Ⅱ「赤い鴉」

 医務室のにおいは薬品とあまこうすいだ。

 白いシーツからはせっけんかおりが立ち上り、わずかにすいみんじゃをする。

 まくらに頭を預けた青年は、ぼんやりところがっていた。

 

「ねぇ、F1092」

 

 香水によく似合う、せいりょう感と甘さを備えた声。

 閉めていたカーテンが動き、のぞきこんでくる女医と目が合う。

 

 くろかみは短くそろえられ、清潔感にあふれている。

 理知的な黒のひとみが青年を見つめ、赤いくちびるで困ったようにほほんでいる。

 白衣の下は女性らしい服装でまとめ、すっきりした細身をきわたせていた。

 

「ここをみんしつ代わりにするのやめてくれない?」

「W912が部屋にすわるんだよ」

「また? あのいどれに気に入られるなんてお気の毒様」

「おたがいにな。今度はアンタを口説きに行くらしい」

「受ける前からお断りよ」

 

 医務室には現在、女医と青年の二人しかいない。

 広さは学校の保健室程度で、きんきゅう時にだれかがはこまれる程度。

 青年にとっては都合のいい場所だった。話し相手さえいなければかんぺきだ。

 

「Fシリーズって顔は好みなんだけどねぇ」

「シリーズって呼ぶな」

 

 しつづくえすわった女医の声に、少しだけいらついた言葉を返す。

 個性を尊重するわけではないが、知らない者とひとまとめにされるのはしゃくだった。

 

「特に1003は性格もよかったわ」

「アンタなんさいだよ?」

 

 問いかけたしゅんかん、体温計が投げられた。

 すこーん、と額に当たる。あまり痛みはない。

 

「言っとくけど、Fはすぐいなくなっちゃうんだからね」

「知ってるよ」

 

 ゆかに落ちた体温計を拾い、こわれていないかをかくにんする。

 無傷なそれを軽く投げ返し、青年はまたもやベッドに寝転がる。

 

「千百人にとうたつしたのは、Fくらいだ」

 

 宿った能力にアルファベットをあたえ、試験管から生まれた順に番号をつける。

 人衛機関ノーチラスが不動の地位を築けているのは、その生産体制のおかげだ。

 

「正義は早死になんだろうよ」

 

 テレビをつければ、当たり前のように流れるコマーシャル。

 ――人衛機関ノーチラスは正義の味方。いつでもあなたを助けます。

 陽気な音楽と親しみやすい映像付き。子供だってすぐに歌える知名度をほこっている。

 

「そうね。A1045もいなくなっちゃったし」

「……」

 

 青年はわずかにちんもくする。まぶたを閉じ、胸の上にこぶしを置く。

 のどと心臓の間にモヤっとしたものがあるように、少しだけ息苦しくなった。

 

かれ、正義感が強い分、なやみも多かったみたい。よく相談に来たわ」

「生まれた意味を知っているのにか?」

「生きるために必要なものを失ったのよ」

 

 そのちがいが青年にはわからなかった。

 しかし引っかかるようなかんが、胸のおくにのしかかる。

 

「そうそう。うわさでは始末屋がやったとか」

「本当にいるのか?」

「さあね。君と話す時、話題が大変なのよ」

 

 まるでものか、大切ながら細工をさわるような会話。

 そのきょ感は青年にとってむずがゆく、接し方に困るものだった。

 しかしはなそうと考えれば、女医のやさしいまなしを見つめてしまう。

 

「じゃあちょうのうりょく者を見たことは?」


 機関でひそやかに流れる噂。

 限界をちょうえつした能力者。なにかしらの【かべ】をとっした存在。

 ただくわしいことはいっさいわからず、とぎばなしのように語られるだけだ。

 

「ないわ。でもね……まずは能力者に二種類あるのって知ってる?」

「一応な。人造と天然モノだろ」

「ええ。アルファベットに数字は人造の証。人衛機関の特記こうにもさいされてるわ」

 

 周囲への見聞を広げるためか、策略的な意味合いがあるのか。

 能力者の情報はまるでアイドルをはやすように、全世界に向けて公開されている。

 時折ファンレターが届くが、青年は全部ゴミ箱に捨てていた。

 

