約束と名前
白虎の一件から数日が経った。
森の魔素を吸い取っていた大狼はいなくなったことで、森の魔力が戻り、木々や植物の元気は取り戻した。
もちろんあの花畑の花もだ。
「もう行っちゃうんだね」
「ええ、お世話になりました」
早朝。
眩しいほどの朝日に照らされたサントヴィレの西門で、リアンたちはコレットの孫の送迎をしていた。
彼の手には花束がある。花畑で摘んできた花で、コレットの墓に供えるために持って帰るのだという。
もちろんそのままでは枯れてしまうので、リアンがファリンの髪飾りにしたようにドライフラワーにしてあげた。
「ミィちゃん。お婆ちゃんのこと待っていてくれてありがとう。あそこでずっと待っていた分、自由も少なかっただろうから、これからは自由に生きるといいよ」
「ガウ!」
コレットの孫の言葉に白虎のミィちゃんは元気よく返事をする。
そして祖国に向けて歩いていった。
ミィちゃんは行儀よく座ったまま、遠ざかっていく背を見えなくなるまで見つめていた。
「さてと……君はいつまで私を監視するのかな?」
コレットの孫を見送ったリアンが振り返れば、ロアードの姿があった。
この数日間、どこへ行くにもロアードが付きまとっていたのだ。
「お前は二代目で、先代のレヴァリスは死んだと言ったな?」
「そうだよ」
このやり取りは何度目だろうか。
何度も確かめられ、リアンはその度に答えた。
「……俺はいつかレヴァリスに復讐するために今まで生きてきた」
十五年前のあの悲劇から。グラングレスと両親を殺されてから。
ロアードは復讐の炎を胸に抱いて生きてきた。
剣の腕を磨いたのだって、いつかその刃を竜の首に突き立てるため。
力を付けたのだって、あの竜を完膚なきまでに叩き潰すため。
それはあの日、唯一生き残った者として死んでいった者たちのために、果たさなければならない復讐だった。
だというのに――。
「レヴァリスが死んだだと? 納得できない……納得できない! 俺が殺すはずだったのに! あの日無残に殺した者たちのように殺してやるつもりだったのに……!」
復讐だけを考え、今までを生きていたロアードにとって、レヴァリスの死とは復讐の機会を逃したことと同じだ。
「君がレヴァリスを憎むのは分かるよ。直接手を下してやったのはレヴァリスだ。だけど、レヴァリスに願いを言った公国を恨んだことはないの?」
ロアードは王国の王子である。
かつては敵国だった公国をここまでかばうのには何か理由があるのだろうか?
「国を失った後、俺は公国に保護された。罪滅ぼしのつもりだったんだろうか、敵国の王子だった俺を手厚く育ててくれたよ。……だから国自体には恨みはない」
どうしてこの国と争っていたのだろうかと思えるほどにいい国だとロアードは感じた。
たとえ過去の王国民たちに滅ぼせと言われてもそれはしないだろう。
恨むならば願いを言った前公王だがレヴァリスに殺されてもういない。
「そもそも俺たちは戦争を平和的に終わらせるつもりだった。公国側にも終戦を望む同士がいたんだ。当時の公王さえいなければ、戦争は終わっていたかもしれない」
守護竜であったバルムートが姿を消してもう千年と経つ。
それなのに昔の栄光に縋るように両国はずっと争っていた。
この戦争に意味はあるのだあろうか?
無駄に人の血が流れるだけではないだろうか?
こんな風に争ってばかりいるから竜に見限られたのではないのか。
幼いロアードに父はいつも言って聞かせてくれた。
自分の代だけでは無理だ。
だから次の王となるお前が役目を引き継ぎ、戦争を終わらせ平和を取り戻せと。
いつか両国が共に笑い合って、この聖地に並び立てる日が来ることを願って。
「俺たち人間は短い時間を積み重ねて歴史を作る。そしてやっと到達できそうだった……なのに! 全部あいつにぶち壊されたんだよ!」
長い年月をかけて、両国共に抱いていた確執を一つ一つ取り払っていった。
頑固な汚れを取るように綺麗に、そして慎重に。
最後に残ったのがあの公王だった。
それだけどうにかすれば、すべて丸く収まるはずだったのだ。
「なぁ、言ってくれよ! 本当はお前がレヴァリスだろ! レヴァリスは本当は生きているんだと言ってくれ!」
「残念だけど、レヴァリスは死んだよ」
「じゃあ、俺のこの怒りはどこにぶつければいいんだよ!!」
ロアードがリアンの胸ぐらを掴んで引っ張る。
掴む手は怒りに震えていた。しかし、その怒りの矛先は突如として消え失せた。
当時の公王にぶつけようにも死んでいる。今の公王にぶつけるつもりはない。
そもそも戦争に勝つという願いを叶えるだけなら、首都をまるまる一つ潰すなどしなくてもよかったはずなのに。
だからレヴァリスに向けていたのに――邪竜すら死んでいなくなった。
収まらない。この憤怒の炎をすぐに消すなんて難しいだろう。
「……俺たちは共に笑い合ってまた一つの国になれたかもしれないんだ……それなのに……それなのに……」
ロアードはやるせない想いを抱えていた。
