2.
「え、最近村に来た人? うーん……ごめんなさい。私は見てないわ」
「最近村を出入りした人か……行商人や兵士以外には特にいなかったかな。え、詩人? 詩人みたいな人は見なかったかな」
「おや、人捜しかい? ……詩人? ここら辺には来てないと思うよ」
バルオキーの中を歩き回って様々な人に詩人アルブスのことを尋ねたアルド。しかしアルブスどころか見知らぬ来訪者の情報すらもろくに出ないまま、時間は刻々と過ぎていった。
「……アルブスがバルオキーに来たっていう話、本当なのか?」
ついにアルドはそんなことを呟いていた。アルブスを追っていた少女も噂だと言っていた。もしかしたら、実際にはバルオキーには来ていないのではないか――そう思いつつバルオキーの西、ヌアル平原に近い方へと足を向けた。王都の方から来たのだから、その反対側になるヌアル平原側で有力な話が聞けるとも思えず後回しにしていたのだ。……だが、
「え、詩人さん? 詩人さんっぽい人はいなかったけれど……ただ、この村の人じゃない感じの人なら見かけたわよ」
「本当か!?」
村の外れで声をかけた女性にそう言われ、アルドは思わず大きな声を出して聞き返していた。そのことに気付いて、なるべく普段通りの声色でアルドは「どんな人だった?」と重ねて尋ねる。女性の方はアルドの驚愕を特に気にも留めない様子で、
「頭っからフードを被った人だったわね。ちらっとしか見なかったし、その時は夜だったから。それ以上のことは分からないんだけれど」
「そうなのか……どっちに行ったか分かるか?」
「ヌアル平原の方へ行ったわね。ちょっと怪しい感じだったから、一応警備隊の人には話しておいたんだけれど……あの夜以降は見てないわねぇ。魔物に襲われたりしてなければいいんだけれど」
「ヌアル平原か……」
アルドは女性に礼を言ってその場を離れ、一度村の中心地辺りへと引き返すことにした。情報を集める、と言って別れた少女を探すためだった。
ヌアル平原の方へと向かったフード姿の人間が、果たして詩人アルブスなのかはまだ分からない。だが、他に有力な情報も無い。それに、もしかしたら少女の方がアルブスに繋がる情報を得ているかもしれない。ともかく一度会ってから、これからの動きを話し合いたかった。
幸い、少女はすぐに見つかった。井戸の前を通りがかった辺りで、向こうからアルドを見付けて話しかけてきた。
「どうでした? アルブス様、見つかりましたか?」
「見つかった、ってほどの情報じゃないんだけど……」
アルドは聞き込みで得た情報を少女に話した。ほとんどの人は、村の外から来た人の中にアルブスらしき者を見かけなかったこと。夜間だというのにヌアル平原の方に去って行ったフード姿の人間を見たという人が、一人だけいたということ。――後者の話を聞いた途端、少女は勢いよく口を開いた。
「アルブス様がヌアル平原に!?」
「い、いや、まだそうと決まったわけじゃ……」
あくまでも見かけたのはフード姿の人間で――と説明しようとしたアルドだったが、少女は聞く耳を持たなかった。「待っていてください、いま行きますからね!」と叫んだかと思うと、ヌアル平原へと飛び出して行ってしまった。
「あ、おい! ……まずいな、追いかけないと」
ヌアル平原は魔物の生息地だ。アルドのように戦い慣れている者ならまだしも、少女一人では危険もあるだろう。……そもそも王都からバルオキーに来る道も安全とは言い難いのだが、恐らくカレク湿原では護衛を雇うなり商隊に紛れるなりして難を逃れていたのだろう。
ともかく、戦えそうもない少女一人でうろつかせられるほどヌアル平原は平穏とは言い難い場所だった。アルドはすぐさま村の外へと走り出した。
「……どこまで行ったんだ、あの子」
しかし、アルドが走り出した頃にはもうその背中は見えなくなっていた。とんでもない早さで平原を走り抜けたらしい。道中、現れる魔物を蹴散らしながらも少女の姿を探し、周囲を見回すアルドだったが、その痕跡は見当たらず、ただ草原の緑が風に揺られて光る様だけが広がっていた。
