バルミア編

弔い

 今は亡きグラングレスの首都デンダイン。

 デンダインはサントヴィレから南に行った所、ゴツゴツとした岩肌が見える荒野の中にあった。


 その首都の真上には暗雲が留まり、雨を降らせていた。

 周囲が晴天でも、首都の中だけは暗雲があるのだ。


 そこに降る雨はまるでバケツを引っくり返したような激しさだった。

 あまりに激しく、その雨一つ一つが鋭い針のような威力を持っている。


「……なんだこの殺人雨は。そりゃあ人が住めない地にもなるよ」


 首都の門の近くに、その雨を見上げる竜の姿のリアンがあった。


 空を飛んで半日ほどでこの首都にやってきた。もちろんロアードたちも連れて来ている。

 しかしこの殺人雨が降る首都にはリアン以外には入れない。


 硬い竜の鱗は針のような雨を弾き返すが、人間がこの中に入ればすぐに蜂の巣のように全身穴だらけにされるだろう。

 一応魔法や魔術でどうにかできないこともないとリュシエンとロアードは言っていたが、それも長時間は無理だ。


 この激しい雨のせいか、頑丈そうな石造りの家もほとんどが崩れている。

 道のあちこちは陥没したように穴が空き、中央に立つ城もところどころ崩壊しているのが遠目に見ても分かった。


 この雨を降らせたのはもちろん先代であるレヴァリスだ。十五年前から降り続いているという。

 エルフの村で見た百年の雨雲は雨を降らせるだけであった。

 確かに降り続ける雨であったが、それは干ばつで干上がった森を癒やし、冠水してしまった後も水生生物が住める環境を作る程度には恵みの雨であった。

 

