第11話〈補習〉3時間目
「何をしてるの?」
突然後ろから声をかけられ、アオイの心臓が跳ね上がった。
気づいた時にはアオイはまた、夜の図書室に帰ってきていた。しかし、先ほどまでは真っ暗だった図書室に今は明かりがともっていた。
振り返れば扉の前にツカサが立っていた。白衣のポケットに手を突っ込み、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
「……!」
アオイはぎょっとして後ずさった。怯えた表情をするアオイを見てツカサが怪訝な顔をする。
「どうしたんだ?もうナツメ先生もヒジリ先生も皆帰っちゃったよ。アオイ先生も早く帰った方がいいんじゃない?」
いつものように親しげに話しかけられ、アオイはぎゅっと懐中電灯を握りしめた。
カエデのために、今見たことを言わなければならない。そして、ツカサのためにも。
アオイは決心するとゆっくりと口を開いた。
「あ、あの、ツカサ先生……」
そう声をかけるとツカサが首をかしげた。
「どうしたの?アオイ先生」
アオイがどう切り出そうか迷っていると、ツカサが「ああ」と何かに気づいたような顔をした。
「さっきの回想、お前にも見えちゃったんだ」
はっとしてアオイがツカサを見る。ツカサは先ほどの表情とは一転して不気味な笑みを浮かべると、ゆっくりアオイの方に近づいてきた。
「ツカサ先生、どうしてあんなことを……?」
後ずさりながら既にわかりきっていることをもう一度聞いてしまう。ツカサはゆっくりとアオイとの距離をつめながら口を開く。
「どうして?それは簡単なことだよ」
背中にひやりと冷たい感触が走った。振り向けばすぐそこに窓がある。完全に壁際に追い込まれ、逃げ場をなくしたアオイを見てツカサが笑った。
「カエデ先生のことが好きだったからだよ」
「……」
アオイは黙って目の前に立つツカサを見つめる。ツカサは昔のことを思い出すように天井を見上げた。
「俺さ、彼女に振り向いてもらえるよう一生懸命画策したんだよ。唯一の友達だったナツメを追い払うためにいじめの主犯にしたてあげてさ」
「……あのいじめは、やはりツカサ先生が仕組んだものだったんですね」
顔を上げていたツカサがアオイに視線を戻した。
「そういうこと。彼女が俺にだけ頼れるような状態を作るためにね」
そう言ってツカサが笑った。彼は昔自分が行ったことが悪いことだと少しも思っていないようだった。
「彼女がヒジリにふられたときも必死に慰めたんだ。それ以外にも色々と彼女のためになることを言ったりやったりしてさ。こんなにも俺は彼女のために身を尽くしたというのに……」
ツカサがそこまで言って言葉を切った。そして、苦しそうに顔をゆがめた。
「彼女は俺を拒んだ」
急に周囲の温度が下がった気がして、アオイは体を震わせた。ツカサがそんなアオイを見ながら続ける。
「それが許せなかったんだ。だから、無理矢理にでも俺のものにしようと思って……」
そう言った矢先、ツカサが手を伸ばしアオイの肩をつかんだ。
「! ひっ……!」
思わず体を硬くする。そんなアオイを見て、ツカサが暗い顔で笑った。
「ずっと嫌いだったんだ、女なんて」
「利己的で裏表があって排他的で物事の表面しか見てなくて」
「でも彼女は違った」
「彼女は誰よりも優しくて素直で、俺のことをきちんと見てくれた」
「運命の人だと思ったんだ」
そこまで続けて言って、ツカサが俯いた。アオイの肩をつかむ手の力が強くなり、その手がかすかに震えるのが分かった。
「……でも、俺の方に振り向いてくれなかった。あろうことか俺から逃げようとして……」
そう言って表情をゆがませるツカサを見て、アオイは口を開いた。
「……ショックだったんですね」
「……」
ツカサは何も言わず俯いている。
「たしかに、好きになった人に振り向いて欲しくて色々と行動するのは悪いことではないと思います。そして、どうやってもその人が振り向いてくれなかったのは悲しいことです。だけど……だからといってその人を死に追い込むようなことをしてはいけないと思います!」
そうアオイが毅然として言い放った。ツカサは顔をゆがめたままアオイの主張を聞いていた。
「……分かってるよ」
少し経って、ぽつりとツカサが呟いた。
「……分かっていたのに」
消え入りそうな声で言うツカサをアオイは悲しげに見つめた。
不意に、どこからか飛んできた分厚い本がアオイの肩をつかんでいたツカサの右手に当たった。
「いっ……」
ツカサが痛みに顔をゆがめ、肩をつかむ手の力を弱める。
何が起こったのか分からずぽかんとするアオイの視界にヒジリが現れた。素早く近づき、ツカサの頬を一発殴るとツカサがひるんで後ずさった。アオイの肩から彼の手が離れた瞬間に、ヒジリがツカサとアオイの間に割って入る。
「アオイ先生!早く逃げてください!」
アオイが展開についていけずヒジリを見て躊躇する。
「で、でも、ヒジリ先生……!」
「私は大丈夫ですから!」
そうヒジリが早口で言う中、「アオイ先生、早く!」とナツメの声もした。
アオイはツカサとヒジリを見て少しためらったあと、手招きをしているナツメの方に走り出した。
廊下に飛び出し少しの間走ると、ナツメがアオイの方を振り返った。
「大丈夫!?」
ナツメが不安そうにアオイの手を握る。図書室から逃げる前も走っていたのか、彼女の息は弾んでいた。
「ナツメ先生、どうしてここに?」
そう尋ねると、ナツメが困ったような顔をした。
「正門の方に行ったらアオイ先生もツカサ先生もいなくなってて……。不思議に思って校舎の方を振り向いたら図書室に明かりがついていたからヒジリ先生と一緒に向かったの。そうしたらツカサ先生とアオイ先生の話が耳に入ってきて……」
そこまで言ってナツメが顔をしかめた。
「まさか、ツカサ先生があんなことをしていたなんて……」
それに対してアオイが何かを言おうと口を開きかけたとき、後ろで靴音をした。
振り返ればヒジリがツカサと共に立っていた。ツカサは今後ろ手にひねり上げられ、その痛みに顔をゆがめていた。
「ヒジリ先生!」
「無事だったんですね!」
アオイとナツメが同時に声をかける。
「ええ。学生の時柔道部に入っていまして」
抵抗するツカサを涼しい顔で押さえ込みながらヒジリが言う。
「くそ、ヒジリ……。また俺の邪魔を……」
ツカサが悔しそうに舌打ち混じりで言った。
「とにかく保健室に戻りましょう。ツカサ先生には色々と話してもらうことがあります」
そう言ってヒジリがツカサをにらみつけた。それは今まで見たことがないほど、冷たくぞっとするようなものだった。
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