「もしかして……月影の森まで入って行ったのか?」
ヌアル平原の中程までを走り抜け、アルドは呟く。踏み倒された草が少女の足跡として残っているのだが、それは真っ直ぐ月影の森の方面へと向かっていた。まずい、とアルドは呟く。開けて見通しの良いヌアル平原に比べ、月影の森は木々が鬱蒼と茂り、見通しが悪い。もしそこまで行っていたとしたら、見付けるのも難しくなるかもしれない。
「早く追いつかないと……!」
アルドは再び走り出した。少女の足跡をたどって平原の奥へと向かう。魔物と何かが争ったような形跡は無いことだけが幸いだったが、逆にそれは、何の足止めもされずに少女が走り抜けてしまったということでもあった。
どうかすぐに見つかってくれ――と祈りながらアルドは少女の姿を探す。だが、ついにその姿を捉えられないまま、月影の森の手前まで来てしまった。足跡は森の中へと続いている。アルドはそれを追って、月影の森の中へと足を踏み入れた。
途端、晴れ渡る昼間の草原とは全く違う光景が目の前に広がる。
まだ昼間であるはずなのに、湖面に映る太陽は木の葉のヴェールに遮られて光を弱め、まるで月のように静謐な輝きを湛えている。深い森の緑のおかげか、外よりも幾分か涼し感じる大気は薄らと青く見え、下草は濃い闇を抱えてその奥に潜む動物や魔物の気配すらも押し隠しているようだった。
アルドにとってそれは、馴染みのある光景だった――養父となってくれた村長に拾われたのもこの場所だった。しかし、王都から来たという少女にとっては右も左も分からないような場所だろう。
「――おーい! ……どこ行ったんだ?」
大声を出すと魔物が寄ってくるかもしれない。そう思ったものの、アルドはそうせずにはいられなかった。自分が襲われるのならまだしも、少女の方が魔物に襲われてしまえばひとたまりもないだろう。もはや一刻の猶予も無い、と声を上げながら、アルドは少女を探して回った。
――すると、森に入って間もない、泉の前に立つ少女の姿をアルドは見付けた。
「あっ……いた!」
隣に駆け寄ると、足音に気付いたのか少女は顔を上げてアルドの方を見た。かと思うと、
「いたんですよ!」
唐突にそう言った。あまりにも急に言われたため、アルドは「えっ」と声を上げるのがやっとだった。そのまま口を挟む余地も無く、少女が立て板に水のごとく話し始めた。
「お姿こそ見つかりませんでしたけど! ぜーったい、あの詩はアルブス様の新作です! 優雅にして緻密な韻の踏み方、それに反したようなどこか陰のある言葉選び! 間違いありません!」
「詩って……詩が聞こえてきたのか?」
「はい! 森の奥の方からです!」
アルドは耳を澄ましてみた。だが、それらしき音は一切聞こえてこない。音らしい音といえば、風が吹く度に頭上で鳴る、葉擦れの音ぐらいなものだった。
「……本当に聞こえたのか?」
「ええ、もちろんです! さあ、行きましょう!」
「あ、おい! 危ないから一人で先に行くなって……!」
先に立って歩き出した少女の前にアルドは慌てて出た。月影の森なら自分の方が土地勘がある。もし森の中に本当にアルブスがいるのだとしても、どのあたりにいるのかはだいたい分かるだろう。――少なくとも、森の奥へと行くため道を直進し、そのまま獣道すら無い草木の中をかき分けようとしていた少女に先導を任せるよりかは遙かにマシなはずだ。
「ここも魔物の巣窟なんだ。オレの側から離れないでくれよ」
「はい! 分かりました!」
「……本当に分かってるのかな」
隙あらば前に出かねない勢いで少女は歩いている。ヌアル平原を駆け抜けた後だというのに随分と元気そうだ。まだ十を少し過ぎた辺りの年頃に見えるその小さな体の、どこにそこまでの体力があるのかアルドには不思議でならなかった。
それとも、体の疲れを感じるのも忘れるほどに、詩人アルブスは彼女にとって重要な存在なのだろうか? そもそも何故会いたいのか、それを聞いていなかったことにアルドは気付いた。
「そういえば、どうしてアルブスに会いたいんだ?」
