第22話
「美味い!」
男はレイの夕飯にしきりに感動している。
「まあ嬉しい。久しぶりに炊事しましてよ。やっぱり楽しいわ。」
そんなレイも満更ではない。
椅子に座って翌朝の調理の仕込みにかかっている。
「次レストラン経営しようと思っててさ。良かったら店任せるよ。」
「いいえ。家の事疎かにしたくないんですの。」
「ああ。結婚してるのか。」
男がエラリィの名を聞いた時の反応でレイはすぐに分かった。
この男は間違いなくエラリィから追い出された人間だろう。
まして魔導士が商売なんかする訳もない。
「そういえば自己紹介してなかったね。」
男がやっと気付いて、右手を差し出す。
「オレはシードル。よろしくね。」
「えっ?シードル?」
確か玄関の表札は違う名だった気がする。
レイが玄関を見ているとシードルはあっと呟いた。
「ああ…。共同経営で総合商社を立ち上げたんだけどね。相方が亡くなっちゃったんだ。」
「それは…まあ。」
シードルはそう言うと過去を思い出しながらポツポツと話し始めた。
「オレ達エラリィでも特殊でね。魔術が使えなかったんだ。結構色んな商売を始めて軌道に乗った頃だったんだけどね…。」
「そんな矢先に大変お気の毒に…。ご病気ですか?」
レイが何気なく聞くと、シードルが複雑な顔をした。
「いや、事故というか。…ごめん。初対面の人に。」
「いいえ。こちらこそ大変失礼を。」
レイは頭を下げた。
「君の名前聞いても?」
「ええ。レイチェルと申します。レイと呼んで下さい。」
「レイ。そろそろ休みなよ。オレも風呂入ったら隣の小屋に移るから。」
「ありがとうございます。」
そう言ってシードルが出て行き、レイは少しホッとする。
「ああ。良かったわ。どうなるかと思った。」
シードルが悪い人間でもなく、おまけにここまで世話してくれたお陰で体力も元に戻せそうだ。
翌朝の朝食もシードルは喜んでくれた。
「シードル様はご結婚は?」
「様はいらないよ。してないから手作りに喜んでんの。」
レイは笑いながら配膳する。
自分も食べたら早く支度をしなければ。
「本当にお世話になりまして。私一刻も早くエステルに向かわないとなりませんの。」
そう言うレイに目もくれず、シードルは朝食にがっついている。
一体いつもは何を食べているのだろうか。
「そういえば何の用?観光なんてする所ないよ。」
「…言いにくいんですが、エラリィ家に用事がありますの。」
するとシードルの右手がピタリと止まった。
「…何の用?あまり一般の人が立ち入らない方がいい。」
シードルの声が真剣なものに変わり、レイはその迫力に気圧される。
「…事情がありまして…。夫の事でちょっと。」
レイがそう言うと、シードルの顔は険しくなった。
「ご主人がエラリィとどういった関係か知らないけど、やめときな。あの家は治外法権だよ。」
「…承知の上です。」
シードルはレイの反応を無言で見ている。
レイはいきなり変わったシードルの物言いに負けそうになるが、主張を続けた。
「…シードルと同じく主人もエラリィで魔術が使えない人間でしたわ。」
シードルの眉が動く。
「…ご主人エラリィの人?」
レイは頷いた。
「しばらく行方不明だったんですが、エラリィ一族に囚われたのを目撃した人物がいるんです。」
「当てはあるの?素人が入ってどうこうできない。」
シードルの言う事は最もだ。
策略もないレイは、ゼインズにもらった見取り図だけで動こうとしていた。
「…いえ。」
「君魔術は?」
「習いたてですが…使えます。」
「気の毒だけど引き返しな。送るよ。」
そう言ってシードルは皿を片付け始めた。
「そうは参りません。」
レイはずっと立ったままシードルに訴えかける。
そう言うレイを横目で見ながら、シードルは黙々と皿を水につけている。
「エラリィから逃げながらも私を送り出してくれた方がいます。」
レイは必死でそう伝えるが聞いてもらえず、片付けを終えたシードルはドアへと向かう。
レイもそれを追いかけて行くが、ついにはレイに目もくれずに来た道のガーデンの方向へと向いた。
「それより君の命でしょ。ほらついて行くから。」
「いいえ。」
「君は分かってない!」
レイのその様子にシードルは感情を露わにした。
「オレの相方はエラリィの魔導士に殺された様なもんだ!」
「…え?」
「オレの腕もそのせいでこうなった!同族だからとダズル王は見て見ぬ振りだ!」
レイは表札とシードルの腕に目をやる。外の明るさで表札の字がやっと読めた。
リーゼルグと書いてある。
「…助かる人間には目を背けたくない。」
シードルは忠告してくれているのだ。
レイも同じ目に遭う可能性がある。
さっき料理を作った両手を見た。
この腕がシードルの様に無くなるかもしれない。
好きな料理もできなくなるだろう。もしかするとこれが最後になるかもしれない。
それどころかもっと酷ければシードルの相方の様に…。
「頼むからエラリィに近付くのはやめてくれ。」
もし最悪の結果になったとして後悔は本当にないのか。
自問自答して目を閉じた。
そりゃ正直生命の危機に遭うなんて御免だ。
ならば引き返すか。
けれど何のためにここに来たのか。
リクを連れ帰って幸せな生活を取り戻す為、ただそれだけである。
あんなに無愛想だったのに、いざとなれば何故夫の笑った顔ばかりが浮かぶのだろう。
失踪してから彼を玄関で見送る事もなければ、迎える事も無くなった。
そんな2年がレイにとってどれだけ味気なく無意味なものだったか。
今家に戻って生き長らえるか。
ここで潔く砕け散るか。
答えは一つだ。
胸を張ってシードルを見据える。
「いいえ行きます。」
シードルはレイをゆっくりと振り返った。
「夫を見捨てる位なら半ばで命を絶つ方がどれだけいいか。」
「どうかしてる。」
「非難して下さって結構です。ここで帰ればただ死を待つだけの人間もどきに成り果てます。」
レイはシードルと正面に向かい合う。
何も戸惑う事はない。
自分の信念の素晴らしさは、得た夫で立証されているではないか。
「私の行き先はエステルしかありません。戻る道は次に夫と2人で通ります。」
シードルはレイの瞳を見て無言でドアを閉める。見ると、唇を強く噛み締めていた。
「…シードル。」
理解してもらえる気はしない。
自分一人で出て行っても良かったが、それでもほんの少し説得したかった。
「…うちは家を兼ねて宿にしてる。」
「はい?」
「…まずはそこへ行こう。」
グレーの瞳はこの先を憂いたのか、暗い色をしている。
レイは何も言わずに頷いた。
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