雨は降り止むものだから
長老衆とファリンたちがたどり着いたのは村の入口であった。
入口にはすでに供物も用意されていた。
エルフの村で作られた上質な絹の布に、特産品である果実酒……どれも市井に出回れば高値がつく高級品ばかりだ。
「……ちょうど来たようだな」
村に向かって船が五隻ほど近づいてきていた。乗っているのは十人ほど。
全員が男であり、剣など腰に下げて武装をしている。
「連絡をどうも。こちらの要求に応えてくれたようでよかったよ。じゃなきゃ水竜様の機嫌が爆発するところだったぜ」
(あれが水竜の使徒……? なんかチンピラというか、盗賊ぽいんだけど)
リアンは村に入っていくる使徒を名乗る男たちを見てそう思った。
人を見かけで判断してはならないとは思うが、どう見たってガラの悪い男ばかりだ。
使徒と言うからには敬虔な信者を思い浮かべたが想像とは程遠い。
もしかしたらこの世界の信者スタイルはあれが正解なのかもしれない。
あの先代のだし、そんなこともあるかもしれないと思ってリアンは離れた場所からもう少し様子を見ることした。
「おいおい、捧げものはたったのこれだけかよ。しかも生贄がガキ一人だと?」
使徒のリーダーらしき大柄の男が長老の一人に詰め寄って胸ぐらを掴んだ。
「こ、これ以上は無理です!」
「じゃあ生贄を増やせ。もっと美女を連れてこい」
「それは……」
「これは水竜様の願いだ。その願いに逆らえばどうなるかわかってるだろ?」
大柄の男が合図をすれば他の男達が村へ入っていこうとする。
どうやら無理矢理にでも連れて行こうという魂胆らしい。
「待ってください。生贄はわたしだけでお願いします! 他の人たちには――」
「うるさいガキだな、お前は黙ってろ!」
声をあげたファリンを黙らせようと使徒の男の一人が彼女を殴ろうとしたが。
「……うわっ!」
しかしその寸前でその男の腕は取られ、湖に投げ出された。
いつの間に移動したのだろうか。使徒の男たちの中にリュシエンがおり、妹を守るように立っていた。
「はっ! 俺らに楯突くってことは水竜様を敵に回すってことだぞ?」
「構いません、水竜だろうが邪竜だろうが相手しますよ」
「お兄様……!」
使徒の言葉にも動揺することはない。そこには妹を命を賭してでも守ろうとする兄の姿があった。
(うんうん……いい兄弟愛だなぁ。もうちょっと見ていたいけど、このままなのも可愛そうだし、そろそろ終わらせてあげようか)
「リュシエン……なんてことを……あの邪竜が出てきたどうするのだ……」
「――それはないから安心していいよ」
「えっ……?」
狼狽える長老衆たちの言葉にそう応えて、リアンは前へ進み出た。
「だって邪竜と呼ばれた水竜レヴァリスは
レヴァリスが死んだ。その言葉はここにいる者たちにとってはありえない話だった。
「水竜が死ぬなんてそんなはずはない」「俺は漁の時に見たんだぞ」とエルフの者たちがざわつく。
そしてそれは水竜の使徒を名乗る者たちも同じであった。
リアンにとってはそんな反応をされるのは予想できたことだ。彼女は気にせずに話を続けた。
「そこの使徒の人たちもレヴァリスに何か頼まれたのかもしれないけど、それももう必要ないから。私は必要ないし供物や生贄は返してあげて」
「なんだお前は……水竜様が死んだ? 何を言っている、そんな馬鹿なことがないだろう」
「本当に死んだんだよ。今は私が水竜だし」
「あっはははは! とんだ冗談だ。お前が水竜なわけ無いだろ。むしろお前は供物に捧げるにぴったりだな」
だぼついた服を来た少女が自分は水竜だといったところで説得力はないかもしれない。
迫力なんてものはなく、子供の戯言のようだろう。
リアンは少しむっとして腕を組む。別に信じないのはいい。
ただ供物に捧げるのにぴったりだと言われたのが気に食わなかった。
なんとなく、それを言った使徒の目が値踏みをするような嫌な目線だったから。
「そっちだって本当に水竜の使徒なの? どうみても使徒を騙って物を強請りに来た盗賊にしか見えないよ?」
「じゃあ、証拠を見せてやるよ」
追求しても強気な男はそう言うと湖に向かって叫んだ。
「偉大なる水竜様! 我らの前に姿を表したまえ!」
ずずずっと水が盛り上がり、水中から大きな何かが出てきた。
