孤独の王

 

「グルル……」

「おい、なんだあれ!」


 獣の低い唸り声と共に森の奥から何かが現れた。

 それは大きな狼だった。

 口からは飢えたように涎を垂らし、血走った目でその場にいる人間たちを見る。

 まるでこれから食べる獲物を見るような目付きだ。


「ひっ……!」


 捕食するという明らかな殺意。

 周囲の兵士たちがその魔力圧オーラに圧倒され、恐怖する。


「アオオーーン」


 地響きすらする遠吠えをすれば、周囲の森からさらに複数の狼が出てきた。

 狼たちは兵士たちを囲みながら、勢いよく飛びかかる。


「ギャン!」

「ガァ!」


 しかし次に上がったのは人間の悲鳴ではなく、狼たちの悲鳴だった。

 周囲にはいつの間にか兵士たちを守るようにドーム状の水が張られており、狼たちはそれに阻まれていた。


「今さ、取り込み中なんだ。空気読んで欲しいよ」


 七十年の時を得て、やっと真実を知った白虎とコレットの孫の出会い。

 その邪魔をするように現れたこの狼をリアンは疎ましく思った。


「グルルル!!」


 ――コロセコロセコロセ。クラエクラエクラエ。オレガオウダ。オウダオウダオウダ。チカラチカラチカラホシイ。ホシイホシイ。ヨコセヨコセヨコセヨコセヨコセヨコセコロセコロセコロセ。


「うわ、なにこの負の魔力!」


 感じとった感情にリアンは顔をしかめる。

 狼から流れ出てくる魔力には感情も混じっていた。

 その感情はどす黒い負の感情だ。

 どす黒い感情のせいか、纏うオーラも黒い。


「ワイルドウルフのようですが……あの個体は暴走化オーバーロードしていますね」

「暴走化?」

「たまにあるんですよ。力を持ったものがその魔力を扱いきれず、暴走する。外的要因か、精神的な影響か、原因は様々ですが魔力を制御することができなくなった場合に陥る状態のことです。大抵は自我を失い、破壊の限りを尽くします」


 リュシエンの説明を聞いてから、改めて狼を見る。

 その黒い大狼は今も水のバリアを壊そうと突進をしてきていた。

 すべて水が衝撃を吸収するので壊れることがない。

 それでも水のバリアを超えて、その向こうにいるリアンたちを喰らおうと牙を向けている。

 その眼に光はなく、理性のカケラもない。まさしく獣と言っていい。


「……この感じ、無理に急成長した感じだな。周囲の魔力を奪って取り込んだか?」

「あっ、こいつか! こいつがこの森の魔力を吸っていた元凶か!」


 ということはあれを倒せばこの森の問題も解決するということだ。


「元凶なら倒しちゃおうか。人を襲おうとしているし」

「おい、そいつは二級の魔物だぞ。そんなあっさり――」


 大狼の足元から水が出現したかと思えば、その巨体を覆い尽くした。


「……嘘だろ」


 驚くロアードの目の前では、水玉に閉じ込められた大狼が中でもがき暴れている。

 どれだけ暴れてもその水の中から出られないようだ。

 水玉の中はもがいた大狼が立てた白い泡で埋め尽くされていく。


「……君は群れの王だったんだろうね。立派な王になろうとして力を求めて……そして力に飲まれて堕ちていった」


 周囲の狼をよく見れば満身創痍の――死体だ。

 操っているのはもちろんこの孤高の王だろう。


 苦しむ狼の声は水の中に響くだけで、周囲の者たちには聞こえない。

 リアンはどこか憐れむように水の玉の中を見つめる。


「力を求めたのは自分のためか、それとも群れのためだったかわからないけど……せめてもの慈悲はあげるよ」


 やがて、朱の色が混じった。

 白から赤へと変わっていき、今では真っ赤な水の玉だ。

 王が死んだことで、操られていた狼たちがバタバタと倒れていく。


「お前、何したんだ」

「何って、水の中に閉じ込めて溺死させようと思ったんだけど、それだと苦しいだろうから首を落としたんだ」


 水の中に閉じ込めた狼の首を、ウォーターカッターで切り落としたのだ。

 真っ赤に染まって見えないが、水玉の中には首の切れた大狼の死体が浮いているだろう。


「……お前は、」


 ――それを今、あっさりとやったのか?

 虫も殺せないような見た目の少女がそれをやったと言う。

 それを無詠唱で。


 今の光景はロアードたちには十分、脅威の力を持つ存在として映っただろう。

 目の前の少女の形をしたそれが、水竜であると決定付けるもの。

 だが水竜と言えば、彼らの知っている存在はかの水竜であるが――


「本当に邪竜じゃないと言うのか?」

「……邪竜じゃないよ」


 篝火に照らされたリアンの表情は困ったように笑っていた。

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