第33話
「…シードルが逃げた?」
「申し訳ございません…その。ゲルト様が…途中でいらっしゃったもので。」
「手引きする仲間がおりまして、恐らくそれがリカルドだったのではと…。魔導士の格好をしておりました。」
5階執務室内。
ドルマンは屋敷の外へと自らリクの探索に向かおうとした所で側近達からの報告を受けた。
「どうかご容赦を…!!」
一度ならず二度までも落第者に手こずるとは何事か。
ドルマンは気付けば2人の側近に巨大な岩を放っていた。
即座に側近達が防御するも、ドルマンの魔術の速さに追いつかない。
岩は側近達の体を壁まで追いやるだけに収まらず、一層圧力をかける。
嗚咽が聞こえたかと思うと、すぐに側近達は気を失った。
ドルマンは足早に執務室を去り、隣の自室に入ると机へと向かう。
「…リカルド…!!」
空になった引き出しを見ると、ドルマンの額に青筋が立つ。
「ドルマン様。」
ゲルトの声と同時に扉を叩く音が聞こえる。
「…何だ。」
それどころではないドルマンだが渋々応答する。
扉を開いたゲルトが頭を垂れながら告げた。
「頭首がお呼びです。ゼインズ、落第者共々練習場に集めております。…是非とも着任式の前に予行練習をと。」
「…今行く。」
ドルマンは壊れた引き出しに一瞥くれると、扉の外へと出た。
一目散に逃げ出したリクとシードルが身を隠したのは、最下層の使う経路の扉だった。
様子を窺いながら死角を探すが、残念ながら隠れられるスペースはそうない。
けれども探しているのはどうせドルマンのごく僅かな一味だけだ。
アルディアの手が伸びていない内は、少しは自由に動けるだろう。
「どうするかなあ…。ジェーンがどこにいんのか…。ゼインズの方も食い止めるんだろ?」
「ゼインズは頭首室に行くの見た。ジェーンとは都度3階の空き部屋に集まる予定だったけどこれじゃあな。」
少し考え始めて沈黙が始まると、シードルが懐かしむ様にこちらを見て来た。
「お前が生きてて本当に良かったよ。2年も監禁されてたなんて…。」
「あのな!」
逃げなかったシードルを責めようと言葉を続けようとしたが、涙ぐんでいるのに気付いてやめる。
「えらく近くにいたんだなあ…。気付いてやれなかった。」
本気で心配していてくれたのだ。
危険も顧みず、近付かまいとしていたエラリィ家にまで侵入する位に。
昔から情に厚くて世話焼きなシードルを巻き込んでしまったのは自分ではないか。
「…ごめん。…久しぶり。」
責める気は失せ、素直にその言葉が口から出た。
「うん。そうだな。久しぶり。」
笑顔でそう答えられるとつい気恥ずかしくなってシードルとは逆の方向を向く。
途端にシードルの口から息もつかさず言葉が次々と飛び出してきた。
「またえらくお前老け込んだよな。昔から不摂生だったしなあ。せっかく家事できる嫁さんもらったのにこうなるとはなあ…。」
「あ?」
「あっ結婚指輪なんかしちゃって!嫁さんどんな子なの?マリアに可愛い子いない?オレにも紹介してよ。オレなんて何年女いないか…。」
「…。」
さっきの涙は一体どこへ消えたのか。
4年振りともなればまともな話の一つくらいありそうだが、シードルは昔からくだらない話が好きなので電話でもこうなる。
周囲に警戒もせずベラベラ話し続けるのに辟易していたが、足音と話し声が聞こえて来たので流石のシードルも黙った。
特段見覚えのない最下層の人間達だった。
話の内容から自分達に害はないことが分かり、堂々と立ち尽くしていると、向こうが自然と会釈して避けてくれる。
彼等が去ると、ようやく我に返ったのか、シードルがいきなり仕切り直して小声で聞いて来る。
「…でどうする?」
「まあまずはジェーンに会わないと進展ないだろ。」
そう言って前進しようとしたが、首根っこを掴まれ止まる。
「…何だよ。」
「ほらまた先突っ走る。お前道分かんの?」
「…いや。」
シードルはさっきの集団の跡を指差した。
「あれ。ついて行けば会えるかもよ。」
経路の勘もないし、確かにそれしかない。
「ああ…まあそうか。」
「本当お前は…。」
