閑話 手合わせ

「これで完成ですね」


 縫い合わせた服の出来栄えに満足しながら、リュシエンは一息付く。

 邪竜討伐事件から数日後。

 リュシエンはリアンとの約束通り、彼女の衣服を新しく作っていたのだ。


「デザインは気に入っていたようですしそのままにして、動きやすさを上げてみましたが、喜んでくれるでしょうか?」


 白と青のローブワンピースを見ながらそう呟いたところで、リュシエンは呆れたような笑みを浮かべる。


「……ずいぶんと私も絆されましたね」


 邪竜レヴァリスから力を受け継ぎ二代目水竜となったリアン。

 彼女はファリンのために百年と降り続いた雨を止ませ、約束を守る白虎を誤解から守り、グランクレス王国の首都を解放した。

 さらに世間から真の邪竜が生まれ出ることを危惧して、自身の身を危険に晒しながらも芝居を打った。

 それにより世間は邪竜は討伐され死んだと思い始め、人々の恐怖から真の邪竜が生まれ出る心配もなくなった。


 邪竜の疑いは行動によって晴らすと言っていたが、確かにこれらの行動は疑いを晴らすのには十分だ。


「それでも私は――」


 その時、ドアからノックが響いた。

 ファリンやリアンならドアをノックしないだろう。

 何せバルミア公国が用意してくれたこの部屋は、二人の部屋でもあるのだから。


「ロアードだ」


 続く名乗りを聞いて納得する。

 リュシエンはすぐにドアを開けると、あの黒髪の一級冒険者、今や邪竜殺しの英雄が立っていた。


「何か御用でしょうか、ロアード様。リアン様でしたら現在ファリンやミレットと共にエルゼリーナ様のお茶会に招かれております」


 数刻前にエルゼリーナからの使者がお茶会の誘いを持ってきた。

 リュシエンも招待されていたが、衣服の完成があと少しだったため、それを理由に断っていた。


「そうか……リアンに手合わせを頼もうと思っていたんだが間が悪かったな」

「手合わせですか?」

「リアンと戦って以降、俺の力が強くなったようなんだ。火事場の馬鹿力かと思ったが、そうではないようでな」


 その話を聞いて、リュシエンはある可能性に思い付く。


「もしかしたら、ロアード様は覚醒者となったのかもしれません。私も噂に聞く程度ですが、力に飲まれるのが暴走化オーバーロードのことですが、その力に飲まれず、制御できた者は覚醒者となると聞いたことがあります」