この原因を作った邪竜を倒せば、この想いもなくなってくれると思っていただろう。
「ロアード、落ち着いて。その怒りに飲まれたくはないでしょ?」
胸ぐらを掴むロアードの手に触れる。
――
魔と名のつく力を持つ存在全てに起こりうる現象だ。
今のロアードから溢れ出る魔力圧は怒りの感情だ。
メラメラとした復讐の炎のようなオーラを感じる。
その感情に飲まれてしまえば、彼とて暴走化するだろう。
「いきなり復讐対象が死にました、はいそうですか、なんて納得できないよね。でも、だからといって関係ない私にぶつけられるのも困るよ」
「……そうだな」
今にも泣きそうなほどに苦しそうな表情をロアードはする。
彼だって分かっていた。関係ないリアンにぶつけるのはいけないと。
――しかし。
「だがお前が二代目という証拠もない。ならここで殺してしまったほうが憂いはなくなるだろう」
ロアードが背にした大剣を引き抜き、リアンに向けた。
「お姉様!」
「ガウウ!」
ファリンとミィちゃんが慌てた声をあげるが、リアンは大丈夫だというように片手で制する。
「確かにそうだね。もし私が本当にレヴァリスだったなら、復讐も遂げられて万々歳。仮にレヴァリスではなかったと分かっても、レヴァリスが死んでいた証拠にもなる」
レヴァリスと同じ力を持つ竜など他にはいない。
唯一無二の存在であり、その竜の力もそうだ。
無詠唱で水を操れるなど、レヴァリス以外にはできない。
その力を受け継いで二代目となったリアンを除いては。
「私が君の立場でもするかもね。君にとって私の正体の真偽は関係ない。レヴァリスという存在が死んだという確証さえあればいい。そもそもレヴァリスと同じ水竜を野放しにすれば、同じような被害を起こす可能性だってある。そんな危険な存在はさっさと消すに限るよ」
「そうだ、だから俺は――」
「うん。だから、殺したければ殺せばいいよ」
「なっ……」
「どうしたの? 殺さないの? ほら首はここにあるよ。斬り放題だ」
大剣に自ら斬られようと刃を手にし、首に近づけた。
慌ててロアードが引き離そうとするが大剣はびくともしない。
「私はね、一回死んだ身だ。レヴァリスに勝手に転生させられたような物だよ。そんなんだから、もう一回死ぬくらいは別に構わないんだ。死んだらレヴァリスに消された記憶が戻るかもしれないし、君の怒りが収まるならそれもいいし」
「だからってお前は関係ないんじゃなかったのか……困るんじゃなかったのか」
「困るよ。だから、猶予を頂戴」
リアンはにっこりと笑顔で笑う。自分の首に大剣を突きつけたまま。
「レヴァリスの代わりに、私は先代が残した問題を解決しようと旅をしてる。それが終わるまでは殺すのは待って欲しい。だけど、もしも途中で私がレヴァリスか、もしくは同じ邪竜であると判断したその時は遠慮なく殺せばいいよ」
ロアードが少しでも力を込めればその首をはねることは可能だろう。
もっとも、竜が首をはねられただけでは死なない。
リアンのその行動は一種の意思表示だった。
――いつでもこの首を差し出すという意味だ。
「……いいだろう。お前が邪竜ではない限り、俺はお前を斬らない。だが邪竜になったならば、俺はお前を斬り殺す」
「うん、それでいいよ。その代わり私がレヴァリスじゃないと確信したら、世界にレヴァリスが死んだ事実を伝えるための手伝いをしてね。君の言葉ならきっと他の人々は信じてくれるから」
「あぁ、約束しよう。――我がロアード・バルミア・グラングレスの名にかけて」
真剣なロアードの答えに満足したように、リアンが剣から手を放した。
「ロアード、君は良い人だね。親の仇と疑わしい相手の話でも聞いてくれた。今だって私を殺すのを躊躇していた。……私と君はたった数日前に出会ったばかりなんだから、疑わしいくらいだったら簡単に切り捨ててしまえばいいのにさ」
リアンに言われて、ロアードは顔をしかめた。
「だけど、私を殺すと決めた時は遠慮なくやってよね。昨日の狼みたいに。……痛みが続くのは嫌だよ」
「……当たり前だ」
ぶっきらぼうに答えながらロアードが剣をしまう。
「リアン様、あのようなことを言ってよろしかったのですか?」
「別に構わないよ。邪竜と疑われるような行動さえしなきゃいいんだし……そうすれば君の疑いも晴れるってものだよ」
そんな行動するわけもないから大丈夫だというようにリアンはリュシエンに返した。
こうしておけばロアードの怒りが爆発することがない。
それはリアンの真偽を確かめるために意識が逸れるからだ。
これも復讐を遂げるために必要なこととして、自分の心を騙すことができる。
あとは時間を掛けて、少しずつレヴァリスが死んだということを理解し、心の整理を付けて欲しいとリアンは願った。
「さて、そうと決まれば次に行くのはグラングレスだね」
「……なぜだ?」
「なんでって当然でしょ? グラングレスは今、レヴァリスが残した力のせいで人が入れないんでしょ? なら、その力を止めに行かないとね」
