どぅっとぅー嶋田

メンタル弱男

どぅっとぅー嶋田

 

          ○


『むかしむかしあるところに、、、』という始まり方の物語。その多くには何かしらの教訓が込められている。この物語も遠い未来で教訓のような扱いをされている事を望む。


 ただ、困ったことに、書いている本人でさえ鼻で笑ってしまう程、ここには学ぶべきものが何も無い。そして希望も無ければ失望も無い。ただ少年の成長が淡々と描かれている。


自分でも何故こんな物語を書いているのか、まったくもって分からない。それでも嶋田について語らずにはいられないのである。



          ○


 嶋田との出会いは、小学生の頃だ。

『嶋田くん、ずっとそうやってノート広げて何してるの?』

『コンパス好きだから。』

 嶋田が何をしているのか、当然分かっていた。俺はただ、何故それをしているのかを聞くのが怖かったのだ。

 嶋田はひたすらノートにコンパスを使って円を書いていた。大きさも場所もバラバラだが、完成図があるかのように迷いなく次々とコンパスを動かしていく。そして綺麗な手首の使い方で正確に円を作っていた。

 そして、そのノートでの特訓の成果か、黒板で用いる大きなコンパスも、担任の先生より上手に使いこなしていた。次第に嶋田の書く円は教室のあらゆる場所に出現し、どこか芸術性を感じさせるくらいの力を持ったものになっていった。


 そんな嶋田のことをクラスメートは、『コンパス嶋田』とありのままに呼んでいた。本人もそのあだ名を喜んでいたし、みんなも尊敬の念を持って呼んでいたから、俺も勿論、会話をする時は『コンパス嶋田』という名前で彼を認識していた。


 ただ、彼にはもっと露骨にあらわれている特徴があった。

 それは、話はじめに『どぅっとぅー』という意味不明な言葉をよく使う、というものだ。


『コンパス君、今日学校終わったらドングリ公園で遊ぼう!』

『どぅっとぅー、分かったー。ちょっとだけ用事あるから遅れるかも。』


 なんなんだろう?どぅっとぅーって何?


『宿題で分からないところあるんだけど、コンパスは解けた?』

『どぅっとぅー、いや僕もそれは全然分からなかったなぁ。』


 いや、どぅっとぅーの方が分からないんですけど。ものすごく耳につくんですけど。


『どぅっとぅー。おはよう!』


俺はもう心の中で彼の事を、どぅっとぅー嶋田と呼んでいた。

 みんなコンパスばかりに気を取られるな!嶋田の真骨頂は『どぅっとぅー』にこそあるのだ!

 コンパスで沢山の円を出現させていたのは、フェイク、カモフラージュか、俺は嶋田が何を考えているのかとても興味を抱くようになった。だからこそ、嶋田に対して直接『どぅっとぅーって何?』と聞く事はせず、頭の中で、どぅっとぅーどぅっとぅー、と唱えて、その言葉の真意を辿るように、何度も何度も考えて挑戦した。しかし、一向に何も分からなかった。


 嶋田を通して、俺は小学生にして一つ大きな壁にぶち当たっていたのだ。



          ○


 中学生になると嶋田はどこか寡黙な雰囲気で、どぅっとぅーと言わなくなってしまった。愛用していたコンパスも使わなくなってしまった。

 俺はそんな嶋田が気になって、よく一緒に喋るようになり、いつのまにか、お互い一番の親友になっていた。


 ただ、『どぅっとぅー』が俺の頭から離れる事は決して無かった。

 もう一度だけでいいから、どぅっとぅーが聞きたい。そんな毎日を過ごした。



          ○


 高校も同じ学校へ通っていた。嶋田も俺も部活動はせず、放課後は二人でぶらぶら街を歩き、のんびりと過ごした。なんでもない毎日だが、本当に充実した日々で、笑顔になるような思い出がいっぱいある。

 しかし、なかなか相変わらず、嶋田の口から『どぅっとぅー』を聞ける日は無かった。


 ところが突如その時が訪れたのだ。

 高校三年の夏、大学受験も少しずつ迫ってきて、心におおらかな余裕が無くなってきつつあった頃、夜中に嶋田から突然連絡があった。

『今から会える?』

『いけるけど、こんなに遅くにどうした?』

 俺は、ベッドに腰掛けながら手を伸ばし、カーテンをそっと開けた。音のない夜は心が溶け込みそうなほど奥行きがあるように見える。

『結構涼しいから、外に行きたいなと思って。一緒に話でもしよう。』


 俺が公園に着いて、あたりを見回すと、嶋田は小高い芝生の山の上に腰掛けていた。その横には大きな滑り台があり、嶋田がいる所は少し影になっていて、夜の空と、暗い色のグラデーションが一枚の絵のように感じられたのを強く覚えている。


