第34話

 練習場から2階程の距離を挟んだ所に、様子を眺める事のできる監視場がある。ガラス窓から練習場を眺める事ができるその場所は、頭首に許された面々のみが入室を許可される。


 ゼインズはアルディアと共にその場にいた。

 訓練をひたすら行う魔導士達をガラス越しの上空から見下ろす。

 まだ幼い子供が必死で訓練している様子をゼインズは痛々しそうに見ていた。

 共感したせいだろうか。アルディアの拷問のせいで出来た手足の傷が痛み出す。


 流石に体力が落ちたとは言えども、凶器を持った相手には魔術なしでは敵わない。

 ドルマンの側近が途中で入室してきた事と、アルディアの体力が限界だったのは幸運だった。

 側近に邪魔されたアルディアだったが、何を聞いたのか低い声で笑っていた。


 「出戻り記念の仕事だ。それもかなり名誉あるものだぞ。」


 そう言うとすぐにこの地下の練習場まで連行された。

 言及していた『実験』なるものが始まるのは予感している。

 落第者を使った『実験』。

 それはリクの手記から間違いなく落第者の生命に関わるものだとは分かった。そしてそれが魔術の復活に繋がる事も知っている。

 しかしながら、何故自分自身が意図的に使役されようとしているのかはゼインズには分かっていなかった。

 

 ゼインズとアルディアは大勢の魔導士達に囲まれていたが、やがてその一部が道を開き始めてドルマンとゲルトが現れた。


 「来たか。」


 その姿にアルディアが期待を膨らませた面持ちを向ける。

 どうやらこの『実験』は、余程アルディアにとって魅力的らしい。

 

 「お待たせしました父上。」


 ほんの少しだが、ドルマンが苛立ちを感じている様子が見られる。

 ゼインズはアルディアへの反発かと思ったが、何やら落ち着きがない。


 「どうしたドルマン。」


 我が息子のそんな状態を見て不審に思ったのか、アルディアが尋ねた。

 

 「…いいえ。何も…。」


 「なら早速始めろ。」


 「…では私はゼインズと練習場へ…。」


 ドルマンがそう言うと、ゲルトがアルディアに耳打ちする。


 「お前は残れ。ゲルトに今指示して、ゼインズと下へ向かわせろ。」


 どうやらゲルトの進言によってアルディアはこう指示した様だ。ゼインズに逃げられてはいけないと思ったのだろう。


 この親子には互いに信頼という言葉は存在しない。


 「ドルマン様。ご指示を。」


 ドルマンは怒りに目を剥いていたが、ゲルトは臆せずにドルマンに近寄って飄々と言った。

 

 「早くしろドルマン。」

 

 アルディアから急かされ、怒りを殺しながらもドルマンはゲルトに『実験』の方法を話すでもなく、紙で手渡す。

 ゲルトはそれを受け取ると、ゼインズの元へと来た。


 「来い。」


 手錠から出た縄を引っ張られると、嫌でも進まなければならない。


 監視場から練習場へと向かう階段を、一歩一歩ゲルトと降り始める。

 前を行くゲルトの小さな背中は猫背気味で、何だか卑屈な部分を醸し出している。

 

 「昔と変わらず腰巾着のままか。ゲルト。」


 皮肉を投げかけるが、ゲルトは応じない。

 会話もなく階段を下り終わり、すぐに練習場へと辿り着く。


 「落第者候補のみ残れ。他の者は退室しろ。」


 ゲルトは練習している魔導士達を外へ追い出すと、落第者の可能性のある者だけを残す。

 すると10名程の少年少女が集まった。

 程なくして巨大な檻を魔導士達が運んで来た。

少年達は檻の中へと誘導されるが、説明を受けてないのか不安そうに視線を泳がせながら従って中へと入る。


 「お前達に頭首とドルマン様から直々の命令だ。心して取り掛かれ。」

 

 ゲルトは声高らかにそう言葉を告げると、ドルマンから受け取った紙を一通り見て、ゼインズに向き直った。


 「檻に火を放てゼインズ。」


 「…何?」


 「だが決して殺すな。」


 「何を言っている?…意味が分からんな。」


 「こう言えば分かるか?」


 ゲルトが胸ぐらを掴んで言い放つ。


 「火を使って瀕死状態までこいつ等を痛めつけろ。…前頭首と同じ様にな。」


 ああ、ようやく『実験』に参加させられた理由が理解できた。

 人を葬る事は容易くできても、瀕死状態の加減というのは魔導士には難しい。


 子供達はこちらを見て恐怖の色を浮かべた。


 上のガラス窓からはアルディアとドルマンの姿が見える。


 「やれ。」


 手錠が外された。


 この隙にゲルトを倒すか。

 いやそんな暇はない。アルディア達がこの場に来れば全て終わりだ。


 ゼインズの額に汗が流れる。


 その時だった。


 どこかでパチンという音がしたかと思うと、練習場の照明が消えた。


 「ゼインズ!」


 自分を呼ぶ小さな女の声が聞こえる。


 それは数日前まで一緒だったレイの声だった。









 3階の洗い場にレイの姿は見当たらなかった。

 もしかして何かあったのだろうかとジェーンは不安になったが待つしかない。

 平静を装って掃除用具の手入れをするが、心中では色んな事を反芻していた。


 ここを出たい。

 その気持ちは紛う事なく本気である。

 そのきっかけとなったのもシードルが好きだからに違いない。

 そう思ってリクの提案を受け入れた。


 でもいざという時体がすくむ。

 怖くて動けないし、攻撃されるがままで立ち向かう事ができない。


 当然自己嫌悪はさることながら、レイの様に勇気を振り絞る事のできない自分の気持ちに疑念を持ち始めていた。


 「どいてくれる?ジェーン。」

 

