第16話
男を撃退したのは良かったが、売り子の顔に火傷があるのが心残りだ。
「そこまで酷くはなさそうね…。」
カロリーヌがハンカチを濡らして少女の頬に当ててやる。
痛いのか最初は強く目を閉じたが、今は痛さは治まった様だ。
どうやら痕が残るまでてはないらしい。
「ありがとうございます…。」
可愛らしい長髪の赤毛が火のせいでバラバラに切れている。
「櫛はある?」
そう言うとレイは切れた箇所が目立たない様に綺麗に髪をまとめ上げた。
「あら。あなた上手ねえ。」
「手先を使う事ならお任せ下さい!」
カロリーヌが感心するとレイは胸を張って鼻高々に言う。
「色々とありがとうございます…。」
少女は鏡で髪型を見ると満足そうに礼を言った。
「いいえ。大事なくて良かったわ。」
赤毛の頭を撫でると、少女はレイの結婚指輪を見てきた。
「その指輪珍しいですね。模様がある。」
指輪を取り扱っているから興味があるのだろう。指輪を取って見せてやる。
「そう?マリアの宝石店の物よ。主人ったら宝飾に興味ないのにいつもつけてくれてたわ…。」
レイがまた自分の世界に入り込んでしまうと、ゼインズもカロリーヌも呆れた顔をする。
「ご主人も同じ物をつけているんですか?」
「もちろん。結婚指輪だもの。」
少女は何かを考えている様だ。
「どうしたの?」
「同じ指輪をつけた男の人を見たんです。多分エラリィの…。」
アルディアは一人の男の詳細が記載された古びた書類を見ていた。
ゼインズ・エラリィ。
彼の魔術能力は15歳まで待たず、幼児期にすぐに判明した。
公式を覚えるのが異常な程早く、周囲の人間はその記憶力の良さに愕然としていた。
アルディアは次期頭首として皆の中に混じって学習をしていたが、3つ上のゼインズの事は嫌というほど覚えている。
頭首たる人間はどの人間よりも劣っていてはならない。常に魔術でトップでなければ。
そんな父の教えを守るアルディアはゼインズに対して劣等感を抱いていた。
ゼインズより2歳遅く魔術能力が判明した。
ゼインズより魔法文字を早く教えてもらえなかった。
ゼインズより理論展開が遅かった。
ゼインズより…。
毎日そんな気持ちでアルディアはゼインズと比較ばかりしていた。
だが決定的だったのは彼が魔導士となった時だった。
「ゼインズを魔導士として働かせてもいいんじゃないか?」
父が側近と話していたのを自分は横で聞いていた。
「しかし前例がありません。仕事はやはり精神が成熟してからでないと…。18歳からと決めていますから。」
「いや、あれなら大丈夫だ。やらせてみろ。」
魔力量の事もあるが、どの人間も体の衰えには逆らえない。魔導士として働ける期間は限られている。
父は少しでも長く魔導士として活躍させたいという気持ちがあったのだろう。
何とゼインズはここに来ても異例の扱いになった。
当時ゼインズは16歳。まだ2年は仕事の訓練をしないと、外の世界で働く事は難しい。
多感な時期の子供の2年は大きい。外に出ると感化される可能性がある為、18歳になってから魔導士として働かせる事になっている。
しかし父はそれをゼインズに許したのだ。
13歳だった自分には、禁忌とされていた事がゼインズには容易く許されたという矛盾と屈辱が頭にこびりついた。
だが時を経てその4年後。
ここに来てアルディアの溜飲が下がる。
ゼインズがエラリィの相手との結婚を拒んだのだ。
これには父も怒り心頭であった。
それもその筈、何と仕事主の娘と結婚したいと言うではないか。
数年口論は続き、最終的にはゼインズは父達を魔術で押し負かしてエラリィを捨て去った。
流石に人間を殺す訳にはいかないと思ったのだろう。
一思いに葬る訳でもなく魔術で次第に父達を弱らせ、都度結婚の承諾を認めさせる様に追い詰める。
天才ゼインズならではの拷問だった。
それでも屈しない父達は最後にはとうとう意識を失い、ゼインズは飄々と家を後にした。