 長命種のエルフたちでさえ、覚醒者のことを知る者は少ない。

 それだけ覚醒者とは歴史の中でも稀な存在なのだ。


「……古い文献に似たような記述があった。そうか、この事だったか」


 リュシエンの話を聞き、ロアードも思い当たるものがあったようで、納得するように頷いた。


「まぁとにかく、力の上限を確かめたくてな。だからリアンと手合わせしたかったんだが……」


 ふと、ロアードが何かに気付いたようにリュシエンを見る。


「お断りします」

「まだ何も言ってないだろ……。俺の力を受けても平気そうなのはリアンくらいだと思ったが、お前も行けそうだな?」


 ◇◇◇


「結局こうなりますか……」


 リュシエンはここに連れ出してきたロアードを恨めしげに見る。


 王宮から出て、少し離れた場所。

 城下街との間には何もない平地が広がっている。

 何もないからこそ、手合わせをするのにぴったりだ。

 ただ昨日降った雨のせいか、水溜りなどで泥濘んでおり、足元のコンディションは最悪だが。


「お前とはもう一度やり合いたいと思っていたところだ。あの時は決着を付けることが出来なかったからな」


 あの時とはきっと初めて会った時だろう。

 盗賊たちの拠点で居合わせたロアードは、いきなりリアンに斬りかかり、その間にリュシエンが間に入って止めた時だ。


「確かに決着は付きませんでしたが、私が勝っていたでしょうね」


 あの時、リュシエンはロアードの実力を見誤り油断を少ししていたが、それでも勝てていた自信がある。


「抜かせ、俺が勝ってた。それに今回も勝つ」


 ロアードは大剣を手にする。

 それは宝剣クロムバルムではなく、普通の大剣だ。


「あの地竜から授かりし剣は使わないので?」

「俺本来の力がどれほどか試したい。……そっちもあの妙な槍は使わないでくれ」


 言うなりロアードは普通の槍をリュシエンに投げ寄越す。


「小細工なしの勝負をしようぜ?」

「そう言われては仕方ないですね。……しかし、本当によろしいのですか?」

「そんなにあの槍が使いたいなら、そっちは使ってもいいぞ?」

「まさか、貴方様のような青二才にはこれで十分ですよ」


 リュシエンは普通の鉄製の槍を確かめるようにくるりと回して構える。

 相手は千年に一度の覚醒者。

 それでもリュシエンは臆することがないのは、経験の差か、それとも……。


「あの大剣を使っていれば良かったなんて、言わないでくださいよ」

「言ってくれる……!」


 その言葉が戦闘開始の合図となった。

 《脚力強化スピードアップ》で素早く踏み込んだロアード。

 振り下ろした一撃を、リュシエンは難なく受け止める。


「――《風よ、吹き荒れろ》!」

「っ!? 《防御障壁プロテクション》!」


 至近距離で発生された魔法による鋭い旋風をロアードは魔術で防ぐ。

 風牙槍は確かに風の元素を操りやすくなる武器だ。

 だが、それがないからと言って、リュシエンが魔法を扱えなくなるわけでもない。


「その技の欠点はこれですね」


 リュシエンはロアードの横にすぐ回り込むと、その横っ腹に蹴りを入れた。

 前方向の風の魔法を防いでいたロアードは何とかそれを回避する。


「魔術は確かに魔法と違い自然の法則から外れますが、よっぽど現実的でもあります。現実を元に創造した方が楽ですから。……ロアード様の《防御障壁プロテクション》、それは壁や盾を元に創造した力と見える。だからこそ、前面からの攻撃に対しては有効ですが、側面はがら空き、でしょう?」


「よく気付いたな……」

「何度も見ましたからね」

「確かに発想の元はそうだな。ならこれはどうだ? 《防御障壁プロテクション》」


 攻撃もしていないのにロアードは《防御障壁プロテクション》を展開する。

 なぜと思うも、リュシエンはすぐに気が付いた。


 リュシエンの四方・・を囲うようにして《防御障壁プロテクション》が展開されていた。

 つまり……リュシエンは箱の中に閉じ込められたのだ。

 さらにその箱型の《防御障壁プロテクション》は徐々に小さくなってきている。このまま内側にいれば挟まれ、潰されてしまうだろう。


「……防御技をこう使いますか! 《疾風よ、貫け》!」


 悪態を吐きながらリュシエンは槍の穂先に集めた圧縮した風を一気に突き出した。


 ――バリンッ!


 ガラスが割れるような音を立てて、リュシエンの目の前にあった透明な壁…… 《防御障壁プロテクション》が破れる。

 その割れた側面からリュシエンは素早く外に出るが――。


「もらった!」


 待っていましたと言わんばかりに、外に出たリュシエンに向かってロアードは大剣を振る。

 槍の柄で受け流すも、勢いを殺しきれずリュシエンは地を転がるように飛ばされた。


「全く、これだから魔術は……」


 現実を元に創造する魔術は予想をしやすい。

 だが使用者の少しの発想の転換で、様変わりする。

 予想可能であり予想不能でもある……それが魔術だ。


「以前までなら一面を展開するだけで手一杯だった。でも四方八方を塞ぐやり方も今なら行ける気がして試しにやってみたんだが……」

「それで、出来てしまったわけですか」

「まぁ、慣れてないことしたせいで強度は不安定だったみたいだがな」


 これが覚醒者の力というものだろうか?

