竜狩
開けた窓から朝日差し込む部屋。
敷かれた畳の上に座りながら、リアンはなんとなく窓からの景色を見ていた。
この部屋はヒカグラの国長が用意してくれた貴賓室だ。
そのため城からの眺めはユハナの街がよく見える。
相変わらず活気は見えない。
窓から入り込む風も昨日より冷たい。
「おはようございます、リアン様」
「おはよう、リュシエン」
窓の景色から振り向けば、リュシエンがいた。
起きた様子だが衣服はいつもの長衣に着替えており、髪の毛も綺麗に編み込まれて横に流されている。
「君もロアードと同じくらい早起きだよね」
ロアードはリュシエンより先に起きており、すでに朝の鍛錬に向かって行った。
ちなみにファリンとミレットはまだ布団で寝ている。
「早起きすればその分時間を有効活用できますから」
「エルフの君が言うの? 時間は有り余ってそうだけど」
「失礼ながら、リアン様よりは時間は余ってませんよ」
「……それもそうか」
未だ人であった時の感覚が抜けない。
様々な物事を人の目線や基準で考えてしまう。
それは悪いことではないだろうが、自覚はしないといけないだろう。
過ぎていく時間に着いていけるのは竜だけ。
長命のエルフであっても、いつかは置いて行かれてしまうのだから。
「リアン様は寝ておりませんね?」
「……まぁね」
今こうして睡眠を取らなくてもいいのが、竜である証だ。
「……ロアード様の目的は達成しました。火竜ヒノカ様に邪竜の死亡を伝え、依頼は取り下げられましたから。なので、早くても明日にはこの国を発つことになるでしょう」
表向きにはリアンたちはロアードのパーティメンバーであり、付き添いだ。
彼の目的が終わった今、この国に留まる必要がない。
「リアン様の目的も、達成されましたよね?」
「……そうかもね。正体は明かさなかったけど、少し彼女と話すことは出来たし」
リアンがこの国を訪れたのは、リアンと同じく二代目の竜となったヒノカの存在が気になったからだ。
そのヒノカとは城下町で出会い、昨日は少し話もできた。
ヒノカが気になったのはロアードと同じく、レヴァリスの死を納得させるためでもあったが、昨日話した限りでは彼女は納得していた。
すでに気持ちは立ち直り、次なる目標に向けて頑張る様子でもある。
「ですが、まだ気になることがある様子ですね?」
その時、窓の外が騒がしくなった。
外を見ると、城門の前に多くの兵士たちが集まっていた。
それを指揮する武将、ソウエンの姿も見える。
物々しい雰囲気はまるでこれから戦に出るかのような雰囲気だ。
「あれは……どういうことでしょうか?」
「リュシエン、どうやら悪い予感が当たったようだ」
リアンの予想通りと言えばそうだが、本当にそうなるとは思わなかった。
◇◇◇
「ソウエン、この軍隊はなんだ? 何かあったのか?」
朝の鍛錬をしていたロアードもまた、この物々しい雰囲気にただ事ではないと感じた。
すぐにロアードはソウエンの元に行き、彼に話しかけた。
「ロアード殿、このような朝早くから騒がしくしてしまって申し訳ない。……我々はこの国にとっての脅威を排除するために準備をしているところです」
「脅威? 魔物の群れでも現れたのか?」
ゴブリンやオークといった魔物が繁殖し大きな群れとなって村や街を襲うことはよくあることだ。
ロアードは冒険者として旅先でよくこういった場面に出会すことが多く、その度に手を貸してきた。
今回もその手の類なら手伝おうと思ったのだろう。
だが、ソウエンは否定するように首を振る。
「いいえ……我々の目的は火竜の討伐です」
「……火竜だと?」
火竜。
つまり、昨日ロアードが決闘したあの少女の姿をした彼女……ヒノカのことだろう。
「本気なのか? 彼女を殺すのか? そもそも、今脅威を排除しにいくと言ったがあの火竜がお前たちに何をした?」
「何もしておりませんよ」
「だったらなんで――」
「何もしていないから、ですよ」
ロアードの声を遮ったソウエンの瞳は、暗く冷え切っていた。
「……ロアード殿、考えてみてください。我が国を支える火が消えてしまったのは、あの火竜のせいです! いえ、あれは火竜なんて力を持たない紛い物だ!」
昨日彼らは確信した。
ヒノカは火竜と呼ぶに値しないと。
ロアードにあっさりと負けるような存在は、火竜ではない。
ロアードは邪竜を討ち倒した英雄であるが、ヒノカはその足元にも及ばなかったのだ。
「あれがいる限り、ヒカグラの地はかつてのように燃え滾る火を宿す地域に戻ることはありません」
肌を焦がすほどの熱気もない、すっかり冷めてしまった今のこの地はヒカグラとは呼べない。
「だから、殺すってのか?」
「火竜と呼べるに相応しい力をあれは持っていません。それに、あの状態のままで火竜の座におられては……この世界にとっても不都合かと」
火竜は四大元竜の一柱だ。
火を司る竜神であり、この世界の火の元素バランスを担う。
火竜としての力が足りないということは、この元素バランスにも影響が出る。
