酔っ払いのおじさん

「この前ナンパした女に振られた理由が最悪でよぉ……おっさんは嫌だって言われちまってよぉ……」

「はぁ……」


 リアンは樽ジョッキを片手に管を巻く男を冷めた目で見ていた。

 ゆらりと部屋は揺れ、船の軋む音と波の音が重なる。

 小さな窓から見える景色は青い海一色。

 リアンが拐われ連れてこられた場所は、この船の一室だった。


「なぁ、オレってそんなにおっさんに見えるのか? まだ若いと思うんだが……」

「どこからどう見てもおじさんだよ……。せめて髭を剃ったら?」

「あー、剃ってもすぐ生えてくんだよ……」


 男は樽ジョッキをさらにあおる。


「にしても、お嬢ちゃん。肝が座ってんなぁ……。泣き喚いたりしねぇのか?」


(……ちょっと落ち着きすぎたかな)


 男が不思議そうにリアンを見る。

 いつでもこの状況を脱する力を持つがゆえに……少々演技が足りていなかった。

 今のリアンは十五くらいの人の子にしか見えないのだから、怯えている演技くらいはしておくべきだった。


「今のところ、おじさんは私に危害を加えなさそうだから」

「確かに命はとらねぇつもりだが、手を出されねぇとも限らねぇだろ?」

「……ロリコン最低」

「誘拐するような奴がそれを気にするように見えるかよ?」


 リアンがさらに冷めた目で睨めば、男が面白そうにニヤニヤと笑う。


「ま、安心しな。オレは紳士だから、今は手を出さねぇよ」

「……今は?」

「あぁ、あんたは今はちんちくりんだが――」

「ちんちくりん……」

「顔はオレ好みだ。それに数年もすれば大人になるってんなら、これ以上ないくらいに欲しいと思うだろ?」


 数年も手元に置いておくつもりで、リアンを拐ってきたようだ。余程気に入ったのだろうか。

 しかしながら、数年もすれば大人になる……確かにリアンが普通の人の子ならばそうなりそうだが、けして成長はしないとリアンは思ってる。この姿は仮初の姿でしかないのだから。


「ほんと好みだ……。好みなんだが――やっぱ、あのクソ野郎の顔がチラつく!!!!」


 にやにやと嬉しそうな顔がどんどんと曇ったかと思えば、男はダンッと樽ジョッキをテーブルに叩きつけた。


「あああああ! なんであのクソ野郎と顔の好みが同じなんだよ!! 分かるけど! 分かるけどさぁぁぁぁ!!!」

「クソ野郎って?」

「レヴァリスに決まってんだろうが……!」


 ……男がギロリとリアンを睨む。


「なぁ、ほんとにレヴァリスじゃねぇんだよな?」

「……違うよ」

「前みたいに女に化けてオレをからかってんじゃねぇよな?」

「おじさん、騙されたんだ……」

「アレはあいつが悪い……」

「それでレヴァリスのこと恨んでたんだ」

「誰だって恨むだろう? 眼の前に自分好みの美人の姉ちゃんがいたと思えば、そんなのは存在しなくてクソ竜だったんだぞ???」


 目が据わっていた。

 どんよりと掠れた瞳の奥、深淵を宿した闇に確かな恨みが見えた。

 騙されたことがよっぽど許せないらしい。


(女好きらしいおじさんを女になって騙すなんて……なにやってんの、先代……)


 リアンは呆れた。両方に。

 だが、これでどうしてレヴァリスを知っていたのか明らかになった。

 あまり大したことではなかったようだが……。

 むしろこの女好きのロリコンが被害にあっただけで、実は何も問題ないのでは?


「ま、今はそれ以上に、許せねぇことが一つあるんだがな……」


 ――だが続く言葉を言った男の瞳が、さらに陰りが深まったような気がした。


「……それって?」

「あのクソ野郎レヴァリスが死んじまったことだ……」


 ……なぜ、死んだことを許せないのか。

 クソ野郎と罵倒するくらいにレヴァリスを恨んでいるようだった。

 そんな相手が死んだというのに、この男は喜んでいる様子もない。


「ま、嬢ちゃんには関係ない話だ」


 男は酒を飲もうとしたが、もう空になった樽ジョッキを静かに置いた。

 その時、この部屋の扉を叩く音が聞こえた。


「船長! 指定のポイントに付きやしたぜ!」

「わかった。今から甲板に出る」


 粗暴な船員の声に応え、男は椅子から立ち上がる。


「そういえば、嬢ちゃんの名前を聞いてなかったな? あんたの名は?」

「リアンだよ。おじさんは?」

「オレの名前は……アルバーノだ。そう、世間を騒がせる伝説の海賊とはオレのことさ」


 アルバーノと名乗った男は――この船の船長だった。

 リアンが連れ去られた船というのは、海賊船だったのだ。


「伝説の海賊……全然そうは見えないけど」

「ひでぇなぁ……」


 リアンはアルバーノと名乗った男ともに甲板に上がる。

 暇なら見に来るか? と誘われたので付いていくことにしたのだ。

 向こうはリアンを閉じ込めも、拘束もしない。

 この海の上の船からは逃げられないと思っているのだろう。


 甲板では忙しなく船員たちが動いていた。

 一面は海だが、少し遠くに島の影が見える。

 ……そちらのほうを見れば何かが島を囲うように、海上をウネウネと動いていた。

 高波のように見えたが、そうではなさそうだ。


「……あれは何?」

「あの島はクコ島っていうんだ。今から面白いものが見れると思うぜ?」


 男はにやりと笑いながら、取り出した単眼鏡をくるりと回した。

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