「天然は全てEXあつかい。けど本来区別はないの」

「?」

「能力って欠けた塩基配列に刻まれた『力』であり、そこには属性も分類もないらしいのよ」

 

 少しずつ声をひそめ始めた女医の言葉に、青年は用心深く耳をかたむける。

 なにか知ってはいけないことを教えられているような、ほのかな背徳感。

 

「能力者はみなが同じ『力』を宿してるとしたら……」

「区別という壁があるってことか、じゃあ」

 

『三日前のらぎよりバグ発生』

 

 緊急放送の音が耳に入り、青年はかたを落とした。

 あと少しでなにかがつかめそうだったが、その感覚も遠のいてしまった。

 しぶしぶと立ち上がり、頭にひびく声に従って動き出す。

 

【F1092はバグせんめつ任務――】

「この話はまた今度ね」

 

 女医の優しい声にき、軽くうなずいてみせる。

 それだけでうれしそうながおかべるかのじょに、小さな満足を得た。

 

 

 

 蒸気でうすよごれた街は、ある程度の落ち着きを見せていた。

 それでももののようにおそってくるバグにおびえ、いっぱんじんすみやかになんしょへと走っている。

 建物の屋上や壁を使ってちょうやくし、青年は指定の位置へと辿たどく。

 

『人衛機関ノーチラスは正義の味方。いつでもあなたを助けます』

 

 お決まりのコマーシャルソングがスピーカーから流れ、街中にでんする。

 その様子を見下ろしながら、青年は暴れているバグをながめる。

 今回はねずみだが、大きさではなく数を集めたらしい。集団となり、まるでなみのように動いていた。

 各個げきではなく、あっとうてき質量によるこうげきが必要だと思った矢先。

 

 ――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ

 

 朝の目覚まし時計がちがった時間に鳴ったような、ちがいの音が聞こえた。

 その異変に気づいた他の構成員も周囲をけいかいするが、音の出所を見つける前に異変が起きた。

 なんしている一般人のさいこうから、光のほんりゅうほとばしった。

 

 それは地上を走る流星のように、またたに黒いバグの群れをんだ。

 あまりの光量に目元をうでさえぎり、てんめつする視界が落ち着くのを待つ。

 そしてじょうきょうが確認できるころには、びこっていたバグの群れは一ぴき残さず消えていた。

 

 

 

 人衛機関ノーチラスでは新たな噂が広がっていた。

 食堂でカレーうどんを食べている青年の前で、少女――T876が興奮した様子でしゃべっていた。

 

「現場で目覚まし時計の音が聞こえたと思ったら、バシッてバグが消えちゃうんでしょ!?」

「……らしいな」

「バグ退治なんて機関に任せればいいのに、物好きがいたもんだよね」

「本当になぁ……うぃーヒック」

「あ、W912はどっか行って。さけくさい」

 

 近寄ってきたぱらいの男を、ひどくあしらう少女。

 しかし青年は同情しない。その酔っ払いが女性に近づくのは、セクハラ目当てである。

 今も他の女性構成員にせまり、しりを触ったところでひじてつほおえぐられていた。

 

「それでね! 最高責任者のカラトラバが探すためにけんしょうきんかけるんだって!」

「なんでだ?」

 

 人衛機関の最高責任者――カラトラバ。

 世界を守る組織の頂点であり、人造能力者の親。その権力は一国の王をしのぐとさえ言われている。

 構成員でも会ったことがあるのは少数で、なぞが多い存在だった。

 

「だから不思議なんじゃん! アタシも探してみようかな! お金しいし!」

「給料はじゅうぶんもらってるだろ」

「だって……おそろいにしたいし」

 

 首元の赤いチョーカーにれる少女。

 その意味がわからなかった青年は、ブランド品の買いすぎかと疑った。

 金銭感覚のあやうい少女だとにんしきし、カレーうどんを食べる手を一時的に止める。

 

づかいいすんなよ」

「わ、わかってるし!」

「せめて料理上手になれよ」

「なんで下手前提!? 肉じゃがとかしく作れますけど!?」

 

 携帯電話オルフォを操作し、手作り料理写真を見せつけてくる。

 いろどりもづかった見事な写真を前に、青年はわずかだけ見直した。

 

