ヒカグラの国

「ここがヒカグラの国の首都、ユハナか……」


 ヒカグラの国に入ってから首都であるユハナに着くまで二日ほどかかった。

 飛んで行けばすぐに着いたが、それでは水竜とバレてしまう。

 先代に勘違いされようとされまいと、リアンが水竜であるという事実は今は伏せるべきだった。

 そのため、ヒカグラの国に入ってからは、徒歩でこのユハナまでやってきた。


 苦労して着いたユハナの街並みは、サントヴィレやバルミアなどとは大きく違っていた。

 黒の瓦屋根の長屋が立ち並び、すれ違う人々は着物と呼ばれる衣服を身にまとっていた。

 エルフの村の雰囲気に近いが、それとも微妙に異なる異国の様だった。


「街並みはいいんだけど……なんか、寂れてる?」

「街の人たちも浮かない表情ばかりですね……」

「がう……」


 ファリンもミレットも辺りを見渡して、リアンと同じように困惑していた。


 大通りには観光客向けの店が多く並んでいたのだが……どこもかしこも閉まっていた。

 行き交う人々もどこか雰囲気が暗い。


「あんたたち、旅人かい?」


 周囲を見渡していると、お婆さんに声をかけられた。

 着物を着ており、ちょうど閉まっている商店の扉から出てきたところだったため、地元の人だ。


「はい、そうですよ」

「珍しいもんだね……今更この国に来ても何もありゃしないってのに」

「珍しい……?」

「がう?」


 ファリンと、彼女に抱き抱えられたミレットが首を傾げる。


「この国は昔は温泉地として有名だったんだよ。……だけど最近じゃどこもかしこも源泉が枯れていってね。このユハナの街もあちこちから湯煙が上がってたんだが……」


 首都ユハナはあらゆる場所に温泉が引かれており、住民たちの家にも温泉が引かれているくらいだった。

 街のあちこちからは湯煙が上がっており、それもまたユハナの魅力の一つだったが……今は辺りを見渡しても何処からも湯煙は上がっていない。


「……百年前とは様子がずいぶん違いますね。ヒカグラの国といえば確かに有名な観光地だったはず。温泉を目当てに観光客が来て賑わっていましたが……」

「見ての通り、今は温泉が出なくて観光客なんて居ないよ。温泉が出ているのはもう一部だけさね」


 リュシエンの言葉に、悲しそうにお婆さんがそう返す。


「やっぱり、ヒノカ様では……あぁいや何でもないよ」


 火竜に対して何かを言いかけたが、すぐにお婆さんは口を閉じる。


「私はもう行くよ。……温泉はもうないけど、ゆっくりしていっておくれ」

「はい、お話しありがとうございました」


 ファリンが笑顔でそう言えば、お婆さんも少し表情を明るくして微笑みを返して別れていった。


「温泉はない、か。確かに火の元素の力が弱い気がする……。他と比べて少し高くはあるけど……」


 地熱によって温められた地下水が地表に噴き出すのが温泉だ。

 地熱の元は地下のマグマだが、そのマグマは火の元素を多く含む。

 当然、火の元素が弱まればマグマも冷えていく。

 結果として温泉も冷えてなくなっていくだろう。


 たが、火竜の縄張りで、火の元素が弱いなどおかしな話だ。

 リアンもまた水竜であるため、リアンが意識して制御しない限り、リアンの周囲には水の元素が漂うほどだ。

 一箇所に留まり続ければその周囲一帯は水の元素で溢れるだろう。

 火竜がこのヒカグラの国に留まっているなら当然そうなるはずだが……。


「本当に火竜ってここにいるの……?」

「……居るはずだ。火竜が地竜のように去ったなどとは聞いたことがない。それに温泉が枯れ始めたのは、レヴァリスのせいだとも言われていたはずだ」


 確かに水竜ならば、水の流れを変えたり、そもそも水源を無くしたりなどして、温泉の源泉を枯らすことは可能だろう。


「また先代のせいか……」


 また一つ、リアンを悩ます種が増えてしまった。