敗北した人間の最期は滑稽なものだった。
魔導士の頂点なる人間達がゼインズに負かされて名誉は剥がれ落ち、生かされている事を苦にしながら終生を遂げたのだ。
それに代わって裁きを下したのはダズル王だった。一族繁栄の頭達にそんな事をすれば、今後の魔導士育成が損なわれる可能性がある。
ゼインズに対して懲役刑という裁きを下し、彼は収監される事となった。
その時のアルディアの心境たるや、ゼインズに感謝しかなかった。
ゼインズは元よりエラリィにそぐわなかった人間だったのだ。
父やその側近達もその事に気付かない無能だったのだ。
唯一自分が正しかった。
堂々と頭首に奉り上げられた時の高揚感は今までに味わった事のないものだった。
それから数年経ち、アルディアもゼインズが監獄から出所してどこかに逃げ去ったのを忘れかけていた時だった。
ゼインズの部屋からとあるメモが見つかったのだ。
その内容たるや驚くものだった。
何と魔力を得る方法について何かしら研究していた様子が窺えたのである。
しかし結論は分からず、研究結果は闇に葬られてしまった。
いよいよ自分の魔力も残り少なくなった2年前、魔導士の一人がゼインズをマリアのセントロールで目撃した事が分かった。
生捕にする様にゲルト達に命じ、数日待ったがしくじった。
「…申し訳ありません。逃げ出しました。」
「何故逃がした?全員魔術を使えば済むだろう。」
「お言葉ですが、他国ですので魔術は使わずに済ませた方がよろしいかと。」
「結局逃がすのなら意味はない。派手にしなければ隠蔽する方法はあるだろう。家族を取り戻すだけなのだから。こちらで何とかする。」
「…マリア国内を探します。」
「しらみ潰しにな。」
余程ゼインズは隠れんぼが得意だったらしい。そこから2年の歳月を経ても全く見つからなかった。
時は一刻を争う。
アルディアにも時期が訪れている。
エラリィ家では魔導士として貢献してきた人間は頭首も含めて隠居となり、若い世代の力に頼りながら死んで行く。
魔術を唯一とするエラリィ家でそれを失うと生き甲斐等微塵もない。
死に行くまで家を出る事もなく、廃人同様に日々が流れて行くのを待つだけである。
息子のドルマンに頭首を譲りたくない。
「ゼインズ…。」
魔術講師などただの口実に過ぎない。
ただ魔力を得る方法を知りたいだけだ。
「どこ!?どこで見たの!?」
レイの形相に少女が怖がって無言になる。
そんなレイの肩を抑えて、ゼインズが優しく少女に問い掛ける。
「おいおい。落ち着きなさい。お嬢さんどこで見たんだ?」
「…もう3ヶ月前くらい…。エステルに行商に行った時です。その男の人が私にぶつかった時に指輪を見て…。」
「ぶつかった?すれ違ったのか?」
ゼインズの問いに少女が首を振る。
「その人…エラリィ家の人に追いかけられてて走ってたんです。」
「…連れ去られたか。」
少女は頷く。
「聞いたか?レイ?」
そのやり取りを聞いていたレイの瞳が潤んでくる。
「…ご主人への気持ちが天に通じたのかしらね。」
カロリーヌの言葉にレイは声を上げて泣いた。
希望を捨てなくて良かった。
リクは生きている。
エステルにいた事は間違いない。
その日以後更に訓練にレイは身を入れた。
「ゼインズ。もう一度お願いできません?」
いつもは夕食時になると疲れていたが、それからというもの訓練を明け方までしてもらえないか掛け合う程になった。
「…単純な奴だな君は。」
「…すみません。」
言葉とは裏腹にゼインズは笑っていた。
高齢なのによく相手を務めてくれるものだ。
ペコペコと頭を下げつつも、そんな対応をしてくれるゼインズに甘えるのがレイの習慣になってしまった。
そんな2人の様子を見ていたカロリーヌは終始笑顔だった。
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