シスコン怖い

「はぁ…………」


 リュシエンが疲れたような長い溜息を付いた。

 自宅はこの村で唯一心落ち着かせられる場所だが、今日ばかりはあまり心が落ち着かない。


「なんで……私たちの家に……」


 ちらりとベッドの上を見る。妹のファリンがいるのは当たり前のこと。

 だがその隣に眠るのは水色の髪を持つ少女……リアンだった。

 穏やかに眠る二人は仲の良い姉妹のように見えなくもない。


 宴会が終わった後、問題となったのはリアンの宿泊場所だった。

 この村に旅人というものは滅多に来ないため、宿屋というものはない。

 もし客人が来た場合は長老衆たちの誰かの家に泊めるのがいつものことであったが……。


『リュシエン、水竜様はお前の家に泊めてやるといい』

『妹のことを気に入っておるようじゃしな、それがよかろう』

『左様、左様! お主の家が一番いい!』


 ……と、いった具合に長老衆たちはリュシエンたちに殆ど押し付ける形で頼んできた。

 長老衆たちは皆、リアンを恐れているようだった。

 かの邪竜と呼ばれたレヴァリスではないと言っていたが、それは信用できない。

 かといって無下にできるわけもない。水竜であるリアンの機嫌を損ねたくはなかった。

 腫れ物扱いのようにリアンを長老衆たちで押し付けあっていたが……誰かが思いついたのだろう。

 リュシエンたちに任せればいいと。


『えっ、リアン様をわたしの家に招くのですか! もちろんいいですよ!』


 正直言えばリュシエンだって断りたかったが、妹のファリンがそれは嬉しそうに乗り気だった。

 二人が風呂に入っていた時は気が気でなかった。ファリンの泣き声が聞こえてきた時は突入しようかと思うほどだった。


 そもそもだ……。


「何が、ファリンの姉ですか。あんな慕われて……しかも髪を乾かすなんて……それは私がいつもやっていることだったのに……!」

「だから私に殺気を向けていたの、リュシエンお兄ちゃん……」


 ビクッとリュシエンが驚くようにベッドを見れば、どこか残念なものを見るような目線でこちらを見るリアンの姿があった。


「起きていたのですか……」

「こんな殺気を向けられていたら寝れるわけないでしょ。というか、妹をちょっととられたからそれって……子供ぽい嫉妬をするね、リュシエンお兄ちゃん」

「誰がお兄ちゃんですか。私はあなたのような妹を持った覚えはありませんよ」


 優しげな容姿に似合わず、殺気の高いリュシエンだ。妹がらみだからかもしれない。

 リアンはベッドから起き上がり、リュシエンが座る場所に近い、空いている椅子に座った。


「……寝ないのですか」

「あのままベッドで寝ていたら、本当に殺されそうなので。それにどうやら竜というのは別に睡眠を取らなくても平気そうだからね」


 ファリンと同じベッドで眠ることになったのはベッドが二つしかないからだった。


『リアン様は客人だからベッドを使ってください』

『では私は床で寝るのでファリンがもう一つで寝ていいですよ』

『さすがにそれは悪いから……どっちかに二人で寝るのは?』

『じゃあ、リアン様。わたしと一緒に寝ます?』

『あれ、そっち? まぁいいけど』


 そんなやり取りを得て、リアンとファリンの二人で寝ることになったのだった。

 リアンとしては兄妹二人が寝るものと考えていたので、この結果には驚いた。

 それとリュシエンが悔しそうな、ちょっと残念そうな表情をしていたのは気のせいだと思いたかった。


「そんな殺しはしませんよ。だいたい水竜のあなたに敵うわけありません」


 ……気のせいじゃなかったどころか、殺気があったが。

 こんなにも殺気をむけてくる者の家にリアンを置くとは、長老衆たちの選択は間違っていたといえよう。まぁ、リアンは気にはしないが。


 それに本人の言う通り、リュシエンは武芸に長けているが竜であるリアンには勝てないだろう。

 だがこの兄は妹のためなら刺し違えてでもやりそうだと本気で思う。

 最悪殺される危険はないとはいえ、できれば無用な争いは避けたいところだった。


 そんなリュシエンは前に座るリアンの方を見つめ、それから口を開いた。


「……ファリンが、あなたの旅に付いていくと言っていました」

「やっぱり、兄としてはファリンが私に付いてくのは反対?」


 リュシエンはまだリアンのことを信用しておらず、警戒している。

 信用をしていない得体のしれない相手で、それも水竜という力を持つ危険な存在だ。

 そんな存在に付いていこうとする妹のことを心配し、反対するのは当然だろう。


「いいえ。むしろ村を出るいいきっかけになりましたよ」


 妹の行動には反対するだろうと思っていたが、どうやら違うようだ。


「村を出たかったの?」

「ええ。この村に対してはあまり良い印象がありませんから。昔から散々と妹にはこの村を出ようと言っていました」


 広い世界を旅して回ったリュシエンは閉鎖的な村で多種族と交流を拒み、それでいながら多種族よりも自分たちが優れていると傲慢に思うこの村のエルフたちとは相容れないでいた。