口にギザギザの牙、鱗を持つ巨体。尻尾もあり、翼もある。
いきなり現れたその存在にエルフの者たちは震え上がった。
「どうだ! 水竜様の登場で――」
「何その、まるまると太ったワニみたいなのは」
「……は?」
ただ一人だけ。リアンだけは冷めた目でそれを見ていた。
「な、何を言っている! 水竜様だぞ! 恐れ敬え! でないと怒りに――」
「下手な人に作らせた工作みたいな出来だね。これが水竜だって言うなら、逆に君たちがレヴァリスに怒られそうだ」
「なぜだ……怖くないのか……」
「だって、どうみても霧で作った偽物じゃないか」
リアンには分かっていた。この出来損ないのワニは魔法で作り出された幻術であると。
「そこの男の一人が小さく呪文を呟いていたし、水の魔力の流れも感じ取れた。……君たちが強気に出ていたのもこの幻術で脅せば言うことを聞くだろうって思ってたんでしょ?」
ファリンの説明通り、魔法を使う際は呪文が必要らしい。その呪文らしき言葉を盗賊の内の一人が聞こえないように呟いていた。
距離が離れているため、常人では聞き取れないだろうがリアンには水に反響する僅かな音を拾ってその呪文を聞き取っていた。
また水の魔力の動きも目に視えていた。ゆるりと動くモヤのような、それを捉えていた。
水を使った幻術など、水を司る竜の前ではまったくもって無意味なものだった。
「くそっ……まさかバレるとは」
「はぁ……どうやら本当に盗賊たぐいだったようだね」
「なぁに、こうなれば力ずくでやればいいってもんだ!」
大柄の男が剣を引き抜けば、手下の者たちも抜剣する。
「見抜いたことは褒めてやるよ。でも言わなきゃ命は失わなかったのに……残念だったな嬢ちゃん!」
「……言ってなかった? 今は私が水竜だってさ」
「な、なに!?」
リアンを切りつけようとした大柄の男の剣は空振った。
突如としてリアンの体が水となり、その場に服だけを残して水たまりとなったのだ。
そして足元の水たまりは噴水のように湧き立ち、水柱となって大きくなっていく。
「あれは……!」
「嘘だろ……!?」
水はやがて大きな形をとった。
きらきらと水面に煌めく光のような鱗。水を通る光のような輝きをもつ瞳。
羽ばたけば大波を立たせそうな大きな翼。尾ひれの付いた長い尻尾。
長い首を回してこちらを見下ろすそれは――。
「邪竜だああああ!」
「君たちも邪竜って呼んじゃうんだ……」
思わず呆れたようにリアンが呟く。水竜を敬う使徒なら邪竜なんて呼ぶことはないだろう。
水竜の使徒……もう盗賊でいいだろう。彼らはドラゴン姿のリアンを見るなり慌てふためいていた。
モノマネをしていたら後ろから本人が出てきた時のような驚きだろう。
「まぁ私は邪竜じゃないんだけど……」
いくら言ったところで誰もリアンの言葉は聞いていなかった。
盗賊たちは慌て、懇願するように祈るものもいた。
剣を手に向かってくる勇敢な盗賊もいたが、リアンが渦巻を作り絡め取る。
「め、目が回るー!!」
「助けてくれー! 息が……!」
「あっごめん、やりすぎたね!」
呆気なく渦巻に飲まれていった盗賊たち。彼らが溺れてしまう前にリアンは渦巻を解除する。
消えた渦巻からはびたびたと水をかぶって目を回した盗賊たちが出てきた。
ほとんど気絶している様子。これならもう何もできないし、逃げることもなさそうだ。
「……さて、後はどうしたものか」
盗賊たちを片付けたリアンが村の方へ振り返る。
そこにはエルフの長老たちと村人たちが皆地面に頭が付くほどにひれ伏していた。
「やっぱり、やっぱりレヴァリス様だったのですね」
その中でファリンだけがリアンに近づき、話しかけてきた。
兄のリュシエンはファリンの行動に驚きながらも心配するように見ており、そしてリアンを警戒するように見ている。
(そんな警戒しなくてもいいのにな……)
まぁ、今はこの誤解を解く方が先か。今リアンはレヴァリスと勘違いされている。
「私はレヴァリスじゃなくて、リアンだよ。ファリンとだってさっき会ったばかりだし」
「ならそのお姿は……」
「私は二代目なんだ。死んだレヴァリスの後を引き継いで水竜になった存在」
未だ信じられないと言った様子でこちらを見ていた。
