邪竜討伐

 首都カーディナルは今まさに、未曽有の危機に見舞われていた。

 かの邪竜が現れ、街の幾つかがすでに破壊されていた。

 水竜の口から出される水の量は滝のように激しく、頑丈な家であっても簡単に押しつぶしていく。


「やめろ!!」


 街に向かって放たれた水のブレス、しかし今度は見えない壁にぶち当たるようにして防がれた。

 防がれた水は飛散し、雨のように首都の街へ降っていく。


「ロアードだ!」


 誰かが叫び、指を差す。

 屋根の上にロアードが立っていた。


 先程の障壁はロアードの魔術だ。

 街の空を覆うように防御障壁プロテクションを発動し守ったのだ。


「どうしてこんなことをする……お前は邪竜じゃないのだろう? 答えろ、リアン!」


 水竜は何も言わない。またしても水のブレスが放たれ、ロアードはそれを防ぐ。


「くそっ、これ以上暴れると言うなら俺は容赦しないぞ」


 突如として、水竜のブレスが飛散する。

 ロアードがクロムバルムで斬ってみせたのだ。

 水竜の攻撃を叩き切るなど、普通の剣では不可能だ。

 だが、クロムバルムは普通の剣ではない。

 地竜バルムートの力を宿した剣である。

 同じ竜の力が拮抗し、水竜のブレスを斬り払ったのだ。


「《全身強化オールアップ》……!」


 ロアードが魔術を唱えれば、魔力のオーラが身体を包む。全身強化は運動神経はもちろん、防御力も底上げする魔術だ。

 制御が難しく、魔力消費の激しい魔術でもある。

 普段であれば、奥の手として滅多に使わないもの。

 しかし、相手はドラゴンである。ここで出し惜しみしては死んでしまう。

 ロアードは覚悟を決めた表情をして、屋根から飛び上がる。

 撃たれた矢のように、勢いよく水竜に向かっていった。


 ◆◆◆


 邪竜の出現から一時間。一級冒険者ロアードを筆頭に兵士たちも果敢に水竜に挑んでいるが、未だ決着はつく様子もない。

 それどころか、攻撃の余波が街を襲っている。

 当然、街の住人たちは避難するために首都の外を目指していた。


「あぶない!」

「逃げろ! 瓦礫が落ちてくるぞ!」


 大通りで避難をしていた住人たち。

 その近くの建物が戦闘の流れ弾によって破壊され、彼らに降りかかろうとしていた。


「――風よ、我が声に応え、瓦礫を吹きとばせ!」


 逃げ遅れた住人たちに落ちようとしてた瓦礫は、直前で止まり、そのまま誰も居ない場所に吹き飛んでく。

 まるで強風に吹かれていく葉っぱのようだった。


「大丈夫でしたか? さぁ、早くお逃げになってください」

「は、はい! ありがとうございました!」


 倒れた住人を助け起こしたのはリュシエンだ。

 もちろん、先の瓦礫を吹き飛ばしたのも彼の魔法である。


「お兄様! あちらにいた負傷者は治してきましたわ!」

「ファリン、では今度はこちらの方を連れて行ってください。どうやら足をくじいたようですから」


「わかりました! ミレット、お願いしますね」


「ガウ!」


 リュシエンの元にミレットに乗ったファリンが現れた。

 ファリンはさっと負傷者をポーションで治療すると、ミレットの背に乗せていく。


「まったく……あの方も無茶を言いますね……」


 ファリンたちを見送ったリュシエンが空を見上げる。

 上空のほうではロアードと水竜がやりあっているのが見えた。場所を移動したのか、首都から離れかけている。

 これで少しは首都への被害も減りそうだ。


「やってしまえ、ロアード!」

「邪竜なんて、殺しちまえ!」


 少しばかり安全になったからか、他の住人たちも同じように空を見上げては、そのような言葉を叫んでいた。


『邪竜は倒されるべきだよ』


 同じような言葉を、澄んだ水のような声が言ったのをリュシエンは思い出す。

 美しい少女の姿をした、彼女の口から言われたものだ。


 それはエルゼリーナの話を聞き終わった後のことだった。


『なぜ今更、そのようなことを申されるのですか? 邪竜はもう死んだのでしょう?』


