02話.[たまにはいいね]

 やっている意味あるのかとあたしが言いたくなるぐらいには緩い打ち合いだった。


「ね、ねえ、これは意味あるの?」

「ん? ああ、遊びたくて集まっただけだからな」


 それなら普通にカラオケとか映画に行くんじゃ駄目なの?

 休日ぐらいテニスから離れようとしないなんて、どれだけテニスが好きなのか。

 あたしにはできないことだ、部活がない日なんて大袈裟でもなんでもなく天国だったぞ。


「悟さんもにこにこしていないでやりましょう、ラケットなら俺の予備がありますから」

「え、そう? それならやらせてもらおうかな」


 ふぅ、それじゃあこちらは一旦休憩。

 相手が兄に変わったからって本気になるということもなく、至ってこれまで通り緩いラリー。

 でも、楽しそうだ、ふたりとも楽しそうだからわざわざつまらないことを言う必要はない。


「たまにはいいね、ちょっと動いただけで動いた気になれるよ」

「俺もじっとしているより打っている方がいいのでありがたいです」

「僕や莉月とは違うね、どちらかと言えば僕らは家にいたいタイプだから」

「ぼうっとしているのは時間が勿体ないって思ってしまうんですよね」


 あたしにとってそれは大好きな兄といることの次ぐらいには至福の時間だけど。

 人によって差が大きく出たりするから面白いのかも。


「ところで新田君」

「はい、どうしました?」


 会話のラリーも続けていく。

 彼らを包む雰囲気は柔らかいから裏で会ったりしているのだろうか。


「君はよく夜に莉月に会いに来るけど、それってどうしてかな?」

「別に変な感情とかはないですよ、ただ、話したいことがあるときは直接言いに行くだけで」


 連絡先だって交換しているのにメッセージが送られてきたことはほとんどない。

 ◯◯時に集合というときに遅れる際なんかにしか利用されないというわけ。

 ま、利用方法としては間違っていないんだけど、そういうことのためにあるんだろうし。


「でも、異性の家に行くのが普通みたいに見えるけど」

「夜なら悟さんもいるじゃないですか、それにあそこはあくまで悟さんの家ですからね」


 このような会話をしつつもポーンポーンと打ち合いを続けているのだから不思議だ。


「そっか、教えてくれてありがとう」

「下心とかないので聞いてくれたら答えますよ」

「いや、聞いておいてなんだけどいいよ、莉月が迷惑がっていないなら来てくれればいい」

「それなら用があったらまた行かせてもらいます」


 ふぅ、喧嘩みたいにならなくて良かった。

 兄も年上として大人気ないところを見せてしまったと反省しているのかもしれない。

 新田の方はテニスに向き合っているときみたいに真っ直ぐで、そういうところを見せていたら女の子からモテそうだなってそう思った。


「交代っ、疲れたっ」

「え、もっとやりましょうよ」

「いや……もう僕には長時間運動は無理だよ……」


 こっちは約束をしていた身だから付き合っておくことに。

 露骨に態度を変えたりしないのが本当にいいことだと思う。

 ま、好きな子が相手で初心者だということならもっと緩く打ちそうだけど。


「今日はありがとな」

「誘ってくれてありがと」

「中々、やってくれる人がいなくてな、付き合ってくれるだけでありがたいよ」

「テニスに必ず触れるというわけじゃないからね」


 事実、中学校の体育ではテニスなんかやらなかった。

 球技をやるとしてもバレーとかバスケだけ。

 初心者からすればいきなり経験者の彼に付き合えと言われても困惑しかないだろう。

 迷惑をかけてしまうからと大して考えもせずに断られることが多そうだ。


「ちょっと速くしてもいいか?」

「球拾いだったらするから、どうせなら練習すればいいわ」

「おう、無理そうだったら遠慮なく避けてくれよ?」


 って、中学時代と全然威力が違うんですけど!