 しかし、このデンダインを覆う雨雲からは一切の慈悲もない。

 地上にいる者の命を刈り取るだけの無慈悲な雨だ。


「こんな物騒な雨は止めるに限るね」


 手法はエルフの村の時と同じだった。

 暗雲を作り出す魔法の核を飛散させるように壊すだけ。

 リアンが暗雲を退かせば、空はすっと晴れていく。


「うーん……晴れたら余計に壊れているのが分かりやすいなぁ」


 上から見下ろすデンダインの街並みを見て改めて心が傷んだ。

 太陽の光が徐々に差し込み、その光が崩壊した首都を照らし出す。


 街の所々には白骨が見えた。

 どれもがボロボロの穴だらけの衣服を身に着けている。

 きっとこの首都に住んでいた王国民たちだろう。

 正門に近づくにつれて死体の数が多くなっていることから、逃げ出そうとしたところでこの雨に殺されたか。


 中には建物から出たところで死んでいる者も多く居た。

 建物の中にいれば安全とも言えず、屋根を突き破って降るほどの威力がある。


 この首都から逃げるとしたら深く掘った地下通路を通るしか無い。

 ロアードも王族用の秘密の地下通路から逃げたことで生き残ったのだ。


 改めて竜の力は恐ろしいものだと分かる。

 そして自分もまた同じ力を持っているのだと思い知らされた。


「……こんなことしないよ。私は」


 この光景を目に焼き付けるように、リアンはしばらく眺めた。



 ロアードたちと合流し、彼らと共に城へ向かう。

 道中、ロアードは黙ったままであった。

 しかし、朽ちた首都を見ることはやめていない。

 先程のリアンと同じように、この光景を目に焼き付けているのかもしれない。


「……ロアード、大丈夫かな」

「無理もありません。帰国がこのような形になってしまったのですから」


 また怒りがぶり返さないだろうかと思う。

 この光景を見れば誰だって怒りが湧いてくるものだ。

 しかし、その怒りを向けるべき相手は残念ながらどちらもこの世にいない。


「リュシエンは前にここに来たことが会ったんだよね?」

「ええ。とても綺麗なところでしたよ」


 確かに今は朽ちているが元は綺麗な都市だったのだろうと思える。


「ねぇ、お姉様。あとであの人たちを弔ってあげたいのですが……」

「がうがう……」


 道端に転がる亡骸をファリンが悲痛な表情で見る。

 その腕の中で頷くようにミレットが鳴いた。


「うん、そうだね。あのままじゃかわいそうだもんね……って何?」


 ――ぐらり。

 急に地面が振動するように揺れだした。

 振動は数秒続き、ゆるやかに収まっていく。


「地震ですね。このあたりは頻繁に起こるんですよ」


 その地震のせいか、遠くに見えていた家が少し崩壊した。

 どうやら首都がこのようになったのは雨だけでなく、この地震のせいもあるようだ。


「数年に一度は大規模な地震が起こる。バルミア公国にもその度に被害が出ているな」

「そんなに地震がひどい地域なんだ」

「……地竜がいた頃はこの地震を鎮めてくれていたそうだ」


 そう語るロアードの表情は見えない。

 大地を司る元始の竜であったバルムートならば、地震を鎮めるくらいならば簡単だろう。

 しかし千年前から姿を消したため、地震が頻繁に起こる地域に戻ってしまったのだ。


 道中でまた小さな地震にあいながらも、彼らは王城へとたどり着いた。

 ロアードはやはり中の構造を知っているのだろう。

 朽ちているとはいえ、迷いなく城の中を歩いていく。


 そして大きな扉があったと思われる場所を潜って、広い部屋に入った。


 天井に穴が空き、瓦礫が散乱するそこは王の間だったようだ。

 玉座には座り込んで死んだような亡骸がある。

 側に銀のティアラが転がっており、ぼろぼろのドレスを身に纏っている。


 玉座から少し離れた所にもう一つ亡骸があった。

 元は豪奢な服だったボロボロの服に、王冠が転がり落ちていた。

 骨となったその手には黒い大剣を握りしめて、玉座の前に倒れ込んでいた。


 ロアードはゆっくりと歩いていく。

 玉座を前に辿り着くと、ロアードはそこで跪いた。

 ちょうど大剣を握りしめて倒れた亡骸の前だ。


「父上、母上。ただいま、戻りました……!」


 崩れた天井から光が差し込む。

 その光の中で、ロアードはしばらく遺骨の前で頭を下げたまま動かなかった。

 一人残された亡国の王子が、十五年ぶりに帰国した瞬間だった。




 リアンたちはそれから首都の人々も含めて全員を弔うことにした。

 数にして百万人ほどいたが、魔法や魔術を使いながら数日で終わらせた。

 死者は弔わねばならない。そうしなければアンデッドなどの魔物に変わり果てるからだ。


 この十五年ほどは放って置かれていたが、アンデッドになったものがいない。

 アンデッドは残留した魔力によってなるものだと言われている。

 しかし、水竜の強い魔力が首都を覆っていたため、アンデッドになるのを阻害していたようだ。


 首都の一角に墓地を作り、亡骸の全てはその場所に埋葬した。

 墓石は崩れた城壁を加工して作ったものだ。


 ロアードはずらりと立ち並んだ墓標を前に立った。


「我らは大地の民。偉大なるバルムートの子。その身は大地に還らん。その魂は世界に還らん」


 ロアードの魔力のこもった祈りの言葉が紡がれる。

 手にした黒い大剣――王の間にあったあの剣を大地に突き刺した。


 宝剣クロムバルムだ。この剣はかつてバルムートが人との友好の証として初代グラングレス王に授けたとされる。


 バルムートの鋼鉄の鱗を使って打たれた剣は、決して折れない頑強さを持ち、あらゆるものを斬ることができると言われていた。


 その黒曜のような剣は魔力を帯びて輝き始める。

 魔力はロアードと同じ、宵闇の紫だ。


 周囲に風が巻き起こった。

 けして強くない、髪や服を揺らす程度の優しい魔力の風。

 その魔力の風に導かれるように、周囲に漂っていた魔力の残滓が流れ出す。


 この首都は水竜の魔力に閉じられていた。

 首都で死した人間の魔力の残滓が飛散せずに、この首都に留まっていたのだ。

 停滞していた魔力の残滓が宵の風に導かれて、朝日の中に溶けて消えていく。

 

 物悲しくも優しく、綺麗な光景であった。

 ふと見えたロアードのその横顔からきらりと落ちるものがあった。


 今の今までロアードの泣き顔を見たことはない。

 瓦礫の街を歩いていた時も。玉座の前で跪いた時も。


 葬儀は死者のためでもあるが、生者のためにもある。

 死を受け入れ、心の区切りを付けるための儀式だ。


「一応、お前には礼を言わなければな」


 葬儀を終わらせたロアードが振り返り、人間の姿のリアンを見た。


「お前のお陰で俺は国に帰ることができた」

「別にこれくらいは当然のことだよ。少しは私が邪竜じゃないって分かった?」

「……それはまだだ」

「なんだ、残念」

「だが、リアンには感謝している。レヴァリスではなく、リアンにな」


 こちらをまっすぐと見てくるロアードの顔はどこかすっきりとしていた。

 まだリアンに対しての疑いは晴れていないようだが、心の整理は少しできたようだ。


「……? 地面が振動してる?」

「どうした、小さな地震じゃないのか?」


 首都に残る水溜まりに響く音を拾った。しかし地震が揺れた時に起こる揺れじゃない。

 徐々に音が大きくなる。

 規則揃った音。大地を踏む音。それと少しの話し声。


「……何かこっちに来ている。人間……それもかなりの大軍だね」

「人間の大軍……まさか」


 慌てて首都の外に出ると、地平線の向こうに大軍の影が見えた。


「地竜の国旗……やはり、あれはバルミア公国のものだ」


 白地に黒竜を模したエンブレム。

 その国旗をはためかせてやってきていたのは、バルミア公国軍のようだ。


 

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