「リアンお姉様の力でなんとかできないでしょうか? レヴァリス様の力でそうなったのなら、お姉様なら元に戻せるはずです……!」

「がぅ!」


 ファリンとミレットが期待したようにリアンを見る。

 この街の現状と先程のお婆さんの様子を見て、なんとか解決したいと思ったのだろう。


「出来ないことはないだろうけど、今水竜の力を使うと、ヒノカが飛んできてしまいそうだよ」

「そ、そういえばそうでした……!」


 レヴァリスが生きていると思い込んでいるらしいヒノカに、今リアンが会えば誤解されるのは想像に容易い。

 出来れば穏便に事を進め、ヒノカがレヴァリスが死んだと分かってから、二代目水竜であると明かしたいところだ。


「とりあえず……火竜が居るかどうか確かめるためにも会ってみたいんだけど、手順があるんだっけ?」

「あぁ。竜宮山と呼ばれている場所に火竜は居るが、その竜宮山に入るには国長の許可が必要だ」


 竜宮山は火竜の住処である。

 守護竜の聖域でもあるため、人が簡単に立ち入らないように、ヒカグラの国が管理していた。


「今回はバルミア公王……エルゼの名代と冒険者ギルドを代表して俺が火竜ヒノカに会いに行き、レヴァリスの死の説明をし、依頼を取り下げてもらうということになっている」

「私たちはあくまで、ロアードのパーティメンバーの付き添い人……ってことだったね」


 聖域はよっぽどのことがなければ、この国の君主たる国長でも立ち入ることが許されていない。

 今回、その許可を得るために表向きは、レヴァリスの目撃情報を求める依頼を取り下げないヒノカに、その死の説明をロアードがしに行くというものだった。

 ロアードは邪竜討伐の英雄である。

 彼が出向き、その口から真実を語るのが一番だろう。


「ごめんね、ロアード。私が火竜に会いたいばかりにこんなこと頼んで……」

「どちらにしろ、この件はなんとかしなければならなかったことだ。だから、リアンは気にするな。それに前も言ったがお前の手は借りないが、お前にはいくらでも手を貸す」

「そうだったね、ありがとうロアード」


 リアンの礼の言葉に、ロアードは微笑みを返す。


「ではまずは国長に会いに行くぞ。国長はあの城にいる。先んじて連絡は入れてあるから謁見は出来るだろう」


 何はともあれ、まずは国長に会って許可を貰わなければ。

 リアンはロアードの後をついて行くように歩き始めた。



 ◇◇◇



 城下町の中心に、その城はそびえたっていた。

 すでに連絡を入れていたからか、城内に着いてからは手早く、国長の元に通された。


「バルミア公王の名代よ、よくぞ参った。顔を上げるがよい」


 ヒカグラの国長、シュモンは畳の上で頭を下げるロアードたちを出迎えた。

 年齢は初老か。だが、強い意志を持つその目は、為政者らしい威厳を持ち合わせている。


「バルミアでの邪竜討伐の件は聞き及んでおる。……よくぞかの邪竜を討ち取ってくれた。我が国も先祖の代よりあの邪竜には頭を悩ませておった。国を代表し、まずは礼を述べよう、ロアード」

「自分がやるべきことを成したまでだ。礼には及ばない」

「……冒険者にしておくには惜しい男だな。どうだ? 我が国に仕えるつもりはないか? 待遇は良くするが――」

「俺はグラングレスの王子だ。もう祖国はないがその心を忘れたつもりはない。――だから、他国に仕えるつもりはない」

「そう答えると思っておった。……残念だ。邪竜をも退けたその腕、実に欲しいものであった」


 きっぱりと断ったロアードの姿に、国長は残念そうに口元のシワを深めながら笑う。


「さて、貴公らの目的はヒノカ様への謁見だったな?」

「邪竜レヴァリス亡き後も、ヒノカ様は依頼を出し続け、邪竜の死を信じていない様子。だから俺が直接出向き、邪竜の死を伝えるため、こうして参った。……その為に竜宮山への立ち入りの許可を求めたい」