 真面目にやっていたらこうなれるのかななんて、もう言っても意味のないことだけど。


「自分でボールを集めに行く必要がなくて助かるよ」

「で、でも、もう少しぐらい手加減、ひゃっ!?」

「避けてくれればいい」


 それでも少しぐらいは役に立ちたい。

 別に立っていなくてもコントロールはできるだろうけど、目安としてね。

 それに後ろに逸らしまくりじゃ恥ずかしいだろう、1球ぐらい打ち返したい。


「ここ!」


 パコーンッと新田側のコートにボールが直撃。

 そのままフェンスにぶつかって完全に勢いがなくなった。 


「……まさか打ち返されるとはな」

「負けてばかりじゃいられないから」


 が、いまので体力とか運とかを使い果たしたので休憩。


「真面目にやっている人には敵わないわ」

「ま、やってない櫻井には負けたくないな」

「でも、気持ち良かったわっ」

「いい笑みを浮かべやがって……」


 全然レベルが違いすぎると言われるかもしれないけどホームランを打てた気分だった。

 これだけで日曜日にわざわざ出てきた甲斐があるというもの。

 先程のどんぴしゃな感じを思い出してゾクゾクとしているぐらいだ。


「お疲れ様」

「くそ……全部煽りにしか聞こえないぞ」

「なんでよ、いい運動になって良かったわ」


 でも、これで終わりかな。

 そもそもお昼までの予約だからそれまでには綺麗にして帰られなければならない。


「今度も付き合ってくれよ?」

「あたしでいいならだけどね」

「寧ろリベンジだ、次は最初から手加減しないぞ」

「ほどほどにしてくれないとあっという間に疲労困憊になって意味なくなるだけよ」


 あと、いっぱい時間が経過してからにしてほしかった。

 これを高頻度で続けていたらボロボロになる。

 もう中学生時代とは違うからね。




「莉月ー」

「部活には行かなくていいの?」


 いつもなら速攻で教室から消える静香なのに珍しい。


「今日はお休みなんだ、それでもう暑いからかき氷でも食べに行こうよ」

「いいわよ」


 新田はもう既に教室にはいない。

 テニス大好き少年だからしょうがない話だ。


「莉月は何味?」

「あたしはブルーハワイかな」

「私はレモンっ」


 代わりに注文してくれたから助かった。

 あんまり得意じゃないから、コミュ障というわけじゃないけどね。


「はい」

「ありがと、はいお金」

「うん、食べよ?」

「そうね」


 ああ、美味しい。

 氷にシロップかけただけでしょと言われたらそれまでだけど、うん、本当に。


「冷たくて美味しい」

「そうねえ」


 なにかを食べるというのも好きな自分としてはこの時間が幸せだ。

 シャリシャリと咀嚼しながらぼうっと歩いている人達を見ているこの時間が。

 新田みたいに動いていなければ落ち着かないタイプばかりではないということだ。


「莉月はさ、夏休みになったらどこか行く?」

「実家に帰るぐらいね」

 

 兄がこの前言っていたようにどちらかと言えば家にいたいタイプなのと、両親も旅行に行きたがるタイプではないから家で大人しくしていることになる。

 別に不満とかはない、どこかに行きたい人だけ遠くへ行ったりしておけばいいのだ。


「私は部活があるからほとんど自由時間ないなあ」

「でも、バスケが好きならいいじゃない、その好きに触れていられるんだから」


 そういう決まりとなっているからではなく自分の意思でバスケ部に入っているのだから。

 それなら多少部活動の時間が多くなろうと嬉しいことばかりではないだろうか。


「んー」

「どうしたの? え、だって、その通りよね?」

「いや、結構クサいというか、そういうこと言うんだなって」


 クサいかな、それが好きなら寧ろ嬉しいと思うけど。

 いいところばかりではないのは運動部に所属していたから分かっている。

 走り込みとか筋トレとか、これ本当に◯◯部の活動? ってなるときはあるけど、だからこそその部の名前に合った活動ができると他と比べれば真剣さがなかったあたしでも嬉しかった。

 汗をかくという行為が好きだったから気持ち良かったし。


「まあいいや、夏祭りは一緒に行こうね」

「部内の人と行かなくていいの? 去年は行っていたわよね?」

「あー、あいつらなんかもう知らない」

「え、ちょ、目が据わっているわよ?」


 正直に言ってかなり怖い。

 彼女はあいつらとか普段言わないからより顕著に感じた。


「それは冗談だけどさ、今年は彼氏と行くから無理ーだって」

「もう2年だしおかしくはないわよ」

「じゃ、1度も彼氏ができたことのない私達はおかしい?」

「そういうわけではないわ」


 もう異性と1度も付き合ったことがない人間なんてたくさんいると思う。

 いまはもう優先したいことが増えているというか、他人にそこまで興味を抱かなくなっているというか、人といること自体が苦痛だと感じている人すらいるかもしれないから比べても意味がない。