「えっ? それは……だってアルブス様ですよ? 眉目秀麗、才気煥発の超有名人! 一目で良いからお会いしたい! ……ってなりません?」
アルドは首を横に振った。それはアルドにはよく分からない感情だった。魔物に襲われるかもしれないという危険を承知で、王都からバルオキー、さらにはこんなところにまで来てしまう――そこまでして会いたいとなるような相手は、アルドにとっては家族であるフィーネぐらいなものだった。
「有名、ってだけで会いたいってなるものなのか?」
「…………」
いままでと違って、答えはすぐには返ってこなかった。アルドは少女の方を見た。少女は顔を少しうつむけていたが、すぐにアルドを見上げて笑顔を作った。
「有名ってだけじゃないですよ! 憧れの人なんです。あの人の詩は、それはもう素晴らしいものですから!」
「……そうなのか」
憧れに突き動かされて――よほど活動的な性分らしい。アルドには詩の良さはよく分からなかったが、人をこうして動かすほどの力がアルブスの詩にはあるのだろう。
「凄い人なんだな、アルブスって。オレもちょっと興味が出てきたよ」
「そうでしょうそうでしょう! そうとなれば、善は急げですよ!」
そう言いながらまたも前に出ようとする少女の背を、アルドは慌てて追った。「だから先に行くなって!」と声をかけながら前に立ち、森の奥へと向かっていく。
奥へ奥へと進むごとに日は陰る。木の葉の天蓋の向こうで、鳥の鳴き声が聞こえていた。アルドは幾度か歌声のようなものを聞いた気がしたが、少女の様子を見るに、どうやらその歌声だと思ったものは、鳥のさえずりや風の音、池で魚が跳ねる水の音だったらしい。
「アルドさんったら、響いてもない詩を聞き取れるなんて! もしかしたら詩人さんに向いてるのかもしれませんね!」
そう冗談を言われて、アルドは返す言葉もなかった。どうやら神経が過敏になりすぎているらしかった。
もちろん、実際に詩を吟じる声は聞こえてきてはいない。森の空気はささめくばかりで、詩どころか人の気配すらも漂わせてはいない。歩きに歩いていよいよ森は深くなり、人の手がほとんど入らないようなところにまで二人は来ていた。
「だいぶ奥まで来たな……本当に、こんなところに人がいるのか?」
周囲を見回してもそれらしい姿は無く、地面には短い草が青々と茂っていて、人がこの辺りを訪れた痕跡はほとんど無かった。流石の少女の方も「おかしいですねぇ」と、どこか不安を滲ませている。
「……なあ、一旦村に戻って……」
情報を洗い直さないか、と言いかけたところでアルドは口をつぐんだ。声が――否、詩が聞こえてきたのだ。
「変わらぬ形 遷ろう詩――愛しい偽りの姿 その影と共に寄り添おう……」
アルドの隣で、少女が鋭く息を飲んだ。驚きに唇が開く。
「この詩……!」
呟く声と詩とを同時に聞きながら、アルドは軽く首を傾げた。
「光と影 一人と一人 重なり合って――」
「……この声、女の人の声か?」
少女の口振りや熱の上げようからして、アルドはてっきり、詩人アルブスは男性だとばかり思っていた。しかし、森の奥から聞こえてくる声は明らかに女性のものだった。人違いなのではないか、とも思ったものの、少女の方はいまにも飛び出して行きそうなほどに身を乗り出している。それでも出て行かないのは、聞こえてくる詩を聞きたいがためだろう。アルドとしてはすぐにでも正体を確かめたいところだったが――仕方ない、と腰を落ち着けて、詩が終わるのを待とうとした。
――しかし。その詩は思いも寄らぬ形で遮られた。
「ノワール! ノワール、そこにいるのか?」
アルドたちが来た方から、男の声が響いた。思わず出そうになったこえを抑えるように少女は口に手を当て、そして驚きに満ちた小さな声で「アルブス様……!」と囁いた。
「アルブスだって? でも、詩を歌っていたのは……」
どう聞いても女性の声だった。しかもその女性は、少女がアルブスと呼んだ男にノワールと呼ばれていた。奇妙なことだらけでアルドは首を捻りかけたが、それよりもまず先に、
