水竜の使者

「わたしが生贄ですか?」


 ファリンはどこか覚悟を持って長老衆――この村を治める指導者たちを見て聞き返した。


「お前も覚えがあるだろう。水竜の使者を名乗る者たちが生贄と供物の催促に来たことを」

「彼らの言うことが本当のことか決めかねていたが……かの水竜が現れたのだ」

「左様。であるならば使者たちは本物だ。彼らの要求通りにしなければ、村は水竜の怒りに触れる」

「そこで先ほど我らは協議し、ファリンを生贄として邪竜に差し出すことを決定したのだ」


 代わる代わるに長老たちが理由を語った。

 長老衆の会議で決定されたものは村の総意と言っていい。

 誰にも覆されることはできず、村の者ならその命に従わなければならない。


「……私は許しません」


 一人その意見に反対するのはリュシエンだった。

 今も妹を守るように立ちふさがっていた。


「お前の妹以外に誰がいるんだ。この森が水に沈んだのはお前の妹のせいではないか!」


 長老の一人が声を荒げてファリンを指差した。

 その場にいた者たちの厳しい視線がすべてファリンに突き刺さる。

 ファリンは苦しそうな表情をし、リュシエンはそんな妹を守るように背に隠した。


「リュシエン、そこを退け。それは邪竜への大切な生贄だ」

「ファリンは私の大切な妹です。生贄などではありません!」

「ええい! 仕方ない、無理やり連れて行け!」

「リュシエン様、申し訳ありません……!」


 一斉に武装したエルフたちがリュシエンにかかるが――。


「……うわ、つよっ」


 傍観していたリアンが思わず言うほど、リュシエンは強かった。

 無数に突き出される槍はリュシエンにかすることすらしない。

 吹き抜ける風のように、リュシエンはひらりとかわす。

 リュシエンが槍を奪い取ったかと思えば、巧みに振り回して他のエルフたちを蹴散らしていく。

 その儚げな外見から想像もできなほどの大立ち回り。


 あまりに見事なものだからついリアンは見とれていた。

 リアンが出るまでもない。

 そのままリュシエンが戦っていれば、立ち向かうものはいなくなるだろう。


「……お兄様、やめてください!」


 ファリンが声を上げるとその場の全ての動きが止まった。

 一瞬の静寂、雨音だけが響く枝橋をファリンが進み出ていく。


「これもわたしが犯した罪を償うことなら……生贄に喜んでなります」

「……ファリン!」


 ファリンは兄の横を通り抜け、長老衆たちの元へ自ら歩いていく。


「お騒がせしてすみませんでした」


 リアンにそう告げたファリンは長老たちに連れて行かれた。


「……水竜の使者に、生贄ねぇ」


 リアンの呟きは誰に聞かれることもなく、雨音の中に消えていく。

 ファリンは喜んで生贄になると言っていたが、表情はとてもそうは見えなかった。苦しそうなそれで。


「さっき出会ったばかりの子だけど……放ってはおけないよね!」


 リアンはファリンの後を追いかけていった。


 ◇◇◇



 枝橋の上を行列の集団が進んでいく。

 長老衆と呼ばれるこの村の指導者が先導し、その後を武装したエルフたちに囲まれながらファリンが歩いていた。

 その光景を他の枝橋や家の窓から村人が遠目に眺めている。

 まるで連行されていく囚人を見送るかのような雰囲気だ。


「……ファリン」


 その最後尾を覚束ない足で付いていくのはリュシエンだった。


「ねぇそこのお兄さん」


 リアンはそのリュシエンに追いつくと並んで歩きながら話しかけた。


「あなたはファリンといた……見かけない子ですね?」

「リアンです。まぁ私のことはともかく、水竜の使者ってどういうことですか?」

「……あなたは知らないのですか?」


 よそ者のリアンを訝しむように見ていたが、リュシエンはどこか投げやりに話してくれた。


 数日前、この村にある人間たちが訪れ、彼らは水竜の使者を名乗ったそうだ。

 ――水竜様はこの村に供物を要求している。差し出さねばこの村は水竜様の怒りに触れることだろう!