 リュシエンは立ち上がりながら考えこむ。


「創造力は思い込みによるもので左右します。……出来ると確信を得たことで、一面だけでなく複数の障壁の展開が出来たのかもしれません」

「なるほどな……」


 それは覚醒者となった自信が影響しているかもしれない。

 エルゼリーナから世界の在り方の真相を聞いたことも影響していそうだ。


 この世界の在り方もまた人々の創造力から来ているものだ。

 魔術はその延長線にあるもの。

 世界の在り方は人々が形創るが、魔術は個人が形創るもの。

 理論上なら、強く思い込めば何でも出来ることだろう。

 しかし、それを創れるだけの魔力と自信が無ければ何も出来ない。


 ……たが、ロアードならばその理論を、実現する可能性を秘めている。


「お前、戦うの好きだろ?」

「なぜそう思いますか?」

「そんな表情をしていればそう思うさ」


 リュシエンは泥濘んだ地面を転がったせいか、泥だらけだ。

 だが、その口元には笑みが浮かんでいた。

 他所行きの愛想の良い笑みではなく、状況を愉しむかのような笑みだ。


「…………ははっ。本当に世界は広いですね。貴方が言った通りだ」


 小さく呟かれたリュシエンの言葉は、ロアードに向けたものではない。


「……リュシエン?」

「すみません、少々昔を思い出していました。こんなにしてやられたのは、久々だったので……」


 不意にリュシエンの纏う雰囲気ががらりと変わる。


「さぁ、続きをしましょうか。覚醒者の力はこんなものではないのでしょう? その力、もっと見せてください」


 ニヤリと笑い、ロアードを見るその瞳は爛々としている。

 覚醒者を前にしてもリュシエンが臆さない理由……それは好敵手に相応しいと思ったからだ。


「やっぱり戦うの好きだろ?」

「今は嗜む程度ですよ」


 第二ラウンドの開始の合図には、十分な言葉だった。


 ◇◇◇


「クソッ……! あともう少しなのに!」


 地面に倒れ込んだロアードは荒い息を切らしながら悔しそうにそう叫ぶ。


「……引き分けですね」


 リュシエンも疲れたように座り込みながら苦笑する。

 ロアードの力を侮ったわけではないが、まだ力を手にしたばかりの若造に負けるつもりはなかった。


 結果は引き分け。


 両者共に決定打を与えられず、ジリジリと消耗戦を繰り返すだけに終わった。


「だが、悪くない。……俺の力はまだまだだと知れた。……覚醒者と言われて少し、調子に乗っていたようだ」

「今更気付きましたか?」

「……そう言うリュシエンも、随分と自信ありげだったじゃねぇか」

「邪竜殺しの英雄様に負けない程度なら十分でしょう?」

「……その呼び名、あまり好きじゃないんだが」

「事実ではあるでしょう? あのリアン様に一撃を与えたのですから」


 傷を付けることすら困難な竜に、筋書き通りとはいえ彼はリアンに一撃を与えた。

 地竜から授けられた宝剣クロムバルムと、覚醒者の力があったことからなし得たことだろう。


「ロアード様、貴方はいずれ私を超える力を手に入れますよ……それこそ、竜を殺すほどの力を」

「……以前なら何としても欲していたが……」


 かつては邪竜レヴァリスを殺すためにロアードは力を欲していた。

 しかし今となっては手に入れたとして使い道がないだろう。


「リアン様との約束、忘れておりませんよね?」

「忘れちゃいない。だがあれはリアンを疑っていたから約束しただけで、今はもう……」

「それでも、忘れてはいけませんよ」


 そう言われ、ロアードは驚くようにリュシエンを見る。


「なぁ、リュシエン。お前、リアンのこと――信じてないのか?」


『――やっぱり、私のこと、信じられない?』


 ロアードの言葉はあの夜の言葉と重なった。

 それは邪竜討伐事件のすぐ後のこと。


『そろそろリュシエンは私を信じてくれるかなって思ったんだけど……』


 自身の身を危険に晒してまで邪竜を演じたリアンは、リュシエンにそう聞いたのだ。

 邪竜と疑うリュシエンからいつか信用を勝ち取る、そう宣言していたから。


『まだ信用出来ません』

『まだダメだったか〜』


 答えを聞いてがっくりとリアンは項垂れる。


『申し訳ありません、リアン様。これは私の性格が問題かと思われます。私はあらゆる物事を疑いますから……きっと妹以外を信用することはないかもしれません!』


『いっそ清々しいくらいのシスコンっぷりだね!』


 項垂れつつもツッコミを入れながら、リアンは言う。


『まぁ、リュシエンのことだしそう言うと思ってたよ。いや、むしろ、君には疑ってもらっていたほうがいいかもしれない……? うん、その方がいいね!』


『……どうしてそう思うのですか? 疑い続けてしまえば、邪竜が復活するきっかけになるかもしれませんよ』


『分かってるなら疑わないでよ……。まぁでも、確かに大多数に疑われるのは良くないけど、君一人ならいいかな。君が疑っている限り、私は邪竜じゃないように心がけるでしょ? 君から信用を得ようと正しく行動するよう常に考えるようになる。それに君は疑いを持って私の行動を見張ることになる。言わば監視役だよ。私の行動が間違っていれば、君がすぐ止める』


 誰も彼もがリアンを信用し、彼女の行動に疑問を持たない。

 それはリアンが正しく行動するならば、それでいいだろう。

 だがもしも、それが間違った行動だったならば?