(そんなに信じられないのか。先代が信用ならない竜だったんだね……)
「まぁ信じてくれないならそれでいいけど。……それでファリン、この雨は止めていいよね」
「えっ……」
リアンは翼を広げ、風に水を巻き上げながら飛び上がった。
そのまま雨を降らす黒くて分厚い雲の中へ。
「……うわ、すっごい水の魔力の塊だ。こんなものを固定してたらそりゃ雨がずっと振り続けるよ」
目には見えない魔力の流れを感じとってリアンが呟く。
渦巻くように水の魔力が流れ、雲を作り出しこの地に雨を降らせていたようだ。
「おっと!」
その時、自分に向かって雷が落ちてきた。それをなんとかかわしていく。
どうやらこの水の魔力の塊を防衛するために仕込まれたもので、近づいたものはこの雷に攻撃されるようだ。
「確か……不純物のない純水は電気を通しにくかったはず……」
水は電気を通しやすいというがそれは水に含まれる不純物が原因だ。
電気を通す不純物のない完全な純水なら、電気を通すことはない。
そしてリアンは水を司る水竜だ。完全なる純水を作り出すことなど造作もない。
リアンは水を操り、竜の体を守るように純水をバリアのように纏わせた。
それによって雷は当たってもリアンには届かないものとなる。
「あった!」
リアンはそのまま流れの中心へ。
そこにこの雨を作り出す魔力のコアとも言うべきものがあった。
「雨は降り止むものだからね!」
宝石のように輝く水の塊。
その魔力の流れを飛散させるように動かせば、魔力の塊は内側からひび割れ、そして砕け散った。
するとすり鉢谷を覆っていた黒い雲が徐々に晴れていき、太陽の光が差し込んできた。
「あぁ……!」
地上では皆が空を見上げていた。百年、この地を覆い隠していた雲が晴れたのだ。
百年ぶりの晴天が頭上に広がっていた。
「リアン様……!」
地上に戻ったリアンをファリンが出迎えた。
リアンは人の姿に戻る。
もちろん人前で裸を晒すことのないように、水の形状のまま服を拾ってから人の姿となった。
視線が同じとなりファリンの顔がよく見える。
まだ夢の中にいるような、信じられないものを見る表情をしていた。
「あの、リアン様が雨を止めてくださったのですか……?」
「うん。百年も降らせるなんて本当、先代はやりすぎだよね」
リアンは手を伸ばしてファリンの頭をなでた。
「だから、君のせいじゃないよ。全部先代のせいだから」
「……っ!」
願いを口にしたのは確かにファリンだったかもしれない。
だが結局雨を百年も降らし続けたのは先代のせいだ。
むしろファリンは村と森のためを思って行動していた。彼女を責める理由はないだろう。
「リュシエンもだよ。もう自分のせいだって責めなくていいから」
リュシエンだって同じだ。
村に帰るまで村の状態も両親の事もファリンの事だって知らなかっただろうに自分を責めていた。
この兄妹は二人揃って自分のせいだとこの百年間思っていただろう。
だがそれも今日で終わりだ。二人が自責を抱えていた原因の雨雲は綺麗さっぱりとなくなったのだから。
原因が解決すればもう自分を責めなくていいだろう。
リュシエンもまた信じられないものを見るようにこちらを見たままだ。
だが言葉は伝わっただろう。深く頭を下げた。
「……そこの長老と村の人達も、恨むならファリンじゃなくて先代だよ。いいね?」
「も、もちろんでございます!」
ひれ伏したまま長老たちが応える。責めて恨む原因はもうないのだ。
ファリンをこれ以上に責めたりはしないだろうが、一応釘をさしておいた。
水竜たるリアンの言葉を前にすれば、彼らももうそんなことはしないだろう。
約束を破れば今度はリアンの怒りを買うことになる。
「リアン様……ありがとうございます」
「いいよ。二代目として先代の代わりに後始末をしただけだし」
「……それでも、雨を止めてくださってありがとうございます!」
リアンの手を取って握りしめ、ファリンが嬉しそうに笑った。
こうして百年と降り続けた雨はリアンのお陰で止んだ。
木々に残った水滴に光が反射し輝く。
そして雲ひとつない空には綺麗な虹が架かっていた。
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