第32話

 ジェーンから一通りの事情を聞きながら、レイは身支度を始めた。


 まさかリクがシードルと旧知の仲な上、ジェーンが世話係だったとは。


 だが目の前の問題が多過ぎて、レイは驚く時間を与えられなかった。


 ジェーンと2人して女を縛り上げて2階のベッドにくくり、侵入用にと持って来たかつらを被るとくるりと回って問題ないか確認する。


 「これでいいかしら?ジェーン。」


 「レイさん。屋敷に入ったらなるべく俯いていて下さい。」


 髪はこれで隠せるが、瞳の色は誤魔化しがきかない。


 「ええ。そうします。」


 先程見取り図を広げてジェーンに見せると、それに最下層の出入りする経路を書き込んでもらった。

 家の改修もない様なので、これさえあればレイも移動ができる。


 「リカルドさんに渡したのはこの部屋の鍵です。空部屋は他にもここと…。」


 部屋数は多いというのに、ジェーンはすらすら階にある空部屋の位置を書き込んで行く。


 「よく覚えてますね…。」


 「…亡くなった際の片付けもありますから。覚えてるんです。」


 書き込んでいる空部屋の数は多い。

 改めて魔導士という仕事が危険と隣り合わせだと感じる。


 「悪いのですがもう帰らないと私…怪しまれます。準備はいいでしょうか?」


 昼と同じで、所々で最下層の出入りを確認しているのだろう。

 外には手元の灯りで照らされた魔導士の姿がぼんやり見える。

 何かあれば一族を呼び出されるかもしれない。


 「はい。」


 レイは深呼吸して頷く。


 辺りは真っ暗なので、最下層を装って魔導士の目を欺くのもそう難しくない。

 おまけに魔導士達は尾いてくる訳でもないので、案外すんなりと山道まで辿り着いた。

 けれど真っ暗で土地勘のないレイ一人ではどこで足を踏み落とすかも分からず、違った意味で危険が迫る。

 灯りを手に持つジェーンはレイの前を歩き始めた。


 「…2年は辛くなかったですか。」


 やがて魔導士達の目が離れて屋敷にいよいよ近付いた頃、ジェーンがポツリと声を掛けた。

 ただ単に気になるだけかもしれないが、話しかけて来るのはやはりジェーンなりの配慮だろう。

 レイが不安だろうと思って気遣ってくれているのかもしれない。

 

 「ええ。長かったです。…本当に。」


 「リカルドさんは離婚されたと思ってたみたいです。」


 「まあ!そんな事あり得ないわ!」


 レイがあまりに強く否定したので、ジェーンが目を丸くする。


 「ごめんなさい。…驚かれたかしら。私いつもこうで…。」


 ジェーンはクスクスと笑い出した。


 「いいえ。素敵な方ですもんね。」


 世話係だった上に、若くてきれいで、ましてや胸の大きい女性。

 いつもならこういった台詞に肯定して惚気るところだが、今回ばかりは気が気でならない。

 ここらで釘を刺しておかねば。

 

 「…シードルの事が好きなのでは?」


 そう言ってジーッと視線を送るとジェーンの顔が赤く染まった。


 「えっ!?…何でご存知なんですか!?」


 「勘ですよ。ああ良かったわ。」


 この反応に安心して心穏やかになる。


 「随分とリカルドさんに夢中なんですね。素敵な結婚…憧れます。」


 ジェーンの声音が何となく掠れた様に聞こえた。


 「…いいですね。お2人みたいになれたら…。」


 「えっ?」


 彼女の言葉が続かないのは恐らくそんな未来は自分に来ないかもしれないと憂いているからでないか。

 家から逃げても一族から逃がれるのが困難なのはゼインズを見れば分かる。


 リクの提案はあくまで賭けだ。

 無事に出国できるかも分からない運命なのに、それでもリクに一縷の望みを託しているのだろう。


 「…ジェーン。」


 「…もうすぐです。レイさん。」


 山道へ入ると巨大な建物にようやく近付く。


 リクの強さがどの位のものなのかレイは知らない。

 ただ魔術の性質として集中という過程がある以上は絶対に味方は多い方が良い。

 魔力は心配だが、ゼインズを味方にさえつければどうか。それならば心強い。


 「…何としても一緒に帰るわ。」


 レイは決意をそう口にすると、ジェーンはそれを無言で見つめた。


 深呼吸して重い扉を開く。

 

 扉を開けてすぐのロビーでは魔導士達が交差して歩き回っていた。

 男の魔導士ばかりかと思っていたが、女の魔導士もかなりいる。

 最下層の人間達の方が圧倒的に少ないから目立って仕方ない。


 「こちらです。ついて来て下さい。」


 ジェーンが右手にある扉に手を掛けようとした時だった。

 何やらこちらを見て笑っている女の魔導士の集団がおり、その内一人の目がこちらに向かっているのに気付く。

 何だか嫌な予感が走る。


 「ジェーン!」


 「えっ?」


 レイはジェーンの手を引っ張って傍に避けると、すぐに小さな岩が降って来た。

 続いて小さな種火がレイの頭や体に向かって来る。 

 

