第29話

 昨日今日の疲れが取れなかった事が大きかったのか、レイはゆったりと眠ってしまっていた。

 時計を見るとシードルが帰ってくる予定時間から10分程過ぎてしまっている。


 「いけない…!」


 慌てて支度して一階に行くが、シードルの姿が見当たらない。

 呼び掛けても応答がないところを見ると、まだ帰って来ていない様である。

 

 キョロキョロと一階を見回っていると宿の電話が鳴った。

 出るべきか迷うが、宿の番を任されているのだし仕方ない。

 レイは電話の受話器を取った。


 「はい、もしもし?」


 「…そちらにレイチェル・フェリシアは宿泊していますか?」


 年配の女性からである。

 フェリシアの姓を知る者はそういない。

 えらく口籠った声で話し掛けてくる様子にレイは訝しむ。

 

 「私ですが…。どなたですか?」


 電話口の相手はああと感嘆の声を上げて名を告げた。


 「レイ。私よ。カロリーヌよ。」


 「カロリーヌ!」


 居場所も伝えていないのに何故分かったのか。

 それよりどこから電話を掛けているのかが気になる。ジラルドにはまだ着く時間ではない。


 「この電話どちらから掛けてますの?」


 「…ガーデンの実家よ。ご主人には会えたかしら?」


 声が震えていて明らかに様子がおかしい。


 「まだです。ところでゼインズは?」


 カロリーヌが黙りこくったので察しがついた。

 ゼインズに何かあったのだ。


 「…カロリーヌ。」


 カロリーヌはレイの声に泣き出した。

 そうしながら微かな声を発する。


 「あの人一人で向かって行ったのよ…。きっと大勢の対立を避けたんだわ…。」


 レイは黙ってカロリーヌの言う事を聞いていた。

 

 「…お願い。見かけたら…一言だけ。私は待ってると伝えて…。」


 夫を一人で救出する為に、この夫婦はどれだけ自分に色んな物を与えてくれたか。

 何も魔術の知識や訓練だけではない。

 この人達が居たからこそ、リクのいない寂しさやまだ見ぬエラリィの不安から脱却できた部分だってある。


 ガーデンに到着した時の夫妻の顔を思い出して、2人を幸せに導く事ができない自分のもどかしさが嫌だった。


 黙っていると、カロリーヌはレイが戸惑っていると思ったのか即座に意を翻した。


 「…ごめんなさいどうかしてたわ。…ご主人の事で精一杯なのに…。」


 恐らく片っ端からエステル中の宿にレイが宿泊していないか電話を掛けたのではないか。

 ここまでの声の掠れは泣いているからだけではない気がする。


 自分の答えなんてもう決まっている。

 やっと恩返しができるでないか。


 「…夫婦は一緒でないと駄目とおっしゃいましたわね。」


 カロリーヌがまた嗚咽を我慢しているのが分かる。


 「待つなんて駄目です。迎えに行かなくてはなりませんわ。」


 「…レイ。」


 「強気で行きましょうカロリーヌ。魔導士2人も居れば手立てはある筈です。」


 「…ありがとう。…本当にごめんなさい。」


 レイは感謝と謝罪を繰り返し聞きながら、受話器を置いた。


 また2階に上がり、ゼインズからもらった見取り図を見つめる。


 先程言った通り、2人揃えば案外脱出は容易かもしれない。


 差し当たってリクもゼインズもどこに居るのか分からないので侵入する必要があるが、どうすべきか。


 時計を見ると起きてからもう1時間以上が経過しようとしていた。


 「…まだかしら。」


 もしかしたらシードルの身にまで何かがあったのか。

 

 気持ちだけが焦るが、策略事が苦手な自分だ。少しは考えて動かないと痛い目を見るのは分かっている。


 ドアが開く音がした。

 やっと帰って来た様だ。


 「シードル…!」


 そこに立っていたのはシードルではなかった。

 

 顔のケガや打撲の跡が生々しかったのでそちらに目をとられていたが、今日の夕方ここに来た最下層の女のジェーンだった。


 「…あなた。」


 思わず駆け寄ると、ジェーンが何か荷物を机に降ろす。


 「…宿泊者の方でしょうか。」

 

 伝染したのかと思う位、彼女は先程のカロリーヌと同じ様な声音を発した。


 「えっ?…ええ。」

 

 「こちらの宿主の方は…お帰りが遅くなります…。別の宿をお探しになられた方が…。」


 暗い表情でそれだけ言うと、ジェーンは荷物の包みを解いて中身を出した。


 液体窒素、工具、壊れた義手にそれから眼鏡。


 眼鏡はシードルが掛けていたものだとすぐに分かった。

 ジェーンはポケットにこっそりしまう。


 「…捕まったんですか?」

 

 レイがそう言うと、ジェーンは戸惑うばかりでただ俯く。


 「あなたとシードルの会話を2階で聞いていたんです。…教えて下さい。」


 ジェーンの瞳がレイと対峙する。


 「…シードルさんは私の代わりに囮になったんです。」


 そう言うと彼女の瞳から涙が溢れ出た。

 

 「私一人では助ける事もできませんし…。一体どうしたら…。」


 好意のある人間の代わりに自分だけ助かったという呵責に苛まれているのだろう。

 頭を抱えてへたり込む様子は自己嫌悪の様に取れる。


 バンと勢いよく扉が開かれ、2人は同時にそちらを振り向く。


 「探せ!」


 その掛け声と共に最下層の男女が3人入って来て、宿の中を何やら捜索し始めた。


 「なっ…何です!?」


 「…シードルさんが救出しようとしていた方を探してるんです。」

 

 「ええっ!?その方は無事なんですか!?」


 「ええ恐らく…。」


 助けようとした者が捕まっているとは何という皮肉なのか。

 

 「どうか無事でいて…!」


 ジェーンが小さく懇願する様な声で呟くのが聞き取れた。

 

 ジェーンはシードルだけでなく、その人物に思い入れがあるのだろうか。

 けれどこの様子を見る限りには少なく共、探し回っている3人とは敵対する様子が分かる。


 「リカルドが居たらすぐに言え!!」


 その時1人の男が言い放った言葉にレイの動きがぴたりと止まった。


 リカルド。


 聞き間違えだろうか。

 いや、そんな筈はない。

 

 探しても見当たらない事を確認すると3人は出て行こうとしたが、1人の女がジェーンの元へ近寄って頬を叩く。


 「あたし達まで巻き添え食うのよ。役立たず!」


 「すみません…。」


 それだけでは怒りは済まなかったのか、女がテーブルの上の工具を手に取り、ジェーン目掛けて振り下ろす。  


 居てもたってもいられず、レイは女に雷を放って気絶させた。


 「うっ!」


 女の鈍い悲鳴にジェーンがそっと目を開け、次にレイに目を向けた。


 「…何故私を…?」


 「私があなたと一緒に動きます。」


 レイはそう言って女の服を脱がして着替え始めた。

 頭の混乱するジェーンは何か一つ聞こうとレイに質問をぶつける。


 「…魔導士なんですか?」


 レイはワンピースのボタンを止めた。


 「私は違います。夫は魔導士ですが…。」


 えらく胸囲の布が余る。

 不服な顔をして手繰ってエプロンで隠していると、ジェーンがそれを見てハッとした。


 「まさか…リカルドさんの…!!」


 「まあ。察しがいいんですね。」


 魔導士の妻というだけで確信したのは何故なのか。レイは目を丸くして驚く。


 けれどその理由をレイは知る由もない。

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