キラキラと水面を照らす朝日のように。
輝くような笑顔で、リアンはそういった。
「そうなると、ミィちゃんとはここでお別れかな?」
「そうですね、寂しい限りですが……」
リアンはファリンと共に白虎のミィちゃんの方を見る。
大きな白虎は寂しそうに耳と尻尾を下げたが、すぐにリアンの方を向く。
「ガウ、ガウガウ!」
「え、君も付いて行きたい? でも今のままじゃ行けない……?」
ミィちゃんもリアンたちの旅に一緒に付いていきたいと言ってくれた。
しかし、今のままでは無理だという。
自由に付いて来てくれればいいのだが、ミィちゃんの言葉のニュアンス的に並ならぬ事情があるようだ。
「リアン様、きっと名前の縛りのせいですよ」
「名前の縛り?」
「この白虎はコレットに名付けられたのです。この名を意味するのはきっと、彼女との約束を守り、花畑で待つことです」
名は体を表すものだ。
名がなければ存在せず、名が付けられれば存在が誕生する。
故にミィちゃんとはコレットの友達であり、コレットを待つ猫だ。
もうコレットはいないため、待つ必要もないだろう。
しかしその名の意味は消えない。
「力を持った人などであれば名に縛られることもないのですが、力の弱い魔物などではそうも行きません。名がなければ存在も危ういものが多いのです。このミィちゃんも名前がなければ、三級の魔物にはならなかったでしょう」
魔物の中には強力な魔物がいる。その殆どはネームドと呼ばれる。
魔物の中でも少し強い個体だったものが、やがて人や他の魔物からも恐れられていく。
そうした中で通称で呼ばれるようになり、それがそのまま名前となり強い力を持つことがある。
あの湖のヌシもその手の魔物だ。狼の王もそうだっただろう。
だが明確な固有名となるとまた話が別だ。
明確な固有名というのはそれらよりも自己を確立させる。
それ故に、与える影響力も強い。
「じゃあ、名前を付け直せばいいのかな?」
「そうですね、新しい名前をもらうのがいいでしょう。ですがリアン様がしてしまうと――」
「なら、ミレットというのはどうかな? ミィちゃんという名前を残した、コレットと似た響きの名前なんだけど……」
「ガウ!」
リアンがいった名前に喜ぶように返事をしたと思ったら光に包まれた。
「え、何……?」
「説明は最後まで聞いてください……」
やってしまったかというようにリュシエンが頭を抱えていた。
「名付けというのは実に不思議なもので、力があるものが付けた場合の影響力は凄まじいのですよ。……水竜のあなたが名付けたらどうなるか分かりますよね?」
「あっ、あー……じゃあこれ、進化しちゃったのか」
ただの少女であったコレットが付けた名前には強い力は持たなかっただろう。
しかし彼女の付けた名前があったからこそ、この白虎はミィちゃんとして生き抜くことができ、その結果力を得たのだ。
では、名付けた者が力ある存在であったなら……その結果が今の目の前の現象だ。
しばらくして光が収まるとそこにいたのは一回り大きくなった白虎だった。
「わぁ! また少し大きくなりましたね!」
「ガゥガゥ!」
無邪気なファリンの声に、嬉しそうに返事をするミレット。
体が大きくなった分、その白い毛のふわふわも倍増しており、撫でにいったファリンが埋もれていた。
「……ミレット、どれくらい強くなったかな?」
「能力がわかりませんが……その前が三級なので、少なくとも二級以上にはなっていそうです」
二級程度となると国一つレベルに影響を与えるほどの力だ。
その力を名前を与えただけで一緒にあの白虎に与えたことになる。
「リアン様、今後は気をつけてください。下手に名前を与えれば、強い存在を作り上げることになるんですから」
もしも名付けた存在が不祥事を起こせば、その名付け親にも責任が問われることになるだろう。
「ごめん、今度からは気をつけるよ」
今回はミレットが相手でまだ良かった。
幼い少女との約束を律儀に守って待っていた魔物だからだ。
街に現れた際も襲いかかっていたように見えただけで、兵士を傷つけたことはなかった。
そのような魔物であれば、力をもったとしても正しく扱えるだろうとリアンは思う。
「それにしても目立つね……」
早朝からだいぶ時間が経ったことで、人の往来が増えてきた。
ミレットの姿を見たものが驚いていたが、ロアードの姿を見て大丈夫そうだと理解し、通り過ぎていく。
「ガゥ!」
一声鳴いたミレットの姿が今度は霧に包まれた。
体を覆った霧はどんどんと小さくなっていき、霧が晴れた頃には猫に見間違うような子虎の姿があった。
「わぁ! とっても可愛いです」
「おー姿を変えられるんだね」
「がう!」
ファリンがミレットを抱き上げれば、その腕の中で可愛らしく返事をした。
その頭を撫でてやる。ふわふわの毛並みも健在だった。
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