『本当に涼しいな。エアコンの涼しさとはまた一味違う。』

『そうだね。エアコンも勿論いいんだけどね。』と、笑いながら嶋田は寝転んだ。俺は芝生が少し濡れているような気がして、少しためらったが、一緒に横に寝転んだ。


 俺は息を呑んだ。夜の空をこんなにもまじまじと見たのはこの時が初めてだったのかもしれない。

 日常の忙しない気分も時間も、その光景の前では意味を持たない程に、夜の空は俺の全てを包み込んだ。空はとても広く、吸い込まれそうな暗闇の中に、ぼうっと命のように輝く沢山の星。昼間の青空も清々しいが、太陽の強い光に隠されて見る事ができない宇宙を、夜の空はありのままに見せてくれる。地球にいる事が本当に偶然なのだと思える。たまたまこの星に生まれて、沢山の出会いを通して成長して、また新しい命が生まれる。全てが奇跡なのかもしれない。


『凄いよね、この夜空。いつも頭の上にあるのに、こうやって眺めると初めてその偉大さに気付く。』

『俺の人生、まだまだ大した事ないんだなぁと感じるよ。この広大な宇宙の歴史に比べたらね。』

『なんだよ、そのロマンチック風なセリフは。らしくないなぁ、、、。』

 嶋田の顔は、疲れや忙しさから解放されたような安堵の表情を浮かべていた。何かあったのだろうか?そんな事を考えていると嶋田は滔々と話し出した。

『辛いことがあったらさ、僕はこの空を見る。そして、嬉しいことがあってもこの空を眺めていたい。いつも見守ってくれてる気がするから。』


 ふむふむ。


『そして、何でも受け入れてくれるんだ。この夜空は寛大なんだなと思う。でもそれは僕の夢でもあるんだ。』


 ん?ちょっと曖昧で難しいな。


『僕はやりたい事がない。何かやらないと生きていけないってのは分かる。つまりは具体的なイメージがないんだ。それでも、僕は誰かにとって、この空のような存在になれたらいいなって漠然と祈るんだ。なりたいと思う事さえ、思い上がりかもしれないけど。』


何が言いたいのだろう?表面をなぞるような感覚ばかりが伺え、嶋田の中に埋もれている真意が全く見えない。


『目標なんだ。だから今、勉強もそうだけど、自分に出来る事を精一杯頑張ってる。自分の強みを少しずつでも作っていきたいからね。小さい頃からの目標。この空にはちゃんと名前があるんだ。』


 え?名前?


『どぅっとぅーって言うんだよ。僕が名付けた。不変であるようで、同じものは無いこの空に。』


『どぅっとぅー?!!』

 俺は嶋田の話に心の中で相槌を打ち続けていたが、この時ばかりはさすがに声を出してしまった。

 どぅっとぅー??俺が探し求めていた、どぅっとぅー??まさかこんなところでお出ましになるとは!

 俺は歓喜と緊張で全身に妙な力が入り、目の前が真っ白になった。


『大丈夫??!』

 少し様子がおかしかったのだろう、嶋田は俺にそう声をかけた。そこで俺も我を取り戻した。


『小学生の頃から、ずっと“どぅっとぅー”が気になっていたんだよ。そうかそうか、嶋田の憧れであり目標の事だったんだな!』

 そうなんだ、気になっていたなんて知らなかったよ。と、笑いながら嶋田は俺を見る。


『でも、なんでいつもどぅっとぅーって言ってたんだ?謎が増えていくなぁ。』

『僕にも分からないよ。少しでも身近なものに感じていたかったのかも。深い意味はないよ。』

『なんだよ、それ。』


 俺にとって、ずっと頭の片隅にあったどぅっとぅーは静かに、そしてしっかりと幸せな時間を包み込んでいた。



          ○


 この物語は一体何を伝えたかったのだろう?書き終えた今もやはり判然としない。自分の中でモヤモヤとした感情を吐き出したような感覚はある。ただ日常の中でも同じように、解決しないまま進んでいく、あの不安定な気持ちは、この物語に於いてもあり得ると思う。


 要は作者も何が何だか分からないのである。



          ○


 そして飽きもせず俺はまた別の物語を書き始めた。




 

 

 




 

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