 案内された客室は夕陽に照らされていたが、少し薄暗かった。

 窓際に近い椅子に、深く座り込んで先程の言葉を呟いたリアンに、思わず聞き返した。

 夕陽の中の彼女は薄く微笑んだ。


『なぜって、そうしなきゃいけないなって思ってね。……このままだと、近いうちに邪竜は復活するから』


『邪竜が復活するですって!?』


 思わずあげたリュシエンの声に、同じ部屋に居たファリンとミレットも驚くように二人を見る。


『世界の仕組みを君たちは知ったでしょ? この世界の殆どは簡単に言ってしまえば、人々の共通の想いで出来ている』


 願い、希望、恐れ、恐怖。

 ありとあらゆる人々の感情と想いが、魔法を生み出し、ドラゴンを作り出した。


『そしてレヴァリスは死んだ。だけど、レヴァリスが死んだことを誰も信じちゃいない、君だって最初はそうだったでしょ? 今もそうかもしれないけど』


『確かにそうですが……いやまさか』


『気付いたみたいだね、リュシエン』


『ど、どういうことなのですか、お姉様!』


 どんどんと血の気を引かせて青くなるリュシエン。

 その横で慌てたようにファリンが聞く。


『“邪竜は生きている”、人々の共通の認識はそう信じ続ければ、それは実際になるだろうね。……魔法やドラゴンを生み出した時のように』


『た、確かに……そうなってしまいますわ……!』


『たぶん、次に生まれてくるのは本物の邪竜だよ。人々の想像通りのね。しかも、レヴァリスの比じゃない存在になりそうだ』


 レヴァリスは邪竜と言われていたが本来は水竜である。だからこそ、水の化身に沿った行動をしていたところがある。

 ファリンの願いを聞いて雨を降らしたことがまさにそうだろう。

 少なからず、人々にとって良いこともしていた。


 しかし、真なる邪竜ならば違うだろう。

 それこそ、世界を滅びに導く存在になるかもしれない。


 人々が思う邪竜とはそういうものなのだから。

 そんな人々の想いから邪竜が生まれ出ようとしているなど、この世界の人々の大半は知らないだろう。


『なら、レヴァリスの死を世界に伝えれば良いでしょう? 今ならばあの女王も協力してくれるはずですが……』


『それは上手く行くと思う、リュシエン? 君のように信じない者が多く出そうだよ。レヴァリスが残した爪痕が大きい……人々が信じ切る前に邪竜が誕生しないとも限らないでしょう?』


『……そうですね。じゃあ、どうすると言うのですか?』


『最初に言った通りだよ。邪竜を倒せばいい。それも大勢の人前でね。この方法なら一番簡単で尚且つ効果がすぐに出やすい。強烈な記憶となれば、今までの恐れも吹き飛ばせるはずだ。なんなら、人間たちに倒して貰えば、もっと効果が高くなるだろうね』


『で、ですが、すでにレヴァリス様は死んでいます。死んでいる者を倒すなんて、できるのですか?』


『ファリンの言う通りです。レヴァリスはすでに――』


『レヴァリスにそっくりで、同じ力を持つ水竜なら、今君たちの目の前にいるじゃないか』


 夕陽の逆光の中に見えたリアンは、得意げな顔をしていた。


『まさか……レヴァリスを演じるつもりですか!?』


『その通りだよ。世界のどこを探しても、私以外の適任者はいないだろうね』


 リアンの水竜姿はレヴァリスと同じである。

 魂の中身が別物だと分かるものはいないだろう。

 必要なのは邪竜が死んだと全世界に伝え、信じさせることだ。

 邪竜が本当か、偽物かなんて関係ない。

 レヴァリスが死んだ事実は変わらないのだから。


『私は邪竜じゃない。だけど、今は私が邪竜になるしかないようだからね』


 それからは今の通りだ。

 リアンは自分の提案通り、邪竜のふりをして街を襲い出した。

 その際にロアードを巻き込むのも彼女の計画の内だった。


『ただ倒されるより、物語性が強いほうが人々の噂話としてより早く広がるだろうね。例えば、悪しき邪竜を打ち倒した英雄とかいればいい。……その役はロアードにやってもらうか。適任だし』


