第21話

 「随分と坂が多い事。舗装されてるのが救いだわ。」


 息を切らしながらレイは愚痴を呟いている。

 体力には自信がある方だが、上り坂ばかりはかなりきつい。

 かなり登ってきたので、地図でどの辺りかを確認すると、3分の1くらいの距離に到達していた。

 せめて夜までに中間には到達したい。


 「ふーっ…。休憩しましょ。」


 レイは丁度いい岩を見つけると腰を掛けた。

 登って来た道を振り返ると、辺りの風景が見える。

 

 「良い眺めだわ。」


 リクもこの景色を見ながら、ガーデンへと下山したのだろう。

 どんな思いを抱えながら故郷を後にしたのか、今では想像ができる。 


 ふともらった短剣を見ていると、柄の底が外せる事に気付いた。

 蓋を回すと中は空洞である。


 「あら便利。」


 レイはリクのメモと、ゼインズから貰った見取り図を詰め込んだ。


 しばらくボーッとしていたが、やがて陽が少し傾いたのに気付いて立ち上がる。

 

 その後は休憩もせず登り続けた為か、段々と足に疲労を感じてきた。


 「まずいわ。ペースを考えてなかった…。どうしていつもこうなのかしら。」


 完全に配分を誤ってしまって体力がもう底を尽く。

 辺りはかなり暗くなってきたが、これでは野宿しようにも道を踏み外して落下するかもしれない。


 「そうよ!火を出せば!」


 魔術で火を出そうと、手探りで地面をまさぐって草を探す。


 「えいっ!」


 しかし暗くて対象物のイメージを捉えにくいせいか、何度やっても中々火が点かない。


 「…どうしましょう。」

 

 このままではリクより自分の方が捜索対象になりそうだ。


 「はあ…。」


 途方に暮れてエステルの方角を見たその時だった。


 近くにポツリといくつかの明かりが集中して灯る。


 「えっ?何かしら?」


 地図上には何も書かれていなかったが、どうやら何かの小屋の様だ。

 小さいが何棟か立ち並んでいるのが見える。


 重い足を引き摺り、そろそろと明かりに近付くとドアと表札がある。


 「?読めないわね。リー…?」


 目を凝らして読んでいると、バタンと扉が開いた。


 「きゃあ!!」


 「うわ!!」


 レイは驚いて腰を抜かしてへたり込む。

 相手も驚いた様でドアを開いたまま、固まっていた。

 少し癖のある長めの短髪が逆光で揺れているのが分かる。


 「…何か用?」


 中から若い男が現れた。

 怪しそうにレイの事を見ている。


 「その…怪しい者ではありません!!エステルに行こうとしてたんですけど、暗くなってしまって…。それで…。」


 レイは慌てて釈明しようと立ち上がろうとするが、ショックと疲労の二重奏で腰が上がらない。


 「…ああ。たまに居るね。ここ途中何もないから。はい。」


 「あっ、すみません。」


 男は明らかにレイに害がないと分かったのか、手を貸して立ち上がらせて招き入れてくれた。

 明るく優しい口調で親しみやすい男だ。


 「こちらにお住まいですの?」


 レイはズボンに付いた砂を払うと、男に問い掛けた。

 男は首を振る。


 「いや、エステルに住んでる。昔商売の一環でここにこいつを建てたんだ。全く使わなかったけど。」


 「あらそれは勿体ない。水回りもあるのに…。あっ、どうもありがとうございます。」

 

 レイが不躾にキョロキョロと見渡していると、男は親切に飲み物を出してくれた。

 

 「良かったら奥を使ったらいいよ。たまに遭難する人に使わせてる。」


 「本当ですか!!」


 男の有難い申し出にレイは喜ぶ。


 男も向かいに座って飲み物を飲み始めた瞬間、レイは彼の顔を見た。


 眼鏡を掛けていたから分かりづらかったが、グレーの瞳だ。


 「…エラリィの方ですか?」


 そう聞くと彼が顔を歪めてああと肯定する。

 その表情は正に見合いの時のリクと同じものだった。

 しかしすぐに明るい表情を取り戻し、レイに話し掛ける。


 「ただ、風呂焚きと炊事は手伝ってね。」


 「ええ!お任せ下さ…。」


 男が右手で左腕を指差した瞬間、レイは息を呑んだ。


 「これじゃ不便だから。」


 男の服の袖の中には左腕がなかった。

 


 


 