「……どうする? このままだと見つかるぞ」
事の運びを考え無ければならなかった。アルドに尋ねられ、少女は「か、隠れましょう!」と上ずった声で促す。会いたいのならば堂々と会えば良いのではないか、とアルドは思いかけたが、気が動転しているのかもしれない。ともかく少女がそうしたいのならば手早く動かなければ、とアルドは体勢を低くして草むらへと入り、枝葉に刺されず身を隠せそうな場所へと少女を招き入れた。
ほどなくして、目の前を誰かが通り過ぎた。衣服からして恐らく男性だろう。男は――アルブスはアルドたちからやや離れたところで足を止めた。そのすぐ後、アルブスの前にスカートを履いた足が立った。ノワールと呼ばれた女が、こちらまで来た様子だった。
「アルブス兄さん……」
「ノワール、ここにいたのか」
「ええ。この辺りは自然の声に満ちあふれていて……詩がいくらでも浮かんでくるの。まるで大気が語りかけてくるかのよう」
その言葉に、アルブスは小さく笑った。
「ノワールは凄いな。こうして少し歩くだけで、詩を綴ることができるのだから」
アルブスは心底喜ばしげに、そして感心したように言う。しかしそれに応えるノワールの声は、どこか沈痛で重々しかった。
「……ええ、とても素晴らしいことだと自分でも思う。けれど……」
そこから先は聞こえてこなかった。泣き出すような、どこか絞り出すような語調に細くなる声を、まるで慰めるかのように葉擦れの音がさやさやと鳴った。ノワールは深く息を吐く。そして、全く別の話題をアルブスへと振った。
「……ねえ、兄さん。ここでなら誰にも追われず、詩だけをただ求めてもらえるかしら」
「……分からない。どうやら僕たち――いや、『アルブス』を追いかけてる人はまだいるみたいだ」
その言葉に、少女が小さく息を飲む。アルドが横へ目を向けると、眉を八の字にして心苦しいような顔をした少女の横顔がそこにあった。
「しばらくは、ここに隠れていよう」
「ええ……」
そのやり取りを最後に、二人の気配は遠ざかっていった。――かと思うと、足音が一つだけ引き返してきた。そしてアルドたちが潜む、草むらの前辺りにアルブスが立った。
「……もしもまだここに……『アルブス』を追ってきた方がいるのなら、お話ししたいことがあります。月影の森の入り口あたりで、待っていてください」
それだけを言い残すと、アルブスは去って行った。気配が遠ざかり、完全に無くなると、アルドと少女は草むらから出た。アルドは少女を見下ろした。少女の様子は、とてもではないが憧れていた人物との邂逅を果たしたようには見えなかった。顔はしかめられ、何かを考え込んでいるようだった。
「どうする? 会いに行くのか?」
アルドは事情を深くは聞かなかった。きっと少女はいま、自分のこと、自分の考えだけで手一杯だろう。あれやこれやと尋ねても上手に説明できないかもしれないし、彼女自身も混乱してしまうかもしれない。そもそも少女も、アルブスとノワールを見て驚いている様子だった。聞いたところで答えられないかもしれないのだ。ならば、いまは話を聞くよりも、少女がどうしたいかということの方が大事なようにアルドには思えた。
「……お会いしてみます。うう……でも一人じゃちょっと心細いんで、付いて来てください……」
「ああ、お安いごようさ」
一度首を突っ込んだ事柄には、責任を持って最後まで付き合うつもりだった。――それに、
(あの人がもし『アルブス』を追っている人に話しかけてたなら、オレにもたぶん来てほしいだろうしな)
興味本位、という気持ちが一切無いわけではない。しかしそれ以上に、アルドは全てを見届けたい気分だった。少女にも何か事情がありそうだったが、アルブスにも、そして彼がノワールと呼んだ妹らしき女も、それぞれ何かを抱えていそうだった。成り行きとはいえ関わり合いを持った縁だ。何か少しでも力になりたい、とアルドは思っていた。
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