3.
月影の森の入り口までアルドが引き返し、しばらく待つとアルブスが姿を表した。頭からフードを被っているその姿は、バルオキーでの目撃証言と合致するものだった。どうやら、夜間にバルオキーからヌアル平原へと向かった人間というのは本当にアルブスだったらしい。
「やあ、待たせてしまったね」
「い、いえ! そんなことありません。アルブス様にお会いするためならば、一晩どころか一年だってお待ちします!」
「凄い熱意だな……」
呆れとも驚きともつかない心地でアルドは呟いた。一人で不安だと言ったわりに、当初の勢いを取り戻している。どうやら待っている間に、少しは心の整理ができたらしい。
一方アルブスはというと、どちらかといえば少し警戒した様子で、
「どうしてそこまで、君は詩人アルブスのことを追うんだい?」
と少女に尋ねた。まさにその質問を待っていました、と言わんばかりに、身を乗り出すような体勢で少女は答える。
「よくぞ聞いてくれました! アルブス様を追い求める理由、それは……!」
「それは……?」
固い声でアルブスが先を促す。緊張と警戒が強まるのを感じ、アルドまで肩に力が入るような気持ちになった。そんな張り詰めた空気を、少女のきっぱりとした、宣言にも似た返事が打ち崩した。
「それは――アルブス様に、詩の作り方を教わるためです!」
「……詩の……作り方を?」
そうオウム返しに聞き返すアルブスの声は、どこか拍子抜けしたような、気が抜けたようなものだった。アルドとしても意外だった。確かに、好きだとか、憧れだとかいう言葉では収まりきらないような事情を少女は抱えているように見えた。だが、まさか詩を教えてほしいと言うとは思ってもみなかった。
「詩の作り方を知るためだけに、君はアルブスを追いかけていたのかい?」
「はい!」
率直かつ短くそう返した少女の言葉には、一切の迷いが無かった。アルブスは呆気に取られた様子で数秒黙り込んでいたが、
「お願いしますアルブス様! アルブス様みたいな素敵な詩を作れるようになるコツを教えてください!」
頭を下げて頼み込む少女に、我に返ったようだった。軽く首を振り、少女にしっかりと向き直ると、
「……すまないが、それはできないんだ」
と答えた。少女の方はそれを聞いて、無言のままうつむいた。「どうして?」と思わず言ったのは、少女ではなくアルドの方だった。
「どうして教えられないんだ? この子はわざわざ、王都からここまで来たっていうのに……」
「すまない。僕も意地悪を言いたいわけじゃないんだ。けど……残念ながら、僕では『詩人アルブスの詩』の作り方を、君に教えてあげることはできない。何故なら――僕は詩人アルブスではないからだ」
「アルブスじゃない? けど、確かにさっき……」
目の前の、フード姿の男は間違いなくノワールという女に『アルブス兄さん』と呼ばれていた。しかし、それでも自分はアルブスでは無いという。混乱するアルドに、アルブスは苦笑した。
「わけが分からないだろうけれど、本当にそうなんだ。僕は確かにアルブスだけれど、詩人ではない。僕がやっていたのは……妹の代わりに人前に出て、妹の詩を披露してやるということだけだった」
だから、僕は詩人ではないんだ。そう繰り返し言われた言葉にようやくアルドも合点がいった。
「そうか……だからあの、月影の森で見た女の人の詩を聴いて、アルブスの詩だって言ったのか」
少女の方に目を向けながら言えば、少女は静かに頷いた。
「初めに聞いた時はちょっと驚きましたけど……でも、どう聞いてもあの詩はアルブス様のものでしたから。それで、お二人の会話を聞いて、そういうことだったんだ、って……」
「けど……どうしてわざわざ、詩を作る人と歌う人に分けたんだ? あの女の人……ノワールさんが、詩人として活動するわけにはいかなかったのか?」
「ああ、それはね。……あの子も昔はそうしようとした時期があったんだ」
けど、とアルブスは言葉を詰まらせた。それから、重い口を開いてその先を説明した。
「あの子の顔を見たかい?」
「え? いいや……草むらに隠れてたせいで、よく見えなかったかな」
