差し伸ばした手

「すごい、あれが地竜の力……」


 山の上であるこの場所からはロアードが作り出した城壁のように建った岩壁がよく見えていた。

 リアンは下の状況を確かめるように、その岩壁を眺める。


「あれならしばらくここには来そうにないね」


 リアンは安心しながら、ミレットの背から降りる。

 討伐隊よりも先にこの場所まで来る必要があった。

 今は少女の姿であり、水竜の姿と力を晒すことなくこの険しい山を素早く登るには、ミレットの背に乗せてもらうのが一番いい方法だった。


「ありがとう、ミレット。この先は私一人で大丈夫だから、ファリンたちの所に行ってあげて」

「ガウ!」


 ミレットは返事をするように鳴くと、身を翻し山道を下っていく。


「さて……」


 リアンもまた振り返り、目の前の黒い門を見つめる。

 火山の麓に作られた社。火竜の御殿。

 来訪者を拒むように重く閉された門の前にリアンは立つ。


「ヒノカ、そこに居るよね。私だよ、リアンだ。……門を開けてくれない?」


 声をかけてみたが、返事はない。

 竜炎石と呼ばれる火竜が熱した熱によって出来た鉱石を用いたその門は、人では触れられない程の熱を帯びている。

 本来なら火竜でなければこの門を開くことはできないのだが……。


(……力が弱まってるせいか、魔術を使える人間なら普通に開けられそうだ)


 ロアードやリュシエンなら難なく開けられるだろう。

 そして、同じ竜の力を持つリアンなら、もっと簡単に開けることができる。

 が、しかし。流石に今このタイミングで竜の力を使えば水竜とバレてしまう。

 このタイミングでバレてしまっていいものだろうか?


「……なぜ、お主が来た?」


 しばらく門の前で悩んでいたが、門の向こうから返事が帰ってきた。

 少しほっとする。竜の力はまだ隠し通せそうだ。


「お主も、妾を殺すために来たのか?」

「違うよ! むしろ君を助けるために来たんだ。……その様子だと何が起こってるのか、分かってるみたいだね」

「山の麓にあのような軍勢を見れば、嫌でも分かるものじゃ……」


 門の向こうから聞こえるヒノカの声は悲しみに満ちていた。


「……妾は出来損ないじゃ。父上のような偉大な火竜ではない。だから、いつかこうなるのではないかと思っておった」


 全てを諦めたような話し方でヒノカは続ける。


「……いつの頃からか、人前に出ることが嫌になっていた。妾を見る……あの目線たちが嫌じゃった」


 期待外れ、落胆、怒り……様々な負の感情を乗せた人々の目線がヒノカに向けられた。

 その目線から逃れるように彼女は顔を隠すようになった。


「ある日、あの目線の中から殺意が混じるようになった。……それがどんどん、増えていったんじゃ」


 最初はあの武将だったか。

 あまりにも冷え切った目線に、刺されたかのような感覚を覚えた。

 それが年月が経つうちに増えていった。


「妾は彼らにとって邪魔な存在なのじゃろう。いつか排除しに来ると思っておった。だから、それまでに、妾は自分の力をなんとしても証明したかったんじゃ」


 火竜を示す力を、それを証明したかった。

 そうすれば、もうそんな目線で見られることもない。

 力を示せば、自分の身の安全も守ることができる。


「だが、妾はそれが出来なかった。邪竜討伐は先を越され、それを討ち倒した英雄に負けた。……これ以上ないほどに、妾は自分で証明してしまった」


 ――火竜ヒノカは最弱の竜であると。


「妾は弱い。この地に火を焚べることも出来ぬ……父上のように力を持たず、人々のために何も出来ぬのじゃ……!」

「ヒノカ……」

「そもそも、妾は最初からそうじゃった。父上亡き後、乱れた火の元素の制御をすぐに正しくできなかった……」


 ヒノカに対する人々の印象は、火竜ヘルフリートよりも弱い火竜である。

 この印象は彼女が二代目として生まれた頃からあるものだ。

 それはヘルフリートの死によって乱れた火の元素を、彼女は上手く制御出来なかったからだ。


「それでも、妾は火竜であると証明したかった……だけどレヴァリスにも、ロアードにも、妾は勝てなかった……!」


 その印象を払拭することが出来なかった。

 いや、その後の行動がさらに彼女の印象を悪くさせていった。

 父親の仇を取るために、何度も水竜レヴァリスに挑んでは敗北し、そしてついにはロアードにも負けた。


 竜の力というものは修行でどうにかなるものではない。

 人々の関心が力に繋がるものだ。

 畏怖を抱かせればその分だけ、信仰させればその分だけ力が付く。

 ……逆に侮られればその分だけ、弱くなってしまう。


「もう妾は終わりじゃ。もう、どうすることもできぬ」

「……だから、諦めるの?」

「じゃあ、どうすればよいというのじゃ! 妾はずっと必死じゃった。でも駄目じゃったんじゃ……」


 嗚咽のような泣き声が門の向こうから聞こえてくる。


「この国のためを思うならば……妾は……妾は死んだほうがよい……」

「死んだほうがいいなんて、そんなことない。そんなの、私が許さないよ」

「なぜお主がそこまで言うのじゃ……お主には関係ないはずじゃ……」

「関係あるよ。だってヒノカは友達だと思うから」

「友達じゃと……?」

「確かに出会ってそんなに経ってないけど、友達だと思うのに明確な期間が決まってるわけじゃないでしょ。なんなら君とは一緒にお風呂に入った仲だし」


 過ごした時間は短いが、リアンにとってはすでにヒノカは友達だった。

 友達と思うのは、同じ竜であるからという理由はない。

 そもそも2人は互いに竜であることを隠して出会っていた。


「言ったよね、私は君を助けに来たって」

「本当に……妾を助けに来たのか……?」

「もちろん」

「しかし、一体どうやって……お主にそんな力あるのか?」

「まぁ私に任せてよ。とりあえず、外に出てきてくれる?」


 ゆっくりと閉じていた門扉が開いていく。

 そして門の向こうから泣き腫らした顔をしたヒノカが現れた。


「リアン……お主を信じてよいのじゃな?」

「もちろんだよ、ヒノカ」


 リアンは安心させるような、力強い笑みをした。

 まるで、道示す光のようだった。


 ……初めてだった。

 ヒノカにとってここまで自分のために何かをしてくれる人は、リアンが初めてだ。

 火竜という存在であるが故に、ヒノカは孤独だった。

 人々はヒノカから距離を置き、そしてその距離から失望の眼差しを向けられてきた。

 親もいない、頼れる者もいない。

 唯一の繋がりがあったあの邪竜すらもういない。

 ヒノカはずっと孤独の中で耐えてきた。

 もう十分だ、そう諦めた今になって、初めて手を差し伸べられた。


 ヒノカは差し伸べられた手を掴もうとした。

 その手の中に諦めた希望を見たのだ。


 ――だが、その手を掴むことが出来なかった。


「リアン……!?」

「……あ、れ?」


 リアンの胸に、後ろから突き立てられた刀の切先が見えた。

 赤い血が胸から溢れ出し、衣服を汚していく。

 刀が抜かれると共に、リアンは力なく地面に倒れていく。


「ロアードめ……仲間に火竜を逃す指示を出していましたか。ですが、これで何もできないでしょう……」


 血だらけの刀を手にしたソウエンが、いつの間にかそこにいた。


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