「今度作ってあげようか?」

「カレーハンバーグ」

「いいよ! 腕るっちゃうんだから!」

 

 約束ができたことに喜ぶ少女は、まるで花畑で走り回るかのように浮かれていた。

 そんなのんな少女を眺め、青年はカレーうどんを食べ終える。

 

「まあ約束を果たせるかどうかはわからないがな」

「……あ」

 

 頭の中に響く声。

 そして緊急放送がビル内に流れる。

 

『一週間前の揺らぎからバグ発生』

【F1092はバグ殲滅任務――】

 

 いつだってやすく命を落とす現場へ、青年は足を運ぶのだった。

 

 

 

 もう一般人の避難が終わった街は、蒸気以上にバグのせいでよごれていた。

 建物の壁をおおう羽虫。そのせいで茶色の建物が黒くなっている。

 街の代表者からしょうを出す代わりにとうかいの許可をもらうまで、約三日かかった。

 

 その間に人衛機関ノーチラスからけんされた構成員が三名死亡。二名が重軽傷。四名がゆく不明となっている。

 そして青年の目の前で、一人の少年が羽虫の群れに飲み込まれた。

 手からほのおを出し、そのかたまりを群にぶつけて散らす。わずかに見えたはだいろを掴み、み千切られた少年を引きずり出す。

 

「T875!」

「……ぁ……え、ぅ……」

 

 いっしゅんで体の三分の一を消失し、至る場所から血を流している。

 無事な場所さえはちにでもされたようにれさせ、愛らしい少年だった元の姿が見るかげもない。

 散った羽虫の群れは他の構成員を襲いに行くのを確認し、青年は息がえていく少年の体を支える。

 

「な……いて……」

「なんだ?」

ぼくのために泣いてよ……」

 

 もう瞼さえも腫れて上がらない少年は、なみだながらにうったえる。

 腫れ物だらけの指先で青年の頬に触れて、そこがれるのを待つ。

 

「な……いてよ……」

おれは」

「ひ、どい……な……」

 

 そう言って少年は手を下ろした。すぅ、と息を吸う。

 そして呼吸が終わる。二度と息をかない少年の脈を確認し、青年は彼の手首からうでいた。

 それをポケットにしまい、バグの群れを殲滅するためにそうとした。

 

「泣く時間もないのかい?」

 

 別の声が背後から響き、青年はあわてて振り向いた。

 北国風のよそおいをした少年だった。ねたきんぱつの上には四角いぼう

 どうこうが開いた緑色の目が、無感情に少年の遺体を見つめている。

 

「それとも正義の味方は泣けないのかな?」

「お、前は……」

 

 見覚えがある。人をまどわすような問いかけも、だ。

 胸にとげを残すような言葉に、青年はなにも言い返せなかった。

 

「久しぶりだね、赤いからす

「俺はF1092だ」

「それは名前ではないだろう?」

 

 少年は感情の読めない瞳で、青年の赤いかみと黒い服をこうに見やる。

 彼の視線が気に入らない青年だったが、それを跳ね除ける術を知らない。

 

「というか、一般人は避難を……」

 

 言葉がちゅうで止まる。

 もう他の構成員にぱらわれたのか、バグの群れが空中でえがきながら少年へと迫る。

 頭上から降り注ぐきょうに対し、青年が炎でたいこうしようとした矢先。

 

 ――ジリリリリリリリリリリリ

 

 時計の音が響いた。

 少年がポンチョコートでかくれていたこしに手をばす。

 小型のたいほうのような、いびつけんじゅうが姿を現した。

 

 時計ばんのリボルバーが回り、じゅうこうを群れへと向ける。

 そして圧倒的な光が一直線に空へと走り、しっこくの化け物をやぶった。

 目の前の光景にぼうぜんとしている青年の耳に、冷静な少年の声が届く。

 

「僕はセカイの目覚まし時計――ベル・クロノグラフ」

 

 青年の頭の中でバグの殲滅が確認されたと響くが、すぐには理解できなかった。

 近寄ってくる少年の前で、無防備にくす。

 

「さあ、安全装置のところへ連れてってくれ。赤い鴉」

 

 その言葉の意味も飲み込めず、無意識に頷いてしまうのだった。

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