 それにいち早く気付き、止める者もまた必要だろう。


『それに、君が疑うことを止めたその時は、私が邪竜になってそうだし』

『それは恐ろしいですね……』

『そうでしょ? だから君が見張ってて。私をずっと疑っててよ』


 まるで子供のお願いのように、リアンはリュシエンを見上げながら願う。


『疑われるのは嫌だったんじゃないですか?』

『そうだけど……君になら疑われてても良いかなって』

『なぜ?』

『だって君、竜相手でも物怖じせずに正直に言うじゃん』


 リアンをレヴァリスと疑っていた時から今まで、リュシエンは遠慮をしたことがない。

 相手を不機嫌にさせないような、嘘で飾ったご機嫌取りの言葉ではなかった。


『疑いをかけた上で、会話するのは難しいと思うんだよね。命惜しさに嘘を言うことだってあるのにさ』


 実際、エルフの村の長老衆はそうだった。

 それに対してリュシエンは疑いつつも、ご機嫌取りはしなかった。


『君は最初、私が怖くなかったの?』

『……慣れ、というものですかね。不思議と怖くありませんでした』

『慣れって……』

『常日頃、死ぬかもしれないと思えばそうなりますよ。いちいち怖いと思う時間が無駄だと思えてきます』

『嫌な慣れ方だね、それ……』


 一体どんな環境に身を置いていたらそんな考えになるのだろうか。

 それもリュシエンほどの実力者が。


『まぁ、とにかくそんな君だからこそ、私を疑っていて欲しいんだ。その時になったら遠慮なく止めてくれそうだしね。君は嘘をつかないし』

『随分と私のことを信用するじゃありませんか。私が嘘を付かない保証はありませんよ?』

『うん、それでもリュシエンのこと信用するよ』

『……私は信用せずに、貴方を疑うのに?』

『だからこそだよ。君が疑ってくれたほうが安心できる』


 にっこりと、リアンは笑って答える。


『貴女という方は……』


 自分を疑って信用するなと言っておきながら、自身はリュシエンを信用するという。

 全くもって無茶苦茶だ。

 ――だが、だからこそ、彼女は信用・・できる。


『……分かりました。たとえ世界の全てが貴女を信用しても、私は信用しません。貴女が邪竜にならないように、疑い続けてあげますよ』


 疑うということは、相手を信用していなければ出来ないことでもある。

 全く信用できない相手ならば、疑うことなどしない。

 これはリュシエンなりの信用の仕方とも言えるだろう。


『ありがとう、リュシエンお兄ちゃん』

『だから、お兄ちゃんと呼ばないでください』


 クスクスと笑うリアンに、リュシエンは困ったような笑みを返した。

 きっと、リュシエンがリアンを疑い続ける限り、妹と認めることもないだろう。


 これがあの夜で交わしたリアンとの会話だった。

 リュシエンは交わした約束の通りに、その答えをロアードに返す。


「――ええ、信用していませんよ。まだ疑っています」

「疑い深いんだな……リアンが聞いたらガッカリしそうだ」


 リュシエンの返した返事に、ロアードが呆れたように返す。

 事実は逆で、リアンが聞いたら喜ぶことだろう。


「あまり疑い過ぎると邪竜が復活するんじゃなかったか?」

「私の疑いはむしろ邪竜復活を阻止するものですよ。……むしろ貴方は簡単に信じ過ぎでは?」


 自国を滅ぼした仇敵の二代目。

 リュシエンと同じくらい疑ってもいいくらいだ。


「確かに信用はした。……だからこそ、裏切るような真似をしたらその時は容赦しない。約束通りにあの首を貰いに行くだけだ」

「……それで十分ですよ」


 ロアードの真剣な言葉に、リュシエンは満足したように口元を緩めた。


「手合わせ感謝する、リュシエン。おかげで俺の実力の把握がある程度できた」

「お役に立てたなら光栄です」

「また手合わせを頼む。次こそ決着をつけよう」

「望むところです」


 互いに真剣に打ち合ったせいか、ロアードとリュシエンは以前より打ち解けたようだった。


 今回の手合わせはこれで終わりだ。

 すでに日は落ちかけ夕暮れである。

 そろそろ戻らねばファリンたちが心配する頃だろう。


「……それにしても、お前の実力がこれほどとはな。冒険者ならすぐに一級になれるだろう」

「買い被りです。ただ、長生きなだけですよ」


 ロアードはそう返したリュシエンに苦笑しながら、背を向けて王宮へ戻ろうとする。


「……疑うことが出来たとして、止める力は私にはありませんよ」


 その背を見ながら、リュシエンは小さく呟く。

 彼女を疑い、そして止める時が来たとしても、それをする役目はきっとリュシエンではない。

 自分では竜には敵わないとリュシエンは嫌と言うほど知っている。

 竜に敵うとすれば、覚醒者たるロアードくらいだ。


「……羨ましい限りです」


 それでもリュシエンは疑うことを止めるつもりはない。

 そう約束したのだから。

 その背を追うように、リュシエンも王宮へ戻り始めた。

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