すでにヒカグラの地域以外での火山活動の停止や、気温の低下が起きている。
極端な話をすれば、火の元素がなくなっていけば、この世界は極寒の世界と成り果てるだろう。
「まだそうなるとは決まった訳じゃないだろ。それに、あの火竜を殺したとしても、その後どうなる? また百年前みたいに火の元素が暴走するかもしれないんだぞ!」
百年前、ヘルフリートが死んだその時、火の元素は制御を失って荒れに荒れたという。
そうなれば百年前と同じく火山が大噴火したり、大干ばつなどの自然災害が起きるだろう。
それによりヒカグラだけでなく、周辺地域も巻き込まれるだろう。
「それこそ願ってもないことです! この国は再び熱を帯び、燃え盛ることができる!」
だが、ソウエンはそれを心から望んでいた。
「お前……本気で言っているのか?」
「ロアード殿、これは私だけでなく、国長の命であり、そして我が国の総意ですよ」
周囲を見れば、真っ赤な鎧を着た兵士たちがロアードたちを見ていた。
彼らの瞳はソウエンと同じだった。
冷え切った暗い瞳は、すでに覚悟が決まり、目的に向かって突き進むための意思を持っていた。
「我々としても、ゴクエン様の忘形見を殺したくありません。ですが、こうしなければ、この地域は死んだままなのです」
冷えたこの地は死んでしまったも同義だ。
ならば、たとえ危険になると分かっていようと、火の元素が暴走すれば、この地は再び火を得る。
それはこの国の人々にとって、百年以上も待ち続けた火の力だ。
「ロアード殿、貴殿であれば理解して下さるはず。我々は国を守る為に障害となる竜を討伐する……祖国のために邪竜を討伐した貴殿であれば……!」
ソウエンはロアードに手を差し伸べる。
「ぜひ貴殿の力を貸して欲しい! 人の平和の為に、火竜を討ち倒しましょう……!」
ロアードは邪竜を討ち倒した英雄だ。
かつて自身の国を滅ぼした邪竜に復讐する為に彼は今までを生きてきた。
ヒカグラの国民たちの気持ちは分からないわけではない。
「……悪いが俺は協力出来ない」
たが、ロアードはその手を取らなかった。
「そうですか……残念です」
落胆、いや裏切られたとでも言うように、ソウエンはロアードを少し睨んだ。
「では、我々は出発致しますので、失礼します」
「おい、待て!」
ロアードの呼びかけには止まらずに、ソウエンは背を向ける。
そのまま大勢の軍隊を率いて、竜宮山の方角へ向かって行った。
「ロアード」
「……リアン、どこまで聞いていた?」
話が終わってすぐにリアンはロアードに話しかける。
リアンはすでに外に出て城門前に来ていた。
だがロアードたちの会話が終わるまで、遠くから見ていたのだ。
ロアードはその姿に、途中から気付いていた。
「割と最初から。私は
彼らの会話自体は水に反響する声を通して聞こえてきていた。
ちょうど井戸が近くにある場所だったため、聞き取りやすかったのだ。
「あの誘い、断ったんだね」
「当たり前だ。……俺は罪なき者に剣は向けない。それが竜であっても同じだ」
ちらりとリアンを見る。
まるでリアンにも言っているかのようだ。
「それよりどうする? あいつら火竜を殺すつもりだぞ」
「ロアードはどう思う? 彼らはあの火竜に勝てると思う?」
「……正直に言えば、もしかしたら本当に火竜に勝ってしまうかもしれん」
ロアードは昨日のことを思い出しながら話し出す。
「昨日戦ったヒノカの実力は確かに強いが、レヴァリスやリアン程ではない。対してソウエン、あいつはかなりの実力者と見た。冒険者で言えば一級クラスだろう」
冒険者以外にもこの世界には実力者は沢山いる。
ソウエンはこの国で最強の武将……それ程までの地位となると、冒険者の一級に並ぶだろう。
「あとは兵士たちも精鋭揃いだった。……数の優位で立ち回りながら戦えば……ヒノカを倒せる」
火竜ヒノカは……お世辞にも強くない。
昨日ロアードと戦った時が全力であったなら、そう評価せざるを得ない。
「だが……ヒノカは殺されるべきじゃない。彼女は人に対して、何もしていないだろう?」
昨日相対したヒノカは己の力を誇示する為にロアードに決闘を仕掛けたが、それだけだ。
少し関わっただけでも、ヒノカがレヴァリスのような邪竜には見えなかった。
「ヒノカを助けるつもり? ソウエンたちが言ったように、放っておけば世界の破滅を招くかもよ?」
「だからといって殺されていい理由にはならない。他に手はあるはずだ」
「……さすが、ロアード。そう言うと思った」
ロアードは正義感が強い。
見ず知らずの者でも手を差し伸べる。
それが竜であろうとも、変わりはしない。
「そう言うお前こそ、助けるつもりだろう?」
「なんでそう思ったの?」
「俺が信じた
「……よく分かってるじゃん」
リアンもまたお人好しだ。
ヒノカのことを放っておくつもりはなかった。
彼女は同じ竜であり、二代目を継ぐ存在。
余計に放って置けない。