 一級冒険者で祖国を邪竜に滅ぼされたロアードは実にぴったりだ。

 当初の予定通りに彼に邪竜の死を伝えてもらうより、復讐を成し遂げた英雄としての立場のほうが、よっぽど人々の興味を惹き、そして邪竜の死に説得力を持たせることができる。


『あ、ロアードには教えないでね』


 ロアードのことだ、この話をしても断るだろう。

 例え、受けたとしても対決する時の迫力がなくなってしまうことがある。


『しかし、それではロアード様は本気でリアン様を殺しにかかりますよ。邪竜は彼の復讐相手ですから』


『構わないよ。むしろ、そうしてもらわないと。これはロアードの為でもあるからね』


『なにか、考えがあるのですね?』


『まぁね』


『あの、リアン様』


 ファリンが心配をするようにリアンに近づき、その手を確かめるようにとった。


『リアン様は、邪竜が生まれないために、死んでしまうおつもりですか?』


『安心して、ファリン。倒されるのだってその振りをするだけだよ。私は死んだりなんかはしないから』


『よ、よかったです……! 絶対! 約束ですからね!』


『がう!』


 むしろ、こんなことで死ぬのはごめんだと思うリアンだった。


『そういうわけだから……リュシエンたちは住民たちの避難とか、救助を頼んだよ』


『……え?』


『建物くらいは破壊しないと邪竜の迫力は出せないからね。なるべく被害は出さないように気を付けるけど、万が一もあるから、そのフォローを君たちに任せたい』


『分かりました、お姉様!』


『がうがう!』


 心配事がなくなったファリンがリアンの手をがっしりと握りしめる。

 ミレットも任せろと言うようにちょこんと座ったまま、胸を張っていた。


 残るはリュシエンだけだが……。


『リュシエンお兄ちゃ〜ん?』

『分かりました、やりますから。だから、お兄ちゃんと呼ばないでください』


 ジトーとしたリアンの視線を受けて、やれやれといったように、リュシエンは答えた。

 邪竜らしく演出するなら被害は出したほうがいいが、死亡者は出したくないらしい。

 それもそのはずか。なにせ、リアンは邪竜ではないのだから。


「グオオオオォォォ…………!」


 救助活動をしていたリュシエンの耳にドラゴンの咆哮が届いた。

 その咆哮は断末魔のような響きをしていた。

 西の空を見上げれば、大剣を深々と刺された邪竜の姿があった。

 邪竜はそのまま力尽きるように落ちていく。体が水となり、弾け散るように邪竜は消えてしまった。


「やったのか……?」

「ロアードが邪竜を倒したのか?」


 今見た光景をまだ受け入れられないと言ったように、人々の間に困惑の波が揺れる。

 あともう一息だ。リュシエンは口を開いた。


「そうだ! ロアードが邪竜を倒したんだ! もう邪竜はいない! これで邪竜に怯える日々は終わったんだ!」


「そうか、そうだよな!」

「やったあああああああ!!」


 リュシエンの言葉が起爆剤となり、人々の喜びが爆発した。

 そこかしこから歓声とも泣き声とも聞こえる声がし、ロアードを讃える声が響き始める。


「お兄様……リアン様は……」

「大丈夫ですよ、ファリン」


 鳴り止まない歓声の中で、不安な表情を浮かべるファリンの頭をリュシエンはなでた。


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