03 地下へ

 ラリーの返事を確認できないまま、入口へと駆け込んだ。


 出来るだけ速く足を交互に動かして、階段を下っていく。ふだんは気にしないはずの距離がとても長く感じる。


 ここまでくれば、あの巨大な図体ずうたいは手も足も出ないはずだ。


 そう思った瞬間、背後から青白い光が差し込んでくるのが見えた。


 ウソだろう?

 俺は、呆気あっけに取られて振り向く。視界の先に見えたのは、CHIC WAVの正面。円形の空洞から収束され拡大していく青白い光だった。


「クソッたれ!」


 俺は正面に向きなおり、ラリーをつかみながらふたたび階段を駆け下りる。まずい。階段を降り切っても、ガラスりのドアを開けなければならない。ダメだ。間に合わない……!


「……ああ、すまない……セリーヌ」


 死を覚悟し、妻の名前を口走ったそのとき、目の前のガラス張りのドアがひらいた。


「こっちだ! 早く!」


 日本人だった。

 コンクリートによるホコリで真っ白になったスーツのその男が、ドアを全開ぜんかいにしながら、ジャパニーズ手招てまねきをしてくる。俺は着地ちゃくちのことも考えずに、ラリーとともにドアの先へと飛び込んだ。


 階段が真っ白に発光した。


 俺とラリーは思いっきり床へと転がり込んだ。

 上体を起こし振り返ると、いまさっき俺たちがいた場所に光線が降り注ぎ、そして、消えた。こんな事態になっても、ラリーの右手にあるビデオカメラは無事だった。


「……ラリー、大丈夫か?」

「ああ。……助かったよティム」


 俺は、日本人を見た。

 彼もまた俺たちとおなじく、腰をつきぼんやりと階段をみつめていた。


「ありがとうございます」


 俺に声をかけられた日本人は、俺たちに顔を向けた。


「大丈夫だったか?」

「ええ」


 おたがい立ち上がり、対面し合う。


「私はティム・ロビンソン。CNNの記者です。こっちはラリー、カメラマンです」

「なるほど、だからビデオカメラを……。僕はヤカモト」


 俺は手を差し出した。


「助けていただきありがとうございます。ヤカモトサン」


 俺とラリーに握手あくしゅを交わしたミスターヤカモトは、しぶい顔をして言った。


「きみたちは、あのちくわぶから逃げてきたんだろう? だが、この地下空間にも得体えたいの知れないバケモノがひそんでいる」

「バケ・モノ?」

「あー……クリーチャー……ちがうな。モンスターだ」


 俺とラリーは顔を見合わせた。

 安全地帯ちたいと思っていた場所に、怪物が潜んでいるなんて。


「どんなモンスターなんですか?」

「あれは、細い糸をからめたような……そう、のようなモンスターだった。ほかにも三角の……はんぺんのような物体や、丸いさつま揚げのような物体がウヨウヨしていた」

SCHILLERシラー TACKタック?」

「そうだ。やつらは毒をもっている。あの物体に触れたら、まるでのように黄色くなって皮膚ひふがただれてしまうだろう」

「……NELLネル GLASSガラス? それは猛毒もうどくなので?」

「ああ。用心ようじんしたほうがいい」

「こいつは……コトだ」

 ラリーが声をらした。

 NELL GLASSがどういうものか、俺たちにはわからない。

 だが、それはマスタードガスのような、恐ろしい毒物どくぶつなのだろう。

「私たちはどこへ向かえばいいですか?」

「北側……札幌駅方面は、すでにしらたきのやつらで埋め尽くされている。向かうなら南側、ススキノ方面だ」




 地下街へとつづく通路は、電気の供給きょうきゅうが止まっていた。

 階段から差し込む光も当然奥までは届くことはなく、俺たちはスマートフォンの懐中かいちゅう電灯でんとうアプリを使って、光を照らしながら進むしかなかった。


「バッテリーの残量ざんりょうが心配だ。一人ずつ交代しながらスマートフォンを使おう」

「なんで人がいないんです?」

「札幌駅方面へ大勢が避難ひなんしたんだ。だがさきほども言ったとおり、大量のしらたきに襲われてしまった。無事な者は残っていないだろう」

「自衛隊はどうしたんです? さっき自衛隊のヘリが攻撃を仕掛けていました」

「各駐屯地ちゅうとんちも直接攻撃を受けていて身動きが取れないらしい。それよりも、きみたちの国は心配じゃないのか?」

「それって、どういうことなので?」


 ヤカモトさんは、俺たちの反応を見ていちど口をつぐんだあと「この攻撃は世界各地で行われている」と言った。


Holyなんて……shitこった……」


 俺はスマートフォンから通話ボタンをタップする。

 たのむ。出てくれセリーヌ!

 しかし俺の望みもむなしく、呼び出し音が鳴ることすらなかった。

 俺はうなだれた。

 頭を冷やさなければならない。

 しかし、不安に心が覆われて、まずどうしていいかわからない。


「大丈夫か、ティム。だが、まずは移動しないと。この場にはいられない」

「けどラリー……。どこへ、移動するんだよ」

「自衛隊駐屯地へ向かおう。自衛隊なら外部との連絡手段も残っているはずだ。南側でいちばん近いのは、南二六条にある札幌駐屯地だ。距離はあるが苗穂なえぼ駐屯地よりは安全だろう」

「……ヤカモトサン」

「いいんだ。急ごう」



 俺たちは三人は、薄暗い地下空間を進んでいった。

 地下通路に面したロッテリアから、札幌地下鉄の定期券売り場を通り過ぎドトールのある十字路じゅうじろまでのあいだ、人影はひとつも見当たらなかった。それが俺たちが異世界にでも迷い込んでしまったかのような、そんな不気味さを感じさせた。


「よし。南へ進もう」


 ミスターヤカモトは、そう言ってドトールの角を左へと曲がる。

 と人影のようなものが視界に飛び込んできた。

 俺たち三人は思わずのけぞった。


 それは一人の人影だった。


 ミスターヤカモトが、スマートフォンで照らす。


 そこにいたのは浅黒あさぐろい肌のインド系の男だった。



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