「そうかい。なら良いんだ。……あの子は顔を見られるのが嫌なんだ。とても綺麗な子なんだけれどね。そのせいで、自ら紡ぎ出した詩ではなく、その容貌ばかりを追われることになった。あの子は自分ではなく、自分の詩……自分から見た世界の美しさをただ、伝えたかっただけなのに……」
「……もしかして、それであんたが代わりに?」
アルブスは頷いた。一瞬納得しかけたアルドだったが、すぐに少女が言ったアルブスの話を思い出した。詩の内容ばかりでなく、容姿についての讃辞が如実に語られていた。少女の方も、それを思い出していたのだろう。
「でも結局、王都の人たちは、今度はアルブス様のお姿のことばかりを話すようになった。だからアルブス様は……」
「僕も妹も、嫌気が差してしまってね。本当は、僕たちのことを追ってきている人がいるって気付いた時、口止めをして帰ってもらおうと思ったんだ。バルオキーの村で君たちのことを聞いてね……僕は元々詩人ではなく商人をやっていたから、それに扮して、詩人アルブスを追ってくる人の話を聞いてたんだ」
「そんな理由があったなんて……ごめんなさい、迷惑でしたよね……」
うつむいていた少女は、アルブスに背を向けた。しかしその背中に向けて、アルブスは声をかけた。
「初めは確かに迷惑だと思っていた。詩ではなく、外見にひかれた人がまた来たのかと思ってね」
「…………」
「けど、実際は違った。君は詩人アルブスではなく、その者が紡ぐ詩を求めてくれていた。最初、容姿のことを引き合いに出して尋ね回っていたのは……人の耳目に留まりやすいからではなんじゃないかな」
少女は小さく首肯し、そしてアルブスの方へ、おずおずと向き直った。それを待っていたかのように、アルブスは少女へと歩み寄り、膝を突いて視線を合わせた。
「もう一つ聞かせてほしい。どうして、君は詩を作りたいと思ったのかな」
「! それは……」
少女は驚いたように口を開き、それからまごつきながらも「実は……」とか「どこから話したらいいのか」などと言った。しかし、自分の事情を話すことに戸惑いや躊躇があるのか、どうしてもはっきりとした答えは出てこなかった。
「あの、すみません、わたし……」
「……いや、いいんだ。急に聞いて悪かったね。もし話せそうになったら、月影の森の奥まで来てほしい。君になら、もしかしたら……」
そこから先の言葉は紡がれなかった。しばらくの沈黙の後、アルブスは「待っているよ」とだけ言い残し、月影の森へと去って行った。
「…………」
少女は顔を上げると、月影の森の方を見やった。しかし、すぐにそちらに向かうことはなかった。ただ、足に根が生えたように立ち尽くしていた。アルドはその背中に向けて、そっと呼びかけた。
「……一度、バルオキーに戻ろうか」
少女は振り返ると、小さな声で「はい」とだけ答えた。
初めて会った時とはうって変わって、アルドと少女は無言のまま村の中をぶらついた。どこかへ行くという目的意識もない。あてどもなく歩く少女の後ろを、アルドはただ付いて歩いていた。
昼日中を少し過ぎた辺りのバルオキーは天候に恵まれ、青空から温かな日差しがさんさんと降り注いでいた。先ほどの、月影の森でのやり取りが夢か幻だったかのようだ、とアルドは思った。
しかし、全ては実際にあったことだった。
事実が実感を伴って戻ってきたのは、少女が村の外れにある池の前で足を止め、おもむろに口を開いた時だった。
「わたしが詩を教えてほしい理由、聞いてくれますか?」
「ああ、いいよ」
何の脈絡も無い切り出しだったが、アルドは快く返した。それはいまの彼女にとって、必要なことだった。
「わたし……その、友だちがいるんです。その友だちが、アルブス様の詩を聞いて……自分でも詩を作りたいって思ったみたいで」
「もしかして、その友だちの代わりにここまで?」
少女は池に目をやったまま首肯した。しかし、その先は中々語られなかった。話すことにまだ迷いがあるような、そんな沈黙だった。
「その友だちっていうのはいったい――」
その先を促そうとアルドが尋ねかけた時だった。道の先から勢いよく、何者かが駆けてきた。