 それがこの世界のエルフという種族では普通なことだが、そうしなければならないなら、自分はエルフという種族でなくていいと思うほどだ。


 それに村の者たちのファリンの扱いを見ていても、余計に思うものだった。

 こんな村に居続けるのはファリンのためにならない。


「ですが『雨を降らせてしまったのはわたしのせいだから。そんなわたしが無責任に出ていくなんてできない』と言われてしまいまして」


 リュシエンは視線をずらし、ベッドで眠るファリンを見つめた。

 この百年、村の者に疎まれ続けていた。それでも村を出ていくことを拒んだ妹だった。

 正直、村の者たちにそこまでする必要はないだろうに。しかしファリンは心優しい妹だった。

 もう少し他人に対して冷たくあればいいのにと、恨めしく思うほどに優しいほどの。

 ファリンがそんな性格であったなら、そもそもこんなことにはなっていなかっただろうが。


「私はずっとどうすれば妹が幸せになるのか、考えていました。この子が幸せになるためにはどうすればいいのだろうと」


 今は何の憂いもなく幸せそうな寝顔を浮かべるファリンを、リュシエンは慈しむように見つめている。


 リュシエンはこの百年間、それだけを考えていた。妹の幸せを願って。

 しかしリュシエンにはどうすることもできなかった。雨を降り止ませることなど彼には無理だった。 


「それをあなたがあっさりと払ってしまった」


 分厚く黒い雨雲は綺麗さっぱりとない。

 お陰でこの夜でも月明かりが差し込んで明るい。


 何もかもがなくなった。

 妹の幸せを願うことは諦めなければならないのだろうかと、悩んでいたことまでなくなったのだ。


 全てを吹き飛ばしたのは、目の前にいる存在だ。

 月明かりに照らされて輝く水色の髪に、月と同じ色の瞳を持つ少女の姿をした竜に。


「私があなたに感謝しているのは本当のことですよ」

「でも、信用はしてないんでしょ?」

「ええ、まぁ。あなたが心変わりして、私たちに危害を加えないとは限りませんから」


 そんなつもりはリアンには全くないが。

 ……まぁ出会ってまだ一日も経っていないのだ。

 たとえリアンが水竜ではない、ただの人間だったとしても、少し疑うほうが自然だろう。

 むしろ無邪気に信用するファリンのほうが警戒心がないと言える。純粋さは時に危険だ。

 だがその心を失って欲しくはないなとも思う。


「まっ別にいいけど。信用は言葉よりも行動や態度で勝ち取るものだからね。私が信用に値する人……じゃないな、竜だ。信用に値する竜であるといつか認めさせてあげるよ」


 リアンがそういえば、リュシエンが少し笑顔を返してくれた。

 ……初めて殺意や警戒以外の感情を向けてくれたかもしれない。


「あなたに付いていくファリンが心配ですからね。私も付いていきますよ。……それに」

「それに?」

「あなたを放っておくと、レヴァリスと同じ過ちを犯してしまうことがあるかもしれないと分かりましたから」


 リュシエンが困ったような笑顔をした。

 確かにリュシエンに言われなければ、雨の調整をしなかったかもしれない。


「そうだね……。私ひとりだと気づかないこともある。リュシエンにも付いてきてもらったほうがこっちとしてもありがたいよ。まぁ、私は強制しないから勝手にどうぞ」

「ええ、勝手にさせていただきます」


 リュシエンは両手を胸の前で合わせ、深く頭を下げた。

 少々行き過ぎなところもあるかもしれないが、妹思いの良い兄だ。

 そんな彼にいつか信用してもらえたならいいなとリアンは思った。


「それにしても、ファリンは健気な子だね……。私が村に来たときだって村人に殴られていたのに、それでも村のために生贄になろうとしていたし」

「ええ、本当に。……待ってください。今、なんといいましたか?」


 ずずいっと。リュシエンが椅子から立ち上がってリアンに近づく。

 椅子に座るリアンの肩に手をおいて逃さないようにしつつ。


「詳しく聞かせてもらえますね?」

「あっ……はい」


 殺気だけで人が殺せるなら、今のリュシエンの殺気ならできるだろう。

 実際、リュシエンの周りには魔力圧が出ていた。

 並の人間ならその圧に屈して昏倒するだろう。

 リアンは竜であるため、平気だったが。


 もっとも今の殺気は自分に向けられたものではないと分かるのだが、それでも怖かった。

 端正な顔立ちで、それでいて笑顔なので余計に恐ろしい。


 リュシエンだけは今後も怒らせないでおこうと思いながら、リアンは見かけたエルフの特徴を伝えた。


「……ふむ。人を殴るほど体力が有り余っているようですね。ちょうどいいので、明日模擬戦の相手をしてもらうように頼むとしましょう」

「リュシエン、怒るのは分かるけど殺さないようにね?」

「ええ、もちろんです。教えてくれてありがとうございます」


 それからリュシエンはため息をついた。


「度々……傷薬のポーションが減っているなとは思ったんです。もしかしたら今までにもあったのかもしれないと思うと……少々怒りが収まりませんね。やっぱりこの村、沈めませんか?」


 このシスコン、あっさりと村を滅ぼそうとする。やっぱり怖い。


「私は邪竜じゃありません……清く正しい竜なのでそんなことはできません……」


 とは言ったものの、正直なところリアンもこのまま何もしないほど、聖人君子ではない。

 この村のエルフたちも被害者と言えば被害者だ。

 なので大きな制裁を与えるわけにもいかないが……。


「あっいい案を考えた!」


 ポンっとリアンが手を打った。

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