約束

 白い月が夜空に輝いている。

 降り注ぐ月光はバルミア公国の首都カーディナルの街並みを照らし出す。

 地上には家々の明かりがぼんやりと輝く光があり、そして空には月の他に星の輝きが無数にある。

 城のバルコニーからはそんな光景を一望できていた。


「…………」


 ロアードはその景色を見ながら、夜風に当たっていた。

 ぼんやりとした表情のまま、何もすることなくバルコニーの手すりに寄りかかって。


「ロアード、こんなところにいたのね」


 そんな彼の名を呼びながら、エルゼリーナがバルコニーへと現れた。

 ロアードがこの城に滞在している時、大抵ここにいることを彼女は知っている。

 幼い頃から、そうだったのだから。


「…………俺だけ知らなかった」


 しばらく夜風が吹き抜ける音しかしなかった場に、ボソリとロアードの重い声が落とされた。


「いいえ、貴方だけじゃない。みんな知らなかったことよ」

「そうだとしても、俺は幼馴染だったというのに知らなかったんだ」


 ずっと側にいて、何も気付かなかった。

 彼女が肉親を殺し、生贄を捧げていたことを。

 互いに親のいない王族同士、分かり合えていたはずだったのに。

 彼女が抱いていた本当の苦しみを知りしなかった。


「私の父が居なければ、きっとこんなことにならなかったのよ」

「それは――」

「いいえ、違わないわ。だってそうでしょう?」


 シャラリ、と金属が擦れる音が響き、ロアードは慌ててエルゼリーナの方を振り返る。

 彼女の手には一振りの剣があった。


「ロアード、私を殺してくれる?」

「……なんだと?」

「だって、私は……ずっと命令されていたとはいえ、たくさんの人を生贄にしてきたのよ。その人達を殺していたのも同罪じゃない」


 優秀な冒険者をレヴァリスの元に送ったのは、確かにエルゼリーナだ。

 生贄となる者を選び、その者を送り出す。

 その苦しみは彼女が女王となった時から重くのしかかっていた。

 名に課せられたもののせいで、彼女は自害して止めることすらできなかった。

 与えられた役目をこなさなければならなかった。


「ずっと誰かに殺されたかった……私が死んでいたら、あんなこともっと早く終わりにできたはずだから。……でも、殺されるならあなたがいいとも思っていたわ」

「エルゼ」

「お願い、私を罰してくれない?」


 全て終わったが、罪悪感だけはエルゼリーナの心に残っている。


「俺にはエルゼを殺せない」


 ロアードはその剣に手を伸ばし、エルゼリーナに押し付けるように返した。


「それにエルゼは悪くないだろ……悪いのは全部邪竜だった」


 行き場のない怒りを飲み込むように、ロアードは歯を食いしばる。

 思い出すだけでも腹ただしい。物に当たってしまいたくなる。


「エルゼ、頼むから今は一人にしてくれ……」


 体の内を暴れ回る感情を抑えるようにロアードは胸を抑えながら、絞り出すような声で言う。

 今のロアードにとって、エルゼこそ最大の被害者に見えている。

 彼女を見ているだけで邪竜に対する怒りが無尽蔵に出てきてしまう。


「……ごめんなさい、ロアード。今のは忘れて」


 エルゼリーナはその言葉を残し、静かに立ち去った。

 バルコニーにまた夜の静けさと冷たい風が吹き抜けていく。


「……俺はどうすればいいんだ」


 渦巻く怒りの抑え方をロアードは知らない。

 こんなことを思ってしまっても今更仕方ない。

 むしろ、余計な考えだと思ってしまう。

 だが、願うならば――。


「実は邪竜が生きていればよかった――って思った?」

「なっ……!?」


 ロアードが慌てて振り向く。

 またエルゼリーナが戻ってきたのかと思えば、気配もなく隣に立っていたのは、自分よりも小さな背丈の少女だった。

 空に浮かぶ月をそっくり持ってきたような瞳に、透けるように綺麗な髪。

 ロアードが出会ってきた人の中で、一番印象に残った人は誰かと聞かれると、今目の前の少女の名を答えるだろう。


「夜風に当たりすぎると風引いちゃうよ、ロアード」

「……リアン、いつの間に」

「ここ、いい眺めだね」


 ロアードの言葉には答えず、リアンは手すりに登って腰掛け、首都の街並みを眺め始めた。

 夜の盛りを過ぎた頃だが、この首都はまだ眠らないようで、人通りはまだまだあった。


「ねぇ、ロアード。この首都の人たちはみんなレヴァリスを恐れて憎んでいるかな?」

「この国の者のほとんどはそうだろうな」

「じゃあ、この国以外の人も? この世界の全ての人々も?」


 まるで何も知らない子供のようにリアンが問いかけてくる。

 この世界の者なら誰だって知っている当たり前のことを。


「ああ、そうだろうな」


 ロアードはレヴァリスを殺す為に世界のほとんどを探し回った。

 その旅の途中で幾度となくレヴァリスの被害を見てきた。

 その度に彼らのためにも邪竜を打ち倒そうと心に誓ったものだ。

 故に世界の人々の大半は邪竜レヴァリスを恐れ、憎んでいると断言できる。


「そっか」


 ざぁっと。また夜風が2人の間を吹き抜けていく。

 月が雲に隠れ、リアンの横顔が影に隠れた。


「じゃあやっぱり、この世界のために邪竜は倒されて、、、、死ぬべきだね」

「……リアン?」

「ロアード、忘れてないよね? 私にした約束を」


 月と同じ色をした双眼がロアードを映す。

 普段は人のそれと変わらないのに、今は瞳孔は鋭く細長い竜の目そのもの。


「私が邪竜になったら、殺してくれるんでしょ?」


 にっこりと微笑んだまま、リアンのその小さな体が後ろに仰け反っていく。

 ロアードが止める間もなく、後ろに倒れるようにして手すりから落ちていった。


「……リアン!?」


 そしてリアンが落ちていったはずの場所から、咆哮と共にそれは飛翔してきた。

 夜風ではない翼の暴風がバルコニーを襲い、近くの窓を派手に割る。


 月が雲から再び現れ、空に現れたそれを照らし出す。

 それは水色の分厚い鱗を煌かせ、翼を広げて悠然と飛んでいる。

 伝承にある通りの、ロアードが探し求めていた邪竜レヴァリスと同じ姿の――ドラゴンだ。


「お前は――」


 ロアードの言葉は、水竜が口から出した水のブレスの音と、崩壊していく城壁の音にかき消された。


「邪竜だ! 邪竜が現れたぞ!」

「レヴァリスだ! 上空にいる!」


 城の中が騒めき出し、見張りの兵士たちの慌てた声が飛び交い始めた。

 その様子を水竜は一瞥し、そのまま首都の方角に飛んでいく。

 今度は街の方を襲うというのだろうか。


「どいつもこいつも、何が殺してくれだ」


 グッと力を込めて握った手をロアードはゆっくりと開いて持ち上げる。

 そして近くに置いてあった黒剣、クロムバルムを手にした。


「俺が殺したいのはあいつだけなんだよ!」


 剣を背に、ロアードはバルコニーから飛び出した。

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