 「リカルドさん。怪我の手当をしますわね。痛みはあります?」


 確か女の名はジェーンだったか。この隔離所に来てから初めて会った。

 とにかく言葉遣いがレイに似ている。

 肩より少し長い髪型が昔のミッシェルを思い出させるのもあるのかもしれない。

 何だか話がしやすい。


 「いや。もうない。」


 「それは良かったです。」


 彼女はエラリィの最下層の人間だ。

 エラリィ家に居た時はこういった立場の人間と口を聞く事もあまりなかったが、こうして対話すると一般的な感覚を持ち合わせている気がする。


 「…あんたは何でこの仕事なの?魔力少ないとか?」


 「私はイメージが人より苦手で…。魔術は出せるんですが、コントロールが下手なんです。」


 何度も人に聞かれた事があるのかも知れない。

 リクにそう問われても動じる事なくジェーンはそう答えた。


 「今も魔導士になりたい?」


 リクがそう尋ねるとジェーンは目をみはった。

 少し間を置いて小声でそして笑顔で答える。


 「いいえ。」


 その返答にリクは驚く。


 「何で?それが普通だろ。」


 「そうですわね。そう学習してきましたから。…でも。」


 ジェーンは笑いながら答えた。


 「私はもっとしたい事があるんです。服の仕立てだったり、…恋愛だって。」


 ジェーンは最下層だからこそ、魔導士達より外の世界に接する事が多かったのだろう。その影響できっと多様な人生を目にしてきたに違いない。


 魔導士達も外へ出て仕事をするが、何も不思議に思わずエラリィ家で魔術漬けの日々をダラダラ過ごす人間ばかりだ。

 しかし彼女はここに留まり続けてはいるが、希望を持って人生を送っている。


 「…家は一生出られませんけどね。」


 リクはその言葉を聞き逃さなかった。

 その一言に何かこの女の渇望を強く感じる。

 

 「家出すれば?オレに手貸してくれたら生活する準備金くらい払うけど。」


 ジェーンがリクの言葉に反応して傷の手当てをやめた。


 エラリィ家の奴隷制度を覆す言葉がまずかったか。

 もしかするとこの発言をドルマンに報告して唆されたと伝えるかもしれない。

 しかしもう出た言葉を取り消す事なんて出来ない。


 「苦痛って顔に書いてある。」


 この家で魔術を使えない事がどれ程惨めな事かはよく分かっている。

 最下層の生活がどんなものかは知らないが、日々小刻みの彼女のスケジュールを見ていると、召使いの様な生活である事だけは伝わってきた。

 経済的な基盤さえ整えば、自分達の様に一般人として生活はできるだろう。


 しかし彼女の口から出たのは驚愕の言葉だった。


 「…ご存知ですか…?」


 「何を?」


 「落第者と違って、魔術を使える人間は処罰対象になるんです…。」


 その物騒な言葉に思わず驚く。


 「…オレがいた時には普通に逃げた奴いたけど。」


 彼女は首を振って答える。


 「…昔からありますよ。最下層と上層部しか知りません。処分したなんて言いませんから…。気付いてる人もいると思います。」


 「…まさか!」


 そんな事実は知りもしなかった。

 いや、そんな事を考えられない教育を受けていたというのが正しいのだろうか。


 自由な世界に出ても尚、未だエラリィ家の教育に洗脳されていた自分に腹が立つ。


 目の前にいる彼女は内で暮らせば死ぬまで奴隷、外へ出れば処罰という人生の選択しかないのだ。


 ジェーンは目を潤ませながら、今度は食事を準備し始めた。

 泣いている女にどう接するべきなのかも分からず、食事に手をつける。

 

 これでは逃亡した所で根底から覆さなければ彼女の状況は何も変わらない。

 寧ろ彼女の環境の方が悪過ぎる。


 この家といい、この国といい、取り返しがつかない程腐敗しているのだ。


 「でも…ありがとうございます。」


 手で目をこすりながら、作り笑いをしているのが分かる。


 食事とジェーンを見て何だかレイを思い出す。

 結局あの日の夕飯は食べられなかった。


 考えてみれば自分は仕事一辺倒で、幸せな結婚生活とは言い難かったかもしれない。

 普通の家庭がよく分からないが、レイにどこか無理を強いていたのではないか。

 何だか自分が不甲斐なくて、嫌悪感が込み上げる。

 

 けれど目の前にいるこの女を助けてやる事はできるかもしれない。


 ここを出てマリアで研究論文やこの実態の発表さえすれば、ダズル国やエラリィ一族から魔術を奪う事ができる可能性が高い。

 そうすれば永続してきたこのエラリィ家の歴史は終わりを告げる。


 「ジェーンだっけ。一つだけ手がある。」


 「…はい?」


 「オレの手伝ってくんない?お前の身の安全は保証する。いや…。」


 食べ終わり、食器を差し出しながら告げる。


 「自由な未来を保証してやる。」


 リクがそう言うとジェーンの目からついに涙が溢れた。

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