「……ヒノカ様には我々の散々説明をした。だが聞く耳を持ってくれなくてな。だが、邪竜を討ち取った貴公の話ならば、聞いてくれるかもしれぬ」


 国長はうむと一つ頷く。


「竜宮山への立ち入りを許可しよう。ヒノカ様の説得を任せたぞ」

「感謝する」

「……一応、確認の為に聞かせてくれ」


 話はこれで纏まったように見えたが、国長が再び口を開いた。


「邪竜レヴァリスは本当に死んだのだな?」

「あぁ、俺がこの手で殺した」

「……水の元素の乱れを確認出来ておらぬ。ゴクエン様……いやヘルフリート様と同じく死んだのであれば、そうなってもおかしくはなかろうに」


 ゴクエン様とはヒカグラの民がヘルフリートを呼ぶ時の名前である。

 火竜ヘルフリートが死んだその時、火の元素が一時的に乱れた。

 その結果、大規模な干ばつなどの被害が世界にあった。

 ならば、レヴァリスが死んだ今、同じく水の元素に乱れがあってもおかしくない。


(……元素の乱れはしようか悩んだ。だけど下手に乱れを出して不安を煽るより、邪竜が完全にいなくなったという安心感を人々にはまず持って欲しかった。それにその後にすぐ二代目として名乗り出ればいいと思ってたんだけど……)


 邪竜が居なくなったという安心感を人々に持たせた後に、二代目水竜として名乗り出るつもりだった。

 そうすれば元素の乱れがなかったのは、二代目の水竜が現れたおかげだからと人々は考えてくれる。


(ヒカグラの人々は竜の死を最も身近で経験した人たちだった……だから他国の人よりこの事に気付くのが早かったか……)


 ……さて、どう言い訳するべきか。

 元よりリアンはロアードの付き添いだ。

 この場で口を挟む立場ではない。

 となると……ロアードに任せることになる。


「あぁ、そのことか。……よくは分からないが、俺が全力で斬ったからか、竜の力はすぐに飛散したな」

「停留することなく竜の力が飛散したか。それならば、竜の力の暴走による乱れがないというのも納得できるが……」


 ヘルフリートの死亡時、停留した火竜の力が死と共に暴走した。

 たが、レヴァリスの力は飛散したというなら、同じことは起きないだろう。


「だが、元始の竜は世界の元素バランスを担うもの。特に四大元竜こそ世界の要。邪竜と呼ばれたとはいえ、レヴァリスはその一柱だった。居なくなったのであれば、乱れが現れるはずだ」


 この世界は四大元素のバランスによって成り立っている。

 その四大元素は火、土、風、水だ。

 それらを司る火竜、地竜、風竜、水竜はまとめて四大元竜と呼ばれる。


「確かにそうだが、乱れは今のところ現れてはいない。このことから考えるに――」


 一瞬、ロアードの視線がリアンに向いた。

 ほんの一瞬のため、リアン以外には気付いていない。


「新たな水竜が産まれ出たとは考えられないか?」

「新たな水竜だと? そんなことが――」

「他でもない、ヒノカ様という前例がある。あり得ない話ではないだろう?」


 ロアードにそう言われ、国長は黙る。

 元素の乱れが現れないのはレヴァリスがまだ生きている他に、新たな水竜が産まれたからしかないだろう。

 そしてその前例はすでにこのヒカグラの国にいる。

 二代目火竜ヒノカだ。


「……確かにロアード、貴公の言う通りだ。ヒノカ様のように役目を継いだものがいるかもしれんな。そしてそれが本当ならば、邪竜レヴァリスは死んだことになる」


 少し黙っていた国長は、憂いが晴れたかのように笑う。


「貴公の話を信じるとしよう」


(……国長が納得しただけじゃなく、新しい水竜の存在も話に折り込むとは)


 今の話はいずれ名乗り出るその時に、役に立つだろう。

 可能性が示されたことにより、リアンという存在を受け入れやすくなる。

 それを他でもないロアードが話題にしてくれた。

 彼に感謝しなければとリアンは思った。


「部屋を用意させよう。今日はゆっくりと休み、明日竜宮山に行くとよい」


 竜宮山への道のりは結構掛かる。

 リアンたちは国長の言う通りに、出発は明日にすることにしたのだった。

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