 カップルを見つけてもおめでとうと言って済ませておけばいいのだ。


「それにあたしはその……」

「ずっと恋している状態ってことか」

「は? 別にそんなこと言ってないじゃない」


 事実だけどっ、認めたらお終いで。

 だって実の兄を好きになるとか他の人からすればおかしいって思う話だし。

 どうせ無理なんだから言わなくてもいい、そろそろ片付けるつもりだから問題もない。


「分かるよ、だって悟さんのこと大好きでしょ?」

「ちがっ」

「わないでしょ? 別に言いふらしたりしないから安心してよ」


 静香はこちらの左頬を指先で突きつつ「そう思われていたら嫌だなー」と言ってきた。

 確かに無闇に広めるような人間だと思われていたら嫌か、その相手が友達、親友なのだとしたら余計に。

 ……どうせ片付けるのなら言っても問題もないか。


「あたしはお兄ちゃんが好き、もう側にいて莉月って呼びかけてくれるだけで十分な感じで」

「うん」

「……って、それだけ?」


 仮に分かっていたとしても相手が実の兄なんだからおかしいってなる……よね。

 で、散々こういう考えをするくせに結局ずっと諦められないままでいるというか。

 兄の家で住まさせてもらっているのは捨てるかわりに一緒にいたいと考えてのことだったんだけど、……一緒にいればいるほど、捨てきれなくなるというか。


「だって妥協はできないでしょ? だからさ、なにか不満とかあったら私が聞くから」

「逆に静香は不満とかないの?」

「不満? すっごくあるよ? バスケは好きだけどもうちょっとお休みの日を増やしてほしいとか、もうちょっとぐらい男の子が来てくれてもいいよねとか、旅行に行きたいけど行く相手がいないから悔しいとか、挙げたらきりがないね」


 さすがに気軽に旅行行く? とか言えないからそっかとだけ言っておいた。

 他もどうしようもない、あたしにできることこそ聞いてあげることだけ。


「んー! はぁ、美味しかったっ、捨てて帰ろっかっ」

「そうね」


 喧嘩別れというか離れ離れになるようなことにはしないように気をつけないと。

 自分で選択をして家に帰るのと、兄本人に追い出されて家に帰るのとでは違うから。

 もしそんなことがあったら真剣に自死を選ぶ、だから自衛のために隠さないとね。




「出来たよー」

「うん」


 今日も手伝いはさせてもらえなかった。

 でも、兄が作ってくれたご飯が美味しいから余計なことは言わずにおく。


「「いただきます」」


 変な雰囲気を出しても詰み、兄に特定の仲のいい女の人ができても詰み。

 そう考えるとどんどんと気が滅入ってくる、兄作の美味しいご飯のおかげでなんとかなっているというだけ。


「莉月」


 辛いことになるだけと分かっているのにどうして捨てられないのか。

 