 立ち止まっていると、同じ最下層の女が避けずに体をぶつけてきた。

 

 「…え。」


 謝罪もなく、女は雑巾を洗う水をジェーンの方へと撒き散らす。

 他の者は皆その女からそそくさと距離を置いた。


 この女は確か最下層の男と先日結婚したばかりだ。

 前までは嫌味な性格もなりを潜めていたが、最近とにかく態度が大きい。

 結婚して任務を果たして一人前とされたと思っているのか、それともこの家での強制結婚に嫌気がさしているのかは分からない。


 いつもなら優しいジェーンは自分から折れる。

 けれど今は何だかそれではいけない気がした。


 「…わざとでしょう?今もそう。」


 「は?」


 女はジェーンに対して威嚇する様に睨みを利かせてきた。


 「結婚してから何だか態度変わったわね。あなたそんなじゃなかったわ。」


 「それがあんたに何の関係があんの?」


 「ないわ。だからこそ八つ当たりされると迷惑よ。」


 それまで離れていた他の者達が2人に注目し始めた。

 

 女は無視をしてその場を去ろうとする。

 

 何だろう。こんな感情が生まれるのは初めてだ。

 相手の今までの所業を許せなかったのだろうか。


 いや違う。何かに気付いてしまった。


 彼女がこうなった理由をはっきりと明確にしたかったのだ。


 レイに言われた言葉が心の中で燻りながら、火を放ち始めた。


 この女の姿こそきっと、足がすくんでしまった自分の末路だ。


 「幸せな結婚をしてない証拠ね。」


 「…うるさい!!黙れ!!」


 ジェーンの言葉に女がカッとなり、怒号を上げた。

 周りがシンと静まりかえる。

 図星だったのは誰の目から見ても明らかだった。


 「本当に幸せなの?…本当に?」


 質問すると女の動きがいきなり止まった。

 さっきまでの気迫はどこかへと消え失せる。

 よく見ると周りの人間も動きを止めてジェーンを見ていた。

 すると、強者の如く振る舞っていた女の目からゆっくりと涙が零れ落ちる。

 周りはそんな女に視線を送るが、より一層それが女を惨めな人間に仕立て上げた。


 「…私達…自分の命を守る為に自分の人生を尊重しないなんて何だかおかしいわよね…。」


 ジェーンの言葉に誰もが顔を俯かせた。

 その表情で分かる。

 皆が人生を疑問視している事は明白だった。

 女に対する同情か、それとも自分達の立場に対する憐憫か、いつの間にかジェーンの目からも涙が溢れていた。

 

 「これが一番だって頭を落ち着かせてたけど、私は心ではどこかでこの家に変化が起きないかずっと待ってた。…行動なんてせず。」


 その言葉に1人の男が声を上げた。


 「行動って…オレ達なんか魔術だってろくに使えないし、どうせすぐ処分に…!!」

 

 「真剣にここから出る方法を考えた事ある?頭から無理だって否定するから浮かばないだけかもしれない。」


 ジェーンは男を真っ直ぐ見つめながらそう言うと、男は黙った。


 「最下層だなんて札を付けられてるから思い込んじゃっただけ。私達には魔導士達と同じだけ考える力だってあるのよ。」


 「でも…。」


 それでも男は渋る声を出す。

 他の者達は交互にジェーンと男を見ている。

 明らかに全員迷っているのが分かる。


 「この家の事を知り尽くしてるのは私達よ。全員が協力すれば勝算は十分にある。…やってみない?」


 ジェーンがそう言うと皆がハッとした顔になり、それぞれ顔を見合わせる。

 

 「…私は協力するわ。」


 泣いていた女がそう告げると、次第に皆が不安気な顔から自信に満ちた顔へと変化させる。


 女の言葉は皮切りとなった。


 「…やる。やってみる!」


 「そうよね…。私も!」

 

 あれよあれよと言う間に皆が賛同し、終いには何人かが作戦を立てようと紙とペンを持って来た。


 「…皆…ありがとう。」


 ジェーンは涙を溢しながら、満面の笑みを浮かべる。


 暗く静かな洗い場の雰囲気は一気に払拭され、温かな雰囲気が流れた。

 それは最下層が初めて家族として団結した瞬間だった。


 


 

 「…出辛でづらい。」

 

 その一部始終を数メートル離れた壁際で眺めていたリクは、輪にどう入るか悩んでいた。


 「いい娘…。本当めっちゃいい娘。」


 「…。」


 後ろを見ると、何故かもらい泣きしたシードルがグスグスと鼻をすすっている。

 放っておこうと前を向き直すと、シードルはいきなりリクの腕を力強く引っ張る。


 「行こう!オレ達も仲間入りしよ!」

 

 「え?今?」

 

 「ジェーン!!最下層の人達ー!!」


 「シードル!待て!オレ達の格好!」


 感化されたシードルは、自分の着ている服が今どんな物なのかも忘れていた様だ。


 怯えた顔の最下層達を目の前に、ジェーンと2人した説明するのはかなり骨が折れた。


 


 


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