現代病床雨月物語 第四十五話 「民とマリア観音(その七)」
秋山 雪舟
「戦国時代に終止符を打ったマリア信仰なきキリスト教(前編)」
戦国時代は「関ヶ原の合戦」(慶長五年・一六〇〇年九月十五日)で終焉を迎え「大坂夏の陣」(慶長二十年・一六一五年五月)で戦国時代に終止符が打たれたのです。
「関ヶ原の合戦」の約二年前(慶長三年・一五九八年六月二日)日本からはるか遠くのオランダのロッテルダム港を出港した五隻の内の一隻である『デ・リーフデ号』は、欧州の商品を積んで銀が豊かに産出される南米のチリ・ペルー地方に言って商品を交換する。さもなくば、日本に行く。そこで手に入れた銀を持って、モルッカ諸島(インドネシア)で香料を仕入れ戻ってくる使命でした。
慈愛という意味の『デ・リーフデ号』は、日本の大分県豊後の臼杵(うすき)に、一六〇〇年に到着する。
『デ・リーフデ号』は、三〇〇トン、三本マストの木造船である。乗組員は出発の時は一一〇名だったが、海上(ポルトガル・スペイン船)での海戦、嵐、病気、壊血病、食料不足など惨憺たる航海によって日本に到着した時には二四名となっていた。そして、到着後すぐに六名が死んでしまった。
一六〇〇年(慶長五年)九月に「関ヶ原の合戦」があるが、その半年前のことであった。この船から降りた人々の中で、船長ヤコブ・クホケルナックルは、一六〇二年に設立されたVOC(オランダ連合東インド会社)に、日蘭(蘭=オランダ)の国交開始という徳川家康の意向を伝えるために努力した。砲手長のヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(一五五六?~一六二三、日本名は耶楊子)は関ヶ原に『デ・リーフデ号』の大砲を持ち込むよう家康に指示されたが、戦いには間に合わなかった。
しかし、爆発する大砲の威力は凄く、家康に取り立てられた。彼の住居のあった所は八重洲と名付けられ、今は東京駅「八重洲口」として名を留めている。そして、英国人のウィリアム・アダムス(一五六四~一六二〇)
は、家康の外交顧問となり、日本名を三浦按針とした。
『デ・リーフデ号』の日本への到着は、漂流によるものではなく、目指したものである。但し、当初から日本を目指したか、行き先に困った『デ・リーフデ号』が独自に日本行きを決断したかは明らかでない。
八重洲の地名の元となったヤン・ヨーステンの胸像がオランダから贈呈され、東京駅の八重洲地下街奥の隅っこに忘れられたように置かれている。これは東京駅とアムステルダム中央駅が姉妹駅になったのを記念したものです。【「オランダを知るための60章」長坂寿久(著)明石書店=2011年2月10日初版第2刷発行(デ・リーフデ号より)】
徳川家康は、「大坂夏の陣」(慶長二十年・一六一五年五月)において秀頼・淀君がいる大坂城の天守閣に向けてオランダから取り寄せた大砲(大筒)を打ち戦力差を見せつけ戦意を喪失させたのです。これで完全に戦国時代に終止符が打たれたのです。
この戦国時代末期に登場するオランダとはマリア信仰なきキリスト教徒でありルターの宗教改革派(新教徒・プロテスタント)の人達です。彼らは、フランス人ジャン・カルヴァン(一五〇九~六四)を信奉するカルヴァン派(カルビニスト)でした。カルヴァン派は、ルター以上に急進的で彼らの登場により十六世紀半ばのプロテスタントの宗教改革は決定的となりました。
フランスから追われ各地を転々としたジャン・カルヴァンは、オランダのエラスムス(デジデリウス・エラスムス一四六六~一五三六)とも会っていました。初期のカルヴァン派は、フランスから逃れ最初はスイスで主権を確立しますが、カルヴァン派の組織は共和国的なドイツ西部の自由都市やオランダ(北部ネーデルラント)のような共和国的な国、自由主義的なスコットランドなどで広まり、またやや形を変えて英国教会となりました。中でもオランダでは商人文化と合体して、協力に発展して定着しました。
当時のオランダのアムステルダムでは、カルヴァン派によりキリストを抱くマリア像の顔は鼻が削げ落とされ、目がくり抜かれ、カトリック(旧教)への憎しみが爆発していたのです。当時の日本は戦国時代末期でした。この様に、日本におけるオランダのカルヴァン派の登場も新旧キリスト教徒の闘いの地でもあったのです。徳川家康とオランダの特にVOC(オランダ連合東インド会社)とは利害が一致してお互いに補完しあい日本とヨーロッパにおいて幕末のペリー来航・黒船の登場まで地位を確立したのです。
現在でもオランダ人の琴線にあるのは、『神は地球を創りたもうたが、オランダはオランダ人が創った(ウォーターボード=治水干拓等地域共同体)。』という自負であります。私はそれを与えられたのではなく自分達で行動し成し遂げたという民主主義の芽生えでもあると思っています。
日本の戦国時代末期に登場しヨーロッパと同じくカトリック教徒(旧教)と激しく衝突し日本ではカトリック教徒(旧教)を追い出し始めたのです。世界はポルトガル・スペインのカトリック(旧教)の時代からオランダ・イギリスのプロテスタント(新教)の時代へと大きく舵がきられこれまでの世界秩序が激変する時代に突入したのです。
現代病床雨月物語 第四十五話 「民とマリア観音(その七)」 秋山 雪舟 @kaku2018
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