火神

「あ、あぁ…………」


 ヒノカは今起こったことが理解出来ず、動けなかった。

 目の前には血溜まりに倒れたリアンの姿がある。

 ヒノカを友達と呼び、手を差し伸べ助けようとしていた少女の姿が。


「これもあなたのせいですよ」


 嫌悪を隠さない声にびくりとヒノカは震える。

 赤い甲冑着たヒカグラの武将ソウエン。

 手にした刀も血が滴り、すべてが真っ赤だ。


「あなたが不甲斐ないから、彼女は死んだんです」

「こ、殺したのはお主じゃろう!」

「ええ、私が殺しました。ですが、あなたに力があれば、この子を守ることは簡単だったはずでは?」


 返された言葉にヒノカは何も言えなかった。

 倒れたリアンを一瞥してから、ソウエンは一歩踏み出す。

 思わずヒノカは後ずさる。


「全部あなたのせいだ。彼女が死んだのも、この国の火が消えたのも、全部全部全部全部」


 ――すべて、お前のせいだ。


 ソウエンの恨みの籠った言葉は、まるでこの国の民すべての声を代弁したかのように聞こえた。


 いや、実際にそうだろう。

 ソウエンはヒカグラの国一の武将。

 国長の命を受け、多数の兵士を引き連れて乗り込んできた。

 国の願いを一身に背負ってやってきたのだ。

 人々の願いは、只人を英雄に変える。


 それに背中を後押しされるように、ソウエンは門をくぐる。

 神聖な火竜の聖域に土足で踏み入る。


「ふ、不敬な! 人間がこの先に立ち入ってはならぬぞ……!!」

「ええ、この先は火竜以外は立ち入りが禁じられています。それなら、あなたはどうなのですか? 火竜の力を持たないあなたが、なぜそこにいるのですか?」


 ソウエンがゆっくりと、怯えるヒノカに近づいていく。

 ぽたりぽたりと刀から落ちた血の跡を残しながら。

 ヒノカの視線が刀と、そして倒れたまま動かないリアンの姿を見る。

 ……次にその切先が向けられるのは当然ヒノカだ。

 その刃がヒノカを貫き、痛みと共に死を与えるだろう。


「……嫌じゃ、嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃあああああああ!」


 ソウエンの殺意に押され、ヒノカは泣き叫びながら背を向けて、奥に逃げていく。

 ヒノカが逃げ込んだ先は火口の下部だった。

 上を見上げれば火口が見え、丸く切り取られたような空が見える。

 だが、この火山はほとんど死んでいる。

 すっかりと冷え切ったマグマが固まり、下部に溜まっていた。

 その中央には巨大な竜炎石の塊があった。


「わっ……!!」


 その塊に向かってヒノカは走っていたが、途中で派手に転んでしまう。

 転んだ拍子に形見のかんざしが落ち、慌ててヒノカはかんざしを拾う。


「情けない……みっともなく逃げることしか出来ないのですか?」


 追いかけるようにソウエンがやってきたが、彼はヒノカの先にある黒炎石に目を奪われた。


「ああ……これがゴクエン様の亡骸ですか。当時のヒカグラの民がゴクエン様の復活を願ってこの火口に投げ入れたと言い伝えられていましたが……本当のことだったんですね」


 この黒炎石は確かにゴクエン――火竜ヘルフリートのものである。

 水竜レヴァリスに殺された後、ヘルフリートの体は冷えたマグマのようにその赤い鱗を黒く染め、固まってしまったのだ。


「やはり死してなお存在感がある……それに引き換え、あなたはなんですか?」


 ソウエンは転んだままのヒノカを見る。

 死してなお存在感を放つ亡骸と比べ、あまりにも、矮小で非力な存在だ。


「やはり、あなたは火竜などではありません」

「わ、妾は火竜じゃ! 誰がなんと言おうと!」

「笑止、あなたはゴクエン様に似ても似つきません」


 ソウエンは刀をヒノカに向ける。


「嫌……じゃ」


 思わずヒノカは手にしたかんざしを握り締めた。

 ヒノカの脳裏に甦るのは死の記憶。

 先程、無惨に胸を突かれたリアンの姿が。

 そして、目の前で水竜に殺された父親の姿が甦る。


「ゴクエン様のような、この国のための火竜であるというなら、ここで死になさい!」


 刀がヒノカに向かって振り下ろされた。


「かはっ!」


 鮮血が飛び散る。

 今度は己の身体が赤に染まっていく。

 ――あの二人と同じように死んでいく。


「嫌じゃ……」


 ……この国のためを思うならヒノカは死んだ方がいいだろう。

 一度は思ったことだ。

 だからこのまま何もしなければ死ねる。

 だが、死を前にして、やはり強く想う。


「死ぬのは……嫌じゃ!!!!」


 突然、ヒノカの体を護るように炎に包まれた。


「な、なんですか!?」


 刀は炎に弾かれ、熱さからソウエンは身を引く。


「妾は確かに死んだほうが良いのかもしれない。じゃが、やはり死にとうない……!」


 手にしたかんざしの朱玉が紅く輝く。

 そのかんざしは火竜ヘルフリートが最愛の人に送ったもの。

 父が母に送り、ヒノカに遺したもの。

 揺れる朱玉はヘルフリートの鱗から作られた。

 朱玉に宿し竜の力が、ヒノカの想いに共鳴した。

 まるで、我が子を護らんとするように。

 その力はヒノカの体に流れ、眠っていた力を呼び起こす。


「そもそも、なぜ妾が死なねばならんのじゃ! 妾はお主らの為に頑張っておったのに、あんまりではないか!?」


 ヒノカは憤怒していた。

 自分の不甲斐なさにも、この世の理不尽さにも……そして自分を不要だと言って切り捨てようとする国民たちにも。


「もう、知らぬ!! この国のことも、お主らも! こんな国など、滅べばよいのじゃ!!」


 怒りを表すような炎は燃え盛り、ヒノカの肉体すら燃えていく。

 黒髪は燃え、赤い炎に染まっていく。


 ごうっと火口が揺れた。

 冷え固まったマグマの下から、新たなマグマが吹き出し始めた。


「ああ……そうじゃ! 滅んでしまえ! 死ぬのは貴様らじゃ!」


 憤怒の炎に飲まれて、我を忘れる。

 そうして初めて彼女は力を手にした。


 炎は少女の殻を焼き尽くし、形を変えて燃え盛る。

 より強大で、恐ろしく、偉大な存在に。


 灼熱の赫い鱗を身に纏い、猛る炎を宿した瞳。

 翼を広げ、羽ばたくだけで地は焦土となる。


 それこそが、原始の炎そのもの。

 四大元竜が一柱、火竜――火神ヒノカは今ここに顕現した!


「あぁ……なんということだ」


 目の前にした圧倒的な存在に、ソウエンは恍惚とした表情をし、刀を取り落とす。


「これが、火竜…………」


 灼熱の炎が火竜の口から放たれ、ソウエンを焼き尽くした。

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