第20話

 翌朝の天気はそう悪くはなかった。

 快晴とまではいかないが、日差しが明るい。

 夫妻は宿の外に出て、レイを見送ってくれた。


 「この恩は決して忘れません。大変お世話になりました。」


 恭しくレイが頭を下げると、カロリーヌがレイの肩に手を掛ける。


 「列車で助けられたのは私よ。私にとってはあなたが恩人なの。」


 「カロリーヌ…。」


 「頑張りなさい。夫婦は一緒でなくちゃ意味がないわ。」


 カロリーヌはそう言うと、昨晩包んでいた何かをレイに手渡した。


 「あげるわ。開いてみて。」


 「えっ?…でも。」


 レイは少し困ってゼインズを見る。

 ゼインズも中身を知っているのだろう。無言で手を動かして、早くといった様に指図する。


 「では、失礼して…。」


 レイが包みをそっと開く。


 「…わあ!すごい!」


 包みを開くと短剣が現れた。

 柄の部分が茶色で、鍔は金色の可愛らしい短剣である。

 かなり年代物なのが分かるが、切先の鋭さと刃の頑丈さを見るとまだまだ使えそうだ。

 

 「この先武器も持たずに歩くのは危険だろう。1人だと尚更な。」


 「…でも。これ大事な物なのでは?」


 「いいのよ。どうせ昨日取りに行かなかったらそのままだったんだから。それに私もゼインズも使わないしね。」


 「持っとけ。損はしない。」


 「ありがとうございます。大切に使わせていただきます。」


 2人にそう促され、また深々お辞儀をする。

 

 「孫ができたみたいで楽しかったわ。」


 カロリーヌがそう言うとゼインズも頷く。

 不意にゼインズの瞳が憂げになった。


 「また講師ができるなんてな。とても嬉しかったよ。」


 「…そんな。私こそ。」

 

 エラリィの魔導士として苦難を背負ったゼインズにとって、セントロールの講師としての人生はどれだけ幸せな事だったのか。

 けれどもそれも奪われ、この先はきっとまた終生逃亡生活を繰り返すのだ。

 束の間のレイとの修行はもしかすると彼自身の楽しみでもあったのかもしれない。


 「…レイ。元気でな。」


 「必ず連絡するわ。また会いましょう。」


 涙腺が緩くなってきた。

 これ以上2人と話していると泣いてしまいそうになる。

 レイは一歩後ずさり、少しだけ間を置いて笑顔で告げた。


 「お2人共、どうかお元気で。」


 最後のお辞儀をして、レイは振り返らずにエステルへの道へと向かった。



 ガーデンからエステルは山道になっている。普通の車ではとても登れない。

 従って必然的に歩きとなるのだが、2日の日数がかかる距離なので途中どこかで休まないといけない。

 

 「うーん。…どうしましょ。」


 夫妻と別れたレイは鼻をすすりながら今後の道のりについて考慮していた。


 幸い春も半ばなので気温についてはそこまで問題はないが、正直女一人で野外に泊まるのは避けたい。

 しかしガーデンで購入した地図を見ても、途中に何も書き込まれていないので期待はできない。

 

 「迷ってても仕方ないわね。」


 頷いて自分を落ち着かせ、山道に一歩足を踏み入れた。






 さて、その頃ゼインズ夫妻はジラルド国に向かうべく宿を出て列車の駅へと向かっている途中だった。

 普通の道を歩く訳にも行かず、草が生い茂った道を蛇行して歩いてやり過ごしている。


 「寂しくなるわね。」


 カロリーヌはゼインズの背中に言葉をかけた。

 振り向かずゼインズはそれに答える。


 「まあ元に戻るだけさ。」


 「あら強がりだこと。」


 2人でそんな話をしながら歩いていると、カロリーヌの前を歩いていたゼインズが急に止まった。


 「あなた?どうしたの…。」


 「下がれカロリーヌ。」


 カロリーヌはその緊迫したゼインズの様子ですぐに察知した。


 正面に上から下まで黒一色の装束の男が立ち塞がっている。

 その後ろには大きな軍用車がある。

 かつてエラリィにいたゼインズはその車がエステルに行く為に要する事を知っていた。


 「ゼインズ。同行願おう。」


 男はゆっくりと2人に近づいてくる。


 「…拒否する。」


 躊躇いがちに呟くゼインズに男は言下に言い放つ。


 「そんな権利はない。」


 男が笑うと車から同じ服を着た人間達が現れた。

 10人以上はいるだろうか。草木の緑を塗り潰す様に黒色が広がった。


 ゼインズはどうすべきか考えているのだろう。返答を遅らせる。


 「ゲルト…妻は関係ない。」


 「もちろん。お前だけで結構だ。」


 カロリーヌはゼインズが出した返答に食い付いて否定する。


 「いいえ!私も行きます!」


 必死で制止するカロリーヌを今度はゼインズが抑えた。


 「カロリーヌ。待ってろ。何とかなる。」


 もう魔力も残り少ない状態でどう対応しようと言うのか。


 「あなた…!」


 ゼインズは妻を振り切り、車に乗り込んだ。

 後ろにいた集団もそれを見届け、ゼインズを取り囲んで座る。

 

 「…よくも…!」


 ただ立ち尽くすしかないカロリーヌはゲルトを睨みつけた。


 ゲルトはその様子を冷淡に見つめている。


 「奥様。私達は自分の家族を取り戻したに過ぎません。貴方といたせいでゼインズは変わってしまった。」


 「何ですって?」


 「貴方と居た数十年間は本来ゼインズの歩むべき人生ではなかった。その事をお忘れなく。」


 そう言い残してゲルトも車に乗り込むと、エステルの方角へと去って行った。


 「ゼインズ!」


 カロリーヌの悲痛な叫び声が響き渡った。

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