「というか、お兄ちゃんが実家で住めばいいんじゃないの?」

「いや……お店に行くのも大変になるからね、あとは大学も」


 よく考えたらあたしがお兄ちゃん呼びなんて気持ち悪いか?

 名前を呼び捨てにすることもできないし、なんとなくあんたとは呼びたくない。

 そういうのは新田とかでいい、静香にだって言ったことないんだし。


「あ、兄貴」

「急にどうしたの?」

「あたしが……お兄ちゃんって呼んでいるのは似合わないかなって」

「うーん、可愛くていいと思うけど、あ、じゃあ名前で呼んだらどう?」


 いや、確かにお兄ちゃん呼びよりは自然な感じがするけどさすがにそれは……。


「帰るわ、ご飯美味しかった」

「え、結局さっきのはなんだったんだ……」

「9月まで顔を見せないで、そうすれば落ち着いて相手をできるようになるから」


 そうしたら馬鹿なことをしないで相手をすると誓おう。

 もっとも、時間が経過すればこっちのことなんかどうでもよくなるだろうけど。




「いえーい、明日から夏休みー、そして部活の始まりー!」

「楽しそうね」


 終業式が終わり体育館から戻っている最中、静香は楽しそうだった。

 兄と新田間で情報が共有されているものの、この子にはなにもいっていなくて安心する。

 楽しそうにしていてくれないと嫌なのだ、あたしの余計な情報なんていらないだろう。


「夏祭り、忘れないでよっ?」

「あ……そ、そうだったわね」

「えー、忘れてたのー?」


 行かないなんて言えない。

 こういう強制力を前にこれからも敗北していくだけなんだろうな。

 まあいいか、静香となら楽しめるからそれで。


「ぶぇ、にゃ、にゃによ」

「お顔も治ってきて良かったね」


 そりゃ、いつまでも残ったりはしない。

 人間に備わっている自然治癒能力というのは結構すごいから。


「それで……なんだけどさ、に、新田君も連れてきてくれないかな」

「俺も行けばいいのか?」

「うひゃあ!? う、うん、新田君とも見て回りたいなって」

「いいぞ、そこの馬鹿が来ない可能性は高いからふたりで見て回るか」

「えっ、えぇ!?」


 あれ、なんかひとりで行くことになりそうだ。

 まさか静香の方から新田といたいなんて言ってくるとは思わなかった。

 関わりだけはあたしと同じぐらいあるからそこまで違和感はないけど。

 部活あるあるで語り合えるぐらいだし、部は違っても頑張っている仲間だし。

 異性といてあわあわしている静香なんて初めて見た、可愛い。


「お前はとにかく悟さんの家に戻れ」

「どれだけ戻ってほしいのよ、あ、もしかしてあたしを諦めたいから?」

「は? はははっ、お前も冗談とか言えるんだなっ!」


 今度絶対に顔面にテニスボールを打ち込んでやろう。

 やられるだけやられたのに普通に接してあげているあたしが偉すぎる。

 なんでも我慢をすればいいというわけではないのだ、少しの鬱憤晴らしにもなるしいい。


「俺はあの人に助けてもらったことがあるからな、あの人が不安そうな顔をしているのも嫌なんだ。その原因がお前だってことなら何度だって言わせてもらう、だから戻れ」

「……兄はいまおかしいだけよ、落ち着いたら考えも変わるわ」


 7月最後のHRが始まって強制的に終わりとなった。

 兄なら助けていそうだから新田の言っていることが嘘だとは思えない。

 だからこそその人のためになにかしたいと考えるのも新田らしくていいと思う。

 本当だったら言うことを聞いてあげたいけど、あれだけ言っておいてあっさりと住んだら情けないどころの話ではなくなってしまうのだ。

 自分の言ったことすら全く守らない人間になってしまう。

 ま、いま生きている時点でその通りなんだけど。

 そういう口先だけで死ぬとか言う人間は1番相手をしていて嫌な感じで。


「り、莉月も来てくれるよね?」

「邪魔はしたくないわ」

「邪魔じゃないから来てくださいっ、ふたりきりじゃ緊張して……楽しめないよ」

「ま、約束していたんだから分かったわよ」


 こうなったら意地でも行ってやる。

 静香に変なことをするようなら遠慮なくボカッと叩いてやるんだから。


「ありがと! じゃ、部活に行ってくるね!」

「頑張って」

「うんっ、莉月は気をつけてね!」


 本当に気をつけないと。

 何度も住んでくれと言われたら揺れてしまうから。

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