 そう一方的に告げて使者を名乗る者たちは村を立ち去っていったという。


「最初は誰も彼らが本物の水竜の使者とは思わなかったのですが……レヴァリス自身が現れたので長老衆も信じたのでしょう」


(……それレヴァリスじゃなくて私なんだけどね)


 と、心の中でリアンは思った。本当は真実を伝えたいところだがリアンは気になることがあった。


(水竜の使者たちが本物かどうか気になるんだよね……。もしかしたら先代、本当にそういう要求をしていたかもしれないし……)


 だとしたら使者たちには先代のレヴァリスがいなくなったことも伝えなければならない。

 だが彼らがどこに居るかもわからないし、どんな姿をしているかもリアンは知らなかった。

 このままファリンを生贄として差し出すなら、何らかの形で彼らは姿を現すだろう。

 使者たちが姿を現すまでリアンは待つつもりだった。


(ファリンの身になにかあればすぐに竜の姿で出ればなんとかなるかな?)


 先代とはそっくりなようだから、何かあれば先代のふりをして出ていこうとリアンは考えていた。


「ところで、どうしてファリンが生贄に選ばれたの?」

「あなたは本当に何も知らないようですね……。まぁ、先程のやりとりを見ていれば分かるでしょうが……私の妹はこの村の人たちから疎まれておりまして……体のいい厄介払いでもあったのでしょう」


 このエルフの森を湖に変えた元凶は水竜レヴァリスだが、ファリンも関わっている。

 住人たちの怒りの矛先がファリンに向くのも当然だろう。

 先程広場で殴られていたのも、そういう理由があったからか。


「お兄さんは慕われているようだったけど?」


 長老衆は分からなかったが他の武装していたエルフたちはリュシエンを敬っているようだった。


「それは森から湖となってしまった、この地でも生きられるように、技術を色々と教えましたから。船の作り方から動かし方、漁の仕方といったものを……」


 水上での生き方を森で生きていたエルフたちが知るわけもなかっただろう。

 技術や知識もなかったこの村にそれを伝えたのなら、感謝されて慕われもする。


「なるほどね。……でもなんでそんなことを知っていたの?」

「私は百年前まで旅をしていたんですよ。若気の至りと言いますか……外の世界に憧れて、気付いた時には家を飛び出していました」


 エルフというのは閉鎖的で多種族との交流を好まない。

 この村も外界からは閉じた場所に位置し、普段から他との交流を絶っていた。

 一生を村から出ずに終えるエルフも少なくないが、中にはリュシエンのように村を出て旅をする者もいる。


「若気の至り……何歳くらいです?」

「あれは300歳くらいの時ですね」

「今、何歳なんですか?」

「500歳ですね」


(……ファリンって何歳くらいだ? なんとなく小さい子のように話しかけていたけどよく考えたら百歳は超えているよね……?)


 ついファリンの年齢も気になってしまったが、まぁエルフにとっては子供なのだろうと思っておいた。


「そうやって旅で得た知識を村のものに教えていたのはファリンのためですね。私が旅から帰ってきた時、両親は流行病で亡くなっており、村が湖に沈んでいて、ファリンが一人で……」


 リュシエンが爪が食い込むほどに手を握りしめた。

 今でも覚えている。

 旅から帰ってきたリュシエンを、ファリンが一人で泣きながら出迎えてくれたことを。

 心優しい妹だった。他のエルフたちに疎まれても恨むことなく、自分を責め続けていた。

 そんな妹を守るために、リュシエンは知識を広めた。

 リュシエンが知識を広めたことでエルフたちの新しい生活は安定していき、徐々に表立って妹を責めるようなことはしなくなった。

 しかし、村人たちは妹を許しはしなかったし、ファリンもまたずっとこの事を引きずっていた。


「どうして……どうして私はもっと早く村に戻らなかったのでしょうか! もっと早くに戻っていれば両親の死にも立ち会えたのに……ファリンが一人で、悲しい思いもすることもなく……こんなことにだって……!」

「リュシエン……」

「あの子のせいじゃない……きっと私のせいなんですよ」


 リュシエンは妹がいる前方を見つめた。


「リュシエンは本当にファリンのことが大切なんだね」

「当たり前です! あの子は私に残された肉親……亡き両親に代わっても守らなければ……」

「大丈夫だよ、リュシエン。ファリンの無事は私が保証するから」


 任せて頂戴と言うようにリアンが胸を叩く。

 リュシエンにとってはいかにもか弱い少女なのに、なぜそんなに自信満々に言えるのだろうと不思議そうな表情をしていた。

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