(それに、彼女はあんなにもこの国を案じていた。この国の為に、認められようと強さを欲していた。……それなのに、こんな仕打ちは酷すぎるよ)
母親の形見を国民に盗まれても、捕らえることをしなかったヒノカ。
人間に物を盗まれる程に弱い存在だが、それでも彼女はこの国に相応しい竜になろうとしていた。
だが、国民たちが出した答えはヒノカの排除だった。
このままでは彼女は、あまりにも報われない。
「リアン様!」
「ガウ!」
城門前にミレットの背に乗ってリュシエンとファリンがやってきた。
「お姉様、遅れて申し訳ありません!」
「いや大丈夫だよ。それより準備はできた?」
「はい、言われた通りポーションは大量に用意しました。あと、こちらはお姉様に頼まれた物です」
「ありがとう、ファリン。助かるよ」
ファリンは赤い液体の入った瓶を取り出し、リアンに手渡した。
「リアン様、軍の出撃は国長の命令のようです」
「国の総意というのは間違ってなかったみたいだね」
「ええ。一応、軍を退くように交渉してみましたが、話すらまともに聞いてくれませんでした」
リュシエンの報告をリアンは受け取る。
リュシエンにはここに来る前に国長側を調べるように頼んでいた。
もしかしたらソウエンを中心に、兵士たちの一部が暴走したのかと思ったが、統治者たる国長からの正式な命令だったようだ。
「下手に介入すれば外交問題になると思われますが……」
「……外交を理由にヒノカを見捨てろと? それができると思うか?」
「やっぱりそれは出来ないよね、ロアード」
ロアードはバルミア公国の名代であり、冒険者ギルドの代表としても訪れている。
確かに今回の事態に介入すれば外交問題となるだろうが……。
「問題ない。火竜は四大元竜の一柱だ。それを殺そうとするヒカグラ側こそ世界を乱す行為をしている……だから俺たちは介入した……ということにしておけばいいだろう」
「ですが……」
「お兄様! ヒノカ様の命が掛かっているのですよ! ぐだぐだ言っている暇はないのです!」
ファリンの言葉に、リュシエンは困ったように頭を抱える。
「リュシエンは余計なことに巻き込まれたくないんでしょ。せめてファリンだけでも置いていきたいんだよね」
「分かっているなら、一緒にファリンを止めてくれませんか?」
「いいえ! たとえお姉様に止められてもわたしは行きますから! わたしだってヒノカ様のことが心配なんです。少しでもお役に立ちたいのです」
涙目に訴えながらも、ファリンの意思は簡単には折れなさそうだった。
「リュシエン、諦めろ。彼女は本気だ」
「ロアード様までそう言うとは」
「言っておくけど私も反対できないよ。少しでも人数が欲しいし、ファリンの能力は出来れば欲しいから」
彼女の作り出すポーションは様々な用途で役に立つ。
ファリンは戦闘能力はないため、後方にいた方が安全だが、場合によってはその場での調合も必要なため、前線にいた方がいいだろう。
「……ロアード様、今回の件でもし外交問題になった場合は……」
「安心しろ。出来るだけお前たちは無関係であると処理する。もし何かあった場合は、公国側で保護するようにエルゼに掛け合う」
「確定ではないのが不安ですが……仕方ないですね。いいでしょう」
リュシエンが諦めるようにため息をついた。
「ちなみにリアン様、今回ファリンの安全は約束できますか?」
「悪いけどそれは出来ない。……今回私は出来る限り水竜の力を使わないつもりだから」
「大丈夫ですよ、お兄様! ミレットが守ってくれますから!」
「ガウ!」
小さなファリンの隣で、大きな巨体でお座りしたミレットが返事をする。
「……そんな! 前までなら真っ先にお兄様がいるから大丈夫だと言ってくれたのに!!」
その姿を見て何故かショックを受けたリュシエンだった。
「あっ、もちろんお兄様のことも頼りにしておりますから!」
「大丈夫です、ファリン……あなたが何と思おうと兄は変わらず貴女をずっと守りますから。それは変わりありませんから……」
リュシエンは落ち込みながらも、確固たる意思でそう言った。
「それはそれでシスコンが過ぎるよ。……まぁでも、私もリュシエンがいるからファリンも大丈夫だと思ってたから」
「そうですか……ではファリンに何かあったら貴女の責任にして貴女を呪っておきます」
「……怖いことを言うね、リュシエンお兄ちゃんは」
「だからお兄ちゃんと言わないでください」
少し引き気味のリアンにそう言いつつ、リュシエンはがっかりと落としていた肩を戻す。
「……それで、これからどうされるつもりですか、リアン様」
「とりあえず、あれを少しだけでいいから足止めしておいて欲しい」
リアンはスッと指を差した。
それは竜宮山へ向けて出発した赤い軍勢。
火竜討伐の為にヒカグラの国の中から選び抜かれた精鋭部隊。
延べ千人程の人間たちの足止めだった。
「……無茶を言いますね」
リュシエンは苦笑いをした。
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