「ああ、アルド! ここにいたのかい」
アルド目がけて走り寄ってきたのは一人の男だった。バルオキーに住む木こりで、アルドとも顔馴染みだった。日頃は物静かな性分なのだが、今日に限ってはどうしてか血相を変え、酷く慌てた様子だった。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「ヌアル平原に魔獣が出たんだ!」
「えっ、魔獣が?」
魔獣がよく見られるのは王都ユニガンより東側で、こちらの方にはあまり来ることはない。とはいえ、一切見ないというわけでもない。――現にフィーネは、バルオキーに現れた魔獣に攫われたのだ。見間違いだと言うことはできなかった。
「どうにも何かを探してるみたいでな。うろうろしながら月影の森の方へ行っちまったんだ。村に来る様子じゃなかったとはいえ、一応気を付けておいてくれよ」
「ああ……」
返事を返しながら、アルドは魔獣の動向に引っかかりを覚えた。月影の森へと向かっている――となれば、そのうちアルブスとノワールがその魔獣に見つかってしまうかもしれない。人と敵対する魔獣は、時には魔物以上に危険な存在だ。人目を忍んでいるとはいえ、アルブスたちには村に一時的にでも逃げるよう言った方がいいだろう。
「……アルブスたちにも魔獣が出たって伝えないと。君はここで待っててくれ!」
「あ……」
ヌアル平原へ向けて走り出したアルドの背に、少女が何事かを言いかけた。しかしその声は、アルドの耳には届かなかった。アルドの耳を打つのは駆け抜ける風の音ばかりだった。
魔獣の噂はすでに村中で共有されているのだろう、どこか不安げな面持ちの村人たちを尻目に村を走り抜け、ヌアル平原を横切ると、アルドは月影の森の中に入った。魔獣の姿は見られなかったが、まだ油断はできなかった。本能的に動く魔物と違って、魔獣には知性がある。時には人の姿に化けることすらある彼らは、己の痕跡を消して身を潜ませることも造作なくできるだろう。
(――けど、何かを探している姿を、魔獣は見られてたんだよな)
人と魔獣は敵対している――敵対的であれ友好的であれ、その認識は人も魔獣も当たり前のように持っている。ならば、人里の近くで魔獣が、そんな迂闊な行動を取るだろうか? あるいはそれすらも何か、策略含みの動きなのだろうか?
不穏なものを感じつつ、アルドは月影の森の奥へと足を向ける。
森の中は先ほど訪れた時と変わらず、冴えて閑寂とした空気を湛えていた。魔獣の姿や気配が、木々の黒い陰に紛れていないかとアルドは緊張に気を張り詰めさせて周囲を見回していたが、姿どころか痕跡すらも見当たらない。どうやら、森の中に魔獣は来ていないらしい。アルドはほっと息を吐いて歩調を緩めようとした。
ところが、森の最奥に差しかかったところで、それまで静かだった空気が一変した。
「ノワール、逃げるんだ! くそっ……退け、魔物たちよ!」
「この声……アルブスか!?」
聞こえてきたのは声だけではなかった。人の声と気配を押し潰すように、耳障りな息づかいや獰猛な唸り声が聞こえてくる。音のする方へと向かえば、そこには一人の女を背に庇うアルブスの姿があった。女は恐らく彼の妹であるノワールだろう。そして、そのアルブスらの姿を覆い隠さんばかりに立ちはだかるのは三体の魔物。棍棒を手に持つ青肌の巨躯――アベトスだ。
アルドは走る勢いを殺すことなく、一番手前に立っていたアベトスに駆け寄って剣を抜いた。速度を加えた一閃がその背に走り、深手を負ったアベトスが耳障りな金切り声を上げた。その声を聞き、同胞が攻撃されたことを察知した他の二体がアルドの方を振り返り、雄叫びを上げた。
「グオォォォーッ!」
「来い! お前たちの相手はオレがしてやる!」
挑発するように切っ先をアベトスへと向けるアルド。アルブスとノワールを戦いに巻き込まないためだった。その目論見は功を奏した。いまやアベトスたちの敵意の矛先は、アルドへと向かっていた。
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