 「レイさん!」


 光のある中、相手に目を向けると正体がバレる。


 火を一つ一つ見極めながら、軽快なステップを踏んで避けていき、何とか事なきを得る。


 「嘘っ!?避けた!」

 

 女達はそれに驚愕の声を漏らす。

 タチの悪い嫌がらせである。

 

 できれば一発喰らわせたかったが、そんな事をしては大事になる。

 上手く侵入してリク達と早々に合流する為にはこんな些事に構ってはいられない。

 眉間に皺を寄せながら、レイはジェーンの後をついて行く。

 いつもの事なのだろうか。ジェーンは何もなかったかの様にさっさと扉を開いてレイと一緒に入り込む。

 すると薄暗い経路が現れた。


 「まったく!どういう教育されてるのかしら!」


 「魔術を使えるかどうかがここでの人権ですから…。すみません。」


 レイがそう怒ると、ジェーンは苦笑しながら謝罪する。


 「あなたが謝る事では…。」


 何だかジェーンに向けて怒りを向けた気がしてバツが悪い。


 「それより…すごく反射神経いいんですね。身軽ですし…。魔導士みたいです。」


 そんな空気を壊そうとしてくれたのか、ジェーンが少し微笑んで話を逸らす。


 「…ふふっ。ありがとうございます。」


 褒め言葉に照れていたが、経路の中を最下層の人間が通ったので2人は会話をやめた。


 ドルマンからの信用を酷く失墜させたジェーンだったが、どうも頭首のアルディアの命でしか処罰はできないらしい。

 リクの事を頭首のアルディアに告げていない時点で、ドルマン自らの立場も危ういのだろう。

 この事は現時点でジェーンの命を救っているものの、いつドルマンやその側近達から陥れられて処分されるか分かったものではない。

 妙な行動は少しでも避け、屋敷内で物静かに過ごす事が重要となる。

 レイと無関係を装って行動するのが一番だと考えた2人は、ここで分かれる事にした。


 「レイさん。とりあえず各階にこういった扉があるのでここから最下層の使う経路に入れます。魔導士達は滅多な事では使いません。」


 「ええ分かりました。リクの行き先の見当はつきますか?あとシードルやゼインズも…。」


 「シードルさんは恐らくどこか3階の空き部屋で捕縛されてると思います。ゼインズさんは聞いた限りだと頭首と一緒でしょうか…。リカルドさんは単独で行動されてますし…。」


 点在している上に行動が把握できない。

 その上最下層の人間が魔導士からあんな風にイジメに遭うとなれば非常にやり辛くて仕方がない。


 「…難航しますね。あなたとどこかで合流できますか?最下層の方が集まる場があるとか…。」


 「清掃があるので、この経路の3階にある洗い場に何度も皆集まります。それ位ですが…。」


 「では私もその時そこに行きます。」


 掃除用具室の位置を見取り図で確認する。


 「レイさん。」


 不安げな表情をしたジェーンが呼び掛けた。


 「はい?」


 「本当に…リカルドさんを助ける気でいらっしゃるんですね。」


 今更何故そんな確認をして来たのか分からず、思わず呆けた顔で見返す。


 「…それも、今まで魔術を使った事がないのに…。不安はありませんか?」


 ゼインズやシードルと同様、この娘もレイの身を案じてくれているのだろう。

 優しい娘である。


 もう敵地の中である。

 おまけにジェーンは手助けできない。


 「…むしろ不安しかないです。でも… 不安に呑まれて何もしないより、希望に向かう行動を選択したいんです。」


 レイは短剣がポケットにあるのを確認して握り締めた。

 

 「…そうですか。私なんて…。勇気がなくて…。」


 ジェーンはそう言ってポケットに入っている眼鏡を握る。


 シードルを助ける勇気が無いということだろうか。


 どうもジェーンは少し覇気に欠けている様だ。

 こんな環境で長らく過ごしたのだから気が遅れがちなのは分かるが、いざという時彼女自身にも行動してもらわなければ埒が開かない。


 「ねえジェーン?本当にシードルの事が好きですか?結婚を考えたりします?」


 「え…?それは…もちろん。」


 「なら助けましょう。」


 ジェーンはその言葉に戸惑った表情を見せる。

 

 「何だか今の事の否定ばかりで未来を想像していない気がするんです。そこが私との違いかもしれません。」


 ジェーンの顔が歪んだ。

 少し嫌味に聞こえただろうか。

 でもそれ位でいい。

 発破をかけなければこの娘はこのままここで過ごしてしまう。


 「ジェーン、本当にありがとうございます。…そろそろ行きますね。」


 無言で見送るジェーンを背中にして、レイは薄暗い経路を歩き始めた。

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