「莉月っ」

「……美味しいわ」

「そうじゃなくて、食べ終えたらお風呂に入ってって言っていたんだけど」

「すぐに入るわ、今日はちょっと汗もかいちゃったし」


 着替えを腋にはさみつつ食器をシンクへと持って行って、そのまま洗面所へ。

 特別広いというわけじゃないけど、バスとトイレが別々になっていていいと思う。

 内にある複雑さを無視すればまず間違いなくいい感じだ。


「ふぅ」


 捨てるために頑張ってみようか。

 というか、そうしないと確実に苦しむだけだから選択肢があるようでないのだ。


「うぅ……」


 ……ま、兄の前で見せなければ問題はない。

 さっさとお湯で流して、お風呂に入る度にその都度リセットすればいいだろう。


「出たわよ」

「うん、ん?」

「な、なによ?」


 ちゃんと拭いてあるし、服装だってきちんとしている。

 風邪を引くこともない、なにかが悪く目立っているということもないはずなのに。


「いや、気のせいだった、お風呂に入ってくる」

「うん」


 布団を敷いて待っていよう。

 寝る前には必ず寄ってくれると思うから。


「んー……」


 なにもしないで終わるのは嫌だって考えている自分は確かにいる。

 言ってみたら兄なら応えてくれるかもしれないという願望もある。

 けれど、断られた場合のそれがあまりにも大きすぎて動けないままでいる。

 というか、好きな人間のために好きな人間が困らないように行動するのが普通だ。

 あたしがそんなことをしてしまったら……。


「莉月、入っていい?」

「うん」


 結構早く出てきたんだな。

 あたしが変なことを言わなければこうして名前を呼んでくれるんだからこのままが1番だ。


「夏休みのことなんだけどそのときは実家に帰ってほしいんだ、あ、莉月といるのが嫌じゃなくて、バイトを増やそうと考えているからそもそも一緒にいられない――」


 器用に脳がそこからの言葉をシャットアウトしてしまった。

 どうせ帰れと言われるのなら今日荷物をまとめて帰ってしまった方がいい。

 振られたわけじゃないから死ぬなんてことはしないけど、否定と同じなんだよなこれは。

 だって別にバイトを増やそうと家にいさせてくれればいいのに帰らせるんだから。


「ちょっ、今日じゃなくてもいいんだよっ?」


 ちなみに夏休みまでは約1ヶ月ぐらい猶予があった。

 でも、居座ったところで迷惑でしかないんだからこれが正しいんだ。


「ごめん、これまで迷惑をかけた」

「だから莉月といたくなくて言っているわけじゃなくてっ」

「いいよ、なにもせずに住ませてもらっていたこと自体がおかしいんだから」


 こういう強制力があれば捨てるのが容易になる。

 両親とは仲がいいからいいよ、どうせ兄と一緒にいたっていいことはなにもない。  


「それならせめて送るよ」

「来ないで、もういいわ」


 被害者面するな、最後まであくまで普通でいられるように頑張ろう。

 兄は当然のように付いてきたけど、もう視界に入れるようなことはしない。


「じゃ」

「莉月……」


 これは必要なことだった。

 喧嘩別れなんかよりはマシだ、切り出してくれて良かったな。

 リビングで楽しそうにしていた両親に事情を説明して。


「早く寝よ」


 これをするだけ。

 だって明日だって普通に学校はあるんだから。

 

 


「あっつ……」


 ただ学校に向かっているだけで汗がにじみ出る。

 さすがにそのままではいられないからタオルで拭いて、汗ふきシートでも拭いて。


「おっはよー!」

「おはよ」

「今日も暑いねー」

「そうね」


 汗をかくのは好きだったはずなのにいまとなってはマイナスでしかない。

 物理的に臭いと言われたらかなりヘコむ、女として死ぬから。


「櫻井」

「おはよ」


 静香は活動日が多いと少し不満を漏らしていたけどいまあたしに必要なのはそういう強制力だと思う。

 バイトは禁止にされているし、いまから部活に入ろうだなんて行動しても迷惑をかけるだろうからなにもできないんだけど。


「櫻井、廊下に来てくれ」

「いいけど」


 廊下に出たら壁際に押しやられた。

 逃げると考えたのだろうか? 別にそんなことするつもりはないけども。


「悟さんから聞いた」

「それで?」

「なんでそんな極端なことをするんだよ、しかも悟さんは桜井に寂しい思いをしてほしくなくて実家に戻ってくれって言っただけなんだぞ?」

「そうね、ま、ちょうど良かったのよ」

「離れれば気持ちを捨てられるからか?」


 ……筒抜けだったことには驚いたものの、そうだと伝えるために頷いておいた。

 母とあたしだけが知っていることではとっくの昔になくなっていたらしい。

 新田にまでこんなこと言われるなんて……下手くそとしか言いようがないね。


「じゃ、やけになったわけじゃないんだな」

「いや……どうせ追い出されるなら昨日帰ろうって決めたのよ」


 タダ飯ぐらいの可愛げのない妹が消えて兄だって嬉しいはずだ。


「捉え方が悪すぎる」

「しょうがないじゃないっ、だからもういいのよ……」


 これでやっと普通に戻れるというもの。

 別にいいじゃないか、兄のせいにしているわけじゃないんだから。

 さっさとこれを片付けてしまえば不安になる人間だっていなくなるんだから。

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