方向転換して進むと、シードルが世話がやけるという風に溜息をついた。
何だか腹立たしいので無視を決め込むと、今度は小さくあっと声を上げる。
「何だよ。」
「いや…宿大丈夫かなあ…。客に任せきりで放置してきた。」
「は?今更?」
この後に及んで宿の心配をするシードルに思わず顔が歪んだ。
「だって…。すぐ帰るって言って出て来たもん…。」
「まあ絶対何か盗んで帰るなそいつ。」
「世の中お前みたいなくすんだのばっかじゃないんだよ。オレには人を見る目があるもん。」
「ああそう。」
シードルは指で目を見開きながら豪語するが、生返事で返す。
まだ歩くのかと思っていたが、最下層達はすぐにある場所へ辿り着いた。
恐らく洗い場であろう。大きな流し台があり、何やら最下層の集団が掃除用具をガチャガチャと片付けている。
壁に隠れてその様子を見るが、少し遠くて判りづらい。
「リカルド目悪かったっけ?」
「視力落ちた。お前人を見る目あるんだろ。」
「馬鹿じゃないの?」
視力の悪い2人は目を凝らすも、やはり無理がある。
「どいてくれる?ジェーン。」
その時嫌味気な女の声が聞こえて来た。
「「お。」」
不意に聞こえてきたその声に2人は反応する。
女の向かいにいるのがジェーンだと特定できると同時に、何かただならぬ空気が漂い始めた。
その頃レイは経路を走ってリクの使っていた空き部屋へと向かっていた。
経路にはそう魔導士はいないがたまにはいる。さっきの女達みたいなのにやっかまれるとたまったものではないからとことん魔導士達に低頭平身を貫いた。
やがて3階へと到着すると、ちらりと扉を開いて外へ出た。
エステルから見た様子通り味気ない建物である。
中央部分の空洞は階段となっており、ぐるりと囲んで部屋がたくさんある。
上を見ると5階から6階は空洞部分が少なく面積が広くなっている様だ。
「ほらあそこだって!あれ…いない。」
「えー本当にいたの?」
何やら魔導士達が一つの部屋を指差して話をしている。
「本当だって。義手だったもん。」
確かジェーンの話ではシードルも3階の可能性が高いと言っていた。
ここでシードルが捕まっていたのだろうか。
魔導士達が去るのを待って、空き部屋の鍵を開けた。
やっと再会できるかもしれない。
そう思って取手を回して扉を開いたが、誰もいない。
「…あら。」
水や食べ物が減っている所を見ると、恐らくリクは一度ここに来たのだろう。
少し遅かったか。
連絡が取れないならここで待っているのもいいかもしれない。
けれどいつ戻って来るのかも分からない上に、迎えに来てもらうのでは意味がない。
「…シードルとゼインズね。」
見取り図を見て5階を指で辿ると、頭首室がある。
シードルがどこに行ったかも知りたいが、ゼインズの様子も気になる。
部屋を出ようとすると魔導士が向こうから階段を降りて来た。
会釈して通過するのを待っていたが、何だか雰囲気がものものしい。
何というか普通の魔導士と違って少し高尚に見えるのだ。
少し上目遣いでそっと見上げると、一瞬目が合って心臓が飛び跳ねる。
だが、目の色に気付かれる事もなく、無事に通り過ぎて行った。
美青年だが、目がゾッとする程冷たい。
ああいった目を過去に見た事がある。
確か父が爵位を授かる時の貴族達の視線だった。
成金と言われ蔑まれた刺さる様な目つきは忘れられない。
人間に序列をつける事を自然と考えているのが明らかだった。
男が素早く去って行くのを、禿げ上がった細身の年配の魔導士が走って後を追って行く。
「ドルマン様。同行と申しました。」
「うるさい!」
ドルマン…。
ジェーンから聞いたその名を思い出し、レイはハッとその背中を睨んだ。
ああ。あの男こそ夫の宿敵だったのか。
ついて行くべきか判断に迷う。
しかし奴らがどこへ行くのかなどさっぱり分からない。
とは言ってもこの先当てがある訳でもない。
少しでも誰かの行方が分かるかもしれない。
レイはそう